花の盛りの通り雨

こみあ

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第八話 前篇

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 私の輿入れは結局次の年まで延期となった。

 女将さんに子供が出来たのだ。

 話し合いの結果、慎さんは『花屋』に婿入りが決まり、平三郎様と女将さんの子供が平三郎様の家を継ぐことになった。
 慎さんの実家は既に弟が継ぐことが前から決まっていたそうだ。



 秋には内々ながら結納を済ませた。

 結納に立ち会われた慎さんの義理の姉様のおしず様は、前にお会いした隠密廻りのお侍さんの一人に嫁がれていたそうだ。

 過去に色々とあった二つの家の間での事なので、出席者の扱いが非常に難しく、女将さんも私もこの日を恐々として迎えたのだが。

 結納の当日。

 お静様は結納の時間よりよっぽど早く船宿『花屋』に押し掛け、先に来ていた慎さんの顔を見るやいなや、私の目前でつかつかと慎さんに歩み寄り、慎さんの横顔に素早く見事な平手打ちを食らわせた。

 私が呆気にとられ口を開けて見ている間に、その場で慎さんを引きずり倒し土間に正座させて自分も跪いて頭を下げる。

「お鈴さん、今日初めて主人から聞きました。このしれ者の弟が鈴ちゃんを手籠めにして嫁にしたと。愚弟が取り返しの付かない事をしてしまい本当に申し訳ありません。改めてご挨拶に参りますので今日の所はこのままこの大馬鹿者を引き取らせて頂きます」

 慌てて私もその場に跪いて取りなす。

「お、お義姉ねえ様、それは違います、誤解です、いえ間違ってはいないのですが、それはもうどうでも良くて……」

 結納前にお静様に納得して頂くだけで、私は精魂尽き果てていた。

 さて、結納は滞りなく……慎さんの顔に手の平の跡がくっきりと付いたまま行われ、事情を知る身内が笑いを堪えながらとり行うと言う、なんともにぎやかな物となった。



 一つ思い掛けない嬉しい事がある。

 父の道場は再度開かれる事となったのだ。

 まず、『花屋』に住むのは新婚にはきつかろうと、平三郎様と女将さんが父の道場に手を入れて私達夫婦が暮らせるように整えてくれた。
 数年の内にはまた『花屋』に戻るので一時的ではあるが、また懐かしい父の道場で暮らす事が出来るのだ。
 そしてその後は慎さんのご実家から人を出して道場を引き継いでもらえることが決まった。

 慎さんのご実家は同じ町内の伊賀同心の家で、父とも繋がりは有ったのだそうだ。
 ただ徳川と仙石と其々それぞれ主なる者を違え、お互いに表立っては行き来しないのが取り決めだったそうだ。

 慎さんは隠密廻りを一時離れ、『花屋』に入った後、また隠密廻りに戻る事になるらしい。



 私の輿入れは『花屋』から出て『花屋』に戻るのでは締まらないと言う事もあり、結局『花屋』を出て父の道場に嫁ぐと言う形を取った。

 輿入れの日、私は不思議な心持ちで『花屋』の入り口を見上げていた。

 去年の春、ここに初めて連れて来られた私は、明日をも知れない自分の行く末に慄きながら懸命にその日を過ごしていた。
 あれから約一年。
 今日、私はこれから始まるまだ何も分からない「明日」に喜んで飛び込もうとしている。
 そしてそれはやっと慎さんの胸に晴れて飛び込むことが出来ると言うことでもあった。

 あれから約束を守って一度も私に手を出さず、そして私をその行動と真摯な言葉だけでつなぎとめてくれた慎さんに嫁ぐことには、もうなんの不安もない。



 父の道場に畳を持ち込んで行われた式の間、着物の裾で隠しながら私の手を何度も握ってくれた慎さんは気もそぞろに見えた。

 そして宴に酒が出て皆が騒ぎ、慎さんや私に寿ぎを告げ、最後には女将さんと慎さんのお姉さんに引きずられるようにして三々五々客が帰っていくと、そこには慎さんと私の二人だけが残った。

「鈴ちゃん」

 なんとはなしに酒を片付けたり畳の染みを拭いたりしていた私の後ろから、慎さんの優しい声がした。
 私はぴくりと動きを止めてしまう。

「こっちへおいで」

 振り返ると私に手を伸ばす慎さんは既にかみしもを脱いでいた。

 着物姿になって道場に立つ慎さんは、どうしてもあの日の夜を思い出させる。
 懐かしさと気恥ずかしさに、私は差し出された手を取る事が出来なくて、ただ見惚れてしまった。

 慎さんはそんな私を見かね、手を引いて私の部屋に連れて行く。

 二人で考えた末、私達は狭い私の部屋を居室に選んだ。
 他は考えられなかった。

 部屋は綺麗に整えられ障子も畳も真新しい。『花屋』から頂いた布団が敷かれ、有明行灯が既に箱に入れられていた。

「鈴ちゃんとこの部屋にやっと戻って来れたな」

 慎さんが私の横で感慨深そうに呟いた。

「まずはその振袖を脱ぐのを手伝ってやろう」

 女将さんは「白無垢を」と何度も繰り返したが、もう生娘でもない私はどうしても白無垢を着る気にはなれなかった。
 だから私は女将さんに頂いた振袖で式に出た。

 慎さんは自分で脱ぐのには少し難しい厚みのある帯と引き振袖を外して部屋の衣桁いこうに掛けてくれる。
 本来ならば親族がしてくれるのだろうが、皆さん私たちを二人きりにするのに……主に酔っぱらいを追い払うのに忙しくてそこまで気が回らなかったのだろう。皆すでに帰ってしまって、慎さんの手を煩わせる事になってしまった。

 襦袢一枚になった私は布団の上に座って慎さんを待つ。

「あの時を思い出すかい?」

 慎さんが布団に来て私を自分の膝に引き寄せた。

「慎さんは?」

 恥ずかしくて聞き返す。

「思い出しているさ。一年中ずっと思い出していた」

 思いもしていなかった告白に、私の胸が音を立てて高鳴った。
 あの時のように抱え込みながら、慎さんが私を後ろから抱きしめる。

「鈴ちゃんのさらけ出された肌とその温もり、柔らかい乳房、細いうなじ、可愛い声。唇の感触、指に絡みつく鈴ちゃんの舌、俺を包み込んだ鈴ちゃんの中。いつも思い出していた」

 慎さんが熱い眼差しを私に落とす。
 そのままあの時のように私の唇に自分の唇を重ねた。
 熱い舌が重なった唇を割り開き、慎さんが何度も何度も舌を差し込んでは私の口内を隅々まで味わっていく。最後に唇を舐め上げて顔を離し、間近から私を見下ろした。

「今日は安心して声を出していいよ」

 意地悪に口の端を上げて笑う慎さんは、憎らしいほど男前に見えてしまう。
 悔しいので言葉を返した。

「慎さんこそ、今日は寝かせません」
「……鈴ちゃん、意味が分かっていて言っているかい?」

 多分、分かっている。
 そしてきっと慎さんなんかより、私の方がこの一年、ずっとずっと欲しかった。

「勿論」
「はあ、鈴ちゃんは本当に潔いねえぇ。でもそれがいつまで持つかねぇ」

 そう言って私の首筋に唇を寄せる。

「鈴ちゃん、あの時、俺が本当にやりたい事をやりたいだけしてたと思うかい?」

 え?

「初めての鈴ちゃんにそこまで酷い事は出来なかった。あれでも結構我慢してたのさ」

 ちょっとまって……
 やはり言い直そうと口を開くと、言葉を紡ぐより早く慎さんの手が私の秘所に伸びる。

「一年分だ。ちょっときついが我慢しろ」

 そう言った慎さんの眼差しは、もう欲望に熱く燃えていた。
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