20 / 44
―――平成三年
19
しおりを挟む
夕方、タバコ屋の角で四人は別れた。
映子はそのまま家には帰らず、みどりばあさんの家に行った。
銀杏の葉はほとんどが落ち葉になり、日が落ちると一気に冷え込むようになってきた。
真冬はつらいかもと映子は想像して、想像しただけで身震いがした。
それでもたぶん映子はここに三日と開けず通ってくる予感がした。
立て付けの悪い扉をがたがた揺らして開き、中において置いた毛布を頭からかぶった。
この間、みどりばあさんのお墨付きをもらえた。
これからはここを好きなように使えると思うとそれだけで心が温まった。
風が戸口から入ってきた。
映子は玄関を閉めようと、毛布を頭からかぶったまま引き戸に手をかけた。
そのとき水路の向こう側にいる三人の小学生と目が合った。
映子は普通に見ていただけなのに、その中の一人が「ギャー」と悲鳴をあげた。
続いて別の少年、たぶん四年生くらいだろう、その少年がこちらを指差して叫んだ。
「みどりばあさんや!」
とたんに小学生三人は「キャー」と叫び声をあげながら逃げ出した。
その後姿をよく見ると、手にバットやらサッカーボールやらを持って、一人は野球のヘルメットをかぶっている。
いつかの自分たちの光景がだぶり、映子は呆気にとられて少年たちを見送った。
一人の少年が振り返り、まだ映子がこちらを見ていることに気づくと口々に何か言い合って一目散に駆けていく。
映子は辺りを見回した。
みどりばあさんがふらりとやって来ているのではないかと思ったからだ。
けれど周りを見回してもみどりばあさんの姿はどこにもなく、稲の刈り取られた広い田んぼにも誰もいない。
あれ?と映子は首をかしげた。
小学生たちが指差してみどりばあさんと呼ぶべき人間は、あの瞬間映子以外にいなかった。
まさかとは思ったがどうやら自分はみどりばあさんと間違われたらしい。
そうわかるとおかしくてたまらなくなってきた。
いくらなんでも中学生の映子をつかまえてばあさんはないだろう。
そんなに自分は老けて見えるのだろうか。
帰ったら鏡を覗いて見なければなるまい。
「何してんねんこんなとこで」
戸口で頭から毛布をかぶって一人にやにやしていたら、恵一が呆れた顔でこちらを見ていた。
枯葉を鳴らして近づいてくる。
「ここってみどりばあさんの家やん。何してんねん」
「何って」
映子は何とも答えようがなかった。代わりについ今しがたみどりばあさんに間違われたことを話した。
「ああ、なんとなく小学生の気持ちはわかるで。今の映子は確かにみどりばあさんに似てるかもしれん」
恵一は話を聞き終えてそんなことを言った。
「ガキのころって、大人の年がわからんかったから、みどりばあさんやって思い込んで映子のこと見たら、ばあさんに見えるできっと。俺らが小学生のころ騒いでたみどりばあさんも、ほんまはもっと若かったかもしれんな。腰まっすぐで、ぴんぴんしとったし」
中学生になって再会したみどりばあさんは、確かに老婆ではなかった。
当時のみどりばあさんに対する思い込みと、想像力の賜物が、みどりばあさんをみどりばあさんたらしめていた。
「そっちこそ何の用? 祥子ちゃんのこと?」
映子はかまをかけてみた。
こんな場所で偶然会う確率なんてそう高くない。
宮井が映子の後をつけてきたように、恵一も何か目的があって映子の後をつけてきたのだろう。
恵一は足元の落葉を蹴り上げた。雪のように辺りに落葉がひらめいた。
「さっきはありがとう。礼、言っとかなあかんと思ってん」
「じゃあやっぱりそうなんや」
「何や、確信があったわけじゃないんか」
恵一は気まずそうにもう一度足元の落葉を蹴り上げる。
今度は上手くいかず、ザシュッという音だけがして靴先が落葉にめり込んだ。
「たぶんそうかなとは思ったけど。だって祥子ちゃんのお母さんが、今日のこと許してくれるとは思わんかったから。何か理由があるんやろうなとは思った。祥子ちゃんがお母さん風邪引いてるって言ってたから、それやったら恵一の病院に行ってもおかしくない。病院で恵一に会って、恵一が祥子ちゃんのお母さんに何か言ってもおかしくない。そのおかげで今日、祥子ちゃんは一緒に来れたんやろうなって」
「なんや、やっぱりわかってるんやんか」
「でもなんでありがとうなん?」
「だってそんなん祥子にしゃべられたら俺の立場ないやん。俺な、昨日帰ってから宮井がどこの図書館に行ったんか調べた。そしたら本館じゃないってわかって。そしたらたまたま祥子のお母さんが病院来て、だから俺、祥子のお母さんに図書館に宮井がいてないこと、俺が責任持って祥子のこと送るからって約束してん。そんなん祥子に知られたら恥ずいやん。だから、映子が祥子に黙っててくれたからありがとう」
恵一は耳まで顔を赤くした。
恥ずかしいと饒舌になるのか恵一の口はよく動いた。
「映子は昔からいろんなことよく気がつくよな。みどりばあさんが普通のばあさんやって言ってたんは映子だけやし。今になってみれば妖怪なんかいるわけないって思うし、みどりばあさんが、普通の人間やって当たり前に思うけど、小学生の頃はわからんかったもんな。みんなそう言うから、信じてた。そやのに映子だけは知ってた。保も言ってたけど、高校行かん、なんか言わんと、もっと前向きに考えてみろや。映子やったら何とかなる」
「こっちの事情も知らんとよく言うわ」
「祥子や保並に俺もおまえのことは知ってるで。けどそんなもん知らん。だからってそれがどうしてん。みどりばあさんを怖がらんかった映子なんやからどうにでもなるやろ」
「勝手なこと言うて」
映子が苦笑すると恵一は目を細めて映子を上から下までじっくりと見て、
「ほんまみどりばあさんみたいやで」
と腹を抱えて笑った。
映子はそのまま家には帰らず、みどりばあさんの家に行った。
銀杏の葉はほとんどが落ち葉になり、日が落ちると一気に冷え込むようになってきた。
真冬はつらいかもと映子は想像して、想像しただけで身震いがした。
それでもたぶん映子はここに三日と開けず通ってくる予感がした。
立て付けの悪い扉をがたがた揺らして開き、中において置いた毛布を頭からかぶった。
この間、みどりばあさんのお墨付きをもらえた。
これからはここを好きなように使えると思うとそれだけで心が温まった。
風が戸口から入ってきた。
映子は玄関を閉めようと、毛布を頭からかぶったまま引き戸に手をかけた。
そのとき水路の向こう側にいる三人の小学生と目が合った。
映子は普通に見ていただけなのに、その中の一人が「ギャー」と悲鳴をあげた。
続いて別の少年、たぶん四年生くらいだろう、その少年がこちらを指差して叫んだ。
「みどりばあさんや!」
とたんに小学生三人は「キャー」と叫び声をあげながら逃げ出した。
その後姿をよく見ると、手にバットやらサッカーボールやらを持って、一人は野球のヘルメットをかぶっている。
いつかの自分たちの光景がだぶり、映子は呆気にとられて少年たちを見送った。
一人の少年が振り返り、まだ映子がこちらを見ていることに気づくと口々に何か言い合って一目散に駆けていく。
映子は辺りを見回した。
みどりばあさんがふらりとやって来ているのではないかと思ったからだ。
けれど周りを見回してもみどりばあさんの姿はどこにもなく、稲の刈り取られた広い田んぼにも誰もいない。
あれ?と映子は首をかしげた。
小学生たちが指差してみどりばあさんと呼ぶべき人間は、あの瞬間映子以外にいなかった。
まさかとは思ったがどうやら自分はみどりばあさんと間違われたらしい。
そうわかるとおかしくてたまらなくなってきた。
いくらなんでも中学生の映子をつかまえてばあさんはないだろう。
そんなに自分は老けて見えるのだろうか。
帰ったら鏡を覗いて見なければなるまい。
「何してんねんこんなとこで」
戸口で頭から毛布をかぶって一人にやにやしていたら、恵一が呆れた顔でこちらを見ていた。
枯葉を鳴らして近づいてくる。
「ここってみどりばあさんの家やん。何してんねん」
「何って」
映子は何とも答えようがなかった。代わりについ今しがたみどりばあさんに間違われたことを話した。
「ああ、なんとなく小学生の気持ちはわかるで。今の映子は確かにみどりばあさんに似てるかもしれん」
恵一は話を聞き終えてそんなことを言った。
「ガキのころって、大人の年がわからんかったから、みどりばあさんやって思い込んで映子のこと見たら、ばあさんに見えるできっと。俺らが小学生のころ騒いでたみどりばあさんも、ほんまはもっと若かったかもしれんな。腰まっすぐで、ぴんぴんしとったし」
中学生になって再会したみどりばあさんは、確かに老婆ではなかった。
当時のみどりばあさんに対する思い込みと、想像力の賜物が、みどりばあさんをみどりばあさんたらしめていた。
「そっちこそ何の用? 祥子ちゃんのこと?」
映子はかまをかけてみた。
こんな場所で偶然会う確率なんてそう高くない。
宮井が映子の後をつけてきたように、恵一も何か目的があって映子の後をつけてきたのだろう。
恵一は足元の落葉を蹴り上げた。雪のように辺りに落葉がひらめいた。
「さっきはありがとう。礼、言っとかなあかんと思ってん」
「じゃあやっぱりそうなんや」
「何や、確信があったわけじゃないんか」
恵一は気まずそうにもう一度足元の落葉を蹴り上げる。
今度は上手くいかず、ザシュッという音だけがして靴先が落葉にめり込んだ。
「たぶんそうかなとは思ったけど。だって祥子ちゃんのお母さんが、今日のこと許してくれるとは思わんかったから。何か理由があるんやろうなとは思った。祥子ちゃんがお母さん風邪引いてるって言ってたから、それやったら恵一の病院に行ってもおかしくない。病院で恵一に会って、恵一が祥子ちゃんのお母さんに何か言ってもおかしくない。そのおかげで今日、祥子ちゃんは一緒に来れたんやろうなって」
「なんや、やっぱりわかってるんやんか」
「でもなんでありがとうなん?」
「だってそんなん祥子にしゃべられたら俺の立場ないやん。俺な、昨日帰ってから宮井がどこの図書館に行ったんか調べた。そしたら本館じゃないってわかって。そしたらたまたま祥子のお母さんが病院来て、だから俺、祥子のお母さんに図書館に宮井がいてないこと、俺が責任持って祥子のこと送るからって約束してん。そんなん祥子に知られたら恥ずいやん。だから、映子が祥子に黙っててくれたからありがとう」
恵一は耳まで顔を赤くした。
恥ずかしいと饒舌になるのか恵一の口はよく動いた。
「映子は昔からいろんなことよく気がつくよな。みどりばあさんが普通のばあさんやって言ってたんは映子だけやし。今になってみれば妖怪なんかいるわけないって思うし、みどりばあさんが、普通の人間やって当たり前に思うけど、小学生の頃はわからんかったもんな。みんなそう言うから、信じてた。そやのに映子だけは知ってた。保も言ってたけど、高校行かん、なんか言わんと、もっと前向きに考えてみろや。映子やったら何とかなる」
「こっちの事情も知らんとよく言うわ」
「祥子や保並に俺もおまえのことは知ってるで。けどそんなもん知らん。だからってそれがどうしてん。みどりばあさんを怖がらんかった映子なんやからどうにでもなるやろ」
「勝手なこと言うて」
映子が苦笑すると恵一は目を細めて映子を上から下までじっくりと見て、
「ほんまみどりばあさんみたいやで」
と腹を抱えて笑った。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる