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第一話:霊 瑞香
怪しい男
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あれ、この人見たことある。どこかで会ってる。
瑞香は確かに覚えがあった。
己の隣には侍の格好をした男が知らぬうちに座っていて、手にはメロンソーダを持っていた。
アンバランスさ加減になんとことばを言っていいのか。ちょうどいい塩梅のことばが出てこないが、やはりこの顔には見覚えがある。
思い切りじろじろと眺め回す。そして息を飲んだ。
「侍さんですよね」
「おお、覚えていてくれたのかい? それは嬉しいねえ」
目を細めて美味しそうにメロンソーダを飲んでいる侍のその向こうに黒い靄が動いたような気がして瑞香は目を擦った。まだ消えていない。もやもやと侍の後ろで動いている。
「それで瑞香さん、その男はあんたが一緒に生活するようになってからどうなったんだい?」
太郎に酒を注いでもらった昭子は楽しそうに瑞香に話の水を向けた。
瑞香は侍をもう一度ちらと黒い靄を見て、太郎に身体を向け直す。
「はい、私が茨城に移り住んで、最初の頃はよかったんです。二人で楽しく過ごしてました。どこへ行くにも一緒だったし、片時も離れたことはなかったんです」
「いいねえ、そういう話はその後が絶対に面白くなるんだ」
昭子がくくっと笑った。
瑞香は困ったように眉を更に下げるが昭子の待ち構えているギラついた目に負けて話を続ける。
何ヶ月か経った頃から司は妙な行動をするようになった。
あれだけ一緒にいたのに、時折、瑞香を街の複合施設に置き、買い物や食事を摂らせている間に一度車で家に帰る様になったのだ。
最初は忘れ物をしたと言って帰って行ったが二時間くらい帰ってこない。
片道十五分程度なので多くみても一時間もあれば帰って来られる距離である。にも関わらず、帰ってこないのだ。
それも一回だけではなく最初のうちは一週間に一度、それから徐々に間隔が狭まり一週間に二度三度と繰り返されるようになった。
畑に植えた植物が心配だから今日は家にいる。スーパーへ行っても買うものはないと言った時、そんな些細なことで司は激昂した。
唾を飛ばしながら「俺が行けって言ったら行けばいいんだ。なんで一緒に来ないんだ」と怒鳴りとばされた。
面食らった瑞香は、その意味不明の怒りを鎮めるためにまずは着いていくことにした。
激昂する人の対応は不動産屋の仕事で身につけていた。
それからというもの日に日に司から笑顔が消え、代わりに不気味な笑みを浮かべぶつぶつと独り言を言うようになっていった。
瑞香が心配して気晴らしにどこかへ行こうと言っても首を横に振るのみであった。
酒を買ってきて一緒に飲もうと言っても手で押し退けられた。
そんな瑞香のことを疎ましく思ったのか、家の中から出るなと言われ、外出を禁止されるまでに至ったのだ。
そんな理不尽なことには納得できないと言い返したが、最近この付近に変質者が出る。女性が連れ去られるという噂があるから君には落ち着くまで家の中に居てほしい。と言葉たくみに誤魔化されてしまった。そんなことが数ヶ月続いた。
「ねえ、そろそろ外に遊びに行こうよ。けっこう時間も経ったし変なニュースも無くなった頃でしょう。外も涼しくなってきたしさ」
瑞香はずっと家にこもりっぱなしで外に一歩も出れていない。出られてもすぐそこ、庭までで、外はおろか畑にすら行けない状態だった。
窓から外を見ているだけの一日にほとほと嫌気がさしていた。
しかし、瑞香は持ち前の明るさと前向きさとポジティブさでいい方に考えて自分なりにこの状況を乗り切っていた。
彼女はここで折れたり言いなりになったら司が余計につけあがることをわかっていたし、そもそもがまだ愛していたのだ。
「畑にももう二週間くらい行ってないよ。育ててる野菜たちも心配だしどうなってるのか見に行きたい」
台所で野菜を切っている司に軽く言った。前みたいに激昂されるのも嫌だ。
それに、ここへ来たときに瑞香は司から小さい畑をひとつ貰ったのだ。そこに生まれて初めて野菜を植えて育てて収穫してみたりして楽しんでいた。しかしその畑は庭とは反対側に位置しているので行くことは許されなかった。
「君が育てた野菜は元気に育ったよ。ほら、丁度いいタイミング。これ、採ってきたものだから食べてみて」
朝一番に畑から採ってきたばかりだと言って司は瑞香の前に野菜を並べた。
「朝一番で行ったなら私も連れて行ってくれたらよかったのに」
畑はすぐそこ、それこそ目と鼻の先だ。
もんくを言っても目の前にはよく育ったトマトやきゅうり、ナスが皿に乗せられ、塩と味噌もつけられていた。
君が喜ぶ顔が見たかったから。それに、その変質者は家の敷地内にも侵入してきたって話だよ。怖いじゃない。だからもう少し待って。と優しい笑顔を瑞香に見せた。
瑞香は渋々ではあるがそれを受け入れた。司が嘘をつくなんて微塵も考えなかったのであある。
「いただきます」
手を合わせた。キュウリに塩をつけてかじりつく。
瑞々しくて甘い。
自分で育てた野菜を食べるのが初めてだった瑞香は皿に乗っている野菜すべてを平らげた。
それをじっと見ていた司は満足気に頷くと、俺はちょっと用事があるから出かけると言い残し、車の鍵を取った。
「私も一緒に行っちゃダメ?」
即座に席を立つ。
「家にいてって言ったよ」
振り返りもせずに言い放った。
瑞香は何も言えず、司が家から出て行くのをただ目で追い、彼のいなくなった家に一人残り、何をするでもなくソファーに座って外を眺めた。
瑞香は確かに覚えがあった。
己の隣には侍の格好をした男が知らぬうちに座っていて、手にはメロンソーダを持っていた。
アンバランスさ加減になんとことばを言っていいのか。ちょうどいい塩梅のことばが出てこないが、やはりこの顔には見覚えがある。
思い切りじろじろと眺め回す。そして息を飲んだ。
「侍さんですよね」
「おお、覚えていてくれたのかい? それは嬉しいねえ」
目を細めて美味しそうにメロンソーダを飲んでいる侍のその向こうに黒い靄が動いたような気がして瑞香は目を擦った。まだ消えていない。もやもやと侍の後ろで動いている。
「それで瑞香さん、その男はあんたが一緒に生活するようになってからどうなったんだい?」
太郎に酒を注いでもらった昭子は楽しそうに瑞香に話の水を向けた。
瑞香は侍をもう一度ちらと黒い靄を見て、太郎に身体を向け直す。
「はい、私が茨城に移り住んで、最初の頃はよかったんです。二人で楽しく過ごしてました。どこへ行くにも一緒だったし、片時も離れたことはなかったんです」
「いいねえ、そういう話はその後が絶対に面白くなるんだ」
昭子がくくっと笑った。
瑞香は困ったように眉を更に下げるが昭子の待ち構えているギラついた目に負けて話を続ける。
何ヶ月か経った頃から司は妙な行動をするようになった。
あれだけ一緒にいたのに、時折、瑞香を街の複合施設に置き、買い物や食事を摂らせている間に一度車で家に帰る様になったのだ。
最初は忘れ物をしたと言って帰って行ったが二時間くらい帰ってこない。
片道十五分程度なので多くみても一時間もあれば帰って来られる距離である。にも関わらず、帰ってこないのだ。
それも一回だけではなく最初のうちは一週間に一度、それから徐々に間隔が狭まり一週間に二度三度と繰り返されるようになった。
畑に植えた植物が心配だから今日は家にいる。スーパーへ行っても買うものはないと言った時、そんな些細なことで司は激昂した。
唾を飛ばしながら「俺が行けって言ったら行けばいいんだ。なんで一緒に来ないんだ」と怒鳴りとばされた。
面食らった瑞香は、その意味不明の怒りを鎮めるためにまずは着いていくことにした。
激昂する人の対応は不動産屋の仕事で身につけていた。
それからというもの日に日に司から笑顔が消え、代わりに不気味な笑みを浮かべぶつぶつと独り言を言うようになっていった。
瑞香が心配して気晴らしにどこかへ行こうと言っても首を横に振るのみであった。
酒を買ってきて一緒に飲もうと言っても手で押し退けられた。
そんな瑞香のことを疎ましく思ったのか、家の中から出るなと言われ、外出を禁止されるまでに至ったのだ。
そんな理不尽なことには納得できないと言い返したが、最近この付近に変質者が出る。女性が連れ去られるという噂があるから君には落ち着くまで家の中に居てほしい。と言葉たくみに誤魔化されてしまった。そんなことが数ヶ月続いた。
「ねえ、そろそろ外に遊びに行こうよ。けっこう時間も経ったし変なニュースも無くなった頃でしょう。外も涼しくなってきたしさ」
瑞香はずっと家にこもりっぱなしで外に一歩も出れていない。出られてもすぐそこ、庭までで、外はおろか畑にすら行けない状態だった。
窓から外を見ているだけの一日にほとほと嫌気がさしていた。
しかし、瑞香は持ち前の明るさと前向きさとポジティブさでいい方に考えて自分なりにこの状況を乗り切っていた。
彼女はここで折れたり言いなりになったら司が余計につけあがることをわかっていたし、そもそもがまだ愛していたのだ。
「畑にももう二週間くらい行ってないよ。育ててる野菜たちも心配だしどうなってるのか見に行きたい」
台所で野菜を切っている司に軽く言った。前みたいに激昂されるのも嫌だ。
それに、ここへ来たときに瑞香は司から小さい畑をひとつ貰ったのだ。そこに生まれて初めて野菜を植えて育てて収穫してみたりして楽しんでいた。しかしその畑は庭とは反対側に位置しているので行くことは許されなかった。
「君が育てた野菜は元気に育ったよ。ほら、丁度いいタイミング。これ、採ってきたものだから食べてみて」
朝一番に畑から採ってきたばかりだと言って司は瑞香の前に野菜を並べた。
「朝一番で行ったなら私も連れて行ってくれたらよかったのに」
畑はすぐそこ、それこそ目と鼻の先だ。
もんくを言っても目の前にはよく育ったトマトやきゅうり、ナスが皿に乗せられ、塩と味噌もつけられていた。
君が喜ぶ顔が見たかったから。それに、その変質者は家の敷地内にも侵入してきたって話だよ。怖いじゃない。だからもう少し待って。と優しい笑顔を瑞香に見せた。
瑞香は渋々ではあるがそれを受け入れた。司が嘘をつくなんて微塵も考えなかったのであある。
「いただきます」
手を合わせた。キュウリに塩をつけてかじりつく。
瑞々しくて甘い。
自分で育てた野菜を食べるのが初めてだった瑞香は皿に乗っている野菜すべてを平らげた。
それをじっと見ていた司は満足気に頷くと、俺はちょっと用事があるから出かけると言い残し、車の鍵を取った。
「私も一緒に行っちゃダメ?」
即座に席を立つ。
「家にいてって言ったよ」
振り返りもせずに言い放った。
瑞香は何も言えず、司が家から出て行くのをただ目で追い、彼のいなくなった家に一人残り、何をするでもなくソファーに座って外を眺めた。
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