上 下
61 / 411
第三章 襲来する物語とハッピーエンド

大江山四天王と鬼便人毒酒(後編)

しおりを挟む

 「そして胃が動き始めた所で、お酒をどうぞ」

 あたしはカウンターからブラジルの洋酒”カシャーサ”の瓶を取り出しグラスに注ぐ。
 薄い琥珀色の液体がトクトクトクと注がれ、ラム酒にも似た甘い香りが広がる。
 
 「気が利くではないか、我らに酌できるなぞ光栄と思うがいいスター」

 星熊童子さんが上機嫌であたしの酌を受ける。

 「水菓子のような香りと甘味。これは酒と肉が進むクマー」

 熊童子さんが言っている水菓子は昔の呼び方で果物のこと。
 大吟醸の匂いが果物の香りといわれるように、お酒の中には果物に似た香りを出す種類がたくさんある。
 このお酒”カシャーサ”もフルーティーな香りがあたしの所まで漂っていて心地よい。

 「やはり酒は臓腑に染みるトラ」

 あの酒呑童子の部下だけあって、虎熊童子さんの飲みっぷりは見事。
 大トラじゃなければいいのだけど。 

 「飯炊き女、これは何という酒カナー?」

 グラスの液体を飲み干し、金熊童子さんがあたしに問いかけてくる。

 「これは鬼便人毒酒きべんじんどくしゅ、鬼には薬に、人には毒になるお酒です」

 もちろん嘘!

 「嘘を申すな、そんな酒があるはずがないスター」
 「我らをたばかろうとしても無駄クマー」

 骨を握り、肉を口にしながら星熊童子さんと熊童子さんが言う。
 
 「いいえ、このラベルをよくご覧になって下さい」

 あたしは手の瓶をずずいと四天王の前に近づける。

 「これは……毛唐の文字カナー?」
 「金熊よ! 読めるのかトラ!?」
 「……読めないカナー」

 よかった、正しく読めたらあたしの作戦が台無しになる所だった。
 といっても、これは英語とは微妙に違う。
 ”カシャーサ”はサトウキビから作るブラジルのお酒、だからこのラベルはポルトガル語で書かれているの。

 「ほらここOrgaオーガって書かれているでしょ」

 あたしはラベルの一文を指差しながら言う。

 「確かにそう書かれているスター」
 「俺、知っているクマー! オーガって西洋の鬼の事クマー」
 「そうですそうです、鬼です」

 嘘です。
 正しくは『Organicaオーガニック』つまり有機栽培の原料を使っていると書かれてあるの。

 「そしてここ! Venenoベネーノと書かれてありますよね」
 「きっちりと書かれているトラ!」
 「これはポルトガル語で毒って意味なんですよ」
 「俺、それも知ってるクマー! 英語のVenomヴェノムと同じクマー!」

 熊童子さんは意外と博識。
 このカシャーサというお酒には様々な異名がある。
 狂った水というAgua Malucaアグア マルーカ、ブラジル娘というBrasileirinhaブラジリレイリーニャ、そして毒を意味するVenenoベネーノ
 それは、酒の本性を現わした呼び名。

 「熊は毛唐の悪役映画が好きだからスター」
 「悪役映画じゃないクマー、ヴィラン映画と言って欲しいクマー」

 ガシャンと机の上で腰をかがめて手を付くポーズを取りながら熊童子が言う。
 それはハリウッド映画でよく見る悪役ヴィラン伝統のポーズ。

 「なるほど! 謎は解けたカナー! 鬼……毒……、そしてこの滋味……、これは鬼には薬だが人には毒になる酒になるとみたカナー!」
 「つまり鬼便人毒酒きべんじんどくしゅなのでスター」
 「おおう! さすが四天王一の知恵者だトラ!」
 「B級推理映画100本切りの偉業は立てじゃないクマー」

 B級で助かった…… 

 「飯炊き女カナー!」
 「珠子です」

 星熊童子さんの声にあたしは、にこやかに笑い返す。

 「珠子の姉御! これを売ってくれないカナー!」 
 「お持ち帰りも出来ますよー、1本のお代はこちらです」

 あたしは電卓を叩き、値段を表示する。
 ちょっと高めに。
 
 「買った! 我らとボスと姐さんの分、6本頂くカナー!」
 「毎度ありー!」

 あたしは紙袋いっぱいにカシャーサの瓶を詰め込み、それと諭吉さんを交換する。

 「これがあれば我ら大江山の鬼の大勝利ハッピーエンド間違いなしだスター!」
 「あの頼光四天王なんて敵じゃないクマー!」
 「あの卑怯者を次こそ倒すトラ!」
 「姐さんもボスも大喜びカナー!」
 
 そう言って四天王ははっはっはっと手を腰にあてて笑う。

 「では急いで帰るとするスター!」
 「頼光らいこうより迅くクマー!」
 「うまかったトラ!」
 「また来るカナー!」 

 嬉しそうに手を振りながら、もう一方の手には紙袋を持ち、四天王は勢いよく帰っていった。
 開きっぱなしの扉からは穴ぼこだらけのエントランスが見える。
 うわー、思ったよりも激しい戦いの跡。
 こりゃ直すのが大変そうだわ。
 でもあの子たち、おバカそうに見えて、実際おバカだったけど、愛らしいおバカさんだったわ。
 ちょっと騒がしかったけどね。

 「ふぅ、やっと静かになったのう」

 カウンターから慈道さんが声をかけてくる。
 目で何かを訴えるように。
  
 「あー、はい、わかっていますよ。あの四天王さんの肉の残りです」

 さすがに追加分は多かったのだろう。
 四天王さんたちのテーブルには、まだ手付かずの肉が大量に残っていた。

 「さすが珠子殿、よくわかっておられる」
 「慈道さんが神便鬼毒酒しんべんきどくしゅならぬ鬼便人毒酒きべんじんどくしゅなんて言うからですよ」

 さすがにあの意味を理解するには時間が掛かった。

 「肉が食べたかったのですよね。後付けの理由付きで」
 「いやー、そんな事はないぞー。拙僧は生臭物は理由が無ければ食ったりはせんぞ。具体的には残りものとか」

 目を逸らし、わざとらしく視線を空中に移しながら慈道さんがを語る。
 その理由を無理やり作ったくせに。

 さて、あたしも勤務中だけど、今日は開店休業としゃれこもうとしますか。
 お店の前があんな惨状じゃ、今日はお客も来そうにないしね。
 
 「では、慈道さん」
 「うむ、今晩は朝まで飲み食いに明け暮れるとするか」 

 骨付き肉を右手に、酒瓶を左手に、あたしと慈道さんは二ヒヒと笑ったのです。
 
◇◇◇◇
 
 「ちょ! お店の前が大変な事になってるんだけど!?」

 日が昇ろうとする頃、藍蘭らんらんさんが帰ってきた。
 そして、藍蘭らんらんさんが見たのはテーブルの上のカシャーサの空き瓶と泣き崩れるふたり。

 「うおーん、うおぉーん!」
 「おお御仏よ、御仏よぉおおーん、おおーん!」

 それを見て藍蘭らんらんさんの顔に動揺が走る。

 「どうしたの!? どうして泣いているのふたりとも!?」

 驚いた顔で藍蘭らんらんさんが問いかける。

 「聞いて下さい藍ちゃんさん! あたしはお客さん同士の喧嘩を止めれなくって、お店の前が……」
 「拙僧は御仏に仕える身ながら肉を大量に食べてしまって……」
 「いや、それくらい……」

 藍蘭らんらんさんの声にあたしたちは『いやいやいや』と首を振る。
 
 「いいえ、この責任は重大なのです! だからせめて死んで詫びようと……」
 「この、人には毒となる鬼便人毒酒きべんじんどくしゅを飲んだのじゃが……」

 あたしたちは空っぽになった鬼便人毒酒きべんじんどくしゅ、別名カシャーサの瓶を指差す。

 「いくら飲んでも死ねないのですー!」
 「死ねんのじゃー!」

 そう言ってあたしたちは再び、うおおおーんと涙を流した。

 「ええと……何ごっこかしら?」
 
 少し呆れたように藍蘭らんらんさんが言った。
 えへへ、附子ぶすごっこです。
 鬼便人毒酒きべんじんどくしゅならぬ、詭弁人毒酒きべんじんどくしゅってね。
 
◇◇◇◇

 「……という事があったのですよ、赤好しゃっこうさん」
 「へえ、かわいい嘘つき珠子さんが泣いていたと聞いたけど、そんなわけがあったんだね」

 あれから数日後、あたしは仕事の合間の世間話で大江山四天王の話をしていた。

 「でも結局、あの四天王の目的って何だったのだろうね?」
 「さあ? でもそんなに悪い鬼たちじゃなさそうでしたよ」

 彼らは勝手気ままに騒いだけれど、悪事を働きはしなかった。
 あれくらいなら普通の”あやかし”と同じ。
 酒場のちょっとしたいざこざって感じよね。
 そんな事を考えていると……

 ズズン……ズズン……

 駅から猛スピードで近づく、地面が揺れると思えるほどの強大な妖力ちからをあたしは感じたのです。  

 「えっ、何です!? この気配は!?」
 「おおっ!? 鈍感な珠子さんでも感じてしまうほどの妖気!? こりゃ並みの”あやかし”じゃないぞ!?」

 その恐ろしいまでの妖力ちから赤好しゃっこうさんも身構え、あたしたちの視線が扉に注がれる。
 次の瞬間、扉は消し飛んだ。 
 そして、すごい剣幕でスゴイ美人が凄い巨乳を揺らしながらお店に乱入してきたのです。
 
 「ウチの舎弟に変な事をふき込んだのはだれや―!!」

しおりを挟む

処理中です...