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Ⅶ 魔女の決意
v カルロスの誘惑
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一瞬の静寂の後、突然のカルロスの登場に、レイモンドたちよりも早くそこに仕えていた使用人たちが焦った様子でわらわらと動き出した。
カルロスはどうやらすべての制止を振り切って、ここまで馬で乗りこんだらしい。
先ほどまで整然と整えられていた小道に、馬の蹄の跡が点々と見える。
それを目にした数人の庭師たちが、悲壮な顔つきで道具を取りに走っていった。
茶で統一されたお仕着せの使用人たちが、代わる代わるカルロスの元に来ては彼の服を整えていく。
そんな中、今日迎えに来ていたギルバートだけが、平然と新しい茶を全員に注いで回り、カルロスの前にも同じものを用意する。そしていくつかカルロスに耳打ちして、すぐに下がっていった。
その間、片腕でアズレイアを抱き寄せたカルロスは、当たり前のようにその給仕を受け、まるっきりアズレイアと目を合わせようとしない。
その様子が本当に貴族らしすぎて、アズレイアは居心地が悪くて仕方がない。
誰一人喋らぬまま、すべてが整うのを待って、カルロスがやっとアズレイアの顔を覗き込んだ。
そして潤んだ瞳と甘い声で囁きだす。
「なあアズレイア、聞いてくれ。あいつが何を言ったか知らないが、すべてはもう解決した。今の俺には充分な金も地位もある」
髭を剃り、髪を整え、白と金が輝く近衛隊の軍服を整然と着こなす目前の男は、一体本当にカルロスなのだろうか?
聞いたこともない甘い声で話し出したカルロスを思わず眉を顰めて見返すアズレイア。
そんな彼女の様子を無視して、カルロスの唇から甘い言葉が流れ出す。
「これ以上思い悩むこともない。農村のことなんて忘れちまえ。俺が適当に金を送ってやる。あんな塔に閉じこもって研究を続ける必要なんてもうないんだ。俺に嫁いで俺の金で俺のためだけに生きろよ」
「嫌よ」
カルロスのあんまりな発言に、思わず即答してしまったアズレイア。
だがすぐに思い直す。
例えその価値観は違えど、相手はカルロスだ。
これは純粋に自分のために言ってくれているのだろう。
だとしても。
それだけで済むアズレイアではないのだ。
「私の研究は絶対に必要よ。お金で解決できる問題じゃない」
金は大切だ。
あるに越したことはない。
それで解決することも沢山ある。
カルロスの提案を受ければ、確かに自分だけは楽になるかもしれない。
カルロスの金銭で、一時的に村は潤うだろう。
でも私やカルロスがいなくなったら?
もしカルロスが私に飽きて、捨てられる日が来たらどうなるのか?
この問題に、そんな一時的な答えはいらない。
何としても、私のすべてをかけて解決するべき命題なのだ。
どこから説明しよう。
カルロスなら聞いてくれる。きっと理解してくれる。
そう信じて口を開こうとした──
「ハハッ、アハハ、ハハハ……」
──アズレイアのすぐ横で、カルロスが破顔して大笑いし始めた。
突然笑い出したカルロスに、誰もが一瞬ポカンと彼の顔を見つめてしまった。
そんな笑いも落ち着くと、カルロスがしてやったりといった顔つきでレイモンドを見る。
「ハハ、ハッ。聞いたかレイモンド。こいつがたかが地位や金だけで俺の嫁に来てくれるほど容易い女だったら、どれほど楽だったか」
過ぎるほど実感の籠った声で、カルロスがぼやくのを聞いたアズレイアは、今の提案が全てカルロスのお芝居だったのだとやっと理解した。
「アズレイアはお前が思うような女じゃない」
毅然と言い放ったカルロスだったが、すぐにアズレイアと視線を合わせ、うっとりと自分の宝物を誇るような顔で口を開く。
「この女はな、門番だろうと近衛隊長だろうと、金があろうとなかろうと、俺がどんなに真摯に求婚しても、未だいい返事をくれやしない。研究以外に生きがいを感じない生き物だ」
アズレイアは思い知る。
想像以上に、カルロスはアズレイアをよーく理解していた。
だとしても、なんだその人格障害者のような形容は?
仮にも愛していると言った相手を表すのに使う言葉だろうか?
「兄上、一体そんな女のどこがいいんですか。第一彼女はもう答えを出している。何度も求婚を断られているんじゃないですか?」
その通りだとアズレイアまで思ってしまう。
だがカルロスは、やはり頑なにカルロスだった。
「彼女の返事は関係ない。俺は最初からアズレイア以外と結婚する気がない。それだけだ」
そう言って、腰の荷袋から少しよれた羊皮紙を取り出して拡げてみせる。
「諦めろ、彼女への求婚はもう正式に記録してもらってきた」
それはまごうことない、神殿の宣誓書だ。
「そんな!」
それを見て顔色を変えたのはアズレイアのほうだ。
神殿の宣誓書だなんて、一度書かせてしまったらもう簡単には取り下げることもできない。大体、申請には金貨が必要じゃなかったか!?
青い顔で睨むアズレイアを無視して、カルロスが先を続ける。
「アズレイアはその価値のある女だ。少なくとも俺にはな」
レイモンドも流石にその宣誓書は予想外だったのか、声を荒げてカルロスに噛み付く。
「何を考えているんだ兄上! この女は僕を垂らしこんで論文を盗んだ経歴もあるんだぞ。そのことは教授だった父が最もよく知っているはずだ」
「どの口でよくもそんなことを! 誰がなんと言おうと、あれは私の論文よ」
他ならぬ元師の前で言われては、アズレイアだって黙っていられない。
だが感情的に言い返したアズレイアをスッと手で遮り、カルロスがあとを引き継いだ。
「俺が今日、なんでこんなに遅くなったかわかるか」
レイモンドを見るカルロスの目に、今までとは違う好戦的な輝きが灯るのを見て、アズレイアも大人しく口を閉じる。
「お前が学院在籍時にアズレイアにした仕業の裏を取ってきた。もう言い逃れはできないぞ」
「なんの話だ?」
そんなことを今更しても無駄だ。社交界の貴族は自らの汚点を語らない。それが当たり前の鉄則だ。
そう信じるレイモンドは、このまま知らぬ存ぜぬを通す気なのだろう。
素知らぬ振りで聞き返すレイモンドを横目に、カルロスは腕に抱いたアズレイアへと顔を向けた。
カルロスはどうやらすべての制止を振り切って、ここまで馬で乗りこんだらしい。
先ほどまで整然と整えられていた小道に、馬の蹄の跡が点々と見える。
それを目にした数人の庭師たちが、悲壮な顔つきで道具を取りに走っていった。
茶で統一されたお仕着せの使用人たちが、代わる代わるカルロスの元に来ては彼の服を整えていく。
そんな中、今日迎えに来ていたギルバートだけが、平然と新しい茶を全員に注いで回り、カルロスの前にも同じものを用意する。そしていくつかカルロスに耳打ちして、すぐに下がっていった。
その間、片腕でアズレイアを抱き寄せたカルロスは、当たり前のようにその給仕を受け、まるっきりアズレイアと目を合わせようとしない。
その様子が本当に貴族らしすぎて、アズレイアは居心地が悪くて仕方がない。
誰一人喋らぬまま、すべてが整うのを待って、カルロスがやっとアズレイアの顔を覗き込んだ。
そして潤んだ瞳と甘い声で囁きだす。
「なあアズレイア、聞いてくれ。あいつが何を言ったか知らないが、すべてはもう解決した。今の俺には充分な金も地位もある」
髭を剃り、髪を整え、白と金が輝く近衛隊の軍服を整然と着こなす目前の男は、一体本当にカルロスなのだろうか?
聞いたこともない甘い声で話し出したカルロスを思わず眉を顰めて見返すアズレイア。
そんな彼女の様子を無視して、カルロスの唇から甘い言葉が流れ出す。
「これ以上思い悩むこともない。農村のことなんて忘れちまえ。俺が適当に金を送ってやる。あんな塔に閉じこもって研究を続ける必要なんてもうないんだ。俺に嫁いで俺の金で俺のためだけに生きろよ」
「嫌よ」
カルロスのあんまりな発言に、思わず即答してしまったアズレイア。
だがすぐに思い直す。
例えその価値観は違えど、相手はカルロスだ。
これは純粋に自分のために言ってくれているのだろう。
だとしても。
それだけで済むアズレイアではないのだ。
「私の研究は絶対に必要よ。お金で解決できる問題じゃない」
金は大切だ。
あるに越したことはない。
それで解決することも沢山ある。
カルロスの提案を受ければ、確かに自分だけは楽になるかもしれない。
カルロスの金銭で、一時的に村は潤うだろう。
でも私やカルロスがいなくなったら?
もしカルロスが私に飽きて、捨てられる日が来たらどうなるのか?
この問題に、そんな一時的な答えはいらない。
何としても、私のすべてをかけて解決するべき命題なのだ。
どこから説明しよう。
カルロスなら聞いてくれる。きっと理解してくれる。
そう信じて口を開こうとした──
「ハハッ、アハハ、ハハハ……」
──アズレイアのすぐ横で、カルロスが破顔して大笑いし始めた。
突然笑い出したカルロスに、誰もが一瞬ポカンと彼の顔を見つめてしまった。
そんな笑いも落ち着くと、カルロスがしてやったりといった顔つきでレイモンドを見る。
「ハハ、ハッ。聞いたかレイモンド。こいつがたかが地位や金だけで俺の嫁に来てくれるほど容易い女だったら、どれほど楽だったか」
過ぎるほど実感の籠った声で、カルロスがぼやくのを聞いたアズレイアは、今の提案が全てカルロスのお芝居だったのだとやっと理解した。
「アズレイアはお前が思うような女じゃない」
毅然と言い放ったカルロスだったが、すぐにアズレイアと視線を合わせ、うっとりと自分の宝物を誇るような顔で口を開く。
「この女はな、門番だろうと近衛隊長だろうと、金があろうとなかろうと、俺がどんなに真摯に求婚しても、未だいい返事をくれやしない。研究以外に生きがいを感じない生き物だ」
アズレイアは思い知る。
想像以上に、カルロスはアズレイアをよーく理解していた。
だとしても、なんだその人格障害者のような形容は?
仮にも愛していると言った相手を表すのに使う言葉だろうか?
「兄上、一体そんな女のどこがいいんですか。第一彼女はもう答えを出している。何度も求婚を断られているんじゃないですか?」
その通りだとアズレイアまで思ってしまう。
だがカルロスは、やはり頑なにカルロスだった。
「彼女の返事は関係ない。俺は最初からアズレイア以外と結婚する気がない。それだけだ」
そう言って、腰の荷袋から少しよれた羊皮紙を取り出して拡げてみせる。
「諦めろ、彼女への求婚はもう正式に記録してもらってきた」
それはまごうことない、神殿の宣誓書だ。
「そんな!」
それを見て顔色を変えたのはアズレイアのほうだ。
神殿の宣誓書だなんて、一度書かせてしまったらもう簡単には取り下げることもできない。大体、申請には金貨が必要じゃなかったか!?
青い顔で睨むアズレイアを無視して、カルロスが先を続ける。
「アズレイアはその価値のある女だ。少なくとも俺にはな」
レイモンドも流石にその宣誓書は予想外だったのか、声を荒げてカルロスに噛み付く。
「何を考えているんだ兄上! この女は僕を垂らしこんで論文を盗んだ経歴もあるんだぞ。そのことは教授だった父が最もよく知っているはずだ」
「どの口でよくもそんなことを! 誰がなんと言おうと、あれは私の論文よ」
他ならぬ元師の前で言われては、アズレイアだって黙っていられない。
だが感情的に言い返したアズレイアをスッと手で遮り、カルロスがあとを引き継いだ。
「俺が今日、なんでこんなに遅くなったかわかるか」
レイモンドを見るカルロスの目に、今までとは違う好戦的な輝きが灯るのを見て、アズレイアも大人しく口を閉じる。
「お前が学院在籍時にアズレイアにした仕業の裏を取ってきた。もう言い逃れはできないぞ」
「なんの話だ?」
そんなことを今更しても無駄だ。社交界の貴族は自らの汚点を語らない。それが当たり前の鉄則だ。
そう信じるレイモンドは、このまま知らぬ存ぜぬを通す気なのだろう。
素知らぬ振りで聞き返すレイモンドを横目に、カルロスは腕に抱いたアズレイアへと顔を向けた。
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