港西高校山岳部物語

小里 雪

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第2章 一本取ったり、武器を忘れたり、キジを撃ったり、デポされかけたり。

6. ウッドのピッケルがつなぐもの。

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 木曜の休日をはさんで、金曜の練習は、階段歩荷をなしにして三人でランニングをすることになった。ぼくが途中でへばることももうないだろうということで、今日からは川沿いのサイクリングロードを走る。コースこそ変わるが、いつものように、ゆっくり、おしゃべりができるペースだった。

「テントって、男女で分けるんじゃないんですね。」

 走りながらぼくはボソリと言った。

「そうだね、二張りにするときは食当しょくとうのテントを分ける。一時間早く起きなきゃいけないからね。まっきーが来るまで女は私だけだったから、気にしたことなかったけど。」

 りょう先輩が答え、何かに気付いたようにニヤリと笑ってぼくの方を振り向く。

「つるちゃん、なんか変なこと考えてる?」

「い、いや、別に、そんなことないですよ。ちょっとだけ恥ずかしいけど……」

 ぼくは照れた顔を見られたくなくて、少しペースを上げて前に出る。

「全然気にしなくていいのに。山だとそういうこと考えなくなっちゃうから大丈夫だよ。私は全然気にならないしね。旭さんなんて一緒のテントでブーブーおならしてたよ。」

「わたしもぜんぜんへいきー。っていうか、前にりょう先輩とテントに泊まったとき、先輩もおならしてましたよね。」

 ぼくが気にしすぎてるだけなんだろうか。

「山だとなぜか出るんだよね。でも、旭さんはひどい。私の目の前歩きながらでも普通にするから。」

 女子二人のおならトークを後ろに聞きながら、川沿いの新緑を眺める。今日は気温が上がり、半袖にハーフパンツでも暑いくらいだ。こんな季節になったというのに、まだ山には雪が大量に残っているということが、ちょっと不思議な気がした。



 今までより距離を伸ばし、十二km走って部室に戻ってきた。今日は階段歩荷用に学校に置いてあった登山靴を家に持って帰るつもりなので、その前にアイゼンを選び、部室の外で実際に着けてみた。アイゼンの着脱は、手袋をつけたままで行う。ストラップを留め具に通すのに苦労する。

 なんとか装着し終わって歩き始めると、アイゼンの爪がグラウンドに刺さる感覚が新鮮で気持ちよかったが、ただでさえ重い登山靴がさらに重くなった。

「アイゼンの爪を引っかけて転ばないように気を付けて。ガニ股で、いつもより高く足を上げる。そこの石の上にもそのまま乗ってみて。岩の上にアイゼンで乗ることも多いからね。」

 稜先輩の指示に従い、一抱えほどもある大きな石の上に乗ってみる。アイゼンが足の下で鋭い音を立てる。音も、感触も、あまり心地よいものではない。あらぬ方向に足が曲がり、転びそうになる。

「そうやってバランスを崩したときに反射的に足を出して、そのときに爪を引っかけて転ぶことが多いので、危なそうなところに足を置くときは体重をいきなりかけないこと。」

 今度は逆の足で、注意深く足を置く場所を選んでゆっくり体重をかける。きちんと爪がかかれば、岩の上でも立っていられそうだった。

 十分ほどアイゼンをつけて歩いているうちに、なんとか感覚にも慣れてきた。隣で同じように練習しているまっきーも、スムーズに歩けるようになっている。

「あとは、雪や氷の上じゃないと分からないことも多いから、山に行ったときに慣れるしかないね。氷の上だとアイゼン着けてても滑ることもあるしね。」

 アイゼンを取り外し、水道で洗って土を落とし、部室に並べて乾かしておく。明日持って帰るのを忘れないようにしないと。



 翌土曜日の午後に、再び学校に集合する。まずは駅前のスーパーで食料の買い出しをしてから、部室に戻って調理の下準備をする。と言っても、豚肉を味噌に漬け込み、炊き込みご飯の調味液を計ってボトルに詰めれば終わりだった。それから、食料の重さを計って、団装だんそうとともに分配する。

「歩く時間が短いから、そんなに神経質に重さを揃えなくていいからね。」

と、先輩は言ってくれたが、なんだか気になって、なるべく均等になるように分配した。ぼくは二天のセットと3番鍋、それから食料類と小物のいくつかを担当することになり、団装の重量は六kgほどだった。

 担当する団装と、部室から借りるアイゼン、シュラフ、スパッツ、オーバーグローブ、個人用マット、コッフェルなどを、これまた部室から借りる大きなザックの中に詰め込む。ピッケルはザックにホルダーがあるので、それに付けようとしたが、

「ピッケルは、街中や電車の中では必ず手に持つように。プロテクターが付いてても、ザックに付けっぱなしだと危ないからね。」

 と、久住くじゅう先生から注意を受ける。

「さあ、それじゃあ最終のミーティングをします。明日の集合時間などは、一昨日言った通りなので省略。気になるのは天気です。明日は晴れると思うけど、明後日の午後くらいから雨か雪が降るかもしれません。大降りになることはなさそうなので、中止することはないと思うけど、もしかしたら金峰きんぷは上まで行けないかもしれません。まあ、山にはそういうのはつきものだから。」

「最終的な進退は、俺と両神りょうかみが話し合って決めるので、それに従ってくれ。撤退の可能性があるのは、吹雪になって視界が悪くなったときと、雨が強くて雪の状態が悪くなったときだけど、今のところはそこまで悪くならないと思ってる。」

と、先生が補足説明した。

「さあ、次は食料係から何かありますか?」

「だいたいはこの間言いましたが、野生動物がいるみたいなので、夜にテントの外に食料を出しておかないようにしてください。朝食用のご飯の吸水も、夜のうちからしないでください。そのくらいですね。」

「つるちゃん、任せたよ。事前の吸水なしで炊き込みご飯なんて私には無理だからね。」

 稜先輩が笑ってぼくを見る。

「さあ、それじゃあ装備係から。」

 あっ、そうか。ぼくも言うのか。

「えーと、天気が悪くてテント内で調理をするときは、分離型ストーブの下に必ず遮熱板を敷いてください。スマホについては、一日目はぼくと稜先輩、二日目は旭先輩とまっきーだけがオンにします。四テンのフライのジッパーがほころんできているので、出入りのときにはその部分に力がかからないように手で押さえて開け閉めしてください。それから、山行翌日の装備返却の日にシュラフの洗濯をするので、一緒に洗うものがある人は持ってきてください。以上です。」

「おー、すごい。私が教えた以上のことを身に着けてる! ちゃんと装備係してるね。」

「部誌を読んでいるうちに、なんとなく装備係の仕事が分かってきました。最近は『独標どっぴょう』ばかり読んでます。」

「おれも四年のときから装備係やらされたけど、やっぱり独標がいちばん頼りになったなあ。おれの記事とかも読んだ?」

「はい。旭先輩の記録も参考になりました。テントのメンテナンスが大切なことを先輩が書いておいてくれたおかげで、今回のジッパーのことも気付けた気がします。」

「そうだろうそうだろう。装備の中で、テントが一番手がかかるからな。おれが手塩にかけてきたテントをこれからもきちんと扱ってやってくれよ。」

「アイゼンで踏んづけといてなにを言うか。」

 稜先輩の間髪を入れぬツッコミ。

「それじゃあいつものことだけど、今日中にパッキングは済ますこと。忘れ物をしないように。それから、明日も早いので早く寝ること。じゃあ、解散。」

 先生の一言で、解散になった。前回の新歓のときにもそうだったが、山行前のミーティングが終わると、高揚感と不安の入り混じった感覚が押し寄せる。

 装備の入った大きなザックを肩に、プロテクターを付けたピッケルを片手に、夕暮れの道を駅まで歩く。同じような格好をした稜先輩とまっきーも一緒だ。旭先輩は使っている駅が違うので、校門で別れた。。

「こないだの新歓もすっごく楽しかったけど、今度も楽しくなりそう。」

「それは旭さんがいるから?」

 先輩がちょっと意地悪な質問をする。まっきーはちょっと照れた顔をして答える。

「それは否定しませんけど、やっぱり長い間山の中にいられるのは、それだけで嬉しいです。そういう時間をみんなと共有できることが、すごく楽しみです。」

「それ、ぼくもちょっと分かる気がする。一昨日アイゼンの練習をしてて、ぼくはこれから、この道具を使わないと行けないような場所に行くっていうことに、なんだか興奮した。そういうところに行って、見たものや聞いたものを共有できるって、やっぱり嬉しいよね。」

「誰かのおならの匂いとかも共有できるかも。」

 先輩がくすくす笑う。先輩はなぜおならにそんなに執着するのですか。

「雪が結構ありそうだから、ちょっと大変かもしれないけど、楽しいことはいっぱいあると思うよ。まっきーもつるちゃんも、体力がかなりついてきてるから、前よりももっと楽しめるはず。」

 駅に着くと、ピッケルにでかいザックというぼくたちの格好はは視線を集めているようだった。今までにも山登りに出かける人を見たことはあるが、自分がいざそうなってみるとなんだか落ち着かない。横にいる先輩は、『山に登るんだから仕方ないじゃん』とでも言いそうな、堂々とした振る舞いをしている。

 定期券がザックの変な場所に入ってしまっていたので、ザックを下ろしてちょっとまごまごした。立てかけておいたピッケルが倒れてしまって、通りがかった、初老のスーツを着た男性が拾って手渡してくれる。年に似合わずと言ったら失礼になるが、同年代の人に比べるとずっと精悍な印象の人だった。

「これ、すごいピッケルだね。ウッドのシャルレだ。昔の高級品だよ。懐かしいなあ。きみたちは高校生くらいかな?どこに行くの?」

「明日から奥秩父の瑞牆と金峰に行きます。」

「いいなあ。奥秩父。私も実は明日から北アに行くんだ。涸沢からさわのカールがものすごくきれいでね。天気がいい日に奥穂おくほ北穂きたほに上がると、それはもうこの世のものとは思えないくらいの景色が見える。いつか、そういう場所にも行けるようになるといいね。」

「はい。ありがとうございます。まだ初心者ですが、頑張ります。」

「うん。またいつか、山で会えるといいね。」

 稜先輩とまっきーも揃って、三人でお辞儀をする。男性は、会釈をして去って行った。

「街を歩いている人の中にも、山に登る人って、結構いるんですね。」

「わたしも電車の中とかで何回か話しかけられたことあるよ。おばさんに『山で食べて』ってお菓子もらったこともあるし。」

 まっきーにそうしたくなる気持ちは分からないでもない。

 そんな駅でのやり取りで、少し緊張や心配がほぐれたようだった。二人と別れて家に向かい、いつも通り夕食を三杯お代わりする。ザックをパッキングし、風呂も済ませ、早めに布団に入った。



 翌朝、休みの日なのに母は早起きして朝食を作ってくれた。出かけるときには祖母も起き出して、一緒に玄関まで見送ってくれた。膝に乗せたザックを背中にゆすり上げて、「気を付けてね。」ということばに手を振って応える。明日、ここに帰ってくるぼくにはどんな変化が起こっているだろう。
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