雨崎少年の悪夢とその要因について

田原摩耶

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 全てが落ち着いた頃には、母親の一周忌を迎えた。時間の流れというのは案外早いようだ。あの男と過ごした地獄のような一年と比べ、母親が死んだあとの一年は酷く慌ただしかった。
 法事を終えたあと、秦野の運転する車で帰る。車内は静かだった。
 いつもは秦野が一人でべらべら喋ってるのだが、今日は、秦野は一言も発さない。きっと、また余計なことを考えているのだろう。

 秦野が自分の父親の会社に入社してから、どれほど経ったのだろう。最初の頃は色々悶着はあったし、俺を引き取ると言って聞かない秦野に秦野の父親も困ったような顔をしていたが、秦野の家族は思いの外すんなりと俺を受け入れてくれた。
 俺の境遇のせいか知らないが、秦野の母親は時折俺の様子を見に来ては「勉強の合間の息抜きに」と俺にお菓子の差し入れをくれるのだ。料理の腕前は母親譲りなのかもしれない、と秦野の母親のお菓子を食べる都度思った。
 そして、教師のときとは違う、キチンとしたスーツを着た秦野を見ると、やはりこの男は教師向きではなかったなと思った。
 それから俺は、秦野の勧めにより少し離れた学校へと転校した。
 最初は周りからの好奇と同情の目が痛かったが、卒業までの辛抱だとそれらを放っておくと以前のように周りから無視されるようになる。
 一時的なものなのだ。所詮。それでも、寂しさはない。
 それに、今は学校は逃げ場ではない。余計なことを気にせず、ただ勉強を楽しむことができることが嬉しかった。
 テストで満点を取る都度秦野は「流石だな、雨崎」と俺の頭を撫でるのだ。教師のときと同じ顔で、笑顔で。それがちょっとおかしくて、「先生みたいですね」と言うと秦野は「みたいは余計だ」とにやりと笑う。

 母親のことは未だに夢に見る。
 あのとき、俺が母親を迎えに行っていたら。そう何度思い返しては後悔した。そのたびに秦野は俺を抱き締めるのだ。何も言わずに。
 もし俺が行かなければ、こうやって秦野に抱きしめられることも、当たり前のように暮らしてることもなかったのだろう。そう思うと、気分が楽になるのだ。
 俺は、母親に恨まれても仕方ないと思っている。親不孝者だと罵られてもいい。それが俺の罰だ。あの家で過ごした中学時代の悪夢に侵され、発作的な性欲に魘される。
 俺は、あれ以来定期的に男に犯されないといても立ってもいられなくなる。それが、俺に課せられたもう一つの罰だろう。
 普段俺に過剰に触れなくなった秦野は、その夜だけは俺を抱くのだ。記憶を塗り替えるみたいに、時間を掛け、丹念に全身を愛撫し、形がなくなってしまうほど犯す。
 そうすることで、俺はまた眠れるようになる。
 恋人と呼ぶには甘さなどない。保護者と呼ぶには、爛れている。
 俺と秦野の関係を形容するならば、《共犯者》というのが一番しっくりきた。
 俺が悪夢に魘されるように、秦野も同様、俺という存在に縛り付けられるのだ。それは呪縛にも等しい。

「湊」

 名前を呼ばれ、つい反応する。
 秦野は目はしっかりと正面を向いたまま、ハンドルを操っていた。なんですか、と答えれば、秦野はやっぱりこちらには目もくれないまま口を開けた。

「お前が十八歳になったら結婚する」

 馬鹿みたいに真面目な顔して、そんなことを言い出す秦野に俺はなにも言えなかった。しかも、しよう、ではなく、する。なのだ。決定事項である。

「……そうですか」
「なんだ、もっと他に反応はないのか?」
「じゃあ、俺が嫌だって言ったらどうするんです?」
「無理矢理にでも婚姻届に判子させてやる」
「……」

 本当に、子供みたいな人だ。今更呆れもしないが、そんなことをさっきから真剣に考えてたと思うとなにも言えない。
 別に、そんなことしなくても、俺は今更逃げるつもりはないのに。
 衣食住を共にしても、まだ安心できないのだとこの男はいう。もうこれは病気の一種だろう。俺が自分のいない間に他の生徒に混ざって授業受けているというだけでも許せないのだという。俺の転校先に教師としてやり直そうかと言い出した秦野を必死に止めたくらいだ。
 なんかムカついたので「なら、俺の返事いらないですよね」とつっけんどんに返してみれば、ようやく秦野はこちらを見た。

「嫌、だめだ、ちゃんと答えろ」
「先生、ちゃんと前見て運転してください」
「……湊、その呼び方いい加減やめないか。いつも言ってるだろう、俺のことは……」

「彰さん」と、秦野の言葉を遮るように口にすれば、少しだけこちらを見た秦野。目があって、すぐ前を向く。秦野に「湊」と名前を呼び返され、なんだか酷くもぞ痒くなる。
 秦野は、下の名前を呼ぶとすぐに興奮するから嫌なのだ。そして、それ同様に『新婚みたいだ』と思ってしまう自分が嫌で、俺はずっと秦野が教師辞めたあとも先生と呼んでいた。
 そうすることで一線を引いていたつもりだったが、あまり効果はなかった。

「俺を逃さないって言ったのは、彰さんですよ。……結婚くらいで満足しないで下さい」

 すると、あろうことか秦野は道端に車を寄せ、急ブレーキを掛けた。驚いて、つい先生、と声をあげたときだった、乗り上げた秦野に唇を塞がれる。
 こうして、セックスもしていないのにキスをされるのは久しぶりだな。思いながら、俺は目を閉じた。


 END
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