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1.翠皇夢幻
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シャンシャンと清らかな鈴の音に合わせて、薄紅色の領巾が舞姫の動きに合わせて軽やかに空に舞う。
それを多くの臣を従え、玉座の肘掛に肘をつき、頬杖しながら、つまらなげに見ているのは神華皇国は第八代神華皇帝、緋 翠巴、齢36になる、若き神龍と周辺各国から恐れられている男である。
その皇帝である男は、手を一つ振ると、舞姫の舞踊を止めさせ、宝玉があしらってある太刀を側近から受け取るなり、スラリと鞘から抜き、ザシュッと躊躇いなく、頭を下げ控えていた舞姫の首を刎ね、血で汚れた太刀を領巾で拭った。
「だれぞ、これを片付けておけ。さすれば此度の謀は赦してやろう」
驚きに瞳を見開かせ、石の床にごろりと転がっている、先程まで艶やかに舞っていた娘の頭に、皇帝は憎悪すら感じさせる眼で見据え、己の玉座の隣にちょこんと座らされている娘へと視線を転じ、ゆったりとした歩みでその娘へと近づき、抱き上げた。
娘は驚きも恥ずかしさも感じていない表情で、男の首に小さな手を廻し、ポツリと呟いた。
「わたしのあし、まだうごかないわ。どうしてかしら」
その呟きは、決して大きな声ではなかったが、不思議と宴の間と多くの臣の耳に残った。
そして敏い者達は悟る。
自分たちが皇帝と仰ぐ男は、寵愛する姫の仇を取っただけで、今もなおその罪を赦しておらず、根絶やしにするまで憎み続けていると。
姫の瞳には、希望も夢も映してはおらず、虚空を眺めるのみ。
以前は──足が動いていた頃は、毎日のように皇帝である男の前で舞を軽やかに興じていた。
月の様に儚く、華のように美しく、梅のように芳しく、神仙の如く荘厳に。
遡ること今から三年前。
姫は何者かの手によって、階段から突き落とされ、足の機能を失った。
姫は三日三晩熱を出し、生死の境目を彷徨い、なんとか目覚めた直後は、足の怪我を受け入れられずに、周囲に動かぬ足の苛立ちを当たり散らしていたが、数日もするとやがて諦めたのか、心がそれに心が耐え切れなくなったのか、言動が幼くなってしまった。
コツコツと革靴が石の床を叩く音を聞きながら、皇室の医師の一人である陵 蘭碧当年、28になる男は、目が合った姫に笑いかけた。
「姫様、今日は昨日よりもお顔の色が優れませんねぇ。どこか痛むところがおありになるのでは?」
皇宮の奥宮にある部屋に向かいながら、医師としての習慣で姫の顔色を即座に見取った蘭碧は、まだ技術的にも珍しい眼鏡を細い指でずれを直し、植物で作られたと言う帳面を出し、何かを書きつける仕草をした。
姫はそんな蘭碧の姿をしばらく見つめていたかと思えば、ぷいっと顔を背け、皇帝の肩に顔を埋めた。
そして。
「あさから、ちがでただけよ」
朝から血。
それは病からくるものではないと、誰が姫に進言したのだろうか。
脳内で忙しなくあれこれ考える蘭碧を他所に、ぐりぐりと皇帝の肩に顔をこすりつけていた姫君は、皇帝に頭を撫でられると、ふと、力が抜けたように動かなくなり、小さな寝息を立て始めた。
奥宮へと続く回廊は壁が無い為、外の音が聞こえる。
木々の騒めき
小鳥の囀り
下女たちの歌
衛士らの濁声
それまで何も言わずに姫を抱きながら、歩を進めていた皇帝である男は、ピタリと足を止め、蘭碧を顎をしゃくり隣にくるように命じ、帳面を護衛の武官に没収させ、何も言わずに姫を蘭碧へと押し付け。
「これはあと二刻は起きぬであろう」
薬が効いておるからな、と、何でもないことのように淡々と口にする男は、確かに国の頂に立つに相応しい人間だと思えるが、ヒトとしての情緒が無いのではないかとも囁かれている御仁である。
だが、蘭碧はこの男が嫌いではなかった。
それはまあ、心底恐ろしいと、畏怖する気持ちはあるが、それは国を束ねる立場にある者ならば備えてなければならないものであり、忌避とする理由にはならない。
逆に尊敬すらしても良いと思っていたりするが、宮廷で生き抜いていくためには、感情をやすやすと表さないのが肝である。
18と言う齢の割には身体が小さく軽い姫──汝 彩歌は、皇帝の寵愛が深い妃だと言われてはいるが。
「やれやれ、陛下は人使いが荒いですねぇ」
「ぬかせ、それにコレはそなたの妻に下賜するはずだった娘ぞ」
「おや、本気だったんですか、その話」
翠巴と蘭碧の軽口の応酬に護衛として付き従っていた武官らは、表情には出さないはものの、内心はひどく驚いていた。
彩歌は翠巴の寵愛を一身に浴びる妃の一人と思われているが実は違うこともそうだが、
「陵家の生き残りである最期のそなたを国に縛り付けるためには、余は腹違いの妹であろうと、実の子であろうと使うまでよ」
くるりと今まで来た道へと踵をかえし、厳めし気な眼差しを一瞬だけ緩め、彩歌の絹のような手触りの黒く美しい髪に指を滑らせ、覇王の空気を纏い、武官らを連れて去っていた。
一方、奥宮に繋がる扉の前で放置された蘭碧と、彼の腕の中ですよすよと眠る皇帝の華玉と渾名されている姫は、暫く途方に暮れていたが、彩歌の小さな足が冷たくなっていることに気付いた蘭碧が、急いで彼女に与えられている室へ向かうことで、とりあえずは問題は先送りと言う名の解決を果たした。
大人がゆうに五人は横になってもまだ余裕がある、大きく立派な寝台に、慎重に横たわらせた後、蘭碧は皇帝の宝であり駒である姫の足を見て、指を滑らせ、苦悩した。
──ああ、私はなんて罪深いのでしょうか
一度は諦めた華が、再び与えられようとしている
それも逃げるための足の機能を失った形で。
口付けたくなる衝動を抑え、蘭碧は小さな身体に布団を掛け、己は寝台から少し離れた長椅子に座り、瞳を閉じ、少しばかりの午睡に就いた。
それを多くの臣を従え、玉座の肘掛に肘をつき、頬杖しながら、つまらなげに見ているのは神華皇国は第八代神華皇帝、緋 翠巴、齢36になる、若き神龍と周辺各国から恐れられている男である。
その皇帝である男は、手を一つ振ると、舞姫の舞踊を止めさせ、宝玉があしらってある太刀を側近から受け取るなり、スラリと鞘から抜き、ザシュッと躊躇いなく、頭を下げ控えていた舞姫の首を刎ね、血で汚れた太刀を領巾で拭った。
「だれぞ、これを片付けておけ。さすれば此度の謀は赦してやろう」
驚きに瞳を見開かせ、石の床にごろりと転がっている、先程まで艶やかに舞っていた娘の頭に、皇帝は憎悪すら感じさせる眼で見据え、己の玉座の隣にちょこんと座らされている娘へと視線を転じ、ゆったりとした歩みでその娘へと近づき、抱き上げた。
娘は驚きも恥ずかしさも感じていない表情で、男の首に小さな手を廻し、ポツリと呟いた。
「わたしのあし、まだうごかないわ。どうしてかしら」
その呟きは、決して大きな声ではなかったが、不思議と宴の間と多くの臣の耳に残った。
そして敏い者達は悟る。
自分たちが皇帝と仰ぐ男は、寵愛する姫の仇を取っただけで、今もなおその罪を赦しておらず、根絶やしにするまで憎み続けていると。
姫の瞳には、希望も夢も映してはおらず、虚空を眺めるのみ。
以前は──足が動いていた頃は、毎日のように皇帝である男の前で舞を軽やかに興じていた。
月の様に儚く、華のように美しく、梅のように芳しく、神仙の如く荘厳に。
遡ること今から三年前。
姫は何者かの手によって、階段から突き落とされ、足の機能を失った。
姫は三日三晩熱を出し、生死の境目を彷徨い、なんとか目覚めた直後は、足の怪我を受け入れられずに、周囲に動かぬ足の苛立ちを当たり散らしていたが、数日もするとやがて諦めたのか、心がそれに心が耐え切れなくなったのか、言動が幼くなってしまった。
コツコツと革靴が石の床を叩く音を聞きながら、皇室の医師の一人である陵 蘭碧当年、28になる男は、目が合った姫に笑いかけた。
「姫様、今日は昨日よりもお顔の色が優れませんねぇ。どこか痛むところがおありになるのでは?」
皇宮の奥宮にある部屋に向かいながら、医師としての習慣で姫の顔色を即座に見取った蘭碧は、まだ技術的にも珍しい眼鏡を細い指でずれを直し、植物で作られたと言う帳面を出し、何かを書きつける仕草をした。
姫はそんな蘭碧の姿をしばらく見つめていたかと思えば、ぷいっと顔を背け、皇帝の肩に顔を埋めた。
そして。
「あさから、ちがでただけよ」
朝から血。
それは病からくるものではないと、誰が姫に進言したのだろうか。
脳内で忙しなくあれこれ考える蘭碧を他所に、ぐりぐりと皇帝の肩に顔をこすりつけていた姫君は、皇帝に頭を撫でられると、ふと、力が抜けたように動かなくなり、小さな寝息を立て始めた。
奥宮へと続く回廊は壁が無い為、外の音が聞こえる。
木々の騒めき
小鳥の囀り
下女たちの歌
衛士らの濁声
それまで何も言わずに姫を抱きながら、歩を進めていた皇帝である男は、ピタリと足を止め、蘭碧を顎をしゃくり隣にくるように命じ、帳面を護衛の武官に没収させ、何も言わずに姫を蘭碧へと押し付け。
「これはあと二刻は起きぬであろう」
薬が効いておるからな、と、何でもないことのように淡々と口にする男は、確かに国の頂に立つに相応しい人間だと思えるが、ヒトとしての情緒が無いのではないかとも囁かれている御仁である。
だが、蘭碧はこの男が嫌いではなかった。
それはまあ、心底恐ろしいと、畏怖する気持ちはあるが、それは国を束ねる立場にある者ならば備えてなければならないものであり、忌避とする理由にはならない。
逆に尊敬すらしても良いと思っていたりするが、宮廷で生き抜いていくためには、感情をやすやすと表さないのが肝である。
18と言う齢の割には身体が小さく軽い姫──汝 彩歌は、皇帝の寵愛が深い妃だと言われてはいるが。
「やれやれ、陛下は人使いが荒いですねぇ」
「ぬかせ、それにコレはそなたの妻に下賜するはずだった娘ぞ」
「おや、本気だったんですか、その話」
翠巴と蘭碧の軽口の応酬に護衛として付き従っていた武官らは、表情には出さないはものの、内心はひどく驚いていた。
彩歌は翠巴の寵愛を一身に浴びる妃の一人と思われているが実は違うこともそうだが、
「陵家の生き残りである最期のそなたを国に縛り付けるためには、余は腹違いの妹であろうと、実の子であろうと使うまでよ」
くるりと今まで来た道へと踵をかえし、厳めし気な眼差しを一瞬だけ緩め、彩歌の絹のような手触りの黒く美しい髪に指を滑らせ、覇王の空気を纏い、武官らを連れて去っていた。
一方、奥宮に繋がる扉の前で放置された蘭碧と、彼の腕の中ですよすよと眠る皇帝の華玉と渾名されている姫は、暫く途方に暮れていたが、彩歌の小さな足が冷たくなっていることに気付いた蘭碧が、急いで彼女に与えられている室へ向かうことで、とりあえずは問題は先送りと言う名の解決を果たした。
大人がゆうに五人は横になってもまだ余裕がある、大きく立派な寝台に、慎重に横たわらせた後、蘭碧は皇帝の宝であり駒である姫の足を見て、指を滑らせ、苦悩した。
──ああ、私はなんて罪深いのでしょうか
一度は諦めた華が、再び与えられようとしている
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