江戸の夕映え

大麦 ふみ

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一家皆殺しの押込強盗に遭遇した少女の話 ──『我衣』、『街談録』より

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 いまは十二歳、再来月に文政六(1822)年を迎えれば十三歳となるつやは、夜半、堪えがたい尿意で、真っ暗な部屋の中で目覚めた。

 つやは寝付きの悪い夜には、どうしたことか、夜中に小便に行きたくなってしまう。おねしょうの癖がなかなか抜けなかったことに関係しているのかもしれない。隣の太田吉羽村からここに住み込み奉公へ来た当初、失敗をして、布団を汚してしまったことがあった。今でもあの恥ずかしさを忘れらない。けれども、年季奉公が三度くりかえされるうちに、この家での仕事、仕来りがわかってきて、そういうあぶない夜はほとんどなかったというのに、昼間のやりとりが後をひいているのかもしれないとつやは思った。

 三畳の真っ暗な女中部屋では、姉のなつが、本当に息をしているのかあやしいほど身じろぎひとつせず眠っている。子守のつやと違って、下女として働くなつは朝早くの火起こし、水くみに始まり、ありとあらゆる家事を任され、寝入る前まで仕事の切れ目がない。抱主の市郎兵衛は、我が身一代で、このあたりで一番の富農となった働き者で、ひどい人ではなかったが、甘くもなかった。気の良いなつは、そうした毎日に文句もいわず、食べることのほかは、眠るのがいちばんの楽しみとしているようだった。ただでさえそうなのに、いま下川崎村は稲刈りの季節の真っ最中で、その重労働に見合って賄い飯の量が増やされていた。みなが存分に食べて、働き、そして夜は一日の疲れを深い眠りで癒した。

 つやはなつの楽しみを邪魔しないようそっと布団からぬけだした。武州葛飾のこの地では、江戸市中よりも冷え込は強い。馬屋の横に立てられた外便所にでるために、野良仕事用の出入口を開けると、思わぬ寒気に身震いがおこった。とつぜん母、父のことが思い出された。こんな夜、市郎兵衛の立派な屋敷とはおよそ異なる、土間に藁敷きの我が家では、家族がお互いの温もりを頼りにするよう、ぴったりと体を寄せ合って眠る。母とはこのあいだの藪入り以来だと思うと、涙が目尻からにじんでくるような気がした。真っ暗な雪隠のなかにはいると、うっかり尿の溜まりに落ちてしまわぬよう気を付けなくてはいけなかった。

 月の明かりが雲がかかってさえぎられると、闇がいっそう深くなったうように思えると、周囲の音がますます気になった。ひゅうひゅうと寒気を切る風の音と、揺れる枝音や葉音、痛んだ造作を明かす軋み音が、塀だの、屋根だのから聞こえる。

 ──あれ。

 それらの音にまじって人の声が聞こえた気がした。辺りの家も、市郎兵衛と同様に刈入れに忙しく、こんな時刻に出歩くような人がいるのだろうか。村には博突をやっている人たちがいるらしいこと、名主が大目に見てやっていることをなつから聞いたことをつやは思いだした。

 市郎兵衛が用心のために、塀の下に砂利を敷いていなかったなら、用を終えたつやは立ち上がって雪隠をでているところだった。しかし、風や葉ずれと明らかに違う、ザリッという乾いた音がして、つやをその場でこおりつかせた。誰かが塀を越えて入り込んで、小石を踏みしめたのだ。子守のつやまでもが、市郎兵衛から盗賊への備えに怠りないよう、日頃から注意を受けていた。でも、家のなかでぐっすり眠っているみなには、聞こえなかったのではないかと、つやは恐ろしくなった。

 ──どうしよう。

 寒さとは別のふるえで足ががたがたとふるえだし、それが音をたてないように必死となってうずくまっている。もう砂利を踏み音は聞こえなかったが、しずかな足音がいくつか聞こえた。何人ぐらいだろうかつやには皆目予想がつかなかった。ただ、一人らしい足音が、雪隠の横をとおって、裏へと向かっていくよう思われた。

 ──質蔵だ。

 市郎兵衛は金貸し、質屋をやっていることを知らないものはこのあたりにいない。侵入者が金目当の盗賊なのはまちがいなようつやには思われた。

 ──ええと、今日はだれが守り番だったかしら。

 用心深い市郎兵衛は、質蔵に不寝番を配置していたのだ。さすがに質蔵の外に立たせておくのを引き受けるものが見つからず、質蔵のなかに当番をおいていた。もし、中から抵抗して蔵をあけさせないことになっていた。そうしているあいだに、なかにおかれた太鼓を叩いて、母屋のもの、近隣のものに異常を知らせる手筈となっている。しかし、いつまでたっても太鼓の音は聞こえてこない。

 ──なにをしているの。早く、早く太鼓を叩いて。皆を起こして。

 助けを待つつやがじれていると、母屋の方から、ガタリという音がした。雨戸の閉められた家屋にはいりこもうと、なにかしているのか、かなり大きな音で、息を殺して気配を消していたつやの方が驚きでとびあがりかけた。盗賊達が大胆な手口を恐れていないようなか気がして、つやは恐くなった。

 ──早く、早く、みんな起きて。

 つやは、いったいなにがおこっているのかと、そっと外の方に顔をずらして、母屋の様子をうかがおうとした。その瞬間、戸口がするりと開かれた。暗くて顔はわからなかったが、でてきたのは、背丈から要蔵だとつやには察しがついた。稲刈りの手伝いに隣村から雇われた男だった。土間口で藁をしいて眠っていたはずで、さっきの音で目覚めたのかもしれない。

 要蔵が音のしていた方向に様子を探りにしようと向かおうとしたときには、二つの人影がすでにそこに殺到していた。暗闇のなかで、振り上げられた抜き身の刀が月の光を反射してぎらりと光るのをつやは目にした。

 虚をつかれた要蔵は、最初の一撃をまともに肩口にくらって、拝むような姿勢のまま膝から地面におちた。悲鳴はあがらなかった。もうひとつの人影のほうが、振り払った刀が要蔵の頸をとらえて、空気は口からではなく、その切口から血しぶきとなって撒かれていたためである。地面に倒れた要蔵、二つの人影はなおも手を止めることなく、切り刻んだ。

 要蔵がもはやなんの反応も示さないとわかると、ふたりはようやく手をとめ、刀についた血潮を要蔵の着物で拭った。ひとりが先ほどの場所に戻って、龕灯を取り上げ戻ってきた。それが発する灯りは、闇になれた瞳に眩しいほどて、頬被りした盗賊の顔をチラリと浮かび上がらせた。ふたりは、要蔵の骸を開け放たれていた戸口の中へと運び込み、姿を消した。

 人がなぶり殺されるのを間近で見たつやは、しばらくからたも頭も働かずにに、ただその場で呆然としていた。なにをしたらいいのか、逃げたほうかいいのか、助けをだれかに求めればいいのか、そんなことも思いつかなかった。

 ふと戸口に目をやるとそこに丸い影が浮かんで見えた。鞠だった。それを見た瞬間、とつぜん、自分がなにをしなくてはならないが分かった気がした。家の中には、きしがいる。たぶん横には母親のりゑが一緒に眠っているだろう。そう思っても、まだ歩くことのできない時から、一緒に遊ぶことができるまで、子守をしつづけていたつやには、きしのことが気になってたまらなくなったのだ。そう思うと、さきほどまでの体を凍りつかせるほどの恐怖がとけて、足は戸口の方へと進み出していた。
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