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Ⅳ 眠る魔女
i トレルダル侯爵家の家令
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一体どれくらいボーッとしていたのだろう。
見れば目前の淫紋はすっかり書き終わっていて、使っていたペンの先が乾き始めている。
── トントントン
そこに突然扉から響いてきたノックの音が、過去に思いを馳せていたアズレイアを現実に引き戻した。
カルロスが扉を叩くことはない。
とすれば、これは多分客だろう。
重い腰をあげて塔の扉を開くと、アズレイアの予想通り、そこにはトレルダル侯爵の家令が立っていた。
「こんにちは、お仕事中お邪魔します」
背の高い家令は今日も白黒で統一されたお仕着せをピチリと身につけて、キリッと引き締まった様子でアズレイアを見下ろしている。
「予定日になりましたので、依頼した品を引き取りに参りました」
口調は丁寧だがこの家令、アズレイアを見る目がやけに冷たい。
大方、淫紋など描いているアズレイアを蔑んでいるのだろう。
それをどうこう言える立場でないことは、アズレイアだって充分わきまえていた。
「はい、こちらです」
一旦仕事机に戻り、淫紋紙が入った納品箱を持ってきたところで、家令がジロジロと塔の中の様子を見ているのに気がついた。
箱を差し出しているのに、返事もない。
そして、またもアズレイアを見下ろしながら尋ねてくる。
「前回訪れたときと全く変わりなさそうですね」
「なんのことでしょう?」
「いえ、大変失礼なのですが、貴方はあまり金銭的に余裕があるように見受けられません。今回の依頼では結構な金額をお渡ししたと思っていたのですが」
ああ、そういうことか。
この家令、私の依頼料が高すぎると思ってるのね。
アズレイアにしてみても、こんな目で見られるのは、別にこれが初めてではない。
事実、アズレイアの淫紋紙は決して安くない。
嘆息しつつ、アズレイアがいつもと同じ説明を繰りかえす。
「ええ、確かに分不相応と思われるような金額だったかもしれません。ですがこの商品の素材は特殊で、全て王族の皆様の伝手を使った特注品ばかりです」
そう、第三王子の注文時から、ずっとこれは変わらない。
金のある者の欲とはまあ怖いものだ。
一介の研究員では到底手に入らないような超希少素材を、平気でそろえろと要求してくる。
入手不可能と断っても、すぐに怪しい伝手から仕入れ先を見つけては送りつけてくる。
そのほとんどがゴブリン経由の特殊取引で、現金でしか受け付けてくれない。
しかも皆様注文が特殊すぎて、常に新しい素材が必要ときている。
まあ、その都度紹介をお願いするのだが。
「特に、今回のご注文に沿うためには、『高貴な方』の加護を頂いた護符をいくつも手配して疑似的に効能を比較検証する必要がありました」
……アズレイアだって、別に最初からカルロスで実証実験するつもりなど毛頭なかった。
アズレイアは腐っても熱心な研究者である。
確実な成果は確認できずとも、「高貴な」大司教が兵士に与える加護の護符と同質の護符を入手し、催淫効果をわざと失効させた魔術紋と合わせて使うことで、疑似的に実証実験を行っていた。
無論そんな護符が安いわけもない。
一時的に護符の効果を上書きする魔法紋を研究し、実証実験を繰り返し、ある程度の確証を得てから今度は要望書にあった程度の催淫効果をその魔法紋と組み合わせ……
感情を交えず、事務的に淡々と説明を続けるアズレイアの言葉を聞いているうちに、家令が驚きに片眉を上げていく。
「では依頼は正しく完遂された、と信じていいのですね」
「本来、この種の商品に、保証はしかねるのですが、ほぼ間違いはないかと」
……カルロスのおかげで最終的な実証実験が出来てしまった事実は、別にこの家令に言う必要もないだろう。
そう思いつつも、アズレイアもいつもよりは若干、強気に答えてしまう。
「なるほど……。大変失礼いたしました」
やっとアズレイアが差し出していた納品箱を受け取った家令は、改まった態度で軽く会釈する。
見る限り、納得してくれたようである。
これで一仕事終わって残金が受け取れる。それで次の研究費と明日からの食費がギリギリ間に合うだろう──
「つかぬことを尋ねますが……」
──そんなことを考えていたアズレイアの意識を、家令の静かな問いかけがひき戻す。
「アズレイア嬢、今、お付き合いされている男性や、パートナーの方はいらっしゃいますか?」
なにを突然?
そういう疑問がそのままアズレイアの顔に出ていたのだろう。
家令が苦笑いしつつ、先をつづけた。
「失礼ですが、それだけの見識をもってらっしゃるにも関わらず、アズレイア嬢には後ろ盾がないと伺いました」
さっきまでの態度を一転させた家令が、実に丁寧な口調で説明する。
「折り入ってご相談があるのですが、実は私の主家筋に当たる子爵家の長男が──」
「お断りします」
だが、家令がそれ以上先を続ける暇を与えずに、アズレイアがきっぱりとした口調で遮った。
「大変勿体なく、申し訳ありませんが、このような平民も平民、田舎の農家が出自の私のようなものをからかうようなお話はどうぞお許しください。またご依頼の際にはお引き受けさせていただきますので、どうぞ依頼主様によろしくお伝えくださいませ。では」
早口で終わりの挨拶を告げたアズレイアは、少し威勢が良すぎるほど素早く頭を下げて、そのまま塔の扉をパタリと閉じた。
見れば目前の淫紋はすっかり書き終わっていて、使っていたペンの先が乾き始めている。
── トントントン
そこに突然扉から響いてきたノックの音が、過去に思いを馳せていたアズレイアを現実に引き戻した。
カルロスが扉を叩くことはない。
とすれば、これは多分客だろう。
重い腰をあげて塔の扉を開くと、アズレイアの予想通り、そこにはトレルダル侯爵の家令が立っていた。
「こんにちは、お仕事中お邪魔します」
背の高い家令は今日も白黒で統一されたお仕着せをピチリと身につけて、キリッと引き締まった様子でアズレイアを見下ろしている。
「予定日になりましたので、依頼した品を引き取りに参りました」
口調は丁寧だがこの家令、アズレイアを見る目がやけに冷たい。
大方、淫紋など描いているアズレイアを蔑んでいるのだろう。
それをどうこう言える立場でないことは、アズレイアだって充分わきまえていた。
「はい、こちらです」
一旦仕事机に戻り、淫紋紙が入った納品箱を持ってきたところで、家令がジロジロと塔の中の様子を見ているのに気がついた。
箱を差し出しているのに、返事もない。
そして、またもアズレイアを見下ろしながら尋ねてくる。
「前回訪れたときと全く変わりなさそうですね」
「なんのことでしょう?」
「いえ、大変失礼なのですが、貴方はあまり金銭的に余裕があるように見受けられません。今回の依頼では結構な金額をお渡ししたと思っていたのですが」
ああ、そういうことか。
この家令、私の依頼料が高すぎると思ってるのね。
アズレイアにしてみても、こんな目で見られるのは、別にこれが初めてではない。
事実、アズレイアの淫紋紙は決して安くない。
嘆息しつつ、アズレイアがいつもと同じ説明を繰りかえす。
「ええ、確かに分不相応と思われるような金額だったかもしれません。ですがこの商品の素材は特殊で、全て王族の皆様の伝手を使った特注品ばかりです」
そう、第三王子の注文時から、ずっとこれは変わらない。
金のある者の欲とはまあ怖いものだ。
一介の研究員では到底手に入らないような超希少素材を、平気でそろえろと要求してくる。
入手不可能と断っても、すぐに怪しい伝手から仕入れ先を見つけては送りつけてくる。
そのほとんどがゴブリン経由の特殊取引で、現金でしか受け付けてくれない。
しかも皆様注文が特殊すぎて、常に新しい素材が必要ときている。
まあ、その都度紹介をお願いするのだが。
「特に、今回のご注文に沿うためには、『高貴な方』の加護を頂いた護符をいくつも手配して疑似的に効能を比較検証する必要がありました」
……アズレイアだって、別に最初からカルロスで実証実験するつもりなど毛頭なかった。
アズレイアは腐っても熱心な研究者である。
確実な成果は確認できずとも、「高貴な」大司教が兵士に与える加護の護符と同質の護符を入手し、催淫効果をわざと失効させた魔術紋と合わせて使うことで、疑似的に実証実験を行っていた。
無論そんな護符が安いわけもない。
一時的に護符の効果を上書きする魔法紋を研究し、実証実験を繰り返し、ある程度の確証を得てから今度は要望書にあった程度の催淫効果をその魔法紋と組み合わせ……
感情を交えず、事務的に淡々と説明を続けるアズレイアの言葉を聞いているうちに、家令が驚きに片眉を上げていく。
「では依頼は正しく完遂された、と信じていいのですね」
「本来、この種の商品に、保証はしかねるのですが、ほぼ間違いはないかと」
……カルロスのおかげで最終的な実証実験が出来てしまった事実は、別にこの家令に言う必要もないだろう。
そう思いつつも、アズレイアもいつもよりは若干、強気に答えてしまう。
「なるほど……。大変失礼いたしました」
やっとアズレイアが差し出していた納品箱を受け取った家令は、改まった態度で軽く会釈する。
見る限り、納得してくれたようである。
これで一仕事終わって残金が受け取れる。それで次の研究費と明日からの食費がギリギリ間に合うだろう──
「つかぬことを尋ねますが……」
──そんなことを考えていたアズレイアの意識を、家令の静かな問いかけがひき戻す。
「アズレイア嬢、今、お付き合いされている男性や、パートナーの方はいらっしゃいますか?」
なにを突然?
そういう疑問がそのままアズレイアの顔に出ていたのだろう。
家令が苦笑いしつつ、先をつづけた。
「失礼ですが、それだけの見識をもってらっしゃるにも関わらず、アズレイア嬢には後ろ盾がないと伺いました」
さっきまでの態度を一転させた家令が、実に丁寧な口調で説明する。
「折り入ってご相談があるのですが、実は私の主家筋に当たる子爵家の長男が──」
「お断りします」
だが、家令がそれ以上先を続ける暇を与えずに、アズレイアがきっぱりとした口調で遮った。
「大変勿体なく、申し訳ありませんが、このような平民も平民、田舎の農家が出自の私のようなものをからかうようなお話はどうぞお許しください。またご依頼の際にはお引き受けさせていただきますので、どうぞ依頼主様によろしくお伝えくださいませ。では」
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