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Ⅶ 魔女の決意
iv モントレー家の人々(下)
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レイモンドの手に掲げられた淫紋紙を目にして、思わず顔色を変えたアズレイアに、レイモンドが楽しそうに言葉を続ける。
「君はコソコソと塔に隠れて上手くやってるつもりだったのかもしれないが、君が一部の高位貴族から過剰な金品を取って淫らな魔法紋の研究をしているのはもう有名な話だ。社交会の情報の速さを知らない君には想像もつかないかもしれないが、今や君は淫乱な『塔の魔女』として有名人だよ」
そんな……。
知らなかった…………。
塔に閉じこもったのは、ただもうこれ以上貴族様の好き勝手に振り回されたくなかったから。
ただ研究を、研究だけをしていたかった。
たとえその気がなかったにしろ、私は学院中の人間に嫌われたのだ。
傷つくのも、傷つけるのももう嫌だった。
自分が塔に閉じこもっている間に、とんでもない悪評が拡がっていたことに、アズレイアはショックを隠せない。
「それでも飽き足らず、君はとうとう兄上にまで手を出した」
違う!
私は手を出していない!
そう言い返そうとして、こうなったきっかけが自分の淫紋紙だったのを思い出した。
それどころか、元をたどれば幼い自分が泣きついたのがカルロスじゃないか。
レイモンドの思惑とは関係なく、自分を責め始めてしまうアズレイア。
声の出ないアズレイアに、レイモンドが追い打ちをかける。
「君は兄上が君のせいでこの家を出ることになるのを知っているかい?」
「なに、それ」
自己嫌悪の渦に巻かれていたアズレイアが、レイモンドが今もたらした新たな火種に身を硬くした。
そんなアズレイアをいたぶるように、レイモンドのアイスグレーの瞳が冷たく輝く。
「兄上にはもう、君に求婚をする資格がないんだよ。なぜなら一度、この家の嫡子として君に求婚してしまっていたからね。ああ、君は知らないかな? 高位貴族は一度婚約を破棄した相手とは結婚できない」
初めて知る思いもよらなかった貴族の習慣に、アズレイアの胸が締め付けられる。
それはアズレイアには全くの初耳だった。
「たとえ君がどう誤解していたとしても、あの時出された婚約破棄の届け出は父が申請していたカルロスと君の婚約によるものさ」
それは、アズレイアの知っている事実と一致していた。
カルロスは婚約したのは自分だったと言った。
そして学院時代に自分がみた通達書には、確かにモントレー家の婚約破棄がはっきりと書かれていた。
恐ろしい現実を理解しつつあるアズレイアは、絶望がゆっくりと自分を飲み込んでいくのをただ見守るしかない。
「まあ家を出さえすれば結婚はできる。それこそ市井の神殿で宣誓さえすれば形だけはね。だけど家を出るということはもう近衛隊長にも戻れないということだ。君のような危険な女を一介の兵士が守れるわけもない」
声も出ず、顔色をなくしたアズレイアを、レイモンドが嬉しそうに追い詰める。
「だからきっと兄上は今頃、王城で君を手に入れるために養子縁組の算段をしているんだろうね。この家名を捨てて、君と結婚するために」
「そんな……」
無知は罪だ……。
心の底からそう感じるアズレイア。
あれほど断り続けてきたカルロスからの求婚が、彼にそこまで大きな犠牲を強いるものだとは想像もしていなかった。
一度ならず二度までも、自分は貴族の常識を知らず、周りを巻き込んでこんな大事になるなんて。
レイモンドの話を聞いているうちに、アズレイアにも理解できてしまった。
客観的に見て、常識が違うこの二人にとって、アズレイアは完全な悪女なのだ。
「僕が見せた社交界の煌びやかな世界はそんなに手放しがたいものだったかい?」
全ては間違いなく自分のせいだと、そう思える今、抑えようもなく手が震えだす。
社交界を思いだしたことなど、塔に来てから一度もない。
だがレイモンドの追求に、反論する気力さえ湧かない。
「だから兄上を誘惑した? 弟が無理なら兄か。あの最終論文にしろ、淫紋描きにしろ、本当にどこまではしたなく生きる気なんだ」
そこまで言って、初めてレイモンドの冷笑が崩れ、眉が嫌悪に歪んだ。
そう。これがレイモンドの本心だったんだ。
たとえどれほど分かろうとしていても、本人に言われなければ感じられないものがある。
今レイモンドが浮かべた侮蔑は、百の想像を超えてアズレイアに真実を得心させた。
明らかに、彼の中にアズレイアへの愛など欠片もなかった。
「ずる賢くて無知なアズレイア。自分が取った行動の結果を、君は知りもせずに塔に閉じこもって、周りがなんとかしてくれているのにさえ気づいていない。いい加減恥を知りなよ。自分で自分の始末をつけて、農村にお帰り。ここは君の生きる場所じゃない」
ああそうか。
これがこの召喚の目的だったんだ。
やっと理解できた。
彼は、自分の思い通りにならないものは目の前から消したいのだ。
理解して、そして考える。
決して自分を卑下するつもりはない。
だとしても、カルロスに迷惑をかけるのだけは絶対に嫌だ。
農村に帰る。それもいいかもしれない。
結局自分に出来ることには限りがある。
彼の言う通り、今の論文も彼らに任せて、私はあの街で自分に出来ることをするべきなのかも──。
「そう思いませんか、父上」
締めくくるようにレイモンドがモントレー伯爵を見て、同意を求めたその時。
突然、遠くから騒然とした空気が流れ込んできた。
近くで給仕の采配をしていたギルバートの元に下男が駆け寄り、ギルバートが小声で忙しく指示を出しはじめる。
何事かと見回したアズレイアに、思いもよらぬ声が届いた。
「悪い、遅くなった!」
後ろから迫りくる騒音に驚いて振り向けば、鼻息も荒い青毛の軍馬が軽い嘶きとともに東屋の横で足踏みしてとまる。
まだ息の荒い馬上で汗を拭っているのは、軍服をまとったカルロスだ。
「待たせたな」
馬から降りつつ、アズレイアを気遣うように声をかけるカルロス。
近衛隊の礼服を纏い、髭を綺麗に剃った彼の姿は今のアズレイアには眩しすぎた。
思わず視線をそらそうとしたアズレイアを、すぐ隣に座ったカルロスが腰を抱いて引き寄せる。
「俺抜きで勝手に家族会議か。全く、遅刻したのは全部お前のせいだぞ、レイモンド」
まるで仲のいい家族がするように、当たり前に言ってのけるカルロスに、レイモンドとモントレー伯爵が驚きを隠せぬ顔で見返している。
「さあ、家族会議を再開しようか」
そんな三人の顔を見回して、悠然と笑ったカルロスが、軍人らしい快活な声で宣言した。
「君はコソコソと塔に隠れて上手くやってるつもりだったのかもしれないが、君が一部の高位貴族から過剰な金品を取って淫らな魔法紋の研究をしているのはもう有名な話だ。社交会の情報の速さを知らない君には想像もつかないかもしれないが、今や君は淫乱な『塔の魔女』として有名人だよ」
そんな……。
知らなかった…………。
塔に閉じこもったのは、ただもうこれ以上貴族様の好き勝手に振り回されたくなかったから。
ただ研究を、研究だけをしていたかった。
たとえその気がなかったにしろ、私は学院中の人間に嫌われたのだ。
傷つくのも、傷つけるのももう嫌だった。
自分が塔に閉じこもっている間に、とんでもない悪評が拡がっていたことに、アズレイアはショックを隠せない。
「それでも飽き足らず、君はとうとう兄上にまで手を出した」
違う!
私は手を出していない!
そう言い返そうとして、こうなったきっかけが自分の淫紋紙だったのを思い出した。
それどころか、元をたどれば幼い自分が泣きついたのがカルロスじゃないか。
レイモンドの思惑とは関係なく、自分を責め始めてしまうアズレイア。
声の出ないアズレイアに、レイモンドが追い打ちをかける。
「君は兄上が君のせいでこの家を出ることになるのを知っているかい?」
「なに、それ」
自己嫌悪の渦に巻かれていたアズレイアが、レイモンドが今もたらした新たな火種に身を硬くした。
そんなアズレイアをいたぶるように、レイモンドのアイスグレーの瞳が冷たく輝く。
「兄上にはもう、君に求婚をする資格がないんだよ。なぜなら一度、この家の嫡子として君に求婚してしまっていたからね。ああ、君は知らないかな? 高位貴族は一度婚約を破棄した相手とは結婚できない」
初めて知る思いもよらなかった貴族の習慣に、アズレイアの胸が締め付けられる。
それはアズレイアには全くの初耳だった。
「たとえ君がどう誤解していたとしても、あの時出された婚約破棄の届け出は父が申請していたカルロスと君の婚約によるものさ」
それは、アズレイアの知っている事実と一致していた。
カルロスは婚約したのは自分だったと言った。
そして学院時代に自分がみた通達書には、確かにモントレー家の婚約破棄がはっきりと書かれていた。
恐ろしい現実を理解しつつあるアズレイアは、絶望がゆっくりと自分を飲み込んでいくのをただ見守るしかない。
「まあ家を出さえすれば結婚はできる。それこそ市井の神殿で宣誓さえすれば形だけはね。だけど家を出るということはもう近衛隊長にも戻れないということだ。君のような危険な女を一介の兵士が守れるわけもない」
声も出ず、顔色をなくしたアズレイアを、レイモンドが嬉しそうに追い詰める。
「だからきっと兄上は今頃、王城で君を手に入れるために養子縁組の算段をしているんだろうね。この家名を捨てて、君と結婚するために」
「そんな……」
無知は罪だ……。
心の底からそう感じるアズレイア。
あれほど断り続けてきたカルロスからの求婚が、彼にそこまで大きな犠牲を強いるものだとは想像もしていなかった。
一度ならず二度までも、自分は貴族の常識を知らず、周りを巻き込んでこんな大事になるなんて。
レイモンドの話を聞いているうちに、アズレイアにも理解できてしまった。
客観的に見て、常識が違うこの二人にとって、アズレイアは完全な悪女なのだ。
「僕が見せた社交界の煌びやかな世界はそんなに手放しがたいものだったかい?」
全ては間違いなく自分のせいだと、そう思える今、抑えようもなく手が震えだす。
社交界を思いだしたことなど、塔に来てから一度もない。
だがレイモンドの追求に、反論する気力さえ湧かない。
「だから兄上を誘惑した? 弟が無理なら兄か。あの最終論文にしろ、淫紋描きにしろ、本当にどこまではしたなく生きる気なんだ」
そこまで言って、初めてレイモンドの冷笑が崩れ、眉が嫌悪に歪んだ。
そう。これがレイモンドの本心だったんだ。
たとえどれほど分かろうとしていても、本人に言われなければ感じられないものがある。
今レイモンドが浮かべた侮蔑は、百の想像を超えてアズレイアに真実を得心させた。
明らかに、彼の中にアズレイアへの愛など欠片もなかった。
「ずる賢くて無知なアズレイア。自分が取った行動の結果を、君は知りもせずに塔に閉じこもって、周りがなんとかしてくれているのにさえ気づいていない。いい加減恥を知りなよ。自分で自分の始末をつけて、農村にお帰り。ここは君の生きる場所じゃない」
ああそうか。
これがこの召喚の目的だったんだ。
やっと理解できた。
彼は、自分の思い通りにならないものは目の前から消したいのだ。
理解して、そして考える。
決して自分を卑下するつもりはない。
だとしても、カルロスに迷惑をかけるのだけは絶対に嫌だ。
農村に帰る。それもいいかもしれない。
結局自分に出来ることには限りがある。
彼の言う通り、今の論文も彼らに任せて、私はあの街で自分に出来ることをするべきなのかも──。
「そう思いませんか、父上」
締めくくるようにレイモンドがモントレー伯爵を見て、同意を求めたその時。
突然、遠くから騒然とした空気が流れ込んできた。
近くで給仕の采配をしていたギルバートの元に下男が駆け寄り、ギルバートが小声で忙しく指示を出しはじめる。
何事かと見回したアズレイアに、思いもよらぬ声が届いた。
「悪い、遅くなった!」
後ろから迫りくる騒音に驚いて振り向けば、鼻息も荒い青毛の軍馬が軽い嘶きとともに東屋の横で足踏みしてとまる。
まだ息の荒い馬上で汗を拭っているのは、軍服をまとったカルロスだ。
「待たせたな」
馬から降りつつ、アズレイアを気遣うように声をかけるカルロス。
近衛隊の礼服を纏い、髭を綺麗に剃った彼の姿は今のアズレイアには眩しすぎた。
思わず視線をそらそうとしたアズレイアを、すぐ隣に座ったカルロスが腰を抱いて引き寄せる。
「俺抜きで勝手に家族会議か。全く、遅刻したのは全部お前のせいだぞ、レイモンド」
まるで仲のいい家族がするように、当たり前に言ってのけるカルロスに、レイモンドとモントレー伯爵が驚きを隠せぬ顔で見返している。
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