元救急医クラリスの異世界診療録 ―今度こそ、自分本位に生き抜きます―

やまだ

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第二章

第14話 始まりの夜

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翌朝、まだ日も昇りきらない早朝。

診療所に姿を見せたアニに、クラリスは迷いなく手を差し出した。

「今日からよろしくね、アニ!」

アニはその手をしばらく見つめていたが、やがて小さく息を吐き、そっと握り返した。




診療所の休憩室、その片隅の椅子に、アニはちょこんと腰を下ろす。

約束していたのは夜からだったはずで、こんな時間に姿を見せた彼に、クラリスもヴィルも思わず目を丸くした。

「でも……本当によかったの? アニ。せっかく早く来てもらったけど、わたしたち、仕事しないといけないから」

ハンナと並んで床を掃除しながら、クラリスが声をかける。

(本当は、すぐにでも魔法陣の研究に取りかかりたかった。けれど――)

ちらりと視線を向けると、ミュラーが眉間に皺を寄せ、カルテの整理をしていた。

『お前たちがいないせいでな、俺とハンナは地獄を見たんだぞ。今日は逃がさん』

圧を全身で放ちながら、ミュラーは先ほどまで、クラリスとヴィルの手首をがっちり掴んでいたのだ。

二人にできたのは、黙って頷くことだけだった。

なお、ルスカは溜まった公務を片付けるため、今日は診療所には来ていない。



「いいよ。本も持ってきたし」

アニは膝の上に置いた本を軽く叩く。

「それに……どんなふうに力を使ってるのか、ちゃんと見ておきたいしね」

「そんなふうに真剣に取り組んでくれるなんて、嬉しいよ、アニ~!」

思わず声を弾ませたクラリスは、ぽん、と彼の肩に手を伸ばした。

だが。

「や、やめてよ!」

ぱしっと、その手を払われる。

「子供扱いしないで」

ぶっきらぼうな言い方だったが、どこか照れたようにも聞こえた。

クラリスとヴィルは顔を見合わせ、思わずくすりと笑う。

アニは少しだけ居心地が悪そうに視線を逸らしたまま、本のページをめくった。







「つ、疲れた……」

その日の診療は、荒れに荒れていた。

通常の通院患者に加え、どこから嗅ぎつけたのか……
“戻ってきたらしい”という噂を聞きつけた人々が、クラリスの脱毛や黒子取りを目当てに押し寄せてきたのだ。

とどめに、近隣で起きた外傷事故の患者まで運び込まれる。

(時間が欲しい時に限って、混んでしまうのが外来なのよね……)

昼食を取ることもできず、ようやく診療時間を終えたのだった。

同じく"透視"の力を多用し消耗したヴィルもソファにどさりと身を沈めている。
その隣に、クラリスも力尽きるように倒れ込んだ。

「……死にそうじゃん。いつも、こんななの?」

どうやらずっと待ってくれていたらしいアニが、ぱたんと本を閉じ、片肘をつく。

「まあね……でも今日は、激しめかな。脱毛とか、断らなきゃいけない人もいたし」

机の上に置いてあるパンに手を伸ばした。
長時間置かれていたそれはすっかりパサパサで、口の中の水分を容赦なく奪っていく。

「でも、この研究がうまくいけばこんな苦労ともおさらばなんだから……」

パンをごくんと飲み込むと、クラリスは勢いよく立ち上がり、アニの前に立った。

「よし!アニ、よろしくお願いします!」

その目には、疲労の奥でなお消えていない、確かな火が宿っていた。






「じゃあ、いくよ」

アニはどこにしまっていたのか、杖を出す。
ヴィルとミュラーは遠巻きに見守っていた。

「いいなあそれ。かっこいい」

「うるさいな。これがある方がやりやすいだけだから」

アニはクラリスに向けて杖を構えると、すいすいと杖で空中に何かを描くように動かしていく。

「わっ……」

クラリスの足元に、淡い光が溢れ出す。
丸い輪郭が浮かび、その内側に次々と形が刻まれていく。

線、四角、三角。
重なり合い、組み合わさり、ひとつの円を形作っていく。

「おぉ……」

ヴィルとミュラーの感嘆の声が上がり、やがて光は静かに収束した。

「か……かっこいい……!!魔法使いじゃん……!!」

クラリスが目を輝かせながら近づくと、アニは恥ずかしそうにぷいと横を向いた。
そして机にあったペンをとると、さらさらと描いていく。

「お、覚えてるの!?」
「当たり前でしょ」

三人は思わず目を見合わせる。

そこに描かれていたのは、容易に再現できるような代物ではなかったのだ。

「はいこれ。このまま魔力をこめても使える。魔石はただの蓄積装置だからね」

「やってみる!!」

クラリスが目を輝かせ、魔法陣の上にペンを置いた。
そして、いつもの魔法と同じように魔力を込めた、その瞬間。

――ふっ。

ペンだけではなく、魔法陣を置いていた机も消えた。

「俺の机!!今金ないのに!!」

ミュラーは頭を抱えてうずくまり、ヴィルは反射的にクラリスの手首を掴んだ。

「……っ、クラ、危ない!」

クラリスは自分の指先を見下ろす。
魔法陣に近い指先では、一瞬空気が揺れたように見えた。

「……今、一瞬……」

「触れてたら、消えてたね」

アニの低い声に、室内が静まり返る。

「……魔法陣に触れたものが消える。
これは……危険すぎる」

「そう、だね……。特定のものだけ消せるように、しないと……」

アニは小さく頷く。

「ベースは崩さず足す形にはなると思う。文字なのか、形なのか……前例がないか父上にも聞いて文献も漁ってみる」

「助かるよ!ありがとう」

クラリスが礼をした、その時。

バァン!!

扉が開かれる音に皆の肩が揺れる。
カツカツと勇ましげな足音が休憩室に近づいてきた。

「なに…?患者さんかな……?」

ヴィルが小さく口を開いたが、そこに現れたのは……

「ルスカ!?」

息を荒くし、眉を寄せたルスカだった。
その腕には、大きな荷物。

「どうしたの? 今日は公務じゃ……?」

クラリスの言葉を遮るように、
ルスカは荷物をどさりと床に置き、息を吐く。

そして、顔を上げた。

「城を出た。俺は戻らん!」

簡潔な宣言。

「え……ええっ……!?」

皆の驚愕の声が、診療所に響いた。
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