花の盛りの通り雨

こみあ

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第六話 前編

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 慎さんが私を籠に乗せるのと同時に数人の足音が駆け寄った。

「首尾は?」
「間違いないそうだ」
「それは確かか!」
「ああ。俺はこのまま他に回る。後は頼んだ」

 そんなやり取りが聞こえた後、籠が動き出した。


◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆


「鈴、あんた本当に無事だったのかい!?」

 襖を開いて小洒落た客間に入ると、そう言って伯母は膝立ちになって私を迎えてくれた。

「伯母さん、ご心配をおかけしました」

 少し戸惑いながら私は伯母の前に座って頭を下げた。

「本当ですよ。道場を閉じに行った帰りに倒れてこちらのお武家様にご迷惑をかけたと伺った時には心臓が止まるかと思いましたよ」

 慎さんは拐かしの件は隠して説明したらしい。

「も、もう大丈夫です」
「それで今どちらにご厄介になっているんだい?」
「そ、それは……」

 答えに困って慎さんを見やると、取り澄ました顔で慎さんが代わりに答えてくれる。

「先日も話したが鈴さんは奉行所で身柄を預からせて頂いている。御用の件で暫くは此方こちらに留まっていただく」
「それは本当に本当なのかい?」
「はい」

 下手な返事をするとぼろが出るので簡潔に答える。
 伯母は少し疑わしそうにこちらを見ながら眉を上げた。

「そうかい、困ったねぇ。お前さんの輿入れはもう直ぐなんだよ」
「その件で聞きたいのだが。鈴の嫁入りは誰が決めたのだ?」

 慎さんはいつになく厳しい顔で口を挟んだ。

「先日も申しましたが鈴の両親が以前お世話になった新橋の道場主の藤堂先生と私が……」
「その藤堂と言う者を少し調べたが、怪しい結婚の斡旋を金で請け負う噂の良くない人物のようだな」
「…………」
「本人にもそれとなく聞いたのだが鈴の両親とは面識もないと言う」

 え?

「嫁ぎ先の今川某も妾を囲っては、やりたい放題やった後放り出していると近所の者が噂しておった」

 そ、そんな。
 伯母は顔を赤くしながらも眉を吊り上げて慎さんを睨む。

「お、お武家様には関係のないことでございます」
「本来ならば相手が其方そなたに結納金を収め、其方《そなた》が鈴の嫁入り支度をするのが道理であろう。それを鈴が世間知らずなのをいい事にとんでもない縁談を結んで来たものだ。これでは縁談と言うよりは身売りになる」
「そ、そうだとしてもお武家様には何の関わりもないことでございます。両親を亡くし無一文となった鈴がどうにか自分で生きる道を立ててやろうと…………」
「黙れ!」

 慎さんの目が怒りに燃えている。

「自分の姪を色ぼけの隠居に売り渡しておいて良くまだそんな事を言う。本人にも知らせずに身売りを行うと言うのならば奉行所でも見逃せぬ」

 伯母は真っ青になって言葉に詰まった。

 私はと言えば。

 正直何処かで分かってはいたのだと思う。
 信じたくなかったが、伯母にとって私は迷惑なだけではなく丁度いい商品かもにでも見えていたようだ。

 自分でも思ったほど驚きも傷付きもしなかった。
 それほどに、伯母にはなにも期待していなかったし、伯母には悪いが私自身には、既に商品かもになる価値もない。

「今後鈴にかまう事許さず」
「鈴……」

 伯母は最後の頼みとばかりに私に目を向けた。
 しかしその目には一欠片の真情も見られない。目元に悔しさと焦りが滲んでいる。

「伯母様、ご迷惑をおかけしましたが私はもう自分一人で生きていく覚悟が出来ました。もうお会いする事もないと思いますがどうぞお身体に気を付けてお過ごしください」

 私がきっぱりと別れの言葉を告げると、伯母は流石に少し項垂れて言葉を絞り出した。

「女が一人でこのお江戸で生き抜くのはきついですよ。くれぐれも身体に気を付けて」

 俯いたまま零されたその言葉には、伯母の微かな本心が聞き取れて、私は少しだけ涙ぐみながらもう一度その場で深く頭を下げて部屋を下がった。


◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆


「大丈夫かい」

 思い掛けない伯母との対面を終えて船宿に戻ってくるとお峰さんが直ぐにお茶を出してくれた。
 そのお茶を啜りながら慎さんが心配そうに声をかけてくる。

「そうですねぇ。思ったより大丈夫です。元々それほど親しくありませんでしたし、伯母は伯母なりに私の行く末を考えてした事かとも思います」
「なにを言っている、聞いていたのか? お前さんを金で売ったんだぞ?」

 慎さんが驚いて声を上げるが、お茶を出してくれたお峰さんは寂しそうにこちらを見ている。

「……そうですね。たとえそうであっても、女郎に売られたわけでも水茶屋に置き去りにされたわけでもありません。身寄りのない私には決して酷い選択ではなかったのかも知れません」

 慎さんは呆れたようにこちらを見る。

 慎さんのようなお武家の旦那様には分からないかもしれないが、蓄えもなく残された若い女が生きる道などどの道それ程ないのだ。

「それに伯母に私の縁談がもう無理だと話さないで済んじゃいましたしね」

 私はおどけてそう付け加えた。

「ああ、それは正直助かった」

 慎さんがちょっと情けない顔をする。

「少し宜しいですか?」

 襖の外から女中さんが声を声を掛ける。

 「かまわない」と慎さんが答えると襖が開いて、昨日と同じお侍さん達が部屋に入ってきた。
 お峰さんがそれぞれにお茶を出して部屋から出て行くのに、与力のお侍さんが声をかける。

「お峰、すまねぇがなにか食いもんを見繕ってくれると有り難い」
「承知しました。お酒も少し付けましょ」
「有り難い」

 そう言って部屋からお峰さんが下がると早速話し始める。

「お鈴ちゃんのおかげでやっと手掛りを得られた。今日は大変だったと思うが本当に助かった」

 そう言って軽く頭を下げる。

「もう慎さんから経緯は聞いたと思うがお鈴ちゃんが顔検分してくれた後、もう一人の浪人らしき者と、後に二人を襲ったごろつきの生き残りが合流した。それぞれ手の者が後を追っているのでもうお鈴ちゃんの顔を知っている者は全てこちらの監視下に入った」

 そう言って一旦お茶を啜る。

「こっからは暫く奉行所で扱う案件として時間がかかる。と言ってもこのまま上手くすれば其々それぞれの身元を探り出すのにもそう時間は掛かるまい」
「その方達を捕らえないのですか?」
「今はまだ時期じゃない」
「それでは私はどうしたら宜しいでしょうか?」
「お鈴ちゃんの身の上は慎さんから聞いている。直ぐにではないがこの件に見切りが付いて、あの者共を捉えた暁にはお前さんにお白州で証言してもらわなければならない」

 私は青くなってしまう。
 今日、目があっただけでも怖かったのにあの浪人さん達と一緒にお白州に上がるなんて。

 私の顔を見て与力のお侍さんはその厳しい顔を緩めて優しく続けた。

「心配するな、別にあの者共と一緒に上げる訳じゃぁねえ。もう一度別室から顔検分をしてもらって、別途お奉行様と相対してもらうだけだ」

 少しほっとしたがお白州に上がる事には変わりない。

「それで今後の事なんだがな。慎さんから頼み込まれてな。取り敢えず俺の養女になっちゃあくれないか?」
「え!? 私がお侍様の養女にですか?」
「そうだ。俺ん所は女房がこの通り店をやっているからお前さんを養女に入れても世間体に問題が少ない。お前さんも武家屋敷に入るよりはよっぽど気楽だろう」

 私は余りの申し出にびっくりして暫くそのまま動けなかったが、直ぐにひれ伏して言葉を返した。

「そ、それは余りにも身に余る有り難いお申し出ですが、いくらなんでもそこまでして頂く道理がございません」

 すると与力のお侍さんはちょっと笑って言葉を続ける。

「実はこっちにはあるのさ。お前さん、この慎之介に手ぇ出されたんだろ」

 私は与力のお侍さんの思わぬ言葉にびっくりして顔を上げる。

 見れば慎さんは真っ赤になっていて、周りの二人は何やらニヤニヤと慎さんの顔を見ていた。
 どういう事か分からず言葉もない私に与力のお侍さんが続ける。

「ここだけの話だ。この慎之介は実は俺が昔ある女に産ませちまった息子だ。訳あってその女とは添い遂げられず、女の家で引き取られている」

 私はびっくりして二人の顔を見比べた。言われてみれば面影が似ている。
 どうやらここにいる他の人は皆知っていたらしく、誰もなにも言わない。

「その慎之介がお前さんとどうしても添い遂げたいと言う」

 私はもうこれ以上何を言われても驚かないと言うほど心底驚いて、口を開けたまま声も出せない。
 だが暫くして事実が頭にじんわりと伝わり、恥ずかしさと嬉しさで徐々に顔に血が登ってきた。

「そういう訳でお鈴ちゃんには当面お峰の娘としてここで暮らして貰おうと思う」

 私は夢のような申し出に震える声で尋ねる。

「私のような者にそのようなお気遣いをして頂いて本当に宜しいのですか?」

 すると少し眉根を緩めてお侍さんが答えた。

「俺もお峰とはどうしても子供に恵まれなかったから義理とは言え娘が出来て嬉しい限りだ。慎之介と添い遂げれば晴れて慎之介も俺の息子になれる。めでたい事ばかりだ」

 そういった与力のお侍さんは本当に嬉しそうに顔を歪めた。
 そこで一旦顔を引き締めて言葉を続ける。

「お鈴ちゃんの顔を直接知る者は確かに監視下に入ったが、必ずしも他から気付かれないとも限らない。まだ暫くは警戒を疎かにしないで貰いたい。それから勿論お鈴ちゃんの見た事、聞いたことは他には喋んないで貰いたい」
「勿論です」

 私はもう一度頭を下げて一生懸命言葉を選んで続けた。

「思わぬご縁で皆様にご厄介をお掛けし、またこれからもお世話になる事になりました。どうぞ宜しくお願い致します」

 私がそう言い終わると襖の外からお峰さんが夕食をお持ちしましたと声を掛けた。

「おお、お峰。入ってこい。話が付いたぞ。これでお鈴ちゃんは俺達の娘だ」

 お峰さんはその場で座り込んで目尻に涙を滲ませながら、けれど心配そうに私の顔を覗き込む。

「お鈴ちゃん、本当に良いのかい? この怖いおじさん達に迫られて否と言えなかったとか言う事はないかい?」
「そ、そんなことはありません。身に余るお話ではありますが、こんな幸運に恵まれるなんて夢のようです」

 私は慌てて首を振った。

「それなら良かった。本当に良かった。これで慎さんも報われるねぇ」

 そう言って本当に嬉しそうに微笑んでくれる。

「慎さん良かったねぇ」

 お峰さんの言葉に私もちょっとだけ涙が滲む。

 伯母と別れたときにはもう天涯孤独に生きる覚悟もしていたのがこんな事になるとはつゆほども思わなかった。余りにも大きな幸運に体が心なしか震えている。

 それを見て慎さんがやっと声を出す。

「全てはこの一件にきりがついてからだ。それまではお峰さんの世話になってくれ」

 そう言って少し恥ずかしそうに微笑んだ。
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