昭和の親爺

鈴木 星雪

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万年筆

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ある小春日和の穏やかな朝だった。にも関わらず、我が家は騒々しかった。「おい、肌着は何処にある、それと靴下は?茶色の奴だ、穴開いてない奴があったろう。あ・・それそれ、」ガタンガタンと箪笥の引き出しを開ける音ががひっきりなしにしていた。「おい、あのネクタイはどうした?」「ネクタイは、ここですよ。昨夜のうちに出しておいたじゃないですか。」私が言うと「ああ、そうだったか・・・」父は、今日大切な人に会うらしい。中学校の同級生だから、五十年以上経っているだろう。学年一の秀才にも関わらず、それを鼻にもかけず素直で誰にでも優しい才媛兼備の女性だそうだ。彼女の父君が、仕事の都合で転勤となり他の町へ引っ越していき、それ以来の再会だったようだ。
“可憐で清楚。大和撫子のお手本のような娘じゃった”その女性を評する際の父の様子を見れば、きっと当時は秘かな想いを抱いていたんだろうと想像できる。父が、何故その憧れの才女と再び巡り会えたのかといえば、神の為せる偶然の賜と言えるかも知れない。この憧れの才女の姪が結婚することとなり、久しぶりに東京へ出てきて祝いの品をデパ-トで選んでいたとき、神の“匙加減”によって再会をもたらした。しかし、その再会は劇的だがロマンチックなものではなかった。父は、デパ-トの万年筆売り場で、かねて欲しかったパ-カ-の万年筆を見ていたらしい。“いつものように”見ていたらしい。私は、父から話を聞いたとき、よくその才女は仰天もせずその場に居合わせたものだと感心している。父が、万年筆を見ている姿は見慣れぬ者にとっては衝撃の姿だからである。父は、まず万年筆売り場のショ-ケ-スに屈み込む様に顔を近づけ両手をショ-ケ-スの上に置き、好みの万年筆を食い入るように覗き見る。息がかかるほどケ-スに接近し、両手をベタリとケ-スにつける為、指紋・手相がケ-スにベタリとついてしまう。売り場の店員さんも毎度のことながら困惑している。お客とはいえ、できれば帰っていただきたい客の部類だろう。何度も“余り近づかない様にお願いします”、“両手をつけたままにしないようにお願いします”と注意されても“う、うむ・・・”といったままショ-ケ-スにしがみついたままなのだから。店員も最近では呆れ顔である。その異様な場面で、久しぶりの再会なのだからかつての同級生も驚きは尋常ではなかったと思う。父は「パーカ-、パ-カ-・・・」と呟いていると不意に自分の名を呼ばれ、振り向くと才女の君が微笑みながらハンカチを出したそうである。何故かと言えば、父は鼻の下に鼻水なのか、ショ-ケ-スに息を吹きかけたための汗が鼻の下についたものなのか、兎に角、水が鼻の下にたれていた。
「お父さん、今日会う方は大切な方なんでしょう。」「そうだ。」父は、ネクタイを締めながら言った。「その方は、人間が出来た方なんでしょうね。お父さんが、万年筆を見ている姿に遭遇しても又会いましょうなんて約束するなんて」「当たり前だ。彼女は、中学の頃から純真だった。見かけや上辺だけで人を判断しない。人物本位で人を判断できる確かな目を持っておる。この体たらくな俗世という泥沼に清楚な花を咲かす蓮の花のような可憐な女性じゃ。それは、中学の頃から変わっておらん。おい、クリ-ニングにだしたハンカチは?」「ここですよ。」私は、綺麗で品の良い花の刺繍をあしらった白いハンカチを出した。これが、問題の鼻の下の水を拭いたハンカチである。
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