天国か地獄

田原摩耶

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六月三日目【瓦解】

06

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「っ、や、め……っんぅ……ッ!」

 やめてください、と言い掛けて再度唇を塞がれる。そして、思わず開けてしまった唇の隙間から入ってくる縁の舌に舌ごと絡め取られるのだ。

「っ、ふ、……ッ」

 なんで、俺、こんなことされてるんだ。
 耳朶を撫でられ、何度も角度を変えて深く咥内を嬲られる。静まり返った機内に濡れた音と自分の荒い息が響いた。
 ちゅぽ、と舌を引き抜かれたとき。咄嗟に縁の胸を押し返そうとするがまるで力が入らなかった。
 その手首を掴んだ縁はそのまま俺の手のひらに唇を寄せ、そのまま指の谷間まで舌を這わせるのだ。

「っ、な……に……っ」
「本当、君って反応がとっても俺好みなんだよね。……初めてじゃないくせに処女みたいな反応するのとか、もー最高」

「キスくらいでこんだけ取り乱されるんだったら、無理矢理犯したらどうなんのかな」気にならない?なんてまるでこのパフェ美味しそうだね、気にならない?みたいな感覚で聞いてくる目の前の男に唖然とする。鳴り響く警笛。この男は危険だと。

「な、なりません……っ」
「嘘、今想像しただろ?俺とのセックス。……俺、正直伊織より君を気持ちよくさせる自信あるんだけどどうかな?」

 するりと伸びてきた手に腿を撫でられる。そのまま下腹部に伸びる手に息を飲んだ。すり、と指の腹で股間を撫でられ全身が粟立つ。

「や……っ」

 やめてください、とそう声をあげようとしたときだった。エレベーターの扉が開く。
 そして。

「あ」
「え」

 そこにいたのは五味だった。
 丁度エレベーターを使おうとしたのだろう、機体の中で揉み合っていた俺たちを見た五味は瞬時に状況を飲み込んだらしい。
 やべ、とした顔で引き返そうとした五味に「先輩っ!」と咄嗟に呼び止める。

「た、助けて……下さい……っ!」

 ここを逃せば次誰が来るかもわからない。それにこんな好機はないはずだ、半ばヤケクソになった俺は慌てて五味に助けを求める。
 五味には申し訳ないが、こうするしかないのだ。ぎくりと反応した五味だったが、やがて諦めたようにこちらを振り返った。そして。

「…………なにやってんすか、縁さん」
「なんだよ武蔵、可愛い後輩とじゃれついてんだよ。羨ましいだろ?」
「いや……ていうかそいつ、うちの会長のなんで離してくれませんかね」

 口振りからして二人は面識があるようだ。というか、生徒会副会長の五味がアンチ側の縁に対して敬語で話してる。
 まるでそこに上下関係があるかのようなそのやり取りに俺は困惑した。
 ああ、と縁は思い出したように笑う。

「なるほど。確かにそういう設定だったね」

 その言葉に背筋が凍りつく。
 ――今、設定って言ったのか?
 芳川会長と付き合っているというのが演技だと言うのは俺と会長しか知らないはずだ。なのに、なんで阿賀松側の縁が知っているんだ。

「……っな……」

 なんでそれを。縁を見上げたときだった。半ば強引に割入ってきた五味に縁から引き離された。

「縁さん……あんまこいつからかうの止めてくれませんかね、うちの会長嫉妬深いんすよ」
「そりゃおっかないな。会長さんに嫉妬深い男はモテないって教えてやれよ」

 青褪めた五味に肩を揺らして楽しそうに笑う縁。
 そこで、ようやく俺は自分が縁に引っ掛けられたことに気付いた。だから俺が下手な行動言動に出る前に五味が止めてくれたのだろう。
 五味がいてくれてよかったと思う反面、思っていた以上に食えない縁にただ背筋が凍る。

「……勘弁してください、あいつの性格はあんたも知ってるでしょう」

 そう口だけの返事をする五味は俺に目を向け合図を送ってくる。とにかくここから離れろ。
 そう廊下の先に視線を向ける五味は確かにそう告げたのだ。
 腕を掴んでいた五味の手が離れる。俺は小さく頷き返した。

「……そういえば縁さん、さっきピンクが縁さんのこと探し回ってましたよ」
「ピンク? あー、安久ね」
「いいんすか? 連絡しなくて」

 五味に尋ねられ、携帯電話を取り出した縁は「あ、まじだ。伊織から呼び出し来てた」と面倒臭そうな顔をした。
 そのとき確かに縁の視線が確かに自分から逸れていた。その隙を狙い、五味の背中に隠れるようゆっくり二人から離れる。
 縁はまだ気付いていない。
 縁が顔を上げるその前に、俺は足音を立てないよう気を付けながら小走りで廊下の奥へと逃げた。



 ――四四五号室前。
 無事縁から逃げ切った俺はゆく宛もなく、取り敢えず今朝聞いた五味の部屋の前まで来ていた。
 ……今になってどっと疲れた。
 まだ股間を撫でられた感触が残っているようだった。あのあと、五味が来なかったらと思うと本当にぞっとしない。
 ……キスされておいて今更無事もないかもしれないが。
 そんなこと考えていたとき。

「齋藤?」

 廊下の先、現れた五味に俺は慌てて姿勢を正した。まさか五味も五味で俺が部屋の前で待ち伏せしているとは思わなかったようだ。

「……なんだ、お前まだ帰ってなかったのか?」
「す……すみません、あのさっきはありがとうございました」
「いや、別にそういうのはいいんだが……ここに居たってことは俺になんか用か?」

 そう辺りに人気がないのを確認し、声を潜めて尋ねてくる五味に俺は頷き返す。
 さっきの今で何度も頼るのは申し訳ないが、本来の目的はこれだ。俺は目の前の五味を見上げる。

「……っ、栫井に、五味先輩に相談しろって言われて来ました」
「あー待った待った。もう話が見えないんだけど」

「……取り敢えず、人に聞かれちゃ不味い話かどうかだけ教えてくれ」尋ねられ、俺は小さく頷き返す。五味も薄々感じていたのだろう。特にリアクションするわけでもなく、仕方ないと言わんばかりに扉を解錠する。そして。

「入れよ。聞かれちゃ不味いんだろ?」

 そう、四四五号室の扉を開いた五味は「汚くても文句言うなよ」と困ったように笑った。

 そして招かれるがまま五味の部屋に一歩踏み入れた俺はその部屋に息を飲む。
 一言で言い表すなら混沌といった言葉が一番しっくりくるだろう、様々なタイプの家具や雑貨が置かれたその部屋は統一感がない。
 海外のバンドのポスターの横に子供向けのアニメのポスターが貼られていたり、シックなソファーの上にファンシーな動物のクッションが置かれていたりしてなんというかミスマッチというかなんというか。

「言っとくけど、俺の趣味じゃないからな」
「それは……その……」
「部屋は全部ルームメイトが好きにしてんだ。全部あいつの趣味だな」

 言いながら、五味は壁に貼られていた子供向けのアニメのポスターを剥がす。もう慣れたという口調だ、五味の表情からして関係は良好なのかもしれない。どう答えればいいのかわからず俺は苦笑する。
 ざっと座れるようにしてくれた五味に促され、俺はソファーに腰を下ろした。
「なんか食うか」と尋ねられたが、無理矢理押し掛けておいてそこまで面倒見てもらうのも申し訳ない。俺は断った。

「喉渇いたら言えよ」
「あ……ありがとうございます」
「で? さっきのあれ、どういうことだ? ……栫井がどうとか言ってたけど」

 近くにあった椅子を持ってきた五味はそこにどかりと腰をかけた。
 こうして向かい合うと怖じ気付きそうになる。
 ここ数ヵ月の間で五味が見た目とは裏腹にいい人であると知っている。さっきも助けてくれた。そうわかってるからこそ、俺は洗いざらい五味に伝えることができた。
 芳川会長につけられた見張りのこと、栫井にそのことなら五味に相談しろに言われたこと。今日あったことを五味に伝えれば理解したようだ、五味は呆れたような顔をする。

「あいつ、まじで見張りつけたのかよ」

 あいつとは、恐らく芳川会長のことなのだろう。
 眉間を指で揉み、そして深く溜息をついた。

「悪いな、お前にまで面倒かけて。まさか本気で実行するって思わなかったんだよ」
「いえ、俺はその……でも、他の人は……」
「ああ、そうだな。一応その見張りには俺の方から言っておく。それでもついてくるようだったら、齋籐の方からあいつらに直接『ノイローゼになりそうだからやめろ』とでも言っておけ」
「い、いいんですか……?」
「見張りを任された連中はな。灘はともかく、江古田辺りならそれで十分だろ。お前のためにやってるんだろうからな」

 まるで灘はそうではないというかのような物言いに引っかかったが、確かに灘は俺と芳川会長ならば会長の命令を優先させるだろう。

「ああ、それと。会長になんか言われても俺とは無関係だと言えよ。お前の判断だってな」
「あ、あの……それって」
「あー……言い方悪かったか? 別にお前に全責任を押し付けるわけじゃないが、会長にはお前の考えだって言った方がいいんだよ」

「齋藤お前、俺たちと会長が揉めたって知ってんだろ?」もしかして五味は俺に関わりたくないのだろうかとネガティブになる俺に、五味はそうばつが悪そうな顔をして聞いてきた。
 その一言に十勝から聞いた話を思い出し、慌てて頷く。

「……もし齋籐が俺のところに相談に来たって知られたらお前までとばっちり来るかもしんねーからな。だから、齋籐は自分で判断したってシラを切れ……って意味だ」

 どうやら五味は自分達の揉め事に俺を巻き込まないように心配してくれているらしい。
 でもそれでは会長と五味の関係は悪化したままではないか。

「でも、それじゃあ五味先輩が……」
「いいんだよ、俺のことはどうでも。こっちのことはこっちでなんとかする。だから、余計な心配すんな」

 ……五味なりに考えがあるのかもしれない。やはり五味たちの揉め事の原因が自分だと思ったら居ても立ってもいられなかったが、当事者である五味にそう言われてしまえば手も足も出ない。

「じゃあ、この話はしまいだ」
「あ、あの……ありがとうございます」
「……なるべく早めに帰れよ。またさっきみたいなのに絡まれたら嫌だろ」

 縁のことを言っているのだろう。苦笑混じりに続ける五味に俺は内心ぎくりとした。
 五味なりのジョークかもしれないがあまりにも笑えない。
 長居して五味に迷惑かけるわけにもいかない。

「あの、ありがとうございました」
「おう、気をつけて帰れよ。……送ってやれないで悪いな」
「いえ、これ以上五味先輩にご迷惑お掛けできないので……」

 そう立ち上がり、玄関口まで向かえば五味は見送ってくれるようだ。
 おやすみなさい、と言いかけて俺は思い出した。せっかく五味と二人きりで話す機会が出来たんだ、あのことについて尋ねてみてみるか。
 まともな答えが返ってくるか怪しいが聞いてみる価値はあるだろう。

「ん? どうした、齋藤」
「……あの、少し気になってたことがあるんですけど……」
「気になること?」
「芳川会長と栫井って仲悪いんですか?」

 質問の意図がわからなかったのだろう。
 なんでそんなこと聞くんだと言いたそうな顔をする五味だったが、やがて諦めたように小さくため息をついた。

「仲なあ……まあ、良いんじゃねーの?わざわざ同じ高校に来るくらいだし」
「……同じ高校?」
「地元が同じらしいぞ。高校に上がる時に芳川が地元出て、中学生だった栫井がついてきた。まあ、俺が知ってるのはそんくらいだな。詳しく知りたかったら他のやつらに当たれよ」

 そんな話聞いたことない。寧ろ、あの二人がそれほど中良さそうにしてるところすらも見たことないのに。

「その、地元って……」
「ん? あー、どこだっけな。結構離れてたと思うぞ」

 暫く思い出そうとしていた五味だったがどうやら思い出せなかったようだ。
「悪い、自分で聞いてみてくれ」と、そう渋い顔をする五味は申し訳なさそうだ。

「いえ、充分です。ありがとうございました」
「ならいいけど……でもまあ、探り入れるのもほどほどにしとけよ。後が厄介だからな」
「……気をつけます」
「おう、おやすみ」

 頭を下げ、俺は五味の部屋を出た。


 学生寮四階、四四五号室前。
 静かに扉を閉めた俺はそのままエレベーター乗り場へ向かった。
 途中また縁や芳川会長と鉢合わせにならないか怯えていたが杞憂だったようだ、今度は難なく自室まで帰ってくることができた。
 扉を解錠し、金属製のドアノブに触れる。普通なら冷たいはずのドアノブから微かにぬくめりを感じた。もしかして阿佐美だろうか。いや、違うな。……先程まで誰か来ていたということか?
 辺りを見回して見るがそれらしき人影は見当たらない。用があるならまた来るだろうが、もし部屋を訪れた相手が相手だったらと思うと少し緊張した。
 なんだか急に気味が悪くなって、俺は逃げるように扉を開き自室へと入った。
 ――明日はいよいよ学園祭当日だ。
 本当なら楽しみで楽しみで仕方なかったはずの文化祭なのになんでこんなことになったのだろうか。相変わらず誰もいない部屋の中、俺はベッドへと飛び込んだ。
 明日は阿賀松の命令の決行日でもある。
 芳川会長はああ言っていたが大丈夫なのだろうか。正直なところ不安しかない。
 阿賀松が絡んでる時点で穏便に済むとは思わないがそれでも今は芳川会長を信じるしかできない。
 ――それが自分の後輩に暴力を振ってるかもしれな相手だとしてもだ。
 ゆっくりと体を起こす。……今日は早めに休もう。
 俺はシャワーを浴び、再び布団に潜ることにした。学園祭らしいことはしていないが別のところで体は疲弊しきっていたらしい、案外すぐに寝落ちすることになった。
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