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婚約破棄
2. エイリッヒという男と、その関係
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エマには当然のことながら親と国が定めた婚約者がいる。
相手はエイリッヒ・ワクナーという、ワクナー侯爵家の次期当主であり、現宰相の嫡男である。
今回はこのエイリッヒという男とエマの関係性を語るとしよう。
二人の出逢いは今から遡ること大凡十四年ほど前のことである。
時としては、エマの父が国王の命により再婚した直後当りのことであろうか。
二人はワクナー家とルートン家、そして国内外の思惑や、繋がりを重視した上で国の議会により決定され、更には王の承認のもと結ばれたものである。
昨今、自由恋愛が叫ばれる中で、古式からの通例通りに国王陛下立会いの下、司祭の前で誓いの言葉を交わした当時の幼いエマとエイリッヒは、互いに互いをこれが未来の伴侶か、と、実に淡々とした感情のもと見つめ合い、周囲が望むような笑みを浮かべて、喜んでみせた。
「はじめまして、エイリッヒさま、これからなかよくしてください」
「こちらこそ、エマ嬢。至らぬところもあるかと思いますが、これからよろしくお願いします」
実に子供らしくない二人の初対面は、大人たちの思惑以上に冷やかで、政略的な思惑が透けて見え、肝を冷やした者達は少なくない。
今は力もたいしてない子供だが、いずれは成長し、国の中枢に立つであろう存在である。
感情や表情さえ意のままに操る幼き彼らに、年老いた自分たちは敵うのだろうか、と。
そしてその懸念は遠からず当たった。
宰相補佐となったエイリッヒは、国を傾ける腐敗の度合いを見極め、時には黒幕である蛆虫どもを利用し、使い物にならなくなった頃には、国に従順するか切り捨てるかを見定める怜悧さと、無情さを兼ね揃えて成長し、エマはエマで老獪な夫人の懐に潜り込み、着々と男が決して手に入れられない裏事情を入手する人脈を築き上げ、王宮務めで忙しい父であるクロードを影ながら支え、時には慈愛さえ捨てる氷のような女性に成長した。
そんな二人の冷え切っていた関係に亀裂が生じたのは、エマの妹であるリリアンが、逢う度に定例ともなっていたこの二人での間で催される、お茶会と題した【報告会】に乱入したことからである。
エマとしては特別エイリッヒに感情があったわけではない。
だが、いずれは夫婦になるのだからと凝り固まった顔の筋肉を何とか駆使し、笑顔を向ける程度には尊敬し、信用していた。
エイリッヒはエイリッヒで、理知的な婚約者であるエマには不満はなかった。
似た者同士であることを差し引いても、次期侯爵夫人に値すると思っていたのだが。
突然二人の間に乱入した春の嵐のような存在は、エイリッヒという男の影を、何故か前から知っていたかのように紡ぎ、頑張らずとも良い、無理に笑わなくともいいのだと無垢な笑みを男に向けた。
最初こそは当り障りなく否定していた男も、徐々に絆されていったのか、エマに何の連絡もせずに家に訪ねて来たり、花や菓子、宝石などをリリアンに贈るようになっていた。
エマはそれを何度か注意したが、二人はまるでエマが悪魔か何かを見るような顔で非難し、エイリッヒはあろうことか己の婚約者がリリアンでないことを社交界で嘆いてみせたのだ。
それからのエマとエイリッヒの関係は坂道の石のように転がるように悪化し、今ではエイリッヒは数多くいるエマの異母妹の取り巻き化としている。
揺り椅子に座り扇を何度か開閉さていたエマは、不意に鏡に映った己を見、嗤った。
「迷うことなど、無かったわね。わたくしは【ルートン家】の長子。何が何でも家を潰すわけにはいかないの。――お父様とお母様の為にも」
時は1456年、金盞花の月十日。
後のアイス・ローズ事件の発端ともなる書状を認めたエマ・ルートンは、決意に満ちた眼差しで、自邸の庭で微笑み合う二人を自分の部屋の窓から見下ろしていた。
相手はエイリッヒ・ワクナーという、ワクナー侯爵家の次期当主であり、現宰相の嫡男である。
今回はこのエイリッヒという男とエマの関係性を語るとしよう。
二人の出逢いは今から遡ること大凡十四年ほど前のことである。
時としては、エマの父が国王の命により再婚した直後当りのことであろうか。
二人はワクナー家とルートン家、そして国内外の思惑や、繋がりを重視した上で国の議会により決定され、更には王の承認のもと結ばれたものである。
昨今、自由恋愛が叫ばれる中で、古式からの通例通りに国王陛下立会いの下、司祭の前で誓いの言葉を交わした当時の幼いエマとエイリッヒは、互いに互いをこれが未来の伴侶か、と、実に淡々とした感情のもと見つめ合い、周囲が望むような笑みを浮かべて、喜んでみせた。
「はじめまして、エイリッヒさま、これからなかよくしてください」
「こちらこそ、エマ嬢。至らぬところもあるかと思いますが、これからよろしくお願いします」
実に子供らしくない二人の初対面は、大人たちの思惑以上に冷やかで、政略的な思惑が透けて見え、肝を冷やした者達は少なくない。
今は力もたいしてない子供だが、いずれは成長し、国の中枢に立つであろう存在である。
感情や表情さえ意のままに操る幼き彼らに、年老いた自分たちは敵うのだろうか、と。
そしてその懸念は遠からず当たった。
宰相補佐となったエイリッヒは、国を傾ける腐敗の度合いを見極め、時には黒幕である蛆虫どもを利用し、使い物にならなくなった頃には、国に従順するか切り捨てるかを見定める怜悧さと、無情さを兼ね揃えて成長し、エマはエマで老獪な夫人の懐に潜り込み、着々と男が決して手に入れられない裏事情を入手する人脈を築き上げ、王宮務めで忙しい父であるクロードを影ながら支え、時には慈愛さえ捨てる氷のような女性に成長した。
そんな二人の冷え切っていた関係に亀裂が生じたのは、エマの妹であるリリアンが、逢う度に定例ともなっていたこの二人での間で催される、お茶会と題した【報告会】に乱入したことからである。
エマとしては特別エイリッヒに感情があったわけではない。
だが、いずれは夫婦になるのだからと凝り固まった顔の筋肉を何とか駆使し、笑顔を向ける程度には尊敬し、信用していた。
エイリッヒはエイリッヒで、理知的な婚約者であるエマには不満はなかった。
似た者同士であることを差し引いても、次期侯爵夫人に値すると思っていたのだが。
突然二人の間に乱入した春の嵐のような存在は、エイリッヒという男の影を、何故か前から知っていたかのように紡ぎ、頑張らずとも良い、無理に笑わなくともいいのだと無垢な笑みを男に向けた。
最初こそは当り障りなく否定していた男も、徐々に絆されていったのか、エマに何の連絡もせずに家に訪ねて来たり、花や菓子、宝石などをリリアンに贈るようになっていた。
エマはそれを何度か注意したが、二人はまるでエマが悪魔か何かを見るような顔で非難し、エイリッヒはあろうことか己の婚約者がリリアンでないことを社交界で嘆いてみせたのだ。
それからのエマとエイリッヒの関係は坂道の石のように転がるように悪化し、今ではエイリッヒは数多くいるエマの異母妹の取り巻き化としている。
揺り椅子に座り扇を何度か開閉さていたエマは、不意に鏡に映った己を見、嗤った。
「迷うことなど、無かったわね。わたくしは【ルートン家】の長子。何が何でも家を潰すわけにはいかないの。――お父様とお母様の為にも」
時は1456年、金盞花の月十日。
後のアイス・ローズ事件の発端ともなる書状を認めたエマ・ルートンは、決意に満ちた眼差しで、自邸の庭で微笑み合う二人を自分の部屋の窓から見下ろしていた。
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