58 / 70
混乱の中
しおりを挟む
沿岸警備隊の男は、フッと息を吐いてから曖昧な笑みを浮かべてコッポラに近づく。
「精が出ますね」
コッポラはビクリと身体を震わせ、ぎこちない動きで後ろに首を向けた。そして、自身に声を掛けた人物が知っている人物であることを確認し、身体を弛緩させる。
「なんだ、脅かさないでくださいよ。いつからそこに?」
「今からですよ……。そちらこそ、随分な驚きようじゃないですか。何をしているんです?」
彼自身、コッポラが何をしていたかはずっと見張っていたのでお見通しだったが、コッポラの前ではあくまでも何も知らない一沿岸警備隊の捜査官の皮を被らなければならないのだ。
「捜査ですよ」
「……捜査? 『リンカーン』の件は、お上から止めるようにお達しがあったはずですけど」
お達しもなにも、圧力を掛けるように司法省へ掛け合ったのは他ならぬ彼であるが。
「いや、先日のアラモアナセンターのイスラム過激派についての捜査です」
「……そうですか。ではなんで、リンカーンの乗客名簿を?」
コッポラは沿岸警備隊の男の発現に驚いたようで、顔を引きつらせ、口を開けたり閉じたりしながら、何か考えているようだった。
それから、乾いた笑いで二人の間に漂っていた、なんとも言えない空気を吹き飛ばす。
「いや、お恥ずかしい。どうも、気になってしまって。……上からは何度も釘を刺されましたが、逆にそのせいで気になってしまって」
申し訳なさそうに話すコッポラ。
「……なるほど」
男もそれで察した。
コッポラの上司が、人の扱い方が上手くないことと、圧力の掛け方が権力を盾に使った如何にもなものであったことを見透かし、心の中で大きな溜息を付いた。
おおかた、若人の青臭い正義感を煽るような口ぶりや情報の出し方をしたのだろう。
そこまで考えて、男は心の中で舌打ちをする。
圧力を掛ければ、今の若者らしく事なかれ主義で身を引くかと彼は思っていた。しかし、現実はこうだ。
(……少し、痛い目に遭ってもらうか)
革の手袋と布製の袋は自分のロッカーにある。袋に詰める砂は、目と鼻の先にある砂浜で取れる。
決行は深夜。
などと男は、コッポラから背を向け、部屋を後にしながら計画を立てていった。
その後ろで、コッポラがある人物からの電話を受け取っているとは知らずに。
深夜。
当直の職員以外が帰宅し、沿岸警備隊の事務所が静まり返った頃。
男はジャケットを脱ぎ、ネクタイを外し、黒のジャンパーを羽織った。
次に声を誤魔化すためにガーゼマスクを装着し、人相を隠すためにサングラスをかけ、手には革手袋をはめる。
そして、布袋に砂を詰めたブラックジャックを握りしめ、コッポラがいる会議室へと向かった。
彼はここ二日ほどは、会議室で寝泊まりしている。無用心なことに鍵もかけていなかった。
なるべく音を立てないようドアノブを回し、会議室に入る。
電気が消えていて暗かったが、方向を見失うほどではなかった。
椅子を三つ並べただけの簡易ベッドに、毛布を被った人影が横たわっている。
丁度いいことに、人影は男へ背を向けていた。
(……まずは脇腹だ)
マスクの下で舌なめずりをする。
(喰らえっ!)
ブラックジャックを振りかぶり、人影の脇腹の位置へと叩き込む。
人影は呻き声を挙げ、椅子から転がり落ちる。
――はずだった。
男の想像以上に軽い感触と、悲鳴を挙げない人影。
疑問を抱くよりも先に、部屋の電気が点いた。
反射で振り向く男。だが、彼の目が何かを捉えるより先に横っ面をぶん殴られ、床に伏せられた。
彼が突然起きた出来事に戸惑っていると、追い打ちとばかりに顔面を蹴られる。
口から血を流し、足をばたつかせる男。
「……残念ですよ」
聞こえてきた声に男は驚き、声がした方を見上げた。電気のスイッチがある場所には、コッポラが立っていた。
男は、恐る恐る椅子の方へ視線を向ける。
椅子に横たわっていたのは、丸められたマットだ。
(嘘だろ……)
男は全身を凍り付かせる。彼が思っている以上にこの状況は最悪である。
「へぇ……いい物持ってるじゃない」
今度聞こえてきたのは女の声。男はその声も聞き覚えがあった。
血だらけの顔を、ゆっくりと上げる。
そこに立っていたのは、イリナ・ガルキアだった。彼女の手にはバンテージが巻かれ、スニーカーには返り血が散っている。
「夜這いにしては物騒ね」
男が落としたブラックジャックを弄りながら言う。口調こそ穏やかなものの、素人でも分かるほどの殺気を放っており、下手なことをすれば殺されかねない凄味がある。
男は二人から目を逸らし、必死に言い訳を組み立てようとする。だが、都合の良い言葉は出てこない。
「……顔貸しなさい」
イリナが冷たい眼差しを男へ向けて刺す。
(殺される……)
彼女の今の表情は死神も同然であり、男がそう感じるのも無理もない話であった。
生物としての生存本能が男を一時的に痛みから解放し、意思とは関係なく身体を動かす。
しかし、ここまでしているコッポラ達が何も対策していないわけもなく。
男が扉が開けた先には、ナザロフが腕組みをして仁王立ちしていた。
男と顔を合わせた瞬間、ナザロフも鳩尾へ拳を叩き込んだ。
呼吸が出来なくなり、のたうち回る男。
芋虫みたいになっている男を見ながら、コッポラは支給品のグロック22をホルスターから抜いた。コッキングした銃口を男へ向けながら、彼は口を開く。
「場所変えましょう」
淡々と事が進んでいく。そんな中、酸欠と痛みで混乱状態にもかかわらず、男の脳裏にこんなことがよぎった。
(俺は……いったいどこで間違えたんだ?)
「精が出ますね」
コッポラはビクリと身体を震わせ、ぎこちない動きで後ろに首を向けた。そして、自身に声を掛けた人物が知っている人物であることを確認し、身体を弛緩させる。
「なんだ、脅かさないでくださいよ。いつからそこに?」
「今からですよ……。そちらこそ、随分な驚きようじゃないですか。何をしているんです?」
彼自身、コッポラが何をしていたかはずっと見張っていたのでお見通しだったが、コッポラの前ではあくまでも何も知らない一沿岸警備隊の捜査官の皮を被らなければならないのだ。
「捜査ですよ」
「……捜査? 『リンカーン』の件は、お上から止めるようにお達しがあったはずですけど」
お達しもなにも、圧力を掛けるように司法省へ掛け合ったのは他ならぬ彼であるが。
「いや、先日のアラモアナセンターのイスラム過激派についての捜査です」
「……そうですか。ではなんで、リンカーンの乗客名簿を?」
コッポラは沿岸警備隊の男の発現に驚いたようで、顔を引きつらせ、口を開けたり閉じたりしながら、何か考えているようだった。
それから、乾いた笑いで二人の間に漂っていた、なんとも言えない空気を吹き飛ばす。
「いや、お恥ずかしい。どうも、気になってしまって。……上からは何度も釘を刺されましたが、逆にそのせいで気になってしまって」
申し訳なさそうに話すコッポラ。
「……なるほど」
男もそれで察した。
コッポラの上司が、人の扱い方が上手くないことと、圧力の掛け方が権力を盾に使った如何にもなものであったことを見透かし、心の中で大きな溜息を付いた。
おおかた、若人の青臭い正義感を煽るような口ぶりや情報の出し方をしたのだろう。
そこまで考えて、男は心の中で舌打ちをする。
圧力を掛ければ、今の若者らしく事なかれ主義で身を引くかと彼は思っていた。しかし、現実はこうだ。
(……少し、痛い目に遭ってもらうか)
革の手袋と布製の袋は自分のロッカーにある。袋に詰める砂は、目と鼻の先にある砂浜で取れる。
決行は深夜。
などと男は、コッポラから背を向け、部屋を後にしながら計画を立てていった。
その後ろで、コッポラがある人物からの電話を受け取っているとは知らずに。
深夜。
当直の職員以外が帰宅し、沿岸警備隊の事務所が静まり返った頃。
男はジャケットを脱ぎ、ネクタイを外し、黒のジャンパーを羽織った。
次に声を誤魔化すためにガーゼマスクを装着し、人相を隠すためにサングラスをかけ、手には革手袋をはめる。
そして、布袋に砂を詰めたブラックジャックを握りしめ、コッポラがいる会議室へと向かった。
彼はここ二日ほどは、会議室で寝泊まりしている。無用心なことに鍵もかけていなかった。
なるべく音を立てないようドアノブを回し、会議室に入る。
電気が消えていて暗かったが、方向を見失うほどではなかった。
椅子を三つ並べただけの簡易ベッドに、毛布を被った人影が横たわっている。
丁度いいことに、人影は男へ背を向けていた。
(……まずは脇腹だ)
マスクの下で舌なめずりをする。
(喰らえっ!)
ブラックジャックを振りかぶり、人影の脇腹の位置へと叩き込む。
人影は呻き声を挙げ、椅子から転がり落ちる。
――はずだった。
男の想像以上に軽い感触と、悲鳴を挙げない人影。
疑問を抱くよりも先に、部屋の電気が点いた。
反射で振り向く男。だが、彼の目が何かを捉えるより先に横っ面をぶん殴られ、床に伏せられた。
彼が突然起きた出来事に戸惑っていると、追い打ちとばかりに顔面を蹴られる。
口から血を流し、足をばたつかせる男。
「……残念ですよ」
聞こえてきた声に男は驚き、声がした方を見上げた。電気のスイッチがある場所には、コッポラが立っていた。
男は、恐る恐る椅子の方へ視線を向ける。
椅子に横たわっていたのは、丸められたマットだ。
(嘘だろ……)
男は全身を凍り付かせる。彼が思っている以上にこの状況は最悪である。
「へぇ……いい物持ってるじゃない」
今度聞こえてきたのは女の声。男はその声も聞き覚えがあった。
血だらけの顔を、ゆっくりと上げる。
そこに立っていたのは、イリナ・ガルキアだった。彼女の手にはバンテージが巻かれ、スニーカーには返り血が散っている。
「夜這いにしては物騒ね」
男が落としたブラックジャックを弄りながら言う。口調こそ穏やかなものの、素人でも分かるほどの殺気を放っており、下手なことをすれば殺されかねない凄味がある。
男は二人から目を逸らし、必死に言い訳を組み立てようとする。だが、都合の良い言葉は出てこない。
「……顔貸しなさい」
イリナが冷たい眼差しを男へ向けて刺す。
(殺される……)
彼女の今の表情は死神も同然であり、男がそう感じるのも無理もない話であった。
生物としての生存本能が男を一時的に痛みから解放し、意思とは関係なく身体を動かす。
しかし、ここまでしているコッポラ達が何も対策していないわけもなく。
男が扉が開けた先には、ナザロフが腕組みをして仁王立ちしていた。
男と顔を合わせた瞬間、ナザロフも鳩尾へ拳を叩き込んだ。
呼吸が出来なくなり、のたうち回る男。
芋虫みたいになっている男を見ながら、コッポラは支給品のグロック22をホルスターから抜いた。コッキングした銃口を男へ向けながら、彼は口を開く。
「場所変えましょう」
淡々と事が進んでいく。そんな中、酸欠と痛みで混乱状態にもかかわらず、男の脳裏にこんなことがよぎった。
(俺は……いったいどこで間違えたんだ?)
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる