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第一話:霊 瑞香
妖怪三人組
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一
麻布十番は一本松の三叉路、江戸初期には『首吊塚』とも呼ばれていた。
なぜ首吊塚と呼ばれるようになったかには諸説あるが、その一つに、関ヶ原の合戦で送られてきた首を家康が検分して埋めたからとも言われているが、しかし。
本当は何があったのか、太郎にそれとなく聞いてみても、彼は口を薄く開けて笑うだけで言う気はさらさら無いようで、その目はまったく笑っていなかった。
麻布とは室町時代からあった町で、民家のほとんどは茅葺が主流、荷を引くものといえば牛車、その牛車で米俵を運んでいるのどかなところであった。
明暦の大火以降に街が整備され武家屋敷が建つようになった頃から懐かしい田舎町風景は一部のみぞとなり、おハイソな街へと変貌を遂げてしまったのである。現在ではその頃の面影はないに等しい。
そんなところに夜中の十二時を過ぎてから闇に紛れるようにひっそりと現れるこぢんまりとした一軒の古い民家があった。
背の高い建物の影になる位置に、夜闇に紛れ込み、瞬きを一つしているうちに、ちょっと他に気を取られているうちに、六畳一間程度しかないそれはそれは小さな茅葺屋根の民家がふうっと闇夜の中に現れるのである。
しかし、この民家に居座っているものは人ではない。
そうこうしているうちに影の内から垂れる水のようにつぅっと民家の前に姿を現したのは、お洒落な長羽織を着た細身の男。腰には刀がぶらさがっている。
仲間内では『メロンソーダ侍』通称『侍(ざむらい)』と呼ばれている。侍風ではあるが生前は侍ではない。大店の長男坊として生まれたのに大して働かずに遊び放題に遊んで家族はもちろん方方に迷惑ばかりかけていた放蕩息子であった。
「よっこらせ」と掛け声をかけながら建て付けの悪い引き戸を雑に開け憎めない笑顔を覗かせた。
「やいや、今日も寒いなあ。これは昭子さんのせいだよ。あれがいるから寒さが増すんだ。まったくしょうもねえ。太郎、あれだ、いつものをちょいとくんな」
「おや侍さん、今日は来るのがずいぶんと早いじゃないか。それに外はそんなに寒いのかい? 寒いのは体にこたえるからやだねえ。いつものアレだね。ちょっと待っておくれな」
しゃがれた声で返事をよこしたのはこの民家の主人、タロ太郎だ。『タロ』が苗字で『太郎』が名前だというんだからふざけている。本人はいつぞやの頃からかこの名前一本で通していて、今ではもう自分の本当の名がなんなのか、本人ですら首を傾げる始末であった。
戸を引いて家の中に入ってみるとすぐに小上がりになっていて、履物を脱いで部屋の中へと上がるシステムになっていた。
部屋の中は狭くて薄暗い。真ん中には不自然に大きなこたつが一つだけ置かれていてあとは何もない。こたつ布団には猫の柄が描かれていた。その奥が台所となっていた。
太郎はその台所にいて侍の飲み物を入れるグラスを用意していた。
侍は慣れた様子でこたつに入り込み、こたつ布団を肩まで引っ張った。
太郎はそんな様子を見て左の唇だけ上げて鼻でふんと一つ笑う。
小馬鹿にしているように見えるその笑いは彼の癖であった。
そんな太郎は長めの金髪に筋の通った鼻、切れ長の目、ぴんと背筋の伸びた立ち姿に流行りのデニムの着物がよく似合っていた。どういうわけか足元はスニーカーという不自然さには首を傾げるところである。しかし本人は全く気にしていない。
「それで、今日は誰の話を聞きたいんだい、たまちゃん」
鈴の音のような耳心地の良い声が侍が座った隣から聞こえた。そのまた隣には「たまこ」と呼ばれた年の頃は十才前後のおかっぱ頭の少女が分厚いノートを広げて鉛筆を持って待ち構えていた。
太郎と侍が話しているうちにどこからともなく二人は現れて、気付いたときにはこたつに入っていたのだ。部屋の中もいくばくか明るくなっている。
「昭子(しょうこ)さん。今日は侍さんの話を聞かせてくれる約束をした日ですよ。侍さんがどうしてここにいるようになったのか、教えてくれる日。いっつも話の途中ではぐらかすから最後まで聞けてないもん」
昭子と呼ばれたのは、先ほどの鈴の音の声の主で、紅色の振袖の打掛にお垂髪(おすべらかし)のよく似合う妖艶な雰囲気に嗅いだことのない甘い香の香りをふわりと漂わせた二十に差し掛かろうかという頃合いの女子(おなご)だ。
肌はこの世に新しく舞い落ちる輝ききった雪のごとく真っ白でとても冷たい。身体をくねらせ太郎にいつものように「あたしにはお酒をちょうだいね」と台所の奥に置いてある酒の瓶を指さした。
「はいはい。いつものですね。ちょいとお待ちを」
ちょこんと頭を下げた太郎は、侍の前にいつものメロンソーダを、昭子には日本酒を、たまこにはオレンジジュースをてきぱきと出した。
各々飲み物を手に取り一口飲むと、頼んでもいないのにおでんの皿がそれぞれの前に置かれる。
麻布十番は一本松の三叉路、江戸初期には『首吊塚』とも呼ばれていた。
なぜ首吊塚と呼ばれるようになったかには諸説あるが、その一つに、関ヶ原の合戦で送られてきた首を家康が検分して埋めたからとも言われているが、しかし。
本当は何があったのか、太郎にそれとなく聞いてみても、彼は口を薄く開けて笑うだけで言う気はさらさら無いようで、その目はまったく笑っていなかった。
麻布とは室町時代からあった町で、民家のほとんどは茅葺が主流、荷を引くものといえば牛車、その牛車で米俵を運んでいるのどかなところであった。
明暦の大火以降に街が整備され武家屋敷が建つようになった頃から懐かしい田舎町風景は一部のみぞとなり、おハイソな街へと変貌を遂げてしまったのである。現在ではその頃の面影はないに等しい。
そんなところに夜中の十二時を過ぎてから闇に紛れるようにひっそりと現れるこぢんまりとした一軒の古い民家があった。
背の高い建物の影になる位置に、夜闇に紛れ込み、瞬きを一つしているうちに、ちょっと他に気を取られているうちに、六畳一間程度しかないそれはそれは小さな茅葺屋根の民家がふうっと闇夜の中に現れるのである。
しかし、この民家に居座っているものは人ではない。
そうこうしているうちに影の内から垂れる水のようにつぅっと民家の前に姿を現したのは、お洒落な長羽織を着た細身の男。腰には刀がぶらさがっている。
仲間内では『メロンソーダ侍』通称『侍(ざむらい)』と呼ばれている。侍風ではあるが生前は侍ではない。大店の長男坊として生まれたのに大して働かずに遊び放題に遊んで家族はもちろん方方に迷惑ばかりかけていた放蕩息子であった。
「よっこらせ」と掛け声をかけながら建て付けの悪い引き戸を雑に開け憎めない笑顔を覗かせた。
「やいや、今日も寒いなあ。これは昭子さんのせいだよ。あれがいるから寒さが増すんだ。まったくしょうもねえ。太郎、あれだ、いつものをちょいとくんな」
「おや侍さん、今日は来るのがずいぶんと早いじゃないか。それに外はそんなに寒いのかい? 寒いのは体にこたえるからやだねえ。いつものアレだね。ちょっと待っておくれな」
しゃがれた声で返事をよこしたのはこの民家の主人、タロ太郎だ。『タロ』が苗字で『太郎』が名前だというんだからふざけている。本人はいつぞやの頃からかこの名前一本で通していて、今ではもう自分の本当の名がなんなのか、本人ですら首を傾げる始末であった。
戸を引いて家の中に入ってみるとすぐに小上がりになっていて、履物を脱いで部屋の中へと上がるシステムになっていた。
部屋の中は狭くて薄暗い。真ん中には不自然に大きなこたつが一つだけ置かれていてあとは何もない。こたつ布団には猫の柄が描かれていた。その奥が台所となっていた。
太郎はその台所にいて侍の飲み物を入れるグラスを用意していた。
侍は慣れた様子でこたつに入り込み、こたつ布団を肩まで引っ張った。
太郎はそんな様子を見て左の唇だけ上げて鼻でふんと一つ笑う。
小馬鹿にしているように見えるその笑いは彼の癖であった。
そんな太郎は長めの金髪に筋の通った鼻、切れ長の目、ぴんと背筋の伸びた立ち姿に流行りのデニムの着物がよく似合っていた。どういうわけか足元はスニーカーという不自然さには首を傾げるところである。しかし本人は全く気にしていない。
「それで、今日は誰の話を聞きたいんだい、たまちゃん」
鈴の音のような耳心地の良い声が侍が座った隣から聞こえた。そのまた隣には「たまこ」と呼ばれた年の頃は十才前後のおかっぱ頭の少女が分厚いノートを広げて鉛筆を持って待ち構えていた。
太郎と侍が話しているうちにどこからともなく二人は現れて、気付いたときにはこたつに入っていたのだ。部屋の中もいくばくか明るくなっている。
「昭子(しょうこ)さん。今日は侍さんの話を聞かせてくれる約束をした日ですよ。侍さんがどうしてここにいるようになったのか、教えてくれる日。いっつも話の途中ではぐらかすから最後まで聞けてないもん」
昭子と呼ばれたのは、先ほどの鈴の音の声の主で、紅色の振袖の打掛にお垂髪(おすべらかし)のよく似合う妖艶な雰囲気に嗅いだことのない甘い香の香りをふわりと漂わせた二十に差し掛かろうかという頃合いの女子(おなご)だ。
肌はこの世に新しく舞い落ちる輝ききった雪のごとく真っ白でとても冷たい。身体をくねらせ太郎にいつものように「あたしにはお酒をちょうだいね」と台所の奥に置いてある酒の瓶を指さした。
「はいはい。いつものですね。ちょいとお待ちを」
ちょこんと頭を下げた太郎は、侍の前にいつものメロンソーダを、昭子には日本酒を、たまこにはオレンジジュースをてきぱきと出した。
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