港西高校山岳部物語

小里 雪

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第1章 四月、横浜市の西のはずれ、丹沢の見える街で物語は始まる。

6. 母の来校。あと、まだ桜が咲いていない頃の話。

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「分かりました。お任せします。息子をよろしくお願いします。」

と、ぼくの隣で母は頭を下げた。

「この子の祖父は、山で何度も大怪我をしています。それを知っている私の夫は、山には登ろうとしませんでしたが、この子から初めて高校では山岳部に入りたいという話を聞いた夜、『あの子には山に登る自由がある。自由は、何かを求める気持ちがないと、持っていても仕方ないものだ。ぼくには山に行く自由はなかった。たぶんぼく自身に勇気がなかったせいで。ぼくたちの役割は彼の自由を保障することだし、そういう自由な精神をぼくたちの子どもが持てるようになったことを、誇りに思ってもいいと思う。』と言いました。」

「立派なお父様だと思います。つるぎくんが自分の名前の由来になった山に登りたい、その名前を付けてくれた意味を知りたいと願う気持ちは、とても大切なものだと思います。私たちにその手伝いができれば幸いです。」

「でも先生、これも知っておいてください。それから剱も。私はまだ、自分の息子が山岳部に入ることに諸手を挙げて賛成ではありません。」

 ちょっと待って、お母さん。今、初めて聞いた。

「もっと危険が少なく、もっと達成感がある何かを、この子は知らないだけかもしれません。もう少し、いろいろなことを学んでから選んで欲しいという気持ちは消せません。でも同時に、高校時代に得られるものは、ほかのどの時期に得たものでも代わりになれないということも知っています。迷いましたが、私はこの子の気持ちを尊重したいと思います。この子の自由を守りたいと思います。『絶対』がないということは分かっています。治る怪我ならいくらしてもらっても構いません。でも、取り返しのつかないことが起こらないために、できることはすべてやってください。」

「分かりました。お言葉は胸に刻みます。そうそう、港西こうせい山岳部のモットーは」

 ぼくと母は同時に久住くじゅう先生を見上げる。

「『撤退する勇気』です。」



「誠実そうな先生で安心した。」

 帰り道、夜道を歩きながら母はそう言った。

「ごめん、私が反対なこと、ちゃんと言っておけばよかったね。」

「うん。言って欲しかった。おばあちゃんが反対なのは知ってたけど、お母さんは賛成してくれてるんだと思ってた。」

「うん。ごめん。でも大丈夫、今は応援してる。」

「そういうことじゃない。反対されるなら反対される理由がある。お母さんは理由もなくぼくのやりたいことを否定する人じゃない。ぼくは反対される理由を知って、その上で選びたかった。」

「そうだったんだね。」

 母が優しい目でぼくを見る。

「お父さんが言ってたことが分かったよ。つるぎにはちゃんと、山に登る自由があるんだね。剱の自由はそういう自由なんだね。」

「今日、実は落ち込んでたんだ。食事の準備の手際では同級生に全然かなわないし、ランニング六kmでヘバって歩いちゃったし。ぼくは山に登りたいって、剱岳に登りたいってずっと言ってきて、そのために何が必要なのか、調べればすぐに分かったはずなのに、今日は何もできなかった。」

 暖かで、穏やかな夜だった。家々から漏れ出してくる、『家族』の光や、音や、匂いが心地よかった。

「でも、ぼくも分かった。今日は何もできなかったけど、やっぱり山に行きたいと思った。何もできなかったことが分かったから、これから何をするべきか分かった。さっきのお母さんの話で、それはぼくに山に登る自由があるからだってことと、りょう先輩やまっきーはずっと前からそれを手にしていたんだってことが分かった。」

「よかったね、剱。港西に入って。山岳部に入って。本当によかった。」

 夜がぼくと母の間に流れる。そしてぼくは、港西に合格した日のことを思い出す。



 合格発表の日、夕食を済ませたあと、祖母は茶封筒を取り出してこう言った。

「この中に二十万円入っています。山に必要なお金はこの中から使いなさい。足りなくなったら、自分の力で何とかしなさい。それ以外は、普通の子どもがもらう、普通の額のお小遣いをお父さんお母さんからもらって、それで何とかすること。それから、」

 今まで祖母は、ぼくが両親に山岳部に入りたいから港西に行きたいという話をしても、全く興味があるそぶりを見せなかったから、道具代を祖母からもらえるなんて想像もしていなかった。

 大きな、古びた段ボールを抱えた父が二階から降りてくる。

「この箱の中にはおじいさんが使っていた山の道具があります。四十年以上も前のものばかりだけれど、使えるものがあったら使ってやっておくれ。」

 祖父の山道具が残されていたことを、ぼくはそのとき初めて知った。祖父が生きていたときにも、その道具を見たことはなかった。

「あと、これも言っておかなきゃいけない。私はずっと、つるちゃんに、山なんて登って欲しくないと思ってた。」

 静かに祖母はそう言った。

「あなたのお父さんがまだことばも話せない頃、おじいさんは山で何度も怪我をして、入院を繰り返したことがあったことは知っているわね。そのせいで勤めていた工場も辞めて、大変な状況になってしまった。おばあちゃんの実家の援助と、おばあちゃん自身がお父さんを預けて働きに出ることで、なんとかその場を乗り切ることはできたんだけどね。おじいさん自身は技術がある人だったから、体が治ったあとも何とかまた別の工場で雇ってもらえたんだけど、それ以来山には一切登らなくなった。」

 四十年以上、祖父は山に登らず、そしてそのまま亡くなった。そのせいで父は全く山に触れずに育った。その理由を、初めて祖母から聞く。

「違うわね。私と私の実家が、あの人が山に登ることを許さなかった。私には見えない景色のために、私には分からない達成感のために、なぜ私が苦労しなければならないのか分からなかった。おじいさんの両親は戦後の混乱の中で早く亡くなってしまっていて、援助できるのは私の実家だけだったから、おじいさんは山登りをあきらめるしかなかったの。」

 段ボールの中に、白黒の写真があった。雪の上なのに、半袖の青年が二人。二人ともピッケルを持ち、日焼けした顔で、大きな口を開けて笑っている。左に立っているのが亡くなった祖父の若い頃であることは、見ればすぐに分かる。そして、その後ろに聳える堂々とした山塊、左右に屹立する峻険な岩峰。

「それが剱岳。おじいさんは本当は、どうしてもまたそこに行きたかったみたいだけど、私にもあなたのお父さんにも、一度もそんなことは言わなかった。ただ、あなたの名前を付けるとき、どうしても剱の名前を付けたいって、それだけは譲らなかった。そして、結局それ以来一度も山に行かず、山とは全然関係ない病気にかかってあっけなく死んでしまった。」

 写真をぼくに手渡して、祖母は続けた。

「あの人は四十年以上、おばあちゃんにもお父さんにも話さなかった山の話を、あなたには話した。その話があなたの山に登りたい気持ちに火をつけた。たぶん、おじいさんと同じものがつるちゃんの中にもあることに気付いたのかもしれない。もしかしたらあなたのお父さんの中にもあったのかもしれない。そうだとしたら、私はそれを潰してしまった。」

 父は何も言わずに、黙って微笑んでいた。



 あの時の祖母の話と、そのそばにいた父の様子。母が先生に話していた、父の『ぼくには山に行く自由はなかった。たぶんぼく自身に勇気がなかったせいで。』ということば。間違いなく、父も行ってみたいと思っていたのだ。そして、祖母もそのことに気付いていたのだろう。

 家に帰ると祖母も父もいて、四人で夕食を囲んだ。そこでぼくは、稜先輩とまっきーと久住先生の話をした。ぼくといっしょにこれから山に登る人たちが、こんなに素晴らしい人たちなんだって、分かってほしかったから。
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