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第一章
第13話 白雪姫と真紅の王子
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最近、城下で静かなブームとなっている物語がある。
『白雪姫』――
肌の白いお姫様が、その美しさを妬まれ、毒林檎を食べさせられる。
けれど、真実の愛のキスによって目を覚ます、というあのお話だ。
誰もが一度は耳にしたことがある昔話。
だが今になって、なぜそれが流行っているのか?
理由は、ひとりの少女だった。
「フィーリア様ーーー!」「なんてお美しい……!」
「見て、あの肌……雪みたいに白い……!」
「まさに、白雪姫……!」
そう。
最近、ようやく民の前に姿を現した――パストリア王国の末姫、フィーリアの存在である。
塔の窓辺からひょっこりと顔を覗かせた金髪の少女は、何も知らないような無垢な笑みを浮かべ、優しく手を振っていた。
塔の下では、それを見上げる民が歓声を上げている。
誰かが言った「白雪姫みたいだ」という言葉が、いつの間にか皆の共通認識になっていた。
その群衆から少し離れた場所で。
買い物袋を抱えたクラリスとルスカが、塔と民衆を眺めていた。
「すごい人気じゃない?妹」
「まあな。初お披露目から間がないしな。少し経てば、民の熱も冷めるさ。そういうものだ」
ルスカは面倒そうに言いながら、クラリスの袋を漁り、赤い林檎を取り出すと、かぷりとひと口。
クラリスはその林檎をじっと見つめた。
「ふーん。ルスカのときもそうだったの?」
「俺は、お披露目されてない」
吐き捨てるような声だった。
「え、なんで?」
「“能力が人前に出すほどのものじゃない”って判断されたからだとさ」
「……見る目ないんだね、城のえらい人たちって」
クラリスが肩をすくめて笑うと、林檎を齧るルスカの動きが一瞬だけ止まり、そして――ふ、と小さく笑った。
「……まあ、おかげで今こうして出歩けてるしな。悪いことばかりじゃない」
言いながら、ルスカはちらりと塔を見上げる。
まだ慣れない様子で室内から手を振り続けるフィーリアが、そこにいた。
クラリスもつられて顔を上げる。
目を細め、微かに首をかしげた。
(あの子……)
なぜだろう。
ほんの少しだけ、胸の奥がざわついた。
けれど、それを振り払うようにクラリスはくるりと背を向ける。
「……さ、帰ろっか」
「そうだな。診療所でミュラーがふて寝してるかもしれないしな」
二人はゆるやかな坂を下っていった。
白雪姫は、まだ、塔の窓から笑っていた。
噂が流れ始めたのは、それからすぐのことだった。
――『白雪姫が、倒れた』。
その内容こそ曖昧で、城から正式な発表もなかったが、まるで物語の続きをなぞるような展開に、民は面白半分にざわついた。
噂は瞬く間に広がり、ミュラーの診療所にも届くまで、時間はかからなかった。
「ねぇ、白雪姫の噂って……本当なの?」
ようやく患者が引いた夕暮れ時。
診療所の机に三人で頭を並べていたクラリスが、ぽつりと口を開いた。
「あけすけに聞くな。一応王族の秘密事項なんだぞ。なぜ民に噂が流れたのか不思議なくらいだ」
ルスカは顔をしかめて、手を止める。
「……そうなんだ…でも、大丈夫なんでしょ?
だってフィーリア姫には、国一番のお医者さんたちがついてる……んだよね?」
ヴィルは心配そうに言いながらも、手元のメモを走らせ続けている。
「国一番、ね……」
奥のソファに寝転がっていたミュラーが、鼻で笑うように吐き捨てた。
「……フィーリアの能力は、贔屓目に見ても一級品だからな。父上がなんとかなさるだろう」
ルスカがやや投げやりに言った、その時だった。
診療所の外からなにやら歓声が上がる。
「……なんだろ?」
「さぁな。だがうちには関係……」
トントン。
ミュラーの言葉を遮るようにして、扉が上品な調子で叩かれる。
「はいはい、あいてますよー」
クラリスが何気なく立ち上がり、バン、と勢いよく扉を開けた。
その瞬間――
目に飛び込んできたのは、風になびく真紅のマントに、白いタキシード。
そして。
見上げたその先には、金髪碧眼の美青年が、にこりと柔らかく微笑んでいた。
「……やぁ。また会ったね」
見つめ合うこと、10秒。
クラリスの目がカッと見開かれ、叫ぶ。
「ま、待って!!今じゃない!!!」
バタン。
勢いよく、扉が閉められた。
その内側で、クラリスは――
頬を真っ赤に染めていた。
「どどどどうしよう?急に推しが…!!夕方だから髪もボサボサだし、肌てかってない!?服もこんなヨレヨレだし、隈できてるよ今日!!」
最後には呻き声をあげながら両手で頬を抑えながらうずくまるクラリス。
「大丈夫だ。いつも通りだ」
ルスカはすっと彼女の横を通り過ぎ、淡々と扉を開けた。
「……兄上。どうなさったのですか?こんなところへ」
無表情で迎えるルスカの声に、
診療所の入り口に立つ金髪の青年――シュヴァンは、にこりと優しく微笑んだ。
「散歩さ。……少し、喉が渇いたな」
「ど、ど、どうぞ!!粗茶しかありませんですけれども!!」
うずくまっていたクラリスは急に立ち上がり、両手両足を共に出しながら診療所奥へと歩いていく。
「おまえ……。なるほどな?」
ルスカはクラリスを見て納得したように頷くと、鼻を鳴らし腕を組む。
「ふふ、邪魔するよ」
シュヴァンと二人の騎士が診療所に入ると、パタンとドアは閉じられた。
「どうぞ。お口に合うか、わかりませんが」
机の上に並べられたのは、少し縁の欠けたカップが三つ。
給仕するヴィルの真後ろで、クラリスはガチガチに固まっていた。
「ありがとう」
シュヴァンがニコリと微笑んだ、その瞬間。
「メロい……!」
クラリスは小さく悲鳴を上げてうずくまる。
ミュラーはクラリスを横目に、深いため息をついた。
「……で? どうなさったんです。こんな……小汚い診療所に」
ミュラーが顔をしかめて問いかけると、
シュヴァンは穏やかに微笑んだまま、両手を机の上で組んだ。
「頼みたいことがあって来たんだ。――僕の妹のことさ」
ルスカがハッと顔を上げる。
「兄上……よろしいのですか? 医官たちが、黙っていないのでは」
「ふふ。結果を出せない人たちに、口を出す資格はないんだよ」
笑顔はそのまま。けれど、その目は、どこまでも冷たい。
ルスカは言葉を失ったまま沈黙する。
クラリスはその横で、うっすら頬を赤く染めていた。
「僕の妹、フィーリアが、二、三ヶ月ほど前から病に伏している。――君たちに、診てほしい」
「なんで俺たちに?しがない診療所ですよ」
ミュラーが戸惑いを隠さずに返すと、
「ルスカが信用しているからだよ」
さらりと言ったその言葉に、ルスカが微かに肩を揺らす。
「ルスカはね、実力のない人にはなびかない。猫みたいなんだよ。かわいいでしょ?」
(猫……?かわいい……?)
クラリス以外の男たちは顔を見合わせたあと、(いや野郎やぞ……)という無言のツッコミを飲み込み、目を逸らした。
クラリスだけが「今わたしと目が合った!」と信じ、顔を輝かせた。
それを「満場一致の同意」と受け取ったのか、シュヴァンは満足そうに頷く。
「じゃあ、早速明日からよろしくね。僕の名前を出せば、フィーリアの部屋に通れるようにしておくから」
立ち上がると、後ろの騎士たちに目配せする。
そして。
「じゃあね。かわいい医者見習いさん」
ぽんぽん、とクラリスの頭を軽く撫でて、背を向けた。
「…………!!」
クラリスの頬は、熱で爆発寸前。
(な、なにか言わなきゃ……!!)
ぐぐぐっと口を動かし――叫ぶ。
「わたし……納税がんばりますから!!」
ぴたり、と足が止まり、マントが揺れた。
シュヴァンはゆっくりと振り返り、目を細めて笑った。
「ありがとう。でも……今がんばってほしいのは、そっちじゃないかな」
そのまま、今度こそ本当に、扉の外へと去っていった。
診療所の中に、静寂だけが残る。
「……おい、大丈夫かクラ」
「わたし……いま死んでも悔いない……」
クラリスの目には、うっすら涙が浮かんでいた。
その一方で、ヴィルは黙って盆を手に、机の上の紅茶のカップに手を伸ばす。
そっと確認して――ぞわりと背中が震えた。
(……少しも、手をつけてない)
あの優しそうな王子の穏やかな笑みに、奥底で眠る「なにか」を見た気がして――
ヴィルは、盆を持つ手を強く握りしめた。
『白雪姫』――
肌の白いお姫様が、その美しさを妬まれ、毒林檎を食べさせられる。
けれど、真実の愛のキスによって目を覚ます、というあのお話だ。
誰もが一度は耳にしたことがある昔話。
だが今になって、なぜそれが流行っているのか?
理由は、ひとりの少女だった。
「フィーリア様ーーー!」「なんてお美しい……!」
「見て、あの肌……雪みたいに白い……!」
「まさに、白雪姫……!」
そう。
最近、ようやく民の前に姿を現した――パストリア王国の末姫、フィーリアの存在である。
塔の窓辺からひょっこりと顔を覗かせた金髪の少女は、何も知らないような無垢な笑みを浮かべ、優しく手を振っていた。
塔の下では、それを見上げる民が歓声を上げている。
誰かが言った「白雪姫みたいだ」という言葉が、いつの間にか皆の共通認識になっていた。
その群衆から少し離れた場所で。
買い物袋を抱えたクラリスとルスカが、塔と民衆を眺めていた。
「すごい人気じゃない?妹」
「まあな。初お披露目から間がないしな。少し経てば、民の熱も冷めるさ。そういうものだ」
ルスカは面倒そうに言いながら、クラリスの袋を漁り、赤い林檎を取り出すと、かぷりとひと口。
クラリスはその林檎をじっと見つめた。
「ふーん。ルスカのときもそうだったの?」
「俺は、お披露目されてない」
吐き捨てるような声だった。
「え、なんで?」
「“能力が人前に出すほどのものじゃない”って判断されたからだとさ」
「……見る目ないんだね、城のえらい人たちって」
クラリスが肩をすくめて笑うと、林檎を齧るルスカの動きが一瞬だけ止まり、そして――ふ、と小さく笑った。
「……まあ、おかげで今こうして出歩けてるしな。悪いことばかりじゃない」
言いながら、ルスカはちらりと塔を見上げる。
まだ慣れない様子で室内から手を振り続けるフィーリアが、そこにいた。
クラリスもつられて顔を上げる。
目を細め、微かに首をかしげた。
(あの子……)
なぜだろう。
ほんの少しだけ、胸の奥がざわついた。
けれど、それを振り払うようにクラリスはくるりと背を向ける。
「……さ、帰ろっか」
「そうだな。診療所でミュラーがふて寝してるかもしれないしな」
二人はゆるやかな坂を下っていった。
白雪姫は、まだ、塔の窓から笑っていた。
噂が流れ始めたのは、それからすぐのことだった。
――『白雪姫が、倒れた』。
その内容こそ曖昧で、城から正式な発表もなかったが、まるで物語の続きをなぞるような展開に、民は面白半分にざわついた。
噂は瞬く間に広がり、ミュラーの診療所にも届くまで、時間はかからなかった。
「ねぇ、白雪姫の噂って……本当なの?」
ようやく患者が引いた夕暮れ時。
診療所の机に三人で頭を並べていたクラリスが、ぽつりと口を開いた。
「あけすけに聞くな。一応王族の秘密事項なんだぞ。なぜ民に噂が流れたのか不思議なくらいだ」
ルスカは顔をしかめて、手を止める。
「……そうなんだ…でも、大丈夫なんでしょ?
だってフィーリア姫には、国一番のお医者さんたちがついてる……んだよね?」
ヴィルは心配そうに言いながらも、手元のメモを走らせ続けている。
「国一番、ね……」
奥のソファに寝転がっていたミュラーが、鼻で笑うように吐き捨てた。
「……フィーリアの能力は、贔屓目に見ても一級品だからな。父上がなんとかなさるだろう」
ルスカがやや投げやりに言った、その時だった。
診療所の外からなにやら歓声が上がる。
「……なんだろ?」
「さぁな。だがうちには関係……」
トントン。
ミュラーの言葉を遮るようにして、扉が上品な調子で叩かれる。
「はいはい、あいてますよー」
クラリスが何気なく立ち上がり、バン、と勢いよく扉を開けた。
その瞬間――
目に飛び込んできたのは、風になびく真紅のマントに、白いタキシード。
そして。
見上げたその先には、金髪碧眼の美青年が、にこりと柔らかく微笑んでいた。
「……やぁ。また会ったね」
見つめ合うこと、10秒。
クラリスの目がカッと見開かれ、叫ぶ。
「ま、待って!!今じゃない!!!」
バタン。
勢いよく、扉が閉められた。
その内側で、クラリスは――
頬を真っ赤に染めていた。
「どどどどうしよう?急に推しが…!!夕方だから髪もボサボサだし、肌てかってない!?服もこんなヨレヨレだし、隈できてるよ今日!!」
最後には呻き声をあげながら両手で頬を抑えながらうずくまるクラリス。
「大丈夫だ。いつも通りだ」
ルスカはすっと彼女の横を通り過ぎ、淡々と扉を開けた。
「……兄上。どうなさったのですか?こんなところへ」
無表情で迎えるルスカの声に、
診療所の入り口に立つ金髪の青年――シュヴァンは、にこりと優しく微笑んだ。
「散歩さ。……少し、喉が渇いたな」
「ど、ど、どうぞ!!粗茶しかありませんですけれども!!」
うずくまっていたクラリスは急に立ち上がり、両手両足を共に出しながら診療所奥へと歩いていく。
「おまえ……。なるほどな?」
ルスカはクラリスを見て納得したように頷くと、鼻を鳴らし腕を組む。
「ふふ、邪魔するよ」
シュヴァンと二人の騎士が診療所に入ると、パタンとドアは閉じられた。
「どうぞ。お口に合うか、わかりませんが」
机の上に並べられたのは、少し縁の欠けたカップが三つ。
給仕するヴィルの真後ろで、クラリスはガチガチに固まっていた。
「ありがとう」
シュヴァンがニコリと微笑んだ、その瞬間。
「メロい……!」
クラリスは小さく悲鳴を上げてうずくまる。
ミュラーはクラリスを横目に、深いため息をついた。
「……で? どうなさったんです。こんな……小汚い診療所に」
ミュラーが顔をしかめて問いかけると、
シュヴァンは穏やかに微笑んだまま、両手を机の上で組んだ。
「頼みたいことがあって来たんだ。――僕の妹のことさ」
ルスカがハッと顔を上げる。
「兄上……よろしいのですか? 医官たちが、黙っていないのでは」
「ふふ。結果を出せない人たちに、口を出す資格はないんだよ」
笑顔はそのまま。けれど、その目は、どこまでも冷たい。
ルスカは言葉を失ったまま沈黙する。
クラリスはその横で、うっすら頬を赤く染めていた。
「僕の妹、フィーリアが、二、三ヶ月ほど前から病に伏している。――君たちに、診てほしい」
「なんで俺たちに?しがない診療所ですよ」
ミュラーが戸惑いを隠さずに返すと、
「ルスカが信用しているからだよ」
さらりと言ったその言葉に、ルスカが微かに肩を揺らす。
「ルスカはね、実力のない人にはなびかない。猫みたいなんだよ。かわいいでしょ?」
(猫……?かわいい……?)
クラリス以外の男たちは顔を見合わせたあと、(いや野郎やぞ……)という無言のツッコミを飲み込み、目を逸らした。
クラリスだけが「今わたしと目が合った!」と信じ、顔を輝かせた。
それを「満場一致の同意」と受け取ったのか、シュヴァンは満足そうに頷く。
「じゃあ、早速明日からよろしくね。僕の名前を出せば、フィーリアの部屋に通れるようにしておくから」
立ち上がると、後ろの騎士たちに目配せする。
そして。
「じゃあね。かわいい医者見習いさん」
ぽんぽん、とクラリスの頭を軽く撫でて、背を向けた。
「…………!!」
クラリスの頬は、熱で爆発寸前。
(な、なにか言わなきゃ……!!)
ぐぐぐっと口を動かし――叫ぶ。
「わたし……納税がんばりますから!!」
ぴたり、と足が止まり、マントが揺れた。
シュヴァンはゆっくりと振り返り、目を細めて笑った。
「ありがとう。でも……今がんばってほしいのは、そっちじゃないかな」
そのまま、今度こそ本当に、扉の外へと去っていった。
診療所の中に、静寂だけが残る。
「……おい、大丈夫かクラ」
「わたし……いま死んでも悔いない……」
クラリスの目には、うっすら涙が浮かんでいた。
その一方で、ヴィルは黙って盆を手に、机の上の紅茶のカップに手を伸ばす。
そっと確認して――ぞわりと背中が震えた。
(……少しも、手をつけてない)
あの優しそうな王子の穏やかな笑みに、奥底で眠る「なにか」を見た気がして――
ヴィルは、盆を持つ手を強く握りしめた。
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