曖昧なパフューム

宝月なごみ

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痛みを思い出させる人

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 朱夏の嗅覚が優れているのは認めざるを得ないが、彼女が評価されているのは、その感覚的な能力だけ。少し鼻が利くくらいで、年下のくせに研究室で一番偉そうな顔をし、上層部からも気に入られている、憎たらしい女。

 朱夏は駒門にとってそういう存在で、だから、ハメてやろうと思っていたのに。

 ……あろうことか、一瞬で見破られるとは

「ただ」

 ショックで黙ったままの駒門に、朱夏は再度ムエットを鼻に近づけながら告げる。

「アレンジした部分は、なかなか悪くありません。スミレのシンプルな香りに、ライラックをプラスしたんですよね? 美水堂の素朴な香りより華やかさが増して、春という季節の心が浮き立つ感じがよく表現されています」

 説明しながらふわっと表情をやわらげた朱夏を見るなり、駒門はこぶしを強く握り締め、悔しげにうつむいた。

 そしてしばらくなにかと葛藤したように顔を伏せていたが、やがてフウッと息を吐き、観念したように朱夏を見た。

「負けましたよ、桐野さん」
「え……?」

 朱夏はわけがわからず、キョトンとして駒門を見つめる。

 その曇りのない彼女の瞳に、駒門はますます自分のしたことが愚かだったと思い知らされるようだった。

 思い返せば、朱夏はただの一度も偉ぶってはいなかった。むしろ、いつも一生懸命に理想の香りを追い求め、妥協を許さず、最高のフレグランスを生み出すことだけに情熱を傾ける、研究者の鑑だ。

 なのに、彼女が年下であること、自分にはない能力を備えていることにいつしか嫉妬や羨望を抱くようになり、それが歪んで、彼女の本来の姿がわからなくなっていた。

「……いえ、なんでもありません。今度は自分できちんと考えた〝春〟を必ず完成させますので、期待していてください」

 駒門は憑き物が落ちたように晴れやかな顔で、宣言した。

 朱夏は駒門の内側でなにが起こったのかさっぱり見当もつかなかったが、彼の気持ちがどうやらいい方に向かっているのだということだけは伝わってきて、微笑みを返した。

「ええ。楽しみにしています」

 そうして駒門が自分の席に戻っていく姿をなにげなく見ながら、朱夏はこのところずっと感じていた研究室の息苦しさが少し楽になった気がしていた。

 貴人に報告したい。昨夜、職場での悩みを聞いてもらったばかりだったので、彼女の頭に自然とそんな考えが浮かんだ。しかし、思わずスマホを手に取ったところでハッとする。

 そういえば、連絡先を知らないのだった。

「……今度会った時でいいか」

 朱夏は少し残念に思いつつ、帰り支度を始めた。

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