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第四章 加速する物語とハッピーエンド

件憑き(くだんつき)と牛テールスープ(その4)※全7部

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◇◇◇◇

 「なるほど、苦労をかけたな。だが、女中は我の大切な部下でもある。我に任せよ」

 黄貴こうき兄さんは僕の説明を聞くなりそう言った。

 「みえないって話だけど、ゆーれーだったらボクはわかるよ!」

 弟の紫君しーくんは、はいはーいと手を上げて言う。

 「うーん、幽霊の可能性もあるけど、あれでしょ、そのってやつ”死”の化身みたいだって話でしょ」
 「……そう」

 藍蘭らんらん兄さんの言う通り、はきっと幽霊じゃない。
 ”死”そのもの。

 「”死”ってのは『姿は見えず、音もなく近づく』って言うぜ、接近を感じるのはかなり難しそうだねぇ」
 「大体の位置さえわかれば、私が最強の妖力ちからで、その周辺一帯を消し飛ばすのですが」クイッ

 誇張じゃない。
 蒼明そうめい兄さんの最大の妖力ちからなら、普通の”あやかし”なんて微塵も残らない、きっと。
 問題は、それをどうやって命中させるか。
 僕たちは、うーんと唸りながら、それを考え続ける。

 「あら、みなさん。おそろいで何かの相談ですか?」

 台所に居た珠子さんが僕たちの所にやってくる。
 何としても珠子さんを守らなきゃ、それは僕たちみんなの、ひとつの想い。

 ポンッ

 珠子姉さんの姿を見て、緑乱りょくらん兄さんが手を叩く。

 「なんだ、緑乱りょくらんよ。何か妙案でも浮かんだのか?」

 黄貴こうき兄さんが尋ねる。

 「ああ、とっておきのスイートなやつさ」
 「まあ、どんな考えですか、緑乱りょくらんおじさん。あたしにも教えて下さいよ」

 僕たちがどんな相談をしているかも知らずに、珠子姉さんが聞いてくる。
 緑乱りょくらん兄さんは、そんな珠子姉さんの手を取り、

 「君をデートに誘おうと思ってね、ハニー」

 その瞳をじっと見つめながら、そう言ったんだ。

◇◇◇◇

 「ぶんぶんぶーん、ハチがとぶー」

 そんな歌を歌いながら珠子姉さんはアカシア木の間や、クローバーの緑の絨毯を駆けまわる。

 「しかし考えたな、養蜂場ようほうじょうとは」
 「だろ? は触れるだけで死をもたらすようなやつだろ。ここなら地面は植物、空中には蜂が飛び回っている。こいつらが急に死んだなら、が来たって証拠さ」

 黄貴こうき兄さんと緑乱りょくらん兄さんは、そんな会話をしながら空を見上げている。
 緑乱りょくらん兄さんの言う通り、見事な作戦。
 これなら、が空から来ようが、地を駆けてこようが、その接近は感知。

 「国産蜂蜜っておいしいですねー。あっ、あたしパンを焼いて来ましたよ。巣蜜を載せてたべましょー。いやー、こんな素敵なデートに誘ってもらってありがとうございます」

 搾りたて、採れたての蜂蜜を食べながら、珠子姉さんが言う。
 いつもなら、僕たちもその料理に舌鼓を打つのだけど、今日は違う。
 僕たちの集中力は周囲の植物と蜂に集中していた。

 「橙依とーい、ちょっといいか」

 少し重みを帯びた声で赤好しゃっこう兄さんが僕の肩を叩く。

 「何?」
 「いざとなったら、お前だけでも逃げろ。ヤバイ」
 「えっ!? それってどういう……」
 「俺の予知から珠子さんの不幸が消えない。それどころか、俺たちみんなに不幸の運命が見える。唯一の例外がお前だ」

 僕の言葉を待たずに、赤好しゃっこう兄さんが絞り出すような声で言葉を続けた。

 「来たぞ! あそこだ!」

 僕が赤好しゃっこう兄さんの言葉を理解する前に、黄貴こうき兄さんが地面を空を指差す。
 指が示す先から、蜂がポタポタと地面に落ち、そしてクローバーの花もしおれ枯れていく。

 「とらええました! そこです!」
 「アタシたちも加勢するのよ!」
 「いっくよー!」
 「ほいさぁ!」
 「我の妖力ちからひざまづけ!」
 「いいか! 橙依とーい! お前だけでも!」

 みんなの叫びが響き渡る。
 その次の音は、轟音を超えた爆音とでも言うのだろうか。
 妖力ちから奔流ほんりゅうが光を通さぬ渦となり竜巻となり、闇を地上にもたらした。

 ドヴゥーーーーン!!

 「やったか!?」

 黄貴こうき兄さんのその声が最期の声だった。

 パタリ
 
 そのまま、苦しむ声も無く、黄貴こうき兄さんが地面に倒れる。
 それに駆け寄る蒼明そうめい兄さんも。
 パタリ、パタリと兄さんたちが、僕の家族が地面に倒れ、そして……珠子姉さんも。
 
 ガサガサガサッと枯草をこするような音を立てて、僕の前の緑が茶色に染まる。
 そして、僕はまた聞いた。

 【死ね】

==========
 僕はあの時、あの日をもう一度ワンモアデイズが間に合ったのが奇跡だと思った。
 いや、これは赤好しゃっこう兄さんが僕に託してくれた、一握りの希望の欠片かけらなのかもしれない。
 結果的には、このおかげで僕は無駄な妖力ちからの消費をせず、最後の賭けに出られるのだから。
==========

◇◇6周目◇◇

 「二度も言わなくていい。それじゃあ……、ちょっと君だいじょうぶ? 顔が真っ青よ」

 戻ってこれた、間に合った。

 「聞いてる? おーい?」

 彼女が僕の前で手を振る。
 だけど、そんなのは気にしていられない。

 「まあ、いいわ。それじゃあ」

 僕の知る限り、蒼明そうめい兄さんは最強だ。
 それに、他の兄さんたちも凄く強い。
 あの、飄々ひょうひょうとしている緑乱りょくらん兄さんだって、そんじょそこらの”あやかし”に負けることなんてない。
 みんな、八岐大蛇ヤマタノオロチの息子なんだ。
 その全員が手も足も出ずに死んだ。
 ……あんなのかないっこない。
 僕は彼女が去った後の土手に座り、抱えるは頭。
 その中には絶望しかなかった。
 
 ザッ

 そんな時だった、彼が僕の後ろから中二的な声をかけてきたのは。

 「おい、橙依とーい。お前、今、?」

 振り向いた僕の瞳に映ったのは3つの影。
 
 「天野……、佐藤……、渡雷……、どうしてここに?」

 そこに立っていたのは天野 孔雀あまの くじゃくこと天邪鬼。
 佐藤 李さとう りーことさとり
 渡雷 十兵衛わたらい じゅうべえこと雷獣。

 「お前が理由を言わずに走り出すからさ」
 「ふっ、階段から落ちる途中で、”時を越えて戻って来た”なんて考えられちゃあ、俺の一生に一度は言ってみたい台詞『お前、今、何周目だ?』を言いに行かずにはいられないだろう」
 「ふたりともひどいでござるよ。理由は簡単でござる、友達の力になりたいからでござるよ。『義によって助太刀いたす』みたいな」

 みんな……僕を心配してきてくれたんだ。
 その気持ちが嬉しくて、僕は少し元気が出た。
 絶望でいっぱいだった心に少し光がした。

 「おい、橙依とーい。お前、今、『”義によって助太刀いたす”ってセリフは僕も一度言ってみたい台詞だよ』って思ってるな」
 「佐藤、きみだってそう思ってるじゃないか」

 僕たちは、そう言いながら笑い合った。

◇◇◇◇

 さとりの佐藤には言葉での説明なんて不要。
 僕がちょっと、これまでの事を思い出すだけで事足りる。
 
 ズキッ

 頭が痛む。
 妖力ちからの使い過ぎだ。
 今までの繰り返しで、僕に残された妖力ちからは少ない。
 
 「経緯は理解した。そうだな、俺の見立てでは、あと1回ってとこか。まっ、この俺が加勢すれば、今回でフィナーレだぜ」
 「佐藤殿はわかっているかもしれぬが、拙者には、とんとわからぬでござるよ」
 「俺はわかってるぜ」
 
 ……きっとわかってない。
 十兵衛と天野に、僕はこれまでの経緯を説明。
 出来るだけわかりやすく、僕の話の中から何かを倒すヒントでも見つられるように。
 でも、その可能性は低い。

 「おい、お前、今、『だって、兄さんたちでも何も出来なかったのだから』って思っただろう。この俺を見くびるなよ、ちゃんと攻略の糸口をつかんだぜ」
 「おお! さすがは佐藤殿! 拙者には、そんな強大な”あやかし”に勝つ策など、とんと思いつかぬ。何か妙案でも!?」
 「俺なら楽勝だぜ!」

 自信たっぷりに言う天野を無視して、僕たちは佐藤の次の言葉を待つ。

 「その、”死の化身”だか何だかだが、珠子さんをターゲットにしているなら知性と心があるはずさ。だったら、俺が心を読める。そしたら、ヤツの弱点だってわかるはずさ」
 「おお! さすがは佐藤殿!」
 
 さとりの読心は、僕のそれとはレベルが違う。
 同意も不要だし、深層心理まで読める。
 確かに、それだったら、の弱点がわかるかもしれない。
 弱点がなくても、珠子姉さんを狙う理由がわかれば、対処法がわかるかも!?

 「……でも、弱点がわかっても、それを突く前にやられるかもしれない」
 「そう、そこでだ。弱点がわかったら、橙依とーいと渡雷の能力で珠子さんと俺を連れて全力で逃げるのさ。その隙に弱点を突く準備をすればいい」
 「なるほど! 拙者の速さに付いてこれる”あやかし”などおらぬでござるからな」

 確かに、雷獣の速度は雷速、音速など軽く凌駕りょうが
 それなら、逃げ切れるかもしれない。
 でも、僕は……

 (おおっと、橙依とーい。そいつは口にするなよ。俺たちの友情を守りたいならな)
 
 佐藤の心の声が聞こえる。
 やっぱり、佐藤は死ぬ気だ。
 『もし逃げ切れなかった場合は、僕だけでもあの日をもう一度ワンモアデイズで過去に戻り、そして、その弱点を次の周で活かせ』、それが佐藤の真意。

 「佐藤殿の策は見事でござるな。だが、備えあれば憂いなしでござる。ここはもうひとつ手札を増やすべきでござろう」
 
 佐藤の策に頷きながらも、十兵衛が僕を指差して言う。

 「……というと?」
 「橙依とーい殿のコピー能力でござるよ。ここは天野殿の心も読んで、身に着けておくべきでござらんか」
 「止めた方がいいぜ」

 十兵衛の提案を佐藤が即座に止める。
 でも、それもきっと作戦のひとつ。

 「俺の心を読むって事か!? いいぞやれやれ!」
 
 ほら、そう言われたら、天邪鬼な天野ならこう言っちゃうじゃないか。
 だけど、ここはひとつでも僕のコピー能力を増やしておきたい。

 「わかった。じゃあ、いくよ」

 僕は天野の心を読む。

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心を読まれぬともいわれだが、俺ならこうやって倒させすぜ。その強矮小な強敵ともへの篭絡攻略困難混惑なんて、俺様ひとりでダウンのアップテンポで友達フレンドリーファイヤーウォールがあれば、友情の攻撃と防御と攻防全体が姿を覆面つまびらかにあんじて安心全身一点突破で、大船の小舟に揺られる安定感と船頭ひとり川へ潜るってなもんや三度笠だぜ。
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 天野の心は混迷を極めていた。
 それは……例えるならば、揺れる振り子を心で表現したようなもの。
 ううん、振り子なんて一定周期じゃない、荒れ狂う波に揺られるペットボトルが心になったよう。
 正と邪、誤と明、陰と光、そんな混沌カオス
 読んでいるだけで、不安と混乱が頭の芯に響く。

 「うっ、うえええぇぇぇー」

 船酔いにも似た眩暈めまいと浮遊と落下感に僕は吐いた。

 「だから止めとけって言ったのさ」

 ごめん、君の言葉は天野に向けられたものじゃなく、僕に向けられたものだったんだ。

◇◇◇◇


 それから僕たちは朝まで24時間営業のファーストフード店、ドムドムドムバーガーで過ごした。
 ちょっと……家には帰りたくなかった。
 また家族を巻き込みたくなかった僕の気持ちを、佐藤がんでくれたのかもしれない。

 だけど、そんな僕の悩みなんておかまいなしに、みんなは妖力ちからの回復のために、まずは腹ごしらえとばかりに、お腹いっぱい食べ、僕も食べさせられた。
 十兵衛はポテトをモリモリと食べていて、天野は一番マズイと噂されているピクルス3倍バーガーを美味い美味いと食べる。
 そして、クラスの女の子で誰が一番可愛いかとか、あの先生が気に入らないとか、そんな与太話に花を咲かせた。
 人間の中学生が、ちょっとハメを外したみたいな事を僕らはした。
 楽しかった。
 この長い1日の中で、一番楽しかった時間かもしれない。

 ……そして、運命の時刻がやってきた。

◇◇◇◇

 7月13日、午前10時50分、僕らは『酒処 七王子』へ向かう川沿いの土手で待ち構える。

 「あらっ、君たち、学校はサボリ? いけないんだー」

 買い物袋を両手に抱え、珠子姉さんが僕たちに語りかける。
 
 「いけない事をするのは気持ちのいいことだぜ!」

 天野がそう答えると、

 「おい女。お前、今『うんうん、イケナイ事は気持ちいいよねー。げへへ』と思って……、相変わらずだな……」

 ……このひとは、僕の、僕たちの苦労も知らずにひとり平常運転。

 「おふたりとも、今はそんな事を言っている場合ではなかろう。ちゃんと警戒をせぬと」

 そう言って、渡雷は雷のようなゴロゴロという音を立て始める。
 いつでも、雷に乗って逃げれるように。

 「ん? 雷獣さん、何かあったの?」
 「……珠子姉さんは気にしないで、そのままでいて」
 「んー、わからないけどわかったわ」

 僕たちのただならぬ気配に何かを察したように、珠子姉さんも動きを静止。

 「来たぞ! 丑三つの方向! 仰角15! 距離200!」

 そう言って佐藤が虚空を指差す、時刻は10時58分。
 その声は、佐藤のさとりの能力がの心を捕らえた証。
 その指が示す先には何も見えない、だけど距離を考慮するにの歩みは遅い。
 これなら十分に逃げられる。
 弱点を調べる時間すら十分にあるほどに。

 「やったでござる! 作戦通りでござる! 佐藤殿、あいつの弱点は!?」

 渡雷の声が響く中、僕は見た、いつもは血色のいい佐藤の顔が、死霊のように蒼白になった瞬間を。

 「逃げろ! こいつは”あやかし”なんかじゃない、もっと邪悪で! ちくしょう! 人間ってやつは! こいつは行き場を失った死の呪いの化身だ! 弱点どころか、こいつには心も、いや意志すらない! ただ機械的に珠子さんの中の……」

 パタリ
 
 言葉を最後まで紡ぐことなく、佐藤の体が地面に倒れる。

 「おいっ、どうした! 傷は深いぞ!」

 佐藤に天野が駆け寄り、その身体を揺らす。

 「逃げるでござるよ! 珠子殿!」

 渡雷が珠子姉さんの腰を抱え、雷光がはしる。
 だけど、その身体が飛び出す事はなかった。
 ふたりの体もまた、パタリと地面に倒れて動かない。
 そして、僕にも聞こえて来た。
 何度もなく聞いて、その度に死を感じたあの声を。

 【死ね】

 僕の意識が明滅し、膝が力なく崩れ落ちる。

 「おいっ、大丈夫だ! 俺が逃げて助けてやる! だから立て! 立って一緒にを!」

 僕を抱きかかえる天野の声だけが聞こえる。
 目は光を失い、頭だけが死を意識する。
 ああ、だめだ……、結局、弱点なんて……、もう疲れた……

 ゴスッ

 頭に強い衝撃を感じて、僕の意識が少し覚醒する。

 「ふざけんあ! このまま終わるなんてお前らしくないぜ! 佐藤の気持ちを無駄にするな! 妖力ちからをふりしぼれ!」

 かすんだ視界の中に天野の顔が見える。
 そうだ……佐藤は命懸けでの弱点を探ろうとした。
 その弱点が無かったとしても、その気持ちを無駄には出来ない、したくない。
 きっと、これが最後。
 そこに希望はないかもしれない、だけど、やるだけやってみるよ……僕の親友たち。
 
 最後のあの日をもう一度ワンモアデイズが発動した。
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