昭和の親爺

鈴木 星雪

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ホ-ル少佐

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 ある日の夕方、食事を終え茶の間でくつろいでいると、テレビの画面に“おニャン子クラブ”の女の子達が歌う姿が映し出された。「おい、何じゃ、こりゃあ」父は、テレビの画面へ顎を突き出しながら私に聞いてきた。
「ああ、これは“おニャン子クラブ”というアイドルグル-プですよ」「何だ、そのニャンクでアイドリングしたグリルってえのは?こいつら自動車でも組み立てているのか?」父は、造船会社に勤めていた技術工だったので、横文字の話になると、ものの製造工程に結びつけようとする癖があった。
「“ニャンク”じゃなくて“おニャン子”、猫ですよ。“アイドリング”じゃなくて“アイドル”人気のある若い芸能人ですよ。」「何で、まともな日本語で名乗らん。」「さぁ・・・、何故でしょうか・・」
「何が“おニャン子”じゃ、“トラ・トラ・トラ”のほうが余程語呂がいい。」
「暗号じゃないですよ。“おニャン子”は・・・」父は、腹巻をなおしながら「お前は、正しい日本語を使わないことに不満を感じんのか」「大袈裟な、そんなに目くじら立てなくとも・・・」「馬鹿者、お前のような能天気な奴が多いから、この国の言葉が廃れていくんじゃ。お前達のようなホ-ル少佐の使いっ走りが蔓延するから、日本語が寂れていくんじゃ。不愉快だ。出かけてくる」父は、そう言ってラクダ色の肌着・ももひきに茶色の腹巻、それに下駄履きで興奮しながら出て行った。
 後から、父に聞いたところホ-ル少佐とは、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)所属の米国軍人で、太平洋戦争が終わり日本はGHQの統治下にはいる。このGHQの中に民間情報局(CIE)という部署があり、そのなかの一部署CIE言語課の担当官がロバ-ト・キング・ホ-ル少佐だった。何故父が、このホ-ル少佐を引き合いに出したかといえば、このホ-ル少佐は、日本語のロ-マ字化を構想した「GHQのロ-マ字化計画」を立案した人物だったからである。結局、この計画は実現されなかったが、あらゆる表記をローマ字でしか表さない日本社会。想像すれば恐ろしい計画であって、薄気味の悪さを感じる話だった。
 日本国内が、ローマ字表記で統一されれば、確かに連合国の占領は言語の面で容易になっただろう。ただ、これが統治の円滑化を図ったものなのか、日本語という世界一難解な言語を消滅させることで再び戦争となった際、暗号解読・機密文書解析等を簡易にし軍事的優位を図ることを目的としたものなのかは定かでは無い。だが、とにかくこの計画は消滅した。
 ただ、何故アイドルグループの説明をしただけで、恐るべき占領政策を敢行しようとした米国軍人の手先と決めつけられたのか。その辺りは、幾分納得いかないし割り切れなかった。しかし、何故父が、ホ-ル少佐とその活動を知っていたのかも不明だった。つむじを曲げて出て行った父は、おそらく行きつけの赤提灯で一杯引っかけているのだろう。

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