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混乱の中
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沿岸警備隊の男は、フッと息を吐いてから曖昧な笑みを浮かべてコッポラに近づく。
「精が出ますね」
コッポラはビクリと身体を震わせ、ぎこちない動きで後ろに首を向けた。そして、自身に声を掛けた人物が知っている人物であることを確認し、身体を弛緩させる。
「なんだ、脅かさないでくださいよ。いつからそこに?」
「今からですよ……。そちらこそ、随分な驚きようじゃないですか。何をしているんです?」
彼自身、コッポラが何をしていたかはずっと見張っていたのでお見通しだったが、コッポラの前ではあくまでも何も知らない一沿岸警備隊の捜査官の皮を被らなければならないのだ。
「捜査ですよ」
「……捜査? 『リンカーン』の件は、お上から止めるようにお達しがあったはずですけど」
お達しもなにも、圧力を掛けるように司法省へ掛け合ったのは他ならぬ彼であるが。
「いや、先日のアラモアナセンターのイスラム過激派についての捜査です」
「……そうですか。ではなんで、リンカーンの乗客名簿を?」
コッポラは沿岸警備隊の男の発現に驚いたようで、顔を引きつらせ、口を開けたり閉じたりしながら、何か考えているようだった。
それから、乾いた笑いで二人の間に漂っていた、なんとも言えない空気を吹き飛ばす。
「いや、お恥ずかしい。どうも、気になってしまって。……上からは何度も釘を刺されましたが、逆にそのせいで気になってしまって」
申し訳なさそうに話すコッポラ。
「……なるほど」
男もそれで察した。
コッポラの上司が、人の扱い方が上手くないことと、圧力の掛け方が権力を盾に使った如何にもなものであったことを見透かし、心の中で大きな溜息を付いた。
おおかた、若人の青臭い正義感を煽るような口ぶりや情報の出し方をしたのだろう。
そこまで考えて、男は心の中で舌打ちをする。
圧力を掛ければ、今の若者らしく事なかれ主義で身を引くかと彼は思っていた。しかし、現実はこうだ。
(……少し、痛い目に遭ってもらうか)
革の手袋と布製の袋は自分のロッカーにある。袋に詰める砂は、目と鼻の先にある砂浜で取れる。
決行は深夜。
などと男は、コッポラから背を向け、部屋を後にしながら計画を立てていった。
その後ろで、コッポラがある人物からの電話を受け取っているとは知らずに。
深夜。
当直の職員以外が帰宅し、沿岸警備隊の事務所が静まり返った頃。
男はジャケットを脱ぎ、ネクタイを外し、黒のジャンパーを羽織った。
次に声を誤魔化すためにガーゼマスクを装着し、人相を隠すためにサングラスをかけ、手には革手袋をはめる。
そして、布袋に砂を詰めたブラックジャックを握りしめ、コッポラがいる会議室へと向かった。
彼はここ二日ほどは、会議室で寝泊まりしている。無用心なことに鍵もかけていなかった。
なるべく音を立てないようドアノブを回し、会議室に入る。
電気が消えていて暗かったが、方向を見失うほどではなかった。
椅子を三つ並べただけの簡易ベッドに、毛布を被った人影が横たわっている。
丁度いいことに、人影は男へ背を向けていた。
(……まずは脇腹だ)
マスクの下で舌なめずりをする。
(喰らえっ!)
ブラックジャックを振りかぶり、人影の脇腹の位置へと叩き込む。
人影は呻き声を挙げ、椅子から転がり落ちる。
――はずだった。
男の想像以上に軽い感触と、悲鳴を挙げない人影。
疑問を抱くよりも先に、部屋の電気が点いた。
反射で振り向く男。だが、彼の目が何かを捉えるより先に横っ面をぶん殴られ、床に伏せられた。
彼が突然起きた出来事に戸惑っていると、追い打ちとばかりに顔面を蹴られる。
口から血を流し、足をばたつかせる男。
「……残念ですよ」
聞こえてきた声に男は驚き、声がした方を見上げた。電気のスイッチがある場所には、コッポラが立っていた。
男は、恐る恐る椅子の方へ視線を向ける。
椅子に横たわっていたのは、丸められたマットだ。
(嘘だろ……)
男は全身を凍り付かせる。彼が思っている以上にこの状況は最悪である。
「へぇ……いい物持ってるじゃない」
今度聞こえてきたのは女の声。男はその声も聞き覚えがあった。
血だらけの顔を、ゆっくりと上げる。
そこに立っていたのは、イリナ・ガルキアだった。彼女の手にはバンテージが巻かれ、スニーカーには返り血が散っている。
「夜這いにしては物騒ね」
男が落としたブラックジャックを弄りながら言う。口調こそ穏やかなものの、素人でも分かるほどの殺気を放っており、下手なことをすれば殺されかねない凄味がある。
男は二人から目を逸らし、必死に言い訳を組み立てようとする。だが、都合の良い言葉は出てこない。
「……顔貸しなさい」
イリナが冷たい眼差しを男へ向けて刺す。
(殺される……)
彼女の今の表情は死神も同然であり、男がそう感じるのも無理もない話であった。
生物としての生存本能が男を一時的に痛みから解放し、意思とは関係なく身体を動かす。
しかし、ここまでしているコッポラ達が何も対策していないわけもなく。
男が扉が開けた先には、ナザロフが腕組みをして仁王立ちしていた。
男と顔を合わせた瞬間、ナザロフも鳩尾へ拳を叩き込んだ。
呼吸が出来なくなり、のたうち回る男。
芋虫みたいになっている男を見ながら、コッポラは支給品のグロック22をホルスターから抜いた。コッキングした銃口を男へ向けながら、彼は口を開く。
「場所変えましょう」
淡々と事が進んでいく。そんな中、酸欠と痛みで混乱状態にもかかわらず、男の脳裏にこんなことがよぎった。
(俺は……いったいどこで間違えたんだ?)
「精が出ますね」
コッポラはビクリと身体を震わせ、ぎこちない動きで後ろに首を向けた。そして、自身に声を掛けた人物が知っている人物であることを確認し、身体を弛緩させる。
「なんだ、脅かさないでくださいよ。いつからそこに?」
「今からですよ……。そちらこそ、随分な驚きようじゃないですか。何をしているんです?」
彼自身、コッポラが何をしていたかはずっと見張っていたのでお見通しだったが、コッポラの前ではあくまでも何も知らない一沿岸警備隊の捜査官の皮を被らなければならないのだ。
「捜査ですよ」
「……捜査? 『リンカーン』の件は、お上から止めるようにお達しがあったはずですけど」
お達しもなにも、圧力を掛けるように司法省へ掛け合ったのは他ならぬ彼であるが。
「いや、先日のアラモアナセンターのイスラム過激派についての捜査です」
「……そうですか。ではなんで、リンカーンの乗客名簿を?」
コッポラは沿岸警備隊の男の発現に驚いたようで、顔を引きつらせ、口を開けたり閉じたりしながら、何か考えているようだった。
それから、乾いた笑いで二人の間に漂っていた、なんとも言えない空気を吹き飛ばす。
「いや、お恥ずかしい。どうも、気になってしまって。……上からは何度も釘を刺されましたが、逆にそのせいで気になってしまって」
申し訳なさそうに話すコッポラ。
「……なるほど」
男もそれで察した。
コッポラの上司が、人の扱い方が上手くないことと、圧力の掛け方が権力を盾に使った如何にもなものであったことを見透かし、心の中で大きな溜息を付いた。
おおかた、若人の青臭い正義感を煽るような口ぶりや情報の出し方をしたのだろう。
そこまで考えて、男は心の中で舌打ちをする。
圧力を掛ければ、今の若者らしく事なかれ主義で身を引くかと彼は思っていた。しかし、現実はこうだ。
(……少し、痛い目に遭ってもらうか)
革の手袋と布製の袋は自分のロッカーにある。袋に詰める砂は、目と鼻の先にある砂浜で取れる。
決行は深夜。
などと男は、コッポラから背を向け、部屋を後にしながら計画を立てていった。
その後ろで、コッポラがある人物からの電話を受け取っているとは知らずに。
深夜。
当直の職員以外が帰宅し、沿岸警備隊の事務所が静まり返った頃。
男はジャケットを脱ぎ、ネクタイを外し、黒のジャンパーを羽織った。
次に声を誤魔化すためにガーゼマスクを装着し、人相を隠すためにサングラスをかけ、手には革手袋をはめる。
そして、布袋に砂を詰めたブラックジャックを握りしめ、コッポラがいる会議室へと向かった。
彼はここ二日ほどは、会議室で寝泊まりしている。無用心なことに鍵もかけていなかった。
なるべく音を立てないようドアノブを回し、会議室に入る。
電気が消えていて暗かったが、方向を見失うほどではなかった。
椅子を三つ並べただけの簡易ベッドに、毛布を被った人影が横たわっている。
丁度いいことに、人影は男へ背を向けていた。
(……まずは脇腹だ)
マスクの下で舌なめずりをする。
(喰らえっ!)
ブラックジャックを振りかぶり、人影の脇腹の位置へと叩き込む。
人影は呻き声を挙げ、椅子から転がり落ちる。
――はずだった。
男の想像以上に軽い感触と、悲鳴を挙げない人影。
疑問を抱くよりも先に、部屋の電気が点いた。
反射で振り向く男。だが、彼の目が何かを捉えるより先に横っ面をぶん殴られ、床に伏せられた。
彼が突然起きた出来事に戸惑っていると、追い打ちとばかりに顔面を蹴られる。
口から血を流し、足をばたつかせる男。
「……残念ですよ」
聞こえてきた声に男は驚き、声がした方を見上げた。電気のスイッチがある場所には、コッポラが立っていた。
男は、恐る恐る椅子の方へ視線を向ける。
椅子に横たわっていたのは、丸められたマットだ。
(嘘だろ……)
男は全身を凍り付かせる。彼が思っている以上にこの状況は最悪である。
「へぇ……いい物持ってるじゃない」
今度聞こえてきたのは女の声。男はその声も聞き覚えがあった。
血だらけの顔を、ゆっくりと上げる。
そこに立っていたのは、イリナ・ガルキアだった。彼女の手にはバンテージが巻かれ、スニーカーには返り血が散っている。
「夜這いにしては物騒ね」
男が落としたブラックジャックを弄りながら言う。口調こそ穏やかなものの、素人でも分かるほどの殺気を放っており、下手なことをすれば殺されかねない凄味がある。
男は二人から目を逸らし、必死に言い訳を組み立てようとする。だが、都合の良い言葉は出てこない。
「……顔貸しなさい」
イリナが冷たい眼差しを男へ向けて刺す。
(殺される……)
彼女の今の表情は死神も同然であり、男がそう感じるのも無理もない話であった。
生物としての生存本能が男を一時的に痛みから解放し、意思とは関係なく身体を動かす。
しかし、ここまでしているコッポラ達が何も対策していないわけもなく。
男が扉が開けた先には、ナザロフが腕組みをして仁王立ちしていた。
男と顔を合わせた瞬間、ナザロフも鳩尾へ拳を叩き込んだ。
呼吸が出来なくなり、のたうち回る男。
芋虫みたいになっている男を見ながら、コッポラは支給品のグロック22をホルスターから抜いた。コッキングした銃口を男へ向けながら、彼は口を開く。
「場所変えましょう」
淡々と事が進んでいく。そんな中、酸欠と痛みで混乱状態にもかかわらず、男の脳裏にこんなことがよぎった。
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