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一日目
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高校に入ったわたしが山岳部に入りたいと言ったとき、心配した父と母はだいぶ長い間話し合ったのだそうだ。わたしには知られないように、わたしのいないとき、わたしが寝静まった後で。そのことをわたしが知ったのはつい最近のことだ。あのときから、もうずいぶん時間が経ってしまった。
知っての通りわたしはかなり飽きっぽい性格で、大学時代の後半になって興味が自転車に移ると、すぐさまのめりこみ、だんだんと登山からは遠ざかって行った。まったく登らなかったわけではないが、昔の仲間やわたしが山に登っていたことを知った同僚に誘われて、日帰りで登る程度の山登りしかしなくなった。
もしかしたら両親はそのことで少し安心していたのかもしれない。
正直に言えば、「なぜ登らなかったのか」という問いに、わたしはうまく答えることができない。もちろん自転車に乗ることが楽しかったこともあるが、山に登る時間がないわけではなかったし、自転車に乗ったりランニングをしたりで、かなり厳しい登山をするのに十分な体力を維持しているという自信もあった。でも、わたしは山に行こうとしなかった。
わたしは山に行けた。いつだって。でも、わたしは山に行くことを選ばなかった。わたしはいつでも自由でありたいと思っているはずなのに。きっと、本当は、わたしの精神は「山に行くこと」を選べないくらいに不自由な代物なのだろう。
「南アルプス深南部」と呼ばれる山々がある。南アルプスの最南端はふつう光岳だと思われているが、実はその南にも二千m台前半の山々が連なっていて、深南部というのはその山域を差す。深南部の山々は、登り口まで長い距離を歩かなければならなかったり、山小屋が全くなかったり、道標が整備されていなかったりなどの理由で、光岳以北に比べて登山者は著しく少ない。
ある日わたしは、まったく偶然に、この南ア深南部、人里から遠く離れたその山域の、笹に覆われた明るい稜線や、崩壊した山肌の写真を見かけた。そしてそのとき単純にわたしは「ここに行きたい」と思った。わたしの中に自由が戻ってきた瞬間だったのかもしれない。実はそのときまで、わたしには山に登るための時間も体力も道具もあるのに、山に行かないことを選択し続けているということに自分でも気づいていなかったのだ。
わたしは、わたしが自由を失ってしまっているということに、目さえ向けることができなくなるくらい、自由から遠いところにいたのだ。
そうだ。今にして思えば、それまでのわたしもまったく自由などではなかった。高校山岳部のときも、部として決めた山行に従うだけで、「この山に行きたい」と自分から強く願ってそこに行くことはなかったように思う。大学に入ってからも、誰かが行く山に一緒に行くばかりで、行けば楽しくてまた行きたいと思うのに、自ら望んでこの山に行きたいと思った記憶がほとんどない。
それから深南部の山行の計画がまとまるまではあっという間だった。わたしはもう就職していて、自分の車も持っていたから、列車を手配したり時刻を調べたりする必要もなかった。それが今年の五月のことだ。
揃えなければならない道具は一人用のテントくらいだろうと思っていたが、高校時代に使っていた、テント泊の山行の装備を収める大きなザックはしょうが抜けてしまっていてとても山行に耐えられないし、ストーブもノズルが錆で詰まっていたので、結局十万円以上かけて新しい道具をいくつも買うことになった。
そして、自転車とは全く違う筋肉の使われ方に脚が悲鳴を上げ、稜線での水の確保に失敗し、二泊の予定が一泊で帰ってきてしまったその山行で、わたしはびょうびょうと風が吹き荒ぶ稜線の笹の海の上で手を広げながら、わたしの中にまだ残っていた自由のことについて考えていた。
わたしが今まで登った山で、いちばん心に残った山はどこかと問われれば、高校ニ年生の山岳部の夏合宿で登った南アルプス南部、茶臼岳から荒川岳だと即答する。深南部から帰ってきたわたしが次に行きたいと思ったのはそこだった。計画では光岳まで行くことになっていたが、事情で本来なら南行するコースを北行することになったため、行けなかった。また、計画段階では先輩方が踏破した塩見岳からのコースも俎上に上ったが、わたしたちの代の体力面を考えてそれもなくなった。だからわたしは今回、塩見岳から光岳までをつなぐことを一番の目標に置いた。
十分な下準備やトレーニングが必要なこの長期間の山行に本当に行くことで、わたしの中の「山に登りたい」という気持ちが本物なのか、あの夏のあの時間を大切なものだと思う気持ちが本当に確かなものなのか、試したかったのだ。わたしの決意がそんなに信頼できないことは、わたし自身が一番よく知っていて、わたしが自由であることを、他ならぬわたし自身が本当に望んでいるのかどうか、まだ自信が持てずにいた。
今回の山行は、上り口と下り口が遠く離れているため、自家用車ではなく公共交通機関を使う。中央道を行く高速バスに乗り、松川インターで下り、次に塩見岳の鳥倉登山口に向かう路線バスに乗る。登山口まで二時間余りのバスには、わたしのほかに五十代と思しき二人組の登山者が乗り込んできた。わたしは、かれらほどに山が好きなのかどうかわからなかったし、わたしが山に登らなかったときにずっと山に登っていただろう人たちに恥じる気持ちもあったから、何も話をしなかった。
道中、とんでもない豪雨に襲われた。しかし、バスが標高を上げるにつれて雨脚は弱まり、なんとかその中を歩いて登ることができる程度になった。そして、その雨をきっかけにバスに同乗している二人とポツリポツリと会話が始まる。これからのコースのこと。ここ数日の天気のこと。
そんなふうにして、八月五日の一四〇〇(以後、時刻表記はこのスタイルを用いる)、わたしは鳥倉登山口に降り立った。もう雨は上がっていた。
用意してきた登山届をポストに提出し、一四〇八、歩き始める。今日は比高九百mの一方的な登りだ。二十kg前後というザックの重さや現在の体力を考えると、荷物を持っているときの登りのペースは時間について三百mくらいだろうと見積もっていたが、そのペースでも暗くなる前に十分にテン場に着けるはずだ。
虻が体にまとわりつく。樹林帯は風がなく、気温も高いため汗が噴き出る。ゆっくり。急いじゃだめだ。二分ごとにリフレッシュされる腕時計の高度計が、十mずつ進むペースで。
雲行きが再び怪しくなり、雨がぱらつき始める。雨が強くなる前に三伏峠のテン場に着きたかったので、少しペースを上げた。しかし、その願いも空しく、しばらくすると本降りになり、雨具とザックカバーを身に着けることになった。
でも、この山行のわたしは、天気に関しては本当に幸運に恵まれていた。三伏峠の直前でまた雨脚が弱まり、小屋に着いたころには雨は上がり、ガスが辺りを包んでいるだけになった。一六四四に三伏峠小屋着。雨に巻き込まれないようにペース上げたため、初日からそれなりの疲労を感じていた。幕営の受付をし、テントを張る。地面は平らで、よく整備されたテン場だった。なんと水洗トイレまである。
水場まではちょっと距離があり、往復で十五分ほどかかる。夕食から朝食まででだいたい二L、翌日の塩見岳往復にも二Lあれば多すぎるくらいだろうということで、四L汲んで来た。八月とはいえ、日が暮れる時間はもうかなり早くなっていたため、早速アルファ米とフリーズドライカレーで夕食にした。
普段のわたしは昔から、周りの人がびっくりするくらい食べるのだが、山岳部で山に登っていた頃は山では極端に食欲が落ちた。食事の質が高くなかったことが原因だと思っていたが、今日も昔と同じように、なかなか食事がのどを通らない。アルファ米もフリーズドライカレーも、下界で普通に食べる分には問題なくおいしいので、食事の味が原因ではないらしい。でも、食べなければこれから六日間歩くことはできないので、水で無理に押し込む。
食後は食器に水を入れてカレー水をグイと飲みほし、巻紙(芯を抜いたトイレットペーパーのことです)で拭っておしまい。昔もそうやっていたからという理由で今回もそうした。ただ、山岳部時代は水ではなくお茶を沸かして、そこに溶かし込んでいたけれど。
この日ははかなり冷えた。恐らく外気温は摂氏十度を切っている。寝袋にくるまり、持参した泡盛を飲みながらヘッドランプで文庫本を読む。つまみは6Pチーズが二個。最終日まで食事に関しては苦痛ばかりだった山行で、唯一うまいと思ったのがこの6Pチーズだった。歯を磨き、二〇〇〇に消灯した。いつもより四時間以上早いためなかなか寝付けない。テントのフライシートに今日三度目の雨が落ち始めた音が聞こえた。
待ち焦がれていた山行の最初の夜なのに、少しだけ思った。家に帰りたいなって。そこには誰も待っていないけれど。それでも帰りたいなって思った。
バスに乗り探しに行こう色つきのひやむぎよりも大事なものを
知っての通りわたしはかなり飽きっぽい性格で、大学時代の後半になって興味が自転車に移ると、すぐさまのめりこみ、だんだんと登山からは遠ざかって行った。まったく登らなかったわけではないが、昔の仲間やわたしが山に登っていたことを知った同僚に誘われて、日帰りで登る程度の山登りしかしなくなった。
もしかしたら両親はそのことで少し安心していたのかもしれない。
正直に言えば、「なぜ登らなかったのか」という問いに、わたしはうまく答えることができない。もちろん自転車に乗ることが楽しかったこともあるが、山に登る時間がないわけではなかったし、自転車に乗ったりランニングをしたりで、かなり厳しい登山をするのに十分な体力を維持しているという自信もあった。でも、わたしは山に行こうとしなかった。
わたしは山に行けた。いつだって。でも、わたしは山に行くことを選ばなかった。わたしはいつでも自由でありたいと思っているはずなのに。きっと、本当は、わたしの精神は「山に行くこと」を選べないくらいに不自由な代物なのだろう。
「南アルプス深南部」と呼ばれる山々がある。南アルプスの最南端はふつう光岳だと思われているが、実はその南にも二千m台前半の山々が連なっていて、深南部というのはその山域を差す。深南部の山々は、登り口まで長い距離を歩かなければならなかったり、山小屋が全くなかったり、道標が整備されていなかったりなどの理由で、光岳以北に比べて登山者は著しく少ない。
ある日わたしは、まったく偶然に、この南ア深南部、人里から遠く離れたその山域の、笹に覆われた明るい稜線や、崩壊した山肌の写真を見かけた。そしてそのとき単純にわたしは「ここに行きたい」と思った。わたしの中に自由が戻ってきた瞬間だったのかもしれない。実はそのときまで、わたしには山に登るための時間も体力も道具もあるのに、山に行かないことを選択し続けているということに自分でも気づいていなかったのだ。
わたしは、わたしが自由を失ってしまっているということに、目さえ向けることができなくなるくらい、自由から遠いところにいたのだ。
そうだ。今にして思えば、それまでのわたしもまったく自由などではなかった。高校山岳部のときも、部として決めた山行に従うだけで、「この山に行きたい」と自分から強く願ってそこに行くことはなかったように思う。大学に入ってからも、誰かが行く山に一緒に行くばかりで、行けば楽しくてまた行きたいと思うのに、自ら望んでこの山に行きたいと思った記憶がほとんどない。
それから深南部の山行の計画がまとまるまではあっという間だった。わたしはもう就職していて、自分の車も持っていたから、列車を手配したり時刻を調べたりする必要もなかった。それが今年の五月のことだ。
揃えなければならない道具は一人用のテントくらいだろうと思っていたが、高校時代に使っていた、テント泊の山行の装備を収める大きなザックはしょうが抜けてしまっていてとても山行に耐えられないし、ストーブもノズルが錆で詰まっていたので、結局十万円以上かけて新しい道具をいくつも買うことになった。
そして、自転車とは全く違う筋肉の使われ方に脚が悲鳴を上げ、稜線での水の確保に失敗し、二泊の予定が一泊で帰ってきてしまったその山行で、わたしはびょうびょうと風が吹き荒ぶ稜線の笹の海の上で手を広げながら、わたしの中にまだ残っていた自由のことについて考えていた。
わたしが今まで登った山で、いちばん心に残った山はどこかと問われれば、高校ニ年生の山岳部の夏合宿で登った南アルプス南部、茶臼岳から荒川岳だと即答する。深南部から帰ってきたわたしが次に行きたいと思ったのはそこだった。計画では光岳まで行くことになっていたが、事情で本来なら南行するコースを北行することになったため、行けなかった。また、計画段階では先輩方が踏破した塩見岳からのコースも俎上に上ったが、わたしたちの代の体力面を考えてそれもなくなった。だからわたしは今回、塩見岳から光岳までをつなぐことを一番の目標に置いた。
十分な下準備やトレーニングが必要なこの長期間の山行に本当に行くことで、わたしの中の「山に登りたい」という気持ちが本物なのか、あの夏のあの時間を大切なものだと思う気持ちが本当に確かなものなのか、試したかったのだ。わたしの決意がそんなに信頼できないことは、わたし自身が一番よく知っていて、わたしが自由であることを、他ならぬわたし自身が本当に望んでいるのかどうか、まだ自信が持てずにいた。
今回の山行は、上り口と下り口が遠く離れているため、自家用車ではなく公共交通機関を使う。中央道を行く高速バスに乗り、松川インターで下り、次に塩見岳の鳥倉登山口に向かう路線バスに乗る。登山口まで二時間余りのバスには、わたしのほかに五十代と思しき二人組の登山者が乗り込んできた。わたしは、かれらほどに山が好きなのかどうかわからなかったし、わたしが山に登らなかったときにずっと山に登っていただろう人たちに恥じる気持ちもあったから、何も話をしなかった。
道中、とんでもない豪雨に襲われた。しかし、バスが標高を上げるにつれて雨脚は弱まり、なんとかその中を歩いて登ることができる程度になった。そして、その雨をきっかけにバスに同乗している二人とポツリポツリと会話が始まる。これからのコースのこと。ここ数日の天気のこと。
そんなふうにして、八月五日の一四〇〇(以後、時刻表記はこのスタイルを用いる)、わたしは鳥倉登山口に降り立った。もう雨は上がっていた。
用意してきた登山届をポストに提出し、一四〇八、歩き始める。今日は比高九百mの一方的な登りだ。二十kg前後というザックの重さや現在の体力を考えると、荷物を持っているときの登りのペースは時間について三百mくらいだろうと見積もっていたが、そのペースでも暗くなる前に十分にテン場に着けるはずだ。
虻が体にまとわりつく。樹林帯は風がなく、気温も高いため汗が噴き出る。ゆっくり。急いじゃだめだ。二分ごとにリフレッシュされる腕時計の高度計が、十mずつ進むペースで。
雲行きが再び怪しくなり、雨がぱらつき始める。雨が強くなる前に三伏峠のテン場に着きたかったので、少しペースを上げた。しかし、その願いも空しく、しばらくすると本降りになり、雨具とザックカバーを身に着けることになった。
でも、この山行のわたしは、天気に関しては本当に幸運に恵まれていた。三伏峠の直前でまた雨脚が弱まり、小屋に着いたころには雨は上がり、ガスが辺りを包んでいるだけになった。一六四四に三伏峠小屋着。雨に巻き込まれないようにペース上げたため、初日からそれなりの疲労を感じていた。幕営の受付をし、テントを張る。地面は平らで、よく整備されたテン場だった。なんと水洗トイレまである。
水場まではちょっと距離があり、往復で十五分ほどかかる。夕食から朝食まででだいたい二L、翌日の塩見岳往復にも二Lあれば多すぎるくらいだろうということで、四L汲んで来た。八月とはいえ、日が暮れる時間はもうかなり早くなっていたため、早速アルファ米とフリーズドライカレーで夕食にした。
普段のわたしは昔から、周りの人がびっくりするくらい食べるのだが、山岳部で山に登っていた頃は山では極端に食欲が落ちた。食事の質が高くなかったことが原因だと思っていたが、今日も昔と同じように、なかなか食事がのどを通らない。アルファ米もフリーズドライカレーも、下界で普通に食べる分には問題なくおいしいので、食事の味が原因ではないらしい。でも、食べなければこれから六日間歩くことはできないので、水で無理に押し込む。
食後は食器に水を入れてカレー水をグイと飲みほし、巻紙(芯を抜いたトイレットペーパーのことです)で拭っておしまい。昔もそうやっていたからという理由で今回もそうした。ただ、山岳部時代は水ではなくお茶を沸かして、そこに溶かし込んでいたけれど。
この日ははかなり冷えた。恐らく外気温は摂氏十度を切っている。寝袋にくるまり、持参した泡盛を飲みながらヘッドランプで文庫本を読む。つまみは6Pチーズが二個。最終日まで食事に関しては苦痛ばかりだった山行で、唯一うまいと思ったのがこの6Pチーズだった。歯を磨き、二〇〇〇に消灯した。いつもより四時間以上早いためなかなか寝付けない。テントのフライシートに今日三度目の雨が落ち始めた音が聞こえた。
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