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Ⅶ 魔女の決意
iii モントレー家の人々(上)
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馬車で連れられてきた場所は、見たこともないとても美しい庭園だった。
多分モントレー家の敷地内なのだろうが、屋敷はまだどこにも見えない。
馬留めからしばらく歩くと、すぐに細い小道へと案内された。
砂利を敷き詰めた小道はよく手入れされ、左右を数種類の紫色の花が縁取り、客人の目を喜ばせる。
しばらく薄暗いほどの森林を歩くと、少し開けた場所へ出た。
鬱蒼とした高い木々の中、そこだけがぽっかりと開けて光が射し、元々の地形を活かしたのか緑に染まる小池とそこから小川が流れだしている。
その優雅な庭園の一角に備えられた小さな東屋には、二人の人物がすでに座っていた。
レイモンドと、学院時代の恩師、モントレー伯爵。
時節の挨拶をしてしまうと話すことも見つからず、非常に不愉快な静寂が落ちた。
レイモンドはアズレイアと細緻な文様の刻まれた丸テーブルを挟んで向き合って座っている。
二人の間に座るモントレー伯爵は押し黙り、目前に供された茶にも手をつけない。
レイモンドはまるで二人の存在を無視するかのように、一人穏やかに注がれる碧い茶を楽しんでいた。
「アズレイア。君は今日なぜここに呼ばれたかまだ分かっていないようだね」
淹れたての茶を口に運び、一口味わってから頷いたレイモンドが、不服そうなアズレイアの顔を見て微笑んだ。
「そんなに警戒することはない。今日君を呼んだのは、父を交えてちゃんと君と話をするためだ」
「あなたに話すことなんて、もう何もないわ」
モントレー伯爵の顔色を気にしながら、だけどはっきりと言い返すアズレイア。
そんなアズレイアの返答を鷹揚に受け流し、レイモンドが先を続ける。
「まあまあそう言わずに。これは君にとっても、兄上にとっても大切な話だ」
レイモンドが言う兄上って、カルロスのこと、よね?
どうやら二人の事情を理解した様子のアズレイアに、レイモンドが楽しそうに聞く。
「兄上に、話を聞いたかい?」
多分、これはカルロスがモントレー家の長男で、レイモンドの兄であることだろう。
そしてまた、カルロスが本来の私の婚約者だったこと、カルロスがレイモンドに私との交際を示唆したことも含まれるのかもしれない。
どちらにしろ、今更心を乱すものは一つもない。
カルロスはすべてを明かしてくれたし、アズレイアはその全てを理解したうえで、カルロスとの交際を続けているのだ。
結婚に関しては……まだ思い切りがつかないが。
だが、静かに頷いたアズレイアを見たモントレー伯爵の顔に、一抹の苦いものが浮かぶのがアズレイアにはとても悲しかった。
「聞いたんだね。じゃあ僕がなぜ、あの時兄上に頼まれた君との交際を受け入れたか、君にはわかるかい?」
まるで試すように尋ねるレイモンド。
ここで怯むようなら、今日のこの場はレイモンドの好きなように弄られて終わるだろう。
覚悟を決めて、アズレイアがはっきりと答えを返す。
「あなた、よっぽどカルロスに嫉妬してたんじゃない? だからカルロスを傷つけるために私を誘惑したんでしょう。皆があなたをこのモントレー家の嫡子だと思いこんでいるのを利用して」
若干の悪意が含まれるアズレイアの返答に、レイモンドが薄笑いを浮かべた。
「何を言っているんだい。君こそ、僕や兄を陥れてこのモントレー家に入り込もうとしているくせに」
思わぬレイモンドの反論に、一瞬頭の中が白くなる。
「僕は家を出たがる兄の頼みをただ叶えようと我慢しただけだよ。そうでなければ、君のような出自の低い娘の相手を僕がするはずがないだろう」
レイモンドは、本気ですべてをアズレイアのせいにするつもりらしい。
アズレイアはまだ、どこかでレイモンドを信じていたのかもしれない。
まさかここまで、卑劣な男だとは思っていなかった。
「父上も父上だ。いくらその才能に欲が出たとはいえ、こんな低俗な女をモントレー家に入れようとするなんて。カルロスの母と言い、父上には少し博愛が過ぎるところがありますね」
「よくもそんなことを!」
口調こそ丁寧だが、レイモンドの声には若干の伯爵への侮りが見え隠れする。
それを聞いたモントレー伯爵の顔が曇るのを、どうすることもできない自分が歯がゆい。
それがとにかく悔しくて、アズレイアはぎゅっと手を握りこむ。
「本当のことを言ったまでさ。いままで君の費用がモントレー家から出ているのは知っているのかい?」
それは、カルロスから聞かされた。
カルロスがモントレー家の者である限り、彼の所有する金品もまたモントレー家の物なのだろう。
悔しいが、レイモンドの言葉に偽りはない。
答えを返さず黙り込んだアズレイアをレイモンドが勝ち誇ったように見返す。
「知っていたんだな。そのうえで父の恩情にすがってあまつさえ僕たち兄弟の妻に収まろうなんて。なんて厚かましいんだ君は!」
「私、そんなつもり──!」
全てレイモンドが口にしたことは何かしらの真実を含んでいた。
だから言い返せずに来たが、今のはあまりに酷すぎる。
思わず言い返すが、アズレイアにも自分の反論が陳腐にしか響かないのが分かってしまった。
語尾が力なく消え去り、それに被せるようにレイモンドが言い募る。
「結局君の目的は金だろう」
「ち、違うわ! 私、あなたにもお金を貰ったりしてないでしょ!」
意味がないことを知っていても、反論せずにはいられないアズレイア。
「誓ってもいいわ。私、お金が理由で近づいたことなんて一度もないわよ!」
必死で反論するアズレイアを薄笑いしながら見返していたレイモンドが、ふと目を細めてアズレイアの前に片手を上げる。
「へー。じゃあアズレイア、これの言い訳を聞こうか」
酷く冷めた目でアズレイアを見るレイモンドの手には、彼女が納品したことのある淫紋紙が掲げられていた。
多分モントレー家の敷地内なのだろうが、屋敷はまだどこにも見えない。
馬留めからしばらく歩くと、すぐに細い小道へと案内された。
砂利を敷き詰めた小道はよく手入れされ、左右を数種類の紫色の花が縁取り、客人の目を喜ばせる。
しばらく薄暗いほどの森林を歩くと、少し開けた場所へ出た。
鬱蒼とした高い木々の中、そこだけがぽっかりと開けて光が射し、元々の地形を活かしたのか緑に染まる小池とそこから小川が流れだしている。
その優雅な庭園の一角に備えられた小さな東屋には、二人の人物がすでに座っていた。
レイモンドと、学院時代の恩師、モントレー伯爵。
時節の挨拶をしてしまうと話すことも見つからず、非常に不愉快な静寂が落ちた。
レイモンドはアズレイアと細緻な文様の刻まれた丸テーブルを挟んで向き合って座っている。
二人の間に座るモントレー伯爵は押し黙り、目前に供された茶にも手をつけない。
レイモンドはまるで二人の存在を無視するかのように、一人穏やかに注がれる碧い茶を楽しんでいた。
「アズレイア。君は今日なぜここに呼ばれたかまだ分かっていないようだね」
淹れたての茶を口に運び、一口味わってから頷いたレイモンドが、不服そうなアズレイアの顔を見て微笑んだ。
「そんなに警戒することはない。今日君を呼んだのは、父を交えてちゃんと君と話をするためだ」
「あなたに話すことなんて、もう何もないわ」
モントレー伯爵の顔色を気にしながら、だけどはっきりと言い返すアズレイア。
そんなアズレイアの返答を鷹揚に受け流し、レイモンドが先を続ける。
「まあまあそう言わずに。これは君にとっても、兄上にとっても大切な話だ」
レイモンドが言う兄上って、カルロスのこと、よね?
どうやら二人の事情を理解した様子のアズレイアに、レイモンドが楽しそうに聞く。
「兄上に、話を聞いたかい?」
多分、これはカルロスがモントレー家の長男で、レイモンドの兄であることだろう。
そしてまた、カルロスが本来の私の婚約者だったこと、カルロスがレイモンドに私との交際を示唆したことも含まれるのかもしれない。
どちらにしろ、今更心を乱すものは一つもない。
カルロスはすべてを明かしてくれたし、アズレイアはその全てを理解したうえで、カルロスとの交際を続けているのだ。
結婚に関しては……まだ思い切りがつかないが。
だが、静かに頷いたアズレイアを見たモントレー伯爵の顔に、一抹の苦いものが浮かぶのがアズレイアにはとても悲しかった。
「聞いたんだね。じゃあ僕がなぜ、あの時兄上に頼まれた君との交際を受け入れたか、君にはわかるかい?」
まるで試すように尋ねるレイモンド。
ここで怯むようなら、今日のこの場はレイモンドの好きなように弄られて終わるだろう。
覚悟を決めて、アズレイアがはっきりと答えを返す。
「あなた、よっぽどカルロスに嫉妬してたんじゃない? だからカルロスを傷つけるために私を誘惑したんでしょう。皆があなたをこのモントレー家の嫡子だと思いこんでいるのを利用して」
若干の悪意が含まれるアズレイアの返答に、レイモンドが薄笑いを浮かべた。
「何を言っているんだい。君こそ、僕や兄を陥れてこのモントレー家に入り込もうとしているくせに」
思わぬレイモンドの反論に、一瞬頭の中が白くなる。
「僕は家を出たがる兄の頼みをただ叶えようと我慢しただけだよ。そうでなければ、君のような出自の低い娘の相手を僕がするはずがないだろう」
レイモンドは、本気ですべてをアズレイアのせいにするつもりらしい。
アズレイアはまだ、どこかでレイモンドを信じていたのかもしれない。
まさかここまで、卑劣な男だとは思っていなかった。
「父上も父上だ。いくらその才能に欲が出たとはいえ、こんな低俗な女をモントレー家に入れようとするなんて。カルロスの母と言い、父上には少し博愛が過ぎるところがありますね」
「よくもそんなことを!」
口調こそ丁寧だが、レイモンドの声には若干の伯爵への侮りが見え隠れする。
それを聞いたモントレー伯爵の顔が曇るのを、どうすることもできない自分が歯がゆい。
それがとにかく悔しくて、アズレイアはぎゅっと手を握りこむ。
「本当のことを言ったまでさ。いままで君の費用がモントレー家から出ているのは知っているのかい?」
それは、カルロスから聞かされた。
カルロスがモントレー家の者である限り、彼の所有する金品もまたモントレー家の物なのだろう。
悔しいが、レイモンドの言葉に偽りはない。
答えを返さず黙り込んだアズレイアをレイモンドが勝ち誇ったように見返す。
「知っていたんだな。そのうえで父の恩情にすがってあまつさえ僕たち兄弟の妻に収まろうなんて。なんて厚かましいんだ君は!」
「私、そんなつもり──!」
全てレイモンドが口にしたことは何かしらの真実を含んでいた。
だから言い返せずに来たが、今のはあまりに酷すぎる。
思わず言い返すが、アズレイアにも自分の反論が陳腐にしか響かないのが分かってしまった。
語尾が力なく消え去り、それに被せるようにレイモンドが言い募る。
「結局君の目的は金だろう」
「ち、違うわ! 私、あなたにもお金を貰ったりしてないでしょ!」
意味がないことを知っていても、反論せずにはいられないアズレイア。
「誓ってもいいわ。私、お金が理由で近づいたことなんて一度もないわよ!」
必死で反論するアズレイアを薄笑いしながら見返していたレイモンドが、ふと目を細めてアズレイアの前に片手を上げる。
「へー。じゃあアズレイア、これの言い訳を聞こうか」
酷く冷めた目でアズレイアを見るレイモンドの手には、彼女が納品したことのある淫紋紙が掲げられていた。
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