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第二章
第4話 爆弾うさぎくん
しおりを挟むそれからのクラリスには多忙な日々が訪れていた。
日々の診療に加え、魔石の研究が始まったのだ。
というのも、クラリスはこの世界に来て医療に関わり始めてから、ずっと心細さを感じていた。
ーーこの世界には、抗菌薬がない。
肺炎や尿路感染といったコモンな感染症はもちろん、術後や創傷管理まで、かつての世界の人類の寿命を大きく伸ばした世紀の発明品だ。
(……抗菌薬がいない世界だなんて、親友が突然いなくなった気分だわ……)
勿論、抗菌薬の最たるペニシリンがカビから得られることは、クラリスも知識として知ってはいた。
しかし。
(いやどうやってカビから分離して、どうやって増やすん……?)
何度かカビを生やして試しては、実家の母に
「パン屋の娘がカビを育てるんじゃありません!!」
と拳骨を落とされ、無念の撤退を余儀なくされた黒歴史がある。
そんなクラリスが魔石に出会ったのだ。
「この魔石とわたしの能力があれば……抗菌薬が作れる!」
そう気づいた瞬間、失われた親友が向こうから手を振ってきたような気さえした。
そして始まった、診療所の合間に流れる国歌生活。
「おいクラリス!エッセン(食事)いいぞ!」
「はい!」
パンをかじりながら流れる国歌。
「やっと途切れたね……クラ、お茶でもいれようか」
流れる国歌。
「先生、少し休んだら?肩ガチガチよ?」
国歌。
「この診療所、とんでもない愛国診療所として有名になっちまうんじゃねえか……」
ミュラーが心配するのも無理はないほどだった。
当のクラリス本人はというと。
(この下の模様……これが“魔法陣”。能力そのものを刻んだ、いわば“回路”。つまり魔石は……電池!)
胸の内を熱くしながら、魔石を何度も何度もひっくり返す。
(魔法陣……!!子供の頃憧れた、"月に変わって"だとか、"汝のあるべき姿に戻れ"だとか……!!おしおきする側になるなんて…!!)
あまりにもニヤついた顔に、皆に距離を置かれていた。
ある時。
患者が途切れ、ルスカと向かい合う形で、クラリスは椅子に座っていた。その横、少し離れた位置にヴィルが控えている。
クラリスは魔石を覗いていたかと思えば、ばっと勢いよく顔を上げた。
顔を向けられたルスカは、びくりと肩を揺らす。
「ねえルスカ。魔石のこと、知ってるんでしょ?」
「あ、ああ……一応はな」
「私の魔法の魔法陣もつくれるんだよね?魔法陣の対象は指定できるの?そもそもこの石は電池……活動源みたいなものなの?何回使えるの?大きさによって回数が変わるの?だからこの石は高いの?」
ぐいぐいと机の上で身体を前のめりにしながら、向いに座るルスカに鼻息荒く問うクラリス。
ルスカは少し瞳を揺らしつつ、小さく口を開く。
「魔法陣は……つくれるが、対象が指定できるかはわからん。魔法陣を作ることができる人間は、少し癖がある。魔石は……」
ごく、と喉を鳴らし、そっと目を逸らす。
クラリスの輝く瞳が、鼻先が、触れそうな距離まで迫っていた。
「わっ!?」
ぐい、と優しく、しかし確かな力で肩をひかれたクラリスは声を上げた。
「クラ……何してるの……」
ため息まじりの声で、ヴィルが彼女を椅子に押し戻していた。
「あはは、ごめん。興奮しすぎちゃった」
照れくさそうに笑うクラリス。
その肩にはまだヴィルの手が添えられている。
ルスカは、その手元をじっと見つめていた。
「で——魔石の秘密、教えて?」
声を潜め、悪戯っぽく笑みを浮かべながら身を寄せてくるクラリスに、ルスカは深く、重くため息をついた。
それから何日も、クラリスは診療の合間という合間をすべて、魔石の研究に費やした。
けれど——最初に聳え立つ壁は、どうしても高かった。
その壁が、魔法陣だった。
(丸、三角、四角の組み合わせの法則性がわかんない……)
手元の魔石に刻まれた模様を一つ一つ紙に書き写し、角度、形、線の太さまで何度も見比べる。
しかし、いくら並べても規則性が浮かび上がらない。
(当たり前だよね……サンプル数が少なすぎる……)
もどかしさがじわりと胸の底に溜まっていく。
魔法陣化できる能力者について、クラリスは何度もルスカに尋ねた。
けれど彼が返すのは、いつも同じ言葉だった。
「あちらは俺に権限がない。……魔石の方は、第一人者を一応知ってるが……期待はするな」
何とも煮え切らない返答だった。
仕方がないので、クラリスは見よう見まねで魔法陣のようなものを紙の上に描いてはみた。
しかし——
……うんとも、すんとも、言わない。
(やっぱり……甘くないわよね……)
寝ても醒めても魔法陣の形が脳裏から離れず、ついには夢にまで出てきた。
そして——気づいてしまう。
(……わたし一人じゃ、魔法陣の壁は越えられない。
……“魔法陣化できる人”がいないと……!!)
その思いは、胸の内で小さく、しかし確かな音を立てた。
それから数日経った、晴れた日。
ようやくオフを貰えたクラリスは、ルスカから貰った許可証を手にウキウキと城に向かっていた。
「魔石管理課……ここね」
五年前初めて来た時、やけに大きく重厚感のあるように見えたこの城の扉も、背が伸び城中に馴染みの顔も増えてきた今、可愛くさえうつった。
トントン。
軽やかにノックすると、中から入室を促す返事が一つ。
「失礼しまーす!」
扉を開けると、大きな、だけど先が尖った三角帽子を被ったおじいさんが正面の机に微笑んでいた。
「あぁ……あなたですかな……ルスカ王子殿下のご紹介の……お待ちしておりましたぞ」
ゆったりと立ち上がったおじいさんは、丁寧に両手を差し出してくる。
「初めまして。医師のクラリスと申します。貴重なお時間をいただき、感謝します」
「おやおやまあまあ……ご丁寧に。おかけなさい。お茶もどうぞ」
クラリスが礼を言いながら腰掛けると、周囲の若い職員たちからくすくす笑う声がする。
(なに……?なんか変……?)
不思議に思いながらも、クラリスはカップを手に取る。
「では、魔石の話でしたね。なにから始めましょうかね……まず、魔石を発見したあの日。あの日は、朝から清々しいまでの天気の良さでしてな……」
クラリスの手が、ぴたりと止まる。
(あっ!これ知ってる……!)
脳裏にかつての救急外来の、懐かしい光景が蘇る。
とあるおじいさんの緊急手術が決まり、麻酔の関係で“最終食事の時間”を聞いた時。
「あー、今日は朝、なんだか胃の調子がいまいちでしてね、おばあさんが『お粥はどうかね』っていうんですよ……それで、梅干しをのせて、あぁ、梅干しは隣のおばあさんが春に……」
(可愛いよ?可愛いけど……今日の麻酔の先生怖くてさ、怒られちゃうし急いでてさ……!!"食べた時間"だけでいいの…!!)
なんとか方向を修正しようとしても、すぐにまた変わってしまう話。
聞き出すのは、それは大変だった。
奇しくも今目の前のおじいさんは、"魔石を発見した日の朝ごはん"について話している。
(これは……今日一日じゃダメかもしれない……!)
そう悟ったクラリスは、覚悟を決めて——
ぐい、とカップをあおった。
夕焼け空に、カラスが二羽、のんびりと飛んでいく。
(だめでしたね……)
魔石のことを聞きたくて、粘りに粘って、一体何杯の紅茶を飲んだのだろうか。
(おじいさんが、おばあさんのことを大好きだということだけは、よ~~~くわかりました……)
クラリスはたぽんたぽんと鳴るお腹を撫でながら、帰路についていた。
(魔法陣もわからない。魔石のおじいさんからは話が聞けなかった。……抗菌薬への道のりは、遠いままだな……)
馴染みの診療所もすっかり夕焼けに染まっていた。
ため息をつきながらドアノブに手をかける。
中は静かで、患者はいないようだった。
「ただいまーー……」
ガチャリと扉を開いた、その時だった。
背後から馬の蹄の音。
車輪が石畳を弾く軽やかな響き。
馬車が診療所の前でぴたりと止まる。
「……ん?」
クラリスが振り返ると、御者が急ぎ足で馬車の扉を開け、膝をついた。
そこから降りてきたのは、白いコートに杖を持った、小柄な――まるで絵本から抜け出したような大きな瞳の可愛らしい少年。
ぱちぱちと好奇心いっぱいに瞬きをしながら、
“ミュラー診療所”の看板に目を留める。
次の瞬間、少年の瞳がキラキラと輝いた。
(……医者志望の貴族の子かな?)
すっかり有名になったこの診療所には、かつてのクラリスたちのように、見学の子供が増えた。
クラリスの口元が自然と緩む。
「よかったら——」
そう声をかけようと、クラリスが一歩踏み出した、その時。
少年の口がぱあっと開いた。
「わあーーっ!!僕の家のうさぎ小屋みたいで可愛いっ!庶民はこんなところで診察されるの?」
「あ?」
クラリスの脳裏に、ゴングの鐘の音が鳴った。
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(追記2018.07.24)
お気に入りが最高634まできましたが、600超えた今も嬉しく思います。
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