江戸の夕映え

大麦 ふみ

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偽金使いを追う岡引の話─『反古のうらがき』より

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 それからしばらく、権蔵はあいかわらず与之助の家に通い、仕事の手伝いを続けた。ただ、以前のように、偽金の事を軽々に話題とするのをやめた。

 そして、頃合いをみはからって、とどめを刺しに出た。

 仕事を終えて、一緒に一杯やりにいこうかという無言の誘いをうけとった権蔵は、二人しかいない与之助の仕事場で、ことさらにあたりを見回し、戸口に立って聞き耳をたてる者がいないかを確かた。

 また、あのことかという表情が、与之助に浮かんだ。そういう与之助の心の内を気にも止めない様子で権蔵は、ひねられた懐紙に包まれたものを与之助に近づいて、差し出した。

 与之助は、おおよその察しがついていたのだろう、もうなにもいわず、それを掌の上で転がした。

 二朱銀が三枚、黒ずみ、全体がこれすて、磨り減った銭だった。

「作りやした」

「馬鹿野郎、この前、教えてやっただろう。それを聞かず、こんな不細工なもの持ってきやがって……」

 与之助はどうにも怒りがおさまらないようで、小半時も説教を続けたあげく、二度ここに出入りは許さんという、縁切りの台詞をはいた。それでも権蔵が節を曲げないのがわかってくると、与之助は、とつじょ、文箱ほどの大きさの道具箱をつかんだ。

 怒りのあまり、それを投げつけるのか、と権蔵は身構えた。しかし、与之助は道具を扱ういつもの繊細な身振りで、それを権蔵の眼の前に突き出しただけだった。そうして、権蔵の視線をひきつけておいてから、箱の底を開けた。とごかに細工がしてあり、それは隠し蓋となっていたのである。なかに潜ませていた塊を掴んで、権蔵に渡した。

 銭だった。

「とっくりと見ろ」

 鈍色の小粒の銭のいくつかを受け取った権蔵は笑い出した。

「これは、本物でさあ」

 与之助のものとおぼしき偽金を権蔵はすで二つ押収していた。それを手元においてたえず賞翫しょうがんしていたが、それらとは様相を全く異にしている。重さ、手触り、固さ、見かけのどこにも、違和の感覚が生じる余地がなかった。

 まともに取り合おうとしない権蔵に、与之助は苛立いらだった。しばし、考えあぐねた気味で、沈黙をたもっていたが、辛抱仕切れぬといった様子で言った。

「よいか、絶対に口外はならんぞ」

 権蔵は、こみ上げる笑いをひた隠しにして、与之助の目をみてしっかりとうなずいた。

 土間の竈のところに行き、その横に置かれてあった水瓶を手前に引きずりだした。そうして、竈の台座の側面に戸をのばして、そこから隠しの引き出しを引いた。いままで権蔵の見たことのない隠匿いんとく場所だった。竈の台座を与之助が細工したのだと思われた。

 与之助がそこから持ち出したのは、片手で持つにはやや不自由な大きさの石塊、といっても色こそ茶色だが、六面が直線で構成されて大きめのすずり石を思わせた。

「落とすな」

 権蔵は手に取り、子細に眺める。ガチガチに固められた砂でつくられ、天に向く一面の表面には、くぼみが穿たれていて、その底には細かい溝が彫られていた。

 鋳型である。高熱をかけて坩堝るつぼで金属を溶かした、それを注いで銭の形にするためのものだ。

 ほとんどの場合、偽金をつくればそのたびに打ち壊して、跡に残さないものと権蔵は聞き知っていたので、こうやって大切に保存されていたのが意外な気がした。おそらく、快心のできのものなのだろう。

「だがな、もっと大事なのは、ものの良い地金を使うことだ。錺職をやっていたならわかるな。光沢、手触りはそれで決まる。磨いたり、塗りでごまかしきれるもんじゃない」

 最近の官鋳銭はものが悪すぎてこれ以上手のつけようがないと言うのだ。都合のいい地金屋を見つけだしても、使い続ければ足がつく恐れがある。よい材料を探してときには東北までにでたものだと与之助は語った。

 誰にも語らずため込んでいた、苦心惨憺さんたんを重ねた工夫、それを言葉にできる喜びにに酔っている、権蔵はそう思った。

 ──終わりだぜ、おっさん。酔ったら、終わり。酒じゃねえ、自分に酔ったら、終わりだ。

 与之助が捕まったのは、権蔵が与之助の忠告を認め、偽金には手をつけないと約束して、家を辞した、その一刻後であった。与之助がいかに危険を冒したかに気づいて、逃亡を企てる前に踏み込むべきだと、権蔵が同心につよく進言してのことだった。

 同日戌の上刻、同心と捕り物に慣れた手下とともに与之助の宿を囲み、おおのおのが得物を手に踏み込んだ。寝入りばなの与之助は、なんらの抵抗も見せず縄に掛かった。偽金づくりの証拠、処刑を確実とする鋳型も隠し場所から運びだされた。

 そこで与之助が権蔵の姿を目にすることはなかったが、この顛末の裏になにがあるか、また次に奴に合うのは、お調べの場所であることも与之助には明らかだった。
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