アイス・ローズ~矜持は曲げない~

奏月

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婚約破棄

1. エマという令嬢

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   あぁ、なんてことなの。
 まさか、こんな裏切りを目にしてしまうなんて。


 


 エマ・ルートンは五大伯爵家が一つ、ルートン伯爵家の長子として、サニス王国はリューグ二世の時代に生を受けた。
 エマの生母であるエリーゼは産褥がひどく、エマを産んで間もなく息を引き取った。

 後になって思い返せばそのことこそが、エマにとって、そしてエマの父でもある伯爵にとっても不幸の始まりだったのかもしれない。

エマの母、エリーゼと父であるクロードは、貴族としてはごく一般的な政略結婚だったが、幸福なことに二人は互いに愛情を抱けたことで、冷え切った夫婦となることはなく、結婚して五年、待望の子を授かった。

 それがエマである。

 エリーゼは息を引き取る前に、夫であるクロードにどうか私達の娘であり、宝でもあるエマを憎まないでほしい。
 私はいつかあなたたちのもとに戻るからと言い残している。

 クロードとしてはその言葉を信じ、娘と使用人たちだけで過ごしていこうとは思ったが、爵位と宮廷内の立場から、それは叶わず、エマが3歳の頃に再婚している。

 そう、この再婚こそがルートン家没落の一途を辿ることになるとは、誰も予期していなかったであろう。
 縁談を進め、纏めた本人である陛下でさえも。





 エマは伯爵家の長子として、常日頃から己を律し、幼い頃から感情をコントロールして生きてきた。
 貴族にとって、己の感情や言動を相手に晒すのははしたなくも愚かなモノとされてきているし、今もそうであると信じ疑っていない。

 なれど、昨今ではそういう考えの方が古いのだろうか。
 明らかに貴族社会の暗黙の法則〈ルール〉を破り、感情をあからさまにしている少女が一部の青少年たちの心を捉えている。

「で?私にどうしろと?」

 頭をスッキリとさせるような清涼感を感じられる香り高い花茶を、硝子で出来たティーポットの中で躍らせながら、貴族の令嬢とは思えないほど眉間に皺を刻ませている子爵家の令嬢に視線をくれてやるエマは、隣に控えている侍女にペンを持たせ、おのれは完璧な笑みを唇の端に浮かせている。

 昨今、零落著しいルートン伯爵家の令嬢として、また、件の悪評の基となっている少女の異母姉として下位の家の令嬢からも軽んじられるようになって久しくなってはいるが、エマはそれをあえて黙殺し、被害者だと嘆くだけの令嬢たちの苦情に耳を傾け続けている。

「ですから!!私の婚約者を返して下さい!!あの尻軽女はあなたの妹なんでしょう?」

 この泥棒猫!!と、温い花茶をバシャッと真正面から浴びせかけられ時、エマはそれはそれは愉快そうに笑った。
 否、嗤ったのだ。

 心底愉快だと言わんばかりに。
 羽付きの扇をファサリ、ファサリと何度か左右に揺らし仰ぎ、静かにまた閉じ。

 花茶で濡れた濃い蜂蜜色の髪を、控えていた護衛の騎士に拭われつつ、格下の令嬢の戯言を聞き入れ。

「そう、確かリリアンは私の異母妹で、そして、伯爵家の次女、ですわ?」

 ぽってりとした紅い唇から紡ぎ出される声は柔かいのに、なぜか寒気すら感じさせるほど。
 穏やかな春の木々を想わせる翡翠色の瞳は、氷のように見え。

 この時、初めて子爵家の令嬢は、零落してもなお次期社交界の華と噂されている【ルートンの雹華】と渾名されている彼女を垣間見た気がした。

 そして思いだす。
 彼女の悪評を嬉々として流していた家の令嬢の末路を。
 彼女達は何故か家と縁を切られ、戒律の厳しい教会に放り込まれていることを。

 今まで大貴族ではないが、蝶よ花よと温室で育てられてきた令嬢には、堪えられぬ環境に放り込まれる恐怖は、想像するだけで恐ろしい。

 ガクガクと想像して恐怖で震える令嬢を、エマは溜息一つで興味を失い、椅子から立ちあがり、一方的に呼び出されたサロンを後にした。
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