目に映った光景すべてを愛しく思えたのなら

ひかる。

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―――平成三年

19

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 夕方、タバコ屋の角で四人は別れた。

 映子はそのまま家には帰らず、みどりばあさんの家に行った。
 銀杏の葉はほとんどが落ち葉になり、日が落ちると一気に冷え込むようになってきた。
 真冬はつらいかもと映子は想像して、想像しただけで身震いがした。
 それでもたぶん映子はここに三日と開けず通ってくる予感がした。

 立て付けの悪い扉をがたがた揺らして開き、中において置いた毛布を頭からかぶった。
 この間、みどりばあさんのお墨付きをもらえた。
 これからはここを好きなように使えると思うとそれだけで心が温まった。

 風が戸口から入ってきた。
 映子は玄関を閉めようと、毛布を頭からかぶったまま引き戸に手をかけた。
 そのとき水路の向こう側にいる三人の小学生と目が合った。
 映子は普通に見ていただけなのに、その中の一人が「ギャー」と悲鳴をあげた。
 続いて別の少年、たぶん四年生くらいだろう、その少年がこちらを指差して叫んだ。

「みどりばあさんや!」
とたんに小学生三人は「キャー」と叫び声をあげながら逃げ出した。

 その後姿をよく見ると、手にバットやらサッカーボールやらを持って、一人は野球のヘルメットをかぶっている。 
 いつかの自分たちの光景がだぶり、映子は呆気にとられて少年たちを見送った。
 一人の少年が振り返り、まだ映子がこちらを見ていることに気づくと口々に何か言い合って一目散に駆けていく。

 映子は辺りを見回した。
 みどりばあさんがふらりとやって来ているのではないかと思ったからだ。
 けれど周りを見回してもみどりばあさんの姿はどこにもなく、稲の刈り取られた広い田んぼにも誰もいない。

 あれ?と映子は首をかしげた。
 小学生たちが指差してみどりばあさんと呼ぶべき人間は、あの瞬間映子以外にいなかった。
 まさかとは思ったがどうやら自分はみどりばあさんと間違われたらしい。

 そうわかるとおかしくてたまらなくなってきた。
 いくらなんでも中学生の映子をつかまえてばあさんはないだろう。
 そんなに自分は老けて見えるのだろうか。
 帰ったら鏡を覗いて見なければなるまい。

「何してんねんこんなとこで」

 戸口で頭から毛布をかぶって一人にやにやしていたら、恵一が呆れた顔でこちらを見ていた。
 枯葉を鳴らして近づいてくる。

「ここってみどりばあさんの家やん。何してんねん」

「何って」

 映子は何とも答えようがなかった。代わりについ今しがたみどりばあさんに間違われたことを話した。

「ああ、なんとなく小学生の気持ちはわかるで。今の映子は確かにみどりばあさんに似てるかもしれん」

 恵一は話を聞き終えてそんなことを言った。

「ガキのころって、大人の年がわからんかったから、みどりばあさんやって思い込んで映子のこと見たら、ばあさんに見えるできっと。俺らが小学生のころ騒いでたみどりばあさんも、ほんまはもっと若かったかもしれんな。腰まっすぐで、ぴんぴんしとったし」

 中学生になって再会したみどりばあさんは、確かに老婆ではなかった。
 当時のみどりばあさんに対する思い込みと、想像力の賜物が、みどりばあさんをみどりばあさんたらしめていた。

「そっちこそ何の用? 祥子ちゃんのこと?」

 映子はかまをかけてみた。
 こんな場所で偶然会う確率なんてそう高くない。
 宮井が映子の後をつけてきたように、恵一も何か目的があって映子の後をつけてきたのだろう。

 恵一は足元の落葉を蹴り上げた。雪のように辺りに落葉がひらめいた。

「さっきはありがとう。礼、言っとかなあかんと思ってん」

「じゃあやっぱりそうなんや」

「何や、確信があったわけじゃないんか」

 恵一は気まずそうにもう一度足元の落葉を蹴り上げる。
 今度は上手くいかず、ザシュッという音だけがして靴先が落葉にめり込んだ。

「たぶんそうかなとは思ったけど。だって祥子ちゃんのお母さんが、今日のこと許してくれるとは思わんかったから。何か理由があるんやろうなとは思った。祥子ちゃんがお母さん風邪引いてるって言ってたから、それやったら恵一の病院に行ってもおかしくない。病院で恵一に会って、恵一が祥子ちゃんのお母さんに何か言ってもおかしくない。そのおかげで今日、祥子ちゃんは一緒に来れたんやろうなって」

「なんや、やっぱりわかってるんやんか」

「でもなんでありがとうなん?」

「だってそんなん祥子にしゃべられたら俺の立場ないやん。俺な、昨日帰ってから宮井がどこの図書館に行ったんか調べた。そしたら本館じゃないってわかって。そしたらたまたま祥子のお母さんが病院来て、だから俺、祥子のお母さんに図書館に宮井がいてないこと、俺が責任持って祥子のこと送るからって約束してん。そんなん祥子に知られたら恥ずいやん。だから、映子が祥子に黙っててくれたからありがとう」

 恵一は耳まで顔を赤くした。
 恥ずかしいと饒舌になるのか恵一の口はよく動いた。

「映子は昔からいろんなことよく気がつくよな。みどりばあさんが普通のばあさんやって言ってたんは映子だけやし。今になってみれば妖怪なんかいるわけないって思うし、みどりばあさんが、普通の人間やって当たり前に思うけど、小学生の頃はわからんかったもんな。みんなそう言うから、信じてた。そやのに映子だけは知ってた。保も言ってたけど、高校行かん、なんか言わんと、もっと前向きに考えてみろや。映子やったら何とかなる」

「こっちの事情も知らんとよく言うわ」

「祥子や保並に俺もおまえのことは知ってるで。けどそんなもん知らん。だからってそれがどうしてん。みどりばあさんを怖がらんかった映子なんやからどうにでもなるやろ」

「勝手なこと言うて」

 映子が苦笑すると恵一は目を細めて映子を上から下までじっくりと見て、

「ほんまみどりばあさんみたいやで」
と腹を抱えて笑った。
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