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柔らかな日差しが降り注ぐ庭の一角。
テーブルを挟んで、メイリフローラとレイモンドが座り、お茶とお菓子に舌鼓を打っていた。
レイモンドはレクターを訪ねて屋敷を訪れていたのだが、レクターが急遽席を離れなくてはいけなくなり、庭を散歩していたメイリフローラに戻るまで相手をするよう頼まれたのだ。
・・・・と言うのは建前で、この時間帯に妹が庭を散策しているのを知っていた兄が、レイモンドの為にひと肌脱いだのが真相である。
そんな事など知らないメイリフローラ。
初めて会う噂の「氷の騎士」。正直な所、会話が続くのかと心配していたが、意外にも穏やかに会話は続いていた。
確か、女性がお嫌いと聞いてたけれど・・・・噂で聞いたみたいに怖い顔はしていないし、私に気を使ってくださってるのが分かるわ。
これも話しやすいようにと、場を和ませてから退席したお兄様のおかげね。それに、レイモンド様だって友達の妹を無下には扱えないだろうし。
友人からはレイモンドの話をよく聞いていた。と言うよりも、黙っていても話題に上がるのだから、それだけ注目の的だと言う事なのだろう。
ほとんどが女性絡みなのだが、かなり出鱈目な話も多いようだ。
だって、「氷の騎士」とは全く正反対の噂話も出ているんだもの。
端的に言うと、女好きってね。多分、自分の恋人か婚約者がレイモンド様に好意があるとか、こっぴどく振られた令嬢とかが流した噂なんだろうけど。・・・・って、友人が言ってたわ。
まぁ、この間までユアン様の事しか見ていなかったから、他人の噂には興味がなかったのよね。今だからわかるわ。私って、視野が狭くて本当に偏っていたわ・・・・
本人は視野が狭かった事に対し反省しきりのようだが、ある意味まっさらなメイリフローラだからこそ、何の偏見も持たずにレイモンドを見る事が出来ていた。
その事がレイモンドにとって、どれだけ貴重で嬉しい事なのか、メイリフローラは当然の事ながら知らない。
実質初対面ではあるが、少しでも二人の距離が詰められたらと、レイモンドはあまり得意ではない会話で互いを知ろうとした。
レクターから聞いていたメイリフローラの好きなもの、興味を引きそうな事をがっつかないよう注意しながら、表面上穏やかに話題に上げる。
彼女が読書好きと聞いていたレイモンドは、そこから攻める事にした。
「メイリフローラ嬢は、読書が好きだとレクターから聞いています。どのようなジャンルが好きなのですか?私はミステリー系を好んで読んでます」
「まぁ、ミステリー!私も好きなんです。最近では、アレド・リスティーの書かれるお話が好きで全て持ってます!特に『怪盗シリーズ』が大好きで、新刊が出るのが楽しみで楽しみで。発売日が発表される度に一巻から読み返してしまうんです」
そう言いながら照れたように笑う目の前の可愛らしくも美しい女性にレイモンドは、まるで底のない沼にでも沈められていくような感覚で捕らわれていくのがわかる。
嬉しそうにお気に入りの作家の話をするメイリフローラの声はとても心地よく、捕食者の顔を隠し抑揚に頷きながら少しずつその胸の内を暴こうとする。
あの、愚かな男をまだ想っているのかを知る為に。
「本の発売日は来週でしたよね。では、また一巻から読んでいたのですか?」
「えぇ。時間だけはありましたし―――・・・・お兄様から聞いていらっしゃるでしょ?ここひと月近く引きこもってましたから」
困ったように笑うメイリフローラに、腕の中に閉じ込めてしまいたいという保護欲と、こんな顔をさせた男に対する殺意で温和な仮面が剥がれそうになる。
「レクターは、メイリフローラ嬢が勇断をしたのだと言ってました」
「お兄様が・・・・?」
「レクターはとても心配していました。まるで抜け殻の様だと・・・」
「お兄様・・・いえ、家族や使用人達にも大変心配をかけてしまいました。ですが、私はもう大丈夫です。反対に・・・・私は冷たい女なのではと思ってしまうのです」
「冷たい女?それは何故ですか?」
「・・・・十年です。ずっと好きでした。私自身、もしかしたら立ち直れないんじゃないかって思っていたんです。でも、実際はひと月も経たないうちにいつも通り生活できていたんですよ」
そう言って静かに瞼を伏せた。その仕草に、レイモンドの胸がギュッと痛む。
「それは、冷たいのではなく、きっとこの十年で準備をしていたのですよ」
「準備、ですか?」
「えぇ。失礼を承知で言いますが、求婚するたび断られていたのですよね。それが十年。きっとメイリフローラ嬢もこの想いは実らないのかもと、心のどこかでわかっていたのかもしれません。だから、この十年で準備をしてきたのです。メイリフローラ嬢が勇断された時に、その辛さと悲しみから心を守る為に」
レイモンドのめちゃくちゃな理論に、驚きに目を見張るが、どこか納得している自分もいて、クスリと笑った。
「私のメイドのケリーにも言われました。この十年の方があの一日よりも苦しかっただけの話だと」
この恋に見込みが無い事は相手の反応からして、当の昔から心の奥底ではわかっていた。ただ認めたくなかったし、好きで好きで仕方が無かったから、何としても振り向かせたかった。
そんな思いも、決意をもって挑んだ求婚を、いつもの様に躱された時点で一気に冷めてしまっていたのかもしれない。
振られた時も、心の奥底で「やっぱりか」と、どこかで納得していた自分もいたから。
ただ、振られた事よりも、この十年を思い悲しかった。
そんな、メイリフローラの気持ちを、まるで自分の事のように慰めてくれるレイモンドを不思議な面持ちで見つめる。
「レイモンド様はお優しいですね。先日まで頭の中がお花畑だった愚かな私を慰めてくださるなんて・・・・恐らく今日、初めてお会いしたばかりだと思うのですか・・・」
「こうして顔を合わせるのは初めてですが、レクターを訪れた時に一方的に見ていましたから、私の気持ちとしては初めてではないのですよ」
見ていた・・・という事は・・・毎回振られていたのを見られていたという事!?恥ずかしいんですけどっ!!
羞恥のあまり、真っ赤になった顔を両手で隠すメイリフローラは、レイモンドから見ればただ可愛いだけ。
「大変お見苦しい所をお見せしていたのですね。失礼しました・・・」
振られたところを見られていたという事は、その後に悲しくて泣いていた所も見られていたという事。
余りの恥ずかしさに、すぐにでも自室に駆け込みたいくらいだった。
恥ずかしそうにそわそわしているメイリフローラに、レイモンドは安心させるように優しく微笑んだ。
「見苦しいだなんて、とんでもない。私は、貴女の勇気ある行動に目を奪われ、心も奪われました」
「・・・・え?」
「私は初めて貴女を見た時から、ずっと恋焦がれていました」
初耳もいい所に、衝撃的な告白。一瞬、からかわれているのではと思ったが、レイモンドの眼差しは真剣そのもの。
「メイリフローラ嬢が失恋をしたばかりで、次の事など考えられないのかもしれません。でも、私のように心から貴女を想い恋焦がれている男がいるのだと、わかって欲しかったのです」
メイリフローラは零れ落ちるのではないかと思うほど、美しい碧眼を見開く。
「とても自分勝手な願いだとわかっています。ですが、他の男に取られてしまう位なら、傷心の貴女に付け込む事も厭わない」
そう言って、立ち上がりメイリフローラの前で跪いた。
「私、レイモンド・グリーンはメイリフローラ嬢を心からお慕いしております。結婚を前提に、お付き合いしてください」
息をすることも忘れそうなほど、驚き固まってしまったメイリフローラ。
頭の中は大混乱だ。
え?あの「氷の騎士」様が私を好き?え?私夢見てる?「氷の騎士」と言うよりとても温和な方で話上手だしもっともっとお話ししたいって思ってしまうのよ。ユアン様とお話していた時とは全然違う穏やかで心地よくて離れがたいなぁと思う自分がいるの。ユアン様の時は自分を好きになってもらいたくて必死だったから余裕がなかったのかもしれないわ。でもレイモンド様は良くも悪くもご自分の考えを仰ってくれる。なんだかとても安心できるしたったの数十分お話しただけなのにレイモンド様に惹かれていくのが自分でもわかるのだけれどどうしたらいいのか分からないわ。
強がりでもなんでもなく、恐らくメイリフローラの中ではユアンの事は過去の事と認識されている。
だが、最後の求婚を断られてまだひと月ほどしか経っていない。なのに、初めて会ったレイモンドに惹かれつつある自分に戸惑いしかないのだ。
そんな彼女の心情など手に取るようにわかってしまうレイモンド。話をしていて、まるで欠けていたピースがカチリとはまるかのように、互いに惹かれあうのを感じていたからだ。
だからこそ彼女の葛藤もわかり、心情を表わすかのように膝の上できつく握られている彼女の手に、そっと手を重ねた。
「メイリフローラ嬢。人に惹かれる気持ちに時間も何も関係ないと私は思います。貴女はこのひと月で気持ちの整理をつけたと思っているかもしれませんが、先程も言った通り十年かけて整理してきたのです。私は貴女に一目惚れしました。ですが、今日こうして言葉を交わして、益々貴女に惹かれています。過去ではなく、今この時に感じた気持ちを大事にしたい。すぐに結婚してくれとは言いません。どうか私と言う人間を知ってもらう為に、貴女の時間を私にくださいませんか?」
メイリフローラは、レイモンドの言葉が嬉しくて堪らなかった。心が震えるほどに。
これまでは追いかけて追いかけて、気持ちを押し付けているだけだった。
こんな風に好意を寄せてもらった事が無かった。―――いや、メイリフローラは美しい。秋波を送っていた男性はいたのだが、ユアンしか見ていなかった彼女には届いていなかっただけなのだ。
今日初めて、緩やかに惹かれるという気持ちを体験した。その惹かれている人からの告白。
メイリフローラの気持ちは急速にレイモンドへと傾いていった。
「どうか、今感じている気持ちをそのまま、返事としてください」
冷たいと称されるアイスブルーの瞳は確かな熱を帯び、断るはずもないという自信のようなものが見える。
だが、メイリフローラの手を包む彼の大きな手が微かに震え、それを隠すように力が込められた事に気付いた彼女は、一瞬にして緊張に強張っていた体から良い意味で力が抜けていった。
そして、いともあっさりユアンを忘れレイモンドに乗り換えようとする自分にどこか後ろめたさを感じていたが「人に惹かれる気持ちに時間も何も関係ない」と言う彼の言葉が甦り、「もう自由になってもいいじゃない」「別にこれから誰を好きになってもいいのよ」とそう思ったとたん、目の前が一気に色づいた。
あぁ・・・この方とは私の一方通行ではなく、お互いに気持ちを通わせることができるのね・・・・
そう思った瞬間、とてもとても嬉しくなってほろりと涙が零れ落ちた。
「メ、メイリフローラ嬢!どうしました!?あっ!泣くほど俺が嫌いなのですか??」
焦るように見当違いな事を言うレイモンドに、メイリフローラはおかしそうに笑った。
「いいえ、嬉しくて自然と涙が出てしまったようです。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「嬉しくて?・・・・それって、その、俺にとって都合の良いように解釈してもいいのだろうか?」
言葉使いもどんどん乱れていくレイモンドに、益々笑みが濃くなる。
「はい。レイモンド様、私とお付き合いしていただけますか?」
涙に濡れながら微笑むメイリフローラは、まるで朝露に濡れたかぐわしい花の様で、レイモンドはこの花を手に入れた喜びと共に、誰にも渡さないという仄暗い独占欲に打ち震えた。
「勿論、喜んでお受けします」
初めて感じる、飛び上がるほど嬉しいという感情をぐっと堪え、メイリフローラの滑らかな手の甲に口づける。
そして、握った手もそのままに彼女を立ち上がらせ、蕩ける様な笑みを向けた。
「氷の騎士」の二つ名からは想像もできないほどの妖艶さに、メイリフローラはまるで捕らわれたように見入ってしまう。
見つめ合う事、数十秒。レイモンドがうっとりした様な眼差しのまま、握っていたメイリフローラの手をエスコートするように己の腕へとまわす。
「メイリフローラ嬢、伯爵様に婚約の了承を得に行きましょう」
「え?婚約、ですか?」
「結婚を前提にお付き合いするのですから、婚約は絶対です」
鬼気迫る勢いできっぱりと言い切るレイモンドに、つられる様にガクガクと縦に首を振るメイリフローラ。
その様子に満足したように「では、行きましょうか」と綺麗な笑みを向けられ、その眩しさに思わすメイリフローラは目を閉じた。
眩しい・・・眩しすぎるわ!何で凍ってないの??ドロドロに溶けてるじゃないのよ!!「氷の騎士」だなんて嘘だわ!
相変わらず心の中は騒がしいメイリフローラではあるが、ユアンに恋していた時とは明らかに違う胸の高鳴りが心地よい。
今日初めて顔を合わせたとは思えないほど、二人の間に穏やかな雰囲気が漂い、寄り添うように歩く。
その後ろを歩くケリーは、久しぶりに見る幸せそうなメイリフローラの笑顔に感極まり、そっと目頭を押さえたのだった。
レクターから、本日であればメイリフローラの父でもあるクラーク伯爵が在宅である事を事前に聞いており、婚約の許しを貰おうと今日の訪問を計画していた。
交際を申し込み断られるなど一切考えていなかったレイモンド。
計画をレクターに話した時は「お前、どれだけ自信過剰なんだよ!」と呆れられた事は言うまでもない。
だが、彼の宣言通りメイリフローラは交際を了承してくれた。
交際を了承してくれたのは嬉しかったが、それ以上に嬉しかったのが互いに好意を感じあえた事。それは嬉しい誤算であり、初めて感じる天にも昇るほどの幸せな気持ち。
だからこそ、それに水を差すような出来事に、レイモンドは元凶を射殺すのではと思うほどの冷たい眼差しで見つめた。
テーブルを挟んで、メイリフローラとレイモンドが座り、お茶とお菓子に舌鼓を打っていた。
レイモンドはレクターを訪ねて屋敷を訪れていたのだが、レクターが急遽席を離れなくてはいけなくなり、庭を散歩していたメイリフローラに戻るまで相手をするよう頼まれたのだ。
・・・・と言うのは建前で、この時間帯に妹が庭を散策しているのを知っていた兄が、レイモンドの為にひと肌脱いだのが真相である。
そんな事など知らないメイリフローラ。
初めて会う噂の「氷の騎士」。正直な所、会話が続くのかと心配していたが、意外にも穏やかに会話は続いていた。
確か、女性がお嫌いと聞いてたけれど・・・・噂で聞いたみたいに怖い顔はしていないし、私に気を使ってくださってるのが分かるわ。
これも話しやすいようにと、場を和ませてから退席したお兄様のおかげね。それに、レイモンド様だって友達の妹を無下には扱えないだろうし。
友人からはレイモンドの話をよく聞いていた。と言うよりも、黙っていても話題に上がるのだから、それだけ注目の的だと言う事なのだろう。
ほとんどが女性絡みなのだが、かなり出鱈目な話も多いようだ。
だって、「氷の騎士」とは全く正反対の噂話も出ているんだもの。
端的に言うと、女好きってね。多分、自分の恋人か婚約者がレイモンド様に好意があるとか、こっぴどく振られた令嬢とかが流した噂なんだろうけど。・・・・って、友人が言ってたわ。
まぁ、この間までユアン様の事しか見ていなかったから、他人の噂には興味がなかったのよね。今だからわかるわ。私って、視野が狭くて本当に偏っていたわ・・・・
本人は視野が狭かった事に対し反省しきりのようだが、ある意味まっさらなメイリフローラだからこそ、何の偏見も持たずにレイモンドを見る事が出来ていた。
その事がレイモンドにとって、どれだけ貴重で嬉しい事なのか、メイリフローラは当然の事ながら知らない。
実質初対面ではあるが、少しでも二人の距離が詰められたらと、レイモンドはあまり得意ではない会話で互いを知ろうとした。
レクターから聞いていたメイリフローラの好きなもの、興味を引きそうな事をがっつかないよう注意しながら、表面上穏やかに話題に上げる。
彼女が読書好きと聞いていたレイモンドは、そこから攻める事にした。
「メイリフローラ嬢は、読書が好きだとレクターから聞いています。どのようなジャンルが好きなのですか?私はミステリー系を好んで読んでます」
「まぁ、ミステリー!私も好きなんです。最近では、アレド・リスティーの書かれるお話が好きで全て持ってます!特に『怪盗シリーズ』が大好きで、新刊が出るのが楽しみで楽しみで。発売日が発表される度に一巻から読み返してしまうんです」
そう言いながら照れたように笑う目の前の可愛らしくも美しい女性にレイモンドは、まるで底のない沼にでも沈められていくような感覚で捕らわれていくのがわかる。
嬉しそうにお気に入りの作家の話をするメイリフローラの声はとても心地よく、捕食者の顔を隠し抑揚に頷きながら少しずつその胸の内を暴こうとする。
あの、愚かな男をまだ想っているのかを知る為に。
「本の発売日は来週でしたよね。では、また一巻から読んでいたのですか?」
「えぇ。時間だけはありましたし―――・・・・お兄様から聞いていらっしゃるでしょ?ここひと月近く引きこもってましたから」
困ったように笑うメイリフローラに、腕の中に閉じ込めてしまいたいという保護欲と、こんな顔をさせた男に対する殺意で温和な仮面が剥がれそうになる。
「レクターは、メイリフローラ嬢が勇断をしたのだと言ってました」
「お兄様が・・・・?」
「レクターはとても心配していました。まるで抜け殻の様だと・・・」
「お兄様・・・いえ、家族や使用人達にも大変心配をかけてしまいました。ですが、私はもう大丈夫です。反対に・・・・私は冷たい女なのではと思ってしまうのです」
「冷たい女?それは何故ですか?」
「・・・・十年です。ずっと好きでした。私自身、もしかしたら立ち直れないんじゃないかって思っていたんです。でも、実際はひと月も経たないうちにいつも通り生活できていたんですよ」
そう言って静かに瞼を伏せた。その仕草に、レイモンドの胸がギュッと痛む。
「それは、冷たいのではなく、きっとこの十年で準備をしていたのですよ」
「準備、ですか?」
「えぇ。失礼を承知で言いますが、求婚するたび断られていたのですよね。それが十年。きっとメイリフローラ嬢もこの想いは実らないのかもと、心のどこかでわかっていたのかもしれません。だから、この十年で準備をしてきたのです。メイリフローラ嬢が勇断された時に、その辛さと悲しみから心を守る為に」
レイモンドのめちゃくちゃな理論に、驚きに目を見張るが、どこか納得している自分もいて、クスリと笑った。
「私のメイドのケリーにも言われました。この十年の方があの一日よりも苦しかっただけの話だと」
この恋に見込みが無い事は相手の反応からして、当の昔から心の奥底ではわかっていた。ただ認めたくなかったし、好きで好きで仕方が無かったから、何としても振り向かせたかった。
そんな思いも、決意をもって挑んだ求婚を、いつもの様に躱された時点で一気に冷めてしまっていたのかもしれない。
振られた時も、心の奥底で「やっぱりか」と、どこかで納得していた自分もいたから。
ただ、振られた事よりも、この十年を思い悲しかった。
そんな、メイリフローラの気持ちを、まるで自分の事のように慰めてくれるレイモンドを不思議な面持ちで見つめる。
「レイモンド様はお優しいですね。先日まで頭の中がお花畑だった愚かな私を慰めてくださるなんて・・・・恐らく今日、初めてお会いしたばかりだと思うのですか・・・」
「こうして顔を合わせるのは初めてですが、レクターを訪れた時に一方的に見ていましたから、私の気持ちとしては初めてではないのですよ」
見ていた・・・という事は・・・毎回振られていたのを見られていたという事!?恥ずかしいんですけどっ!!
羞恥のあまり、真っ赤になった顔を両手で隠すメイリフローラは、レイモンドから見ればただ可愛いだけ。
「大変お見苦しい所をお見せしていたのですね。失礼しました・・・」
振られたところを見られていたという事は、その後に悲しくて泣いていた所も見られていたという事。
余りの恥ずかしさに、すぐにでも自室に駆け込みたいくらいだった。
恥ずかしそうにそわそわしているメイリフローラに、レイモンドは安心させるように優しく微笑んだ。
「見苦しいだなんて、とんでもない。私は、貴女の勇気ある行動に目を奪われ、心も奪われました」
「・・・・え?」
「私は初めて貴女を見た時から、ずっと恋焦がれていました」
初耳もいい所に、衝撃的な告白。一瞬、からかわれているのではと思ったが、レイモンドの眼差しは真剣そのもの。
「メイリフローラ嬢が失恋をしたばかりで、次の事など考えられないのかもしれません。でも、私のように心から貴女を想い恋焦がれている男がいるのだと、わかって欲しかったのです」
メイリフローラは零れ落ちるのではないかと思うほど、美しい碧眼を見開く。
「とても自分勝手な願いだとわかっています。ですが、他の男に取られてしまう位なら、傷心の貴女に付け込む事も厭わない」
そう言って、立ち上がりメイリフローラの前で跪いた。
「私、レイモンド・グリーンはメイリフローラ嬢を心からお慕いしております。結婚を前提に、お付き合いしてください」
息をすることも忘れそうなほど、驚き固まってしまったメイリフローラ。
頭の中は大混乱だ。
え?あの「氷の騎士」様が私を好き?え?私夢見てる?「氷の騎士」と言うよりとても温和な方で話上手だしもっともっとお話ししたいって思ってしまうのよ。ユアン様とお話していた時とは全然違う穏やかで心地よくて離れがたいなぁと思う自分がいるの。ユアン様の時は自分を好きになってもらいたくて必死だったから余裕がなかったのかもしれないわ。でもレイモンド様は良くも悪くもご自分の考えを仰ってくれる。なんだかとても安心できるしたったの数十分お話しただけなのにレイモンド様に惹かれていくのが自分でもわかるのだけれどどうしたらいいのか分からないわ。
強がりでもなんでもなく、恐らくメイリフローラの中ではユアンの事は過去の事と認識されている。
だが、最後の求婚を断られてまだひと月ほどしか経っていない。なのに、初めて会ったレイモンドに惹かれつつある自分に戸惑いしかないのだ。
そんな彼女の心情など手に取るようにわかってしまうレイモンド。話をしていて、まるで欠けていたピースがカチリとはまるかのように、互いに惹かれあうのを感じていたからだ。
だからこそ彼女の葛藤もわかり、心情を表わすかのように膝の上できつく握られている彼女の手に、そっと手を重ねた。
「メイリフローラ嬢。人に惹かれる気持ちに時間も何も関係ないと私は思います。貴女はこのひと月で気持ちの整理をつけたと思っているかもしれませんが、先程も言った通り十年かけて整理してきたのです。私は貴女に一目惚れしました。ですが、今日こうして言葉を交わして、益々貴女に惹かれています。過去ではなく、今この時に感じた気持ちを大事にしたい。すぐに結婚してくれとは言いません。どうか私と言う人間を知ってもらう為に、貴女の時間を私にくださいませんか?」
メイリフローラは、レイモンドの言葉が嬉しくて堪らなかった。心が震えるほどに。
これまでは追いかけて追いかけて、気持ちを押し付けているだけだった。
こんな風に好意を寄せてもらった事が無かった。―――いや、メイリフローラは美しい。秋波を送っていた男性はいたのだが、ユアンしか見ていなかった彼女には届いていなかっただけなのだ。
今日初めて、緩やかに惹かれるという気持ちを体験した。その惹かれている人からの告白。
メイリフローラの気持ちは急速にレイモンドへと傾いていった。
「どうか、今感じている気持ちをそのまま、返事としてください」
冷たいと称されるアイスブルーの瞳は確かな熱を帯び、断るはずもないという自信のようなものが見える。
だが、メイリフローラの手を包む彼の大きな手が微かに震え、それを隠すように力が込められた事に気付いた彼女は、一瞬にして緊張に強張っていた体から良い意味で力が抜けていった。
そして、いともあっさりユアンを忘れレイモンドに乗り換えようとする自分にどこか後ろめたさを感じていたが「人に惹かれる気持ちに時間も何も関係ない」と言う彼の言葉が甦り、「もう自由になってもいいじゃない」「別にこれから誰を好きになってもいいのよ」とそう思ったとたん、目の前が一気に色づいた。
あぁ・・・この方とは私の一方通行ではなく、お互いに気持ちを通わせることができるのね・・・・
そう思った瞬間、とてもとても嬉しくなってほろりと涙が零れ落ちた。
「メ、メイリフローラ嬢!どうしました!?あっ!泣くほど俺が嫌いなのですか??」
焦るように見当違いな事を言うレイモンドに、メイリフローラはおかしそうに笑った。
「いいえ、嬉しくて自然と涙が出てしまったようです。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「嬉しくて?・・・・それって、その、俺にとって都合の良いように解釈してもいいのだろうか?」
言葉使いもどんどん乱れていくレイモンドに、益々笑みが濃くなる。
「はい。レイモンド様、私とお付き合いしていただけますか?」
涙に濡れながら微笑むメイリフローラは、まるで朝露に濡れたかぐわしい花の様で、レイモンドはこの花を手に入れた喜びと共に、誰にも渡さないという仄暗い独占欲に打ち震えた。
「勿論、喜んでお受けします」
初めて感じる、飛び上がるほど嬉しいという感情をぐっと堪え、メイリフローラの滑らかな手の甲に口づける。
そして、握った手もそのままに彼女を立ち上がらせ、蕩ける様な笑みを向けた。
「氷の騎士」の二つ名からは想像もできないほどの妖艶さに、メイリフローラはまるで捕らわれたように見入ってしまう。
見つめ合う事、数十秒。レイモンドがうっとりした様な眼差しのまま、握っていたメイリフローラの手をエスコートするように己の腕へとまわす。
「メイリフローラ嬢、伯爵様に婚約の了承を得に行きましょう」
「え?婚約、ですか?」
「結婚を前提にお付き合いするのですから、婚約は絶対です」
鬼気迫る勢いできっぱりと言い切るレイモンドに、つられる様にガクガクと縦に首を振るメイリフローラ。
その様子に満足したように「では、行きましょうか」と綺麗な笑みを向けられ、その眩しさに思わすメイリフローラは目を閉じた。
眩しい・・・眩しすぎるわ!何で凍ってないの??ドロドロに溶けてるじゃないのよ!!「氷の騎士」だなんて嘘だわ!
相変わらず心の中は騒がしいメイリフローラではあるが、ユアンに恋していた時とは明らかに違う胸の高鳴りが心地よい。
今日初めて顔を合わせたとは思えないほど、二人の間に穏やかな雰囲気が漂い、寄り添うように歩く。
その後ろを歩くケリーは、久しぶりに見る幸せそうなメイリフローラの笑顔に感極まり、そっと目頭を押さえたのだった。
レクターから、本日であればメイリフローラの父でもあるクラーク伯爵が在宅である事を事前に聞いており、婚約の許しを貰おうと今日の訪問を計画していた。
交際を申し込み断られるなど一切考えていなかったレイモンド。
計画をレクターに話した時は「お前、どれだけ自信過剰なんだよ!」と呆れられた事は言うまでもない。
だが、彼の宣言通りメイリフローラは交際を了承してくれた。
交際を了承してくれたのは嬉しかったが、それ以上に嬉しかったのが互いに好意を感じあえた事。それは嬉しい誤算であり、初めて感じる天にも昇るほどの幸せな気持ち。
だからこそ、それに水を差すような出来事に、レイモンドは元凶を射殺すのではと思うほどの冷たい眼差しで見つめた。
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