雨崎少年の悪夢とその要因について

田原摩耶

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 今まで何をしていた、どこに行っていた、裏切り者、殺してやる、俺から逃げられると思ったのか、クソガキが。
 ご近所迷惑なほどの罵倒の嵐を浴びせ、あの男は俺を殴った。
 慣れていたはずの痛みも、久しぶりに感じると酷く痛んだ。
 それほど日和っていたのだろう。俺は。
 この男が母親を殺したのだと思うと、どうでも良くなった。殺してやりたいと思ったが、それよりも、母親が死んだという事実に、俺は心がすっぽりと抜け落ちたみたいに何も考えられなくなっていた。
 殴られ、殴られ、殴られ、殴られる。顔が変形するんじゃないかってほど大きな拳で殴られ、俺が無抵抗なのを確認するとあの男は俺の首に手を回した。
 殺す気なのだろう、俺も、母さんみたいに。それでもいいと思った、さっさと殺してくれと思った。
 認めたくなかった、こんな現実を受け入れなければならないのなら死んだ方がましだ。
 これも罰なのだろう、俺が母さんを置いて逃げた罰だ。それならば、と、目を瞑る。
 籠もる指に、重ねられる唇に、下腹部に押し当てられる勃起した性器に、何も感じることはなかった。
 このまま死ねたらよかったのに、あいつは――秦野は、最後の最後まで俺を邪魔するのだ。

「何をしている……ッ!!」

 聞こえてきた声に、ああ、と思った。簡単に死なせてくれないのも、罰なのか。
 そんなことをぼんやりと思いなが、俺は思考放棄する。



 秦野は、自分が犯罪者になることも抵抗がないと言った。
 それは本当なのだろう、再度動き出した母親の恋人を殺す勢いで殴り、血まみれになって虫の息のあいつの上に跨った秦野は容赦なくその顔面を殴った。もう戦意喪失してる男にも構わず、その首を締め上げようとする秦野は、駆け付けた警察官により止められる。
 どうやら、聞こえてきた罵声に驚いた近所の住民が通報してくれていたらしい。

 それからは、酷く慌ただしかった。
 母親の死体と、虫の息の男、そして血塗れの男と、俺。
 秦野は俺の担任ということもあり、母親の恋人に殺されかけてたところを助けてくれたというと一先ずは過剰防衛ということで処理される。けれど、問題はあの男だ。
 母親を殺したあの男は、実刑判決を受けることになる。
 母親は既に死後三日は経過していたとのことだった。俺は、母親が殺されていたときに秦野の家でのうのうと暮らしていたのかと思うと死にたくなった。
 長期に及ぶ取り調べから解放されたあとは、母親の葬儀を行った。
 葬儀には母親の仕事先の人間が何人も来てくれた。皆、母親が死んだことを悲しんでいた。泣いていて、それをどこか他人事のように見ていた。俺にはまだ母親が死んだ実感が沸かなかった。
 けれど、母親が眠る棺桶が火葬炉に入るのを見て、そこで、ああ、母親が死んだのだと理解する。
 葬式の最中も、秦野はずっと俺の横にいてくれた。泣きじゃくる俺を何も言わずに抱き締めてくれた。

 秦野は、教師を辞めた。
 学校側は生徒を守ったための行動だったのなら仕方ないといった風体で秦野を引き止めたが、秦野はその意志を変えなかった。
 そして、俺はアパートを出た。面倒な手続きやらは全て秦野に任せた。俺は、秦野のマンションで暮らすことになったのだ。
 秦野が教師を辞めることを選んだのも、俺を引き取ることを決意したからだ。
 秦野は教師という職業に執着していなかった。父親の会社を継ぐのが嫌で、反抗するために教員試験を受けたのだと言った。
 秦野の父親は、中学生の俺でも知ってるくらい有名なグループの代表取締役だという。教師を辞めたあとは大人しく跡継ぎになると言っていた。堂々と俺を引き取るにはそれが一番いいと思ったらしい。
 何故そこまでして、という疑問はあったが、俺にとってもうどうでも良かった。考えるのも厭になっていた俺は思考放棄し、全てを秦野に委ねることを選んだのだ。

 秦野は、知れば知るほど教師が向いていない人間だ。いや、有る意味で反面教師というべきか。
 こんな男に学ばされていたのだと今思っても腹が立つが、それでも、有言実行して俺を手放そうとしない秦野には尊敬しかない。
 こんな面白みも何もないガキを囲ったところで秦野の得になるのか知らないが、秦野は変なやつなのでそんなことを理解しようってのが無理な話なのだろう。
 俺はというと、秦野の勧めで転校することになった。
 これからの学費は全て秦野が持つという。俺は断ったが、「それが厭なら俺が一日中付きっきりで家庭教師をしてやる」と言い出してそれならばと受けたのだ。
 俺と秦野の関係は未だによくわからない。
 けれど、傍目に見れば天涯孤独の少年を元担任教師が引き取り、育てるというなんともテレビ映えしそうな感動話に見えるだろう。
 だが実際はどうだ。この男は、俺が死ぬことすら許さないほど強欲で、身勝手で、そして何より、過保護だ。
 もう教師ではないくせに、教師面するのだ。それが不愉快だった。
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