路地裏の風使い

月塔珈琲

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Stray cry baby01.

record06.まるでおとぎ話のようなできごと

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 だんだんと重くなる呪われた右足を引きずりながら、ユウイは少年の後をついていった。
 少年は少女を抱えているのにもかかわらず、ずっと早足で歩いている。

「まって、まって! あの、どこにいくの? わたし、おうちにかえれるの?」

 少年は大通りとは逆の方向に歩いている。一度通った道をもう一度歩いたり、外壁のくずれた廃墟の中を通り抜けたり、まるで野良猫の散歩のようだとユウイは思った。
 そうして大通りの時計塔がだんだん離れていく。ユウイは慌てて少年に問うた。

「呪いを解いたら帰してやるよ。まあ、解けたらの話だけど」

「ほんとうに? ほんとうはゆうかいしようとおもってるんじゃあ、なくて?」

「はぁ? 誰がお前みたいな鼻水たらしたガキ誘拐するんだよ。そういうことは、もっと魅力的になってから言ってください」

 そう言って振り向いた少年が、ユウイの顔をじっと見た。
 少年の瞳は不思議な色をしている。海のように青い色をしているように見えたかと思えば、曇り空のように灰色に見えたり、暖炉の火のように赤く見えたりする。
 ユウイがそのことを問うと、少年はユウイの目をじっと見て、言った。

「汚い顔」

と。

 ユウイの頭に、お星さまが直撃したような衝撃が走った。
 確かに走り回ったり、転んだりしたので、誇りまみれの顔をしているかもしれないが、それはあまりにも失礼じゃないか。

 ユウイは頬をふくらませ、唇をとがらせながら抗議した。すると少年は「笑わせなくていいから」と再び歩き出した。

「俺の目の色が奇妙に見えるなら、それはお前に問題があるってこと」

 そういう風にできている。少年は振り向くことなくそう言った。
 何を言っているのか、ユウイにはまったく理解できない。

 ユウイが首をかしげて歩いていると、急に少年が壁の前で立ち止まった。
 灰色の壁には白いペンキで円が描かれていて、その円を囲むように白い文字が書かれている。

 少年は少女を一度地面におろすと、円の中央に手を置き、

「エリー、七の主の命令だ。門をひらけ」

 と、壁に向かって言った。

 すると壁に描かれていた円と文字が回転し、壁全体が光ったかと思うと、うっすら壁の向こう側が透けて見えはじめた。
 ユウイが驚いて口を開けている間に、まるで初めからなかったかのように壁が消えてしまった。

 消えた壁の向こうには、レンガ造りの小さな風車塔があった。
 ユウイがぽかんと口を開けたままにしていると、少年は再び少女を抱きかかえ、行くぞ。とユウイに声をかけた。

 風車塔の扉を今度は鍵で開け、少年はユウイを手招きする。
 ユウイはおそるおそる薄暗い塔の中に足を踏み入れた。
 目の前には古びた螺旋階段がある。重い右足を引きずりながら、ユウイは少年とともに螺旋階段を上がり始めた。

 少年は少女を抱きかかえているというのに、足取りが軽い。こちらはこんなに足が重いのに。ユウイは自分の足を見る。足首の白蛇と目が合った。

「そいつ、呪いが強くなるとしゃべりだすぞ」

 少年が振り返りユウイに言った。けけけ、と白蛇が笑いだす。
 あーあ。少年は別段困った様子もなく、白蛇を見て言った。

 青ざめた表情で右足を引きずりながら階段を上がりきったユウイの前に、半分だけ開かれた扉が現れた。少年は先に行ってしまったようだった。

「入れよ」

 扉の前でもじもじ様子をうかがっていると、中から少年の声がした。
 ユウイはおそるおそる扉の中をのぞき込む。中はたくさんの本が積み重なれた小さな部屋だった。足の踏み場がないほど本にあふれ、部屋の奥にある暖炉にまで本が詰め込まれている。
 ユウイが部屋に入ろうとすると、右足首の白蛇が歌いだした。ユウイはますます青ざめ右足を引きずりながら部屋に入った。

「そこの椅子に座ってろよ。先にやることがあるから」

 ユウイは言われたとおり、部屋の隅に置かれている椅子に座った。
 少年は少女を窓際のソファーに寝かせると、なにやら指で空中に文字を書いた。

 書かれた文字が、青白く光り空中に浮かび上がった。
 その文字が天井にむかって一列に流れていく。そうして文字は円を描き、天井で回転する。

 まるで魔法だ。動く黒い骸骨、変化する壁の文字、消える壁。今日自分が見たそういうものは、すべて現実で起きていることなのだろうか。
 ユウイは天井で回転する文字を見ながら、両頬をつまんでひっぱってみた。うん。痛い。ど うやら夢ではなさそうだ。

「元から面白い顔をさらに面白くするなよ。それよりお前さ、なんで路地裏にいたの? 立ち入り禁止だって、マーガレットに言われなかったのか?」

「ママを知ってるの?」

 今日最初に会った時も、母の名前を言っていたなと思い、ユウイは少年にそう問うた。

「知ってるよ。小さな街だから、住人の顔と名前はだいたいわかる。お前、ユウイ・ワーナーだろ? 前に一度会ってる」

 そうだ。この少年はカルペディエムのコルトさんの孫だ。前に母とあいさつに行ったときに会った、不愛想な少年。名前はたしかヨーダだ。

「あの、その、あなたはなにをしていたの? 立ち入り禁止なら、ヨーダも入っちゃいけないんじゃないの?」

「なんだ、俺の名前覚えてたのか。俺は七の主の孫だから路地裏に入れるんだよ」

「ななのあるじ?」

「七の主っていうのは、この街を仕切ってる老いぼれ爺さんの集団だよ。あたまつるつるしてんのが七人いて、一の主から七の主までいる。一の主が一番偉くて、七の主がうちのじいさん。ていうか、その説明もマーガレットはしてないのか?」

 うん。とユウイはうなずいた。ヨーダは困ったように笑い、椅子に座るユウイのもとに来てまた空中に文字を書き、右足の白蛇をつかんだ。

「三の主の命令だ。今すぐこいつから離れろ。さもないと」

 きゅい! と鳴いた白蛇が、ヨーダにつかまれたままぶるぶると震え上がり、涙をぽろぽろとこぼして消えていった。
 白い光の粒をまとい消えていった白蛇のことがなんだかかわいそうになったユウイだったが、その気持ちを察したのかヨーダが言う。

「同情すると、また出てくるぞ」

 そう言って笑うヨーダの顔を見て、ユウイは不愛想だと思っていたヨーダもこんな風に笑うんだな、と思った。

「こんなにはやくきえるのなら、どうしてろじうらで取ってくれなかったの? どうしてわたしをここにつれてきたの? わたし、おうちにかえりたいのだけれど」

「グリオスの呪いは、エリーの管轄内じゃないと消せない。路地裏はアリアの管轄だから」

「エリー? アリア? かんかつない? よくわからないのだけれど、あなたたちはまほうつかいじゃあないの? わたし、まほう、はじめてみたのよ。まほうつかいはほんとうにいるのね!」

 うーん、とヨーダは腕組みをし、何やら考え始めた。
 ユウイはソファーに横たわる少女とヨーダを交互に見て、これは内緒のおはなしなのかしら? と首をかしげ、唇をとがらせた。

「お前がなんでアリアの管轄内に入れたのか聞きたかったんだけどな。普通、街の住人は路地裏の奥に入ることさえできないんだよ。お前本当になんであそこにいたの?」

「なんでって、あっ! わたし、クマさんをさがしてたんだった!」

 野良犬に持っていかれたクマのリュックのことをヨーダに聞いたが、そういったものは見ていないとヨーダは答えた。

「つまり、その野良犬を追いかけて路地裏に入ったんだな?」

 うん。ユウイはうなずいた。

「どうしよう、クマさんは、おばあちゃんがつくってくれたのに、 わたし、なくしちゃった」

 ユウイの胸に、悲しい気持ちがどんどん押し寄せてくる。

 (ああ、こんなことをしているから、わたしはおばあちゃんにきらわれてしまったんだ)

 唇をかんで泣くのをこらえていたユウイだったが、自分の意思に反して涙があふれだした。
 どうしよう、どうしよう。このままだと、ただでさえ連絡のつかない祖母とのつながりがなくなってしまう。

「リュックを持っていった野良犬っていうと、おそらくアンクルだろうな。あいつ、子どもの持ち物ばかり狙ってるから」

「アンクル?」

「そう。あいつもお前と一緒で、なぜか路地裏に入れるんだよな。まぁ、そのリュックも探しといてやるよ。必ず見つけるって約束はできないけど」

「ほんとう?」

「約束はできない。俺、無責任な約束は嫌いだから」

 ヨーダがそう言ったのと同時に、天井の回転する文字が止まった。そして今度はその真下に寝ている少女の周りを、白い文字が回転する。

 小さくオルゴールのような音が流れ、回転する文字が徐々に小さな白い花に変化して、天井に吸い込まれるようにして消えていく。
 そんなおとぎばなしのような光景を目にしていたら、ユウイの目からだんだんと涙が引っ込んでいった。
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