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√α:ep.4 『共犯関係』
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――教室棟三階、男子便所前。
『栫井を拾いにいく』という志摩に着いてやってきた俺は、なんだかただならぬ嫌な予感を覚えていた。
そして、案の定志摩はそのまま男子便所へと足を踏み入れるのだ。
「志摩、本当にこんなところに……」
栫井がいるのか、と聞き終える前に、用具入れの扉を開いた。
え?と振り返ったと同時に俺はその中の光景を見てぎょっとする。
「か、栫井……っ!」
開かれた用具入れの扉、決して広くはないそこに栫井は詰め込まれた。
口、そして腕すらもガムテープでぐるぐる巻にされた栫井は俺達をただ恨めしそうに睨んでいた。
何があったのだ、と聞くまでもない。今俺の横でニコニコしているこの男の仕業だろう。
慌てて俺は栫井を用具入れから引っ張り出し、腕を拘束するガムテープを引き剥がした。両腕の拘束を外せば、栫井は自ら口のガムテープを剥がす。
そして、
「っ、ゴホ……ッ」
「だ、大丈夫っ? 栫井……」
「大丈夫だよ、そいつ生きてるから」
そのまま咳き込む栫井を尻目に、志摩は冷ややかに笑う。
確かに志摩が栫井のことよく思ってないことは分かってたけれど、だけど限度というものがある。
「志摩、なんてことを……」
「だって説明するの面倒だったし、こいつすぐ逃げようとするからさ、こうするしかないじゃん? 齋藤には手を出すなって言われたから『無傷』でそのまま捕まえてやったっていうのにさ」
「だ、だからって……」
もう少しこう他にあったんじゃないのか。こんな監禁みたいな真似をしなくても、他に。
「第一、誰かさんが大人しくしてくれていたらこんなに急いでこいつを捕まえる必要はなかったんだけどね」
そう言われると何も言い返せなくなってしまう。
一度和解したとはいえど、志摩の視線はやはり痛い。もごもごと俺が口ごもっていたときだった。
「殺す……ッ」
ガムテープの拘束から開放された栫井の目は完全に据わっていた。そして、その視線の先には志摩がいた。――それもそうだ、と納得したが、ここで仲間割れするのは不本意だった。
「か、栫井! 落ち着いて! 俺が……俺が悪かったんだ……!」
「……っ、触んじゃねえ……!」
「っぁ、ご、ごめん……」
咄嗟にしがみついて栫井を止めようとしたのはよくなかったようだ。けれど油断すると志摩に今にも殴りかかりそうな気配すらある栫井だ。
俺は身を離しつつ、その腕は掴んだまま栫井を見上げた。
「ちゃんと説明するから、お願い、怒らないで……栫井……っ」
栫井には正攻法しか通用しない。下手に細工をすると不信感を募らせてしまうばかりだ。
ぺこぺこと頭を下げれば、毒気抜かれたように栫井は深く息を吐く。
しがみついていたその腕から力が抜けるのを感じ、一先ず安堵した。
だけど、
「へー副会長さんは齋藤にお願いされると大人しく聞くんだねぇ。……あ、元だっけ?」
「……黙れよ、クソ野郎」
どうしてせっかく栫井が落ち着いてくれたというのに志摩はこうも煽る真似ばかりするのか。
「志摩」と慌てて仲裁に入れば、志摩はやれやれと肩を竦める。
「はいはい、自分の尻拭いは自分でしなよ。俺は今回のことはノータッチだから」
「……分かってるよ」
ここから先はちゃんと俺が話をしなければならない。これからも栫井には付き合ってもらわなければならないから。
そのためにも、ここで怒らせて全てを台無しにするにはいかなかった。
「……栫井、あの、まず栫井に謝らないといけないことがあるんだ」
ぴくりと、栫井が反応する。
恐らく、栫井は俺のしたことを怒るだろう。
それでも、言わなければならない。その義務が俺にはあった。
「ごめん……あの、封筒、八木先輩が持っていったっていうのは嘘なんだ」
「本当は、まだここにある。俺が持ってるんだ」正確には原本は志摩が持っている、のだけれどもそこまで言う必要はない。寧ろ、言ったほうが栫井は気を悪くするに決まっている。
だって、今の俺の言葉だけでもこんなに怒っているのだから。
「……俺を、騙したのか」
突き刺さる視線が痛い。それでも、俺はそれを真っ直ぐ受け入れる。
逸らしてはいけない、そんな気がしたから。
「最初は本当に渡すつもりだったよ、それで……栫井を囮にするつもりだったんだ」
「それなのに、齋藤が余計な嘘ついちゃったからね。せっかくの作戦も台無しだよ」
「……それでも、やっぱり全部栫井に負わせるのは嫌だったんだ」
甘いね、と志摩が溜息を吐く。
志摩にも勝手な真似はしたと思ってる。けれど、自分の判断を間違っているとは思わなかった。
「……囮って、どういう意味だよ」
栫井の声は落ち着いていた。それでも、その奥には怒気のようなものを感じずにはいられない。向けられた怪訝そうな目に、俺は固唾を飲む。
ここまで言ってしまったんだ、言ってしまえ。
「芳川会長と関係がある栫井が封筒を盗み出したと阿賀松先輩たちに思わせようと思ったんだ」
「……何だと?」
「こうでもしなきゃ、阿賀松先輩たちを動かすことが出来ないと思ったから」
「そんなことしたら、余計……」
「分かってるよ。……だから、今、直接会長のところに話をつけてきたんだ」
「直接?」と、栫井の目が見開かれる。
――問題はどこまで言うべきか。会長を嵌めようとしたことは言わない方がいいだろう。
栫井はまだ、会長のことになると平静でいられないような気がしたから、余計。
「勿論丸腰じゃ相手をしてもらえないから……あれを使って、だけどね」
あれ、という言葉に僅かに志摩が反応する。
栫井も俺の言葉が何を指しているのか気付いたのだろう。コピーも封筒も会長に渡してしまったが、全て原本はこちらにある。会長の手に渡ったところで然程痛手にはならない。
「会長には阿賀松先輩たちの動向の事もどこまで知ってるかも全部、伝えてきた」
「……会長は、なんて」
「『そうか』とだけ」
「……」
押し黙る栫井が何を考えているかわからなかった。
本当は、会長は納得してなどはいない。最後の最後まで会長は俺を疑っていた。
会長に阿賀松を仕掛ける作戦も、阿佐美の介入により成功するかどうか分からない。分からないが、少なくとも俺達の手にはまだ手札がある。ここから先問題となるならば、それは阿賀松伊織の動きだろう。
「ごめん。せっかく栫井には八木先輩のことで協力してもらったのに……こんなことになってしまって」
「うるせえんだよ。……別に、俺が勝手にしただけだから、あんたには関係ないだろ」
「栫井……」
……許してくれるというのか。
分からなかったが栫井がまだ俺の話を聞いてくれている、その事実に安堵した。
それと同時に、どんどん自分が道を踏み外しているような気がしてならなくて、退路を断たれていくような感覚は常に俺の項を撫でていく。
「話は終わった?」
「……うん」
「なら、そろそろ場所を移動しようか」
「あんまりここにいるわけにはいかないからね」と、廊下の外へと目を向ける志摩。
確かに、先程よりも校舎内が騒がしくなっているのが分かった。
「でも……」
ここからどこに行けるというのか。
実質退学処分である栫井と、現在進行系で停学中の俺はセキュリティ面で引っ掛かることは間違いないだろう。
ならば教師に見つからないようにしなければならないのだが、と考え込んだとき。「そうだね」と志摩はいつもと変わらぬ笑みを浮かべる。
「そうだね、問題児二人連れで学生寮に戻るのは危険だね」
「じゃあ……」
「いい場所があるんだ」
「……いい場所?」
「うん、いい場所。俺達には丁度いいんじゃないかな」
その笑顔と含みのある物言いに、ただならぬ嫌な予感を覚えた。何を企んでいるのか、と思いつつ俺は隣の栫井へとちらりと目を向ける。
「栫井も、来てくれるん……だよね?」
むす、と不機嫌顔のまま腕を組んでいた栫井はこちらを一瞥し、それからすぐに視線を逸らした。
「……お前が来いって言ったんだろ」
「……うん、ありがとう」
その言葉を聞いて一先ず安心した。
俺への心象はよくないだろう、それでも俺を選んでくれた栫井にほっとする。そんな俺達をじっと見ていた志摩は「ねえ、齋藤。今俺が話してるんだけど?」と面白くなさそうに首を会話を切ってきた。
ちょっと話しただけなのに、と思いながらも取り敢えず「ごめん」とだけ謝罪をすれば、それに応えるように志摩は目を細めて微笑む。
「それじゃあ、さっさと行こうか。ただでさえ便所臭いのが一匹いるのにこれ以上こんなところに居たら匂いが移っちゃうしね」
すっかり機嫌を損ねた志摩の嫌味にもいい加減慣れたようだ、栫井は何も言わなければ志摩を視界に入れようとすらもしなかった。これは志摩がむかつくというよりも、そもそもどこか上の空のような感じもある。
栫井の様子が何となく気になりながらも、俺は志摩の先導とともに男子便所を後にすることとなった。
昼間あれ程暖かったのに、夜となるとその気温は冷たく感じてしまう。太陽がないというだけでも余計そう感じてしまうのかもしれない。
というわけで、俺達はなぜか外にいた。というか、校庭。
「あの、志摩、いい場所って……」
グラウンドを避けるように走り抜け、やってきたのは校舎や学生寮から離れた旧体育倉庫前。
もしやと思い、恐る恐る尋ねてみれば、
「え? ここだけど?」
当たり前のように答える志摩に思わず脱力しそうになった。
だって、そうだろう。よりによってここか、そう思わずにはいられない。
「客間の次は倉庫かよ……」
「こっちの方はもう取り壊し決まってるし、校庭自体はカメラが少ないんだよね。だから、朝までなら人目誤魔化せること出来るよ」
「それに、ベッドもあるしね」なんて志摩は笑う。ベッドってまさかマットのことを言ってるんじゃないだろうな。……いや、この顔は言ってるな。
強引ではあるものの、確かに志摩の言葉にも一理ある。
場所を選んでる暇は俺達にない。とにかく、少しでも体を休めるのなら――そう分かっているが、会長を閉じ込めた場所を有効活用するなんて危険じゃないのか。いや、逆にか?
「ま、文句ある人はどうぞそこら辺の草むらで寝転がってくれて構わないんだけどね」
「……チッ」
「ふ、二人とも……」
喧嘩こそなかったものの、栫井の機嫌が悪くなっているのは明らかだった。
そうだ、我儘を言っている場合ではないのだ。
「でも、これ……壊れてるよね」
せめてこの場の空気が和らぐよう、咄嗟に話題を変えようと旧体育倉庫の前へと移動する。
スライド式の扉は外れ、立て掛けるような形のまま放置されていた。そして肝心の外れた扉は歪に歪んでいる、ドアノブもひゃげてるのを見て少しぞっとした。
「そうだね。この前のあれでどこかのバカ力が壊したんじゃないかな?」
ということは、志摩が会長を閉じ込めたときだろうか。
あの時、早い段階で監禁を抜け出した会長のことを考えると頭に過るのが一年の女装男のことだった。
……そういえば、櫻田と閉じ込められたのもこの倉庫だ。
ついでに余計なことまで思い出してしまい、慌てて俺は思考を払った。
「……入りたくない?」
開きっぱなしになった旧体育倉庫の前、背後から志摩に声を掛けられる。優しい声音はどこか俺を試すような気配すらあって、弱気になっていた自分に喝を入れる。
「いや、大丈夫。……今は、足を伸ばせるだけで十分だから」
「そう、眠たくなったらいつでも言ってくれて良いんだからね。俺が腕枕してあげるから」
「い、いいよ。いらないから、別に」
「つか、寝るときも何も……寝る場所ねーんだけど」
栫井の言葉に釣られて倉庫の中に目を向ける。
確かに、放置されているだけあってどれも埃被ってて、ベッドの代わりになるようなものは見当たらない。――ひとつ除いて。
「は? ちゃんと見た? あるだろ、そこに。お誂え向きのやつがさ」
そう志摩は倉庫の片隅、畳まれたそれを指差した。
体操競技で等で使用されるマット。どうやら俺の予想が的中してしまったようだ。
「……正気かよ」
深く溜息を吐く栫井。
栫井、潔癖っぽいもんな。思いながら俺たちは早速マットを広げてみることにした。
「っ、ひっでぇ埃……つかこれ腐ってんじゃねえか?」
「文句ある人は外へどうぞ。虫に刺されながら自然を満喫するのも良いかもしれないよ」
「……」
数枚のマットの内ほとんどのマットはカビ諸々で、流石に衛生面に問題があるということで再び倉庫の隅に積むことになった。
そして、その中で残ったのはたった一枚。
二人で横になるのもキツイであろうそれは三人で横になろうことならとんでもないことになる。
というか普通に考えてこの二人が一緒のマットに寝るとは思えないのだが。
「ほら、じゃあ齋藤おいで。布団ないから俺が温めてあげる」
「えっ、いや、俺は……」
「おい、待てよ」
「……なに? まだなにか文句あるわけ?」
「枚数、足りねえだろ」
「ああ、そっちに腐れたのがあるからお前はそっちで寝たらいいんじゃないかな」
「……なんだって?」
「ああ、跳び箱もあるじゃん。ほら、あれ二つ並べて横になったらいいんじゃない?」
そして案の定始まる陣取り。
どうしてただ寝ることにこんなに揉めるのだろうか。不思議で堪らないが、とにかく二人には落ち着いてもらわなければならない。
「あ、あの、俺はいいから。代わりに栫井マットの上で寝ていいよ……」
「は? なんで俺がこいつと一緒に寝なきゃいけないんだよ。いくら齋藤でもそんな気持ち悪い冗談許さないよ」
「なんでてめえはマット使う前提なんだよ、お前が跳び箱の上で寝ればいいだろうが」
「見つけたのは俺なんだから俺がマット使うのは当たり前でしょ」
「あ、あの、二人とも静かにしないと……」
ヒートアップする二人。
ここが夜の学園であり、扉が壊れているということを忘れているのではないだろうかと疑いたくなる声量で言い争う二人に冷や汗が滲む。
このままではまずい、殴り合いになる前に慌てて仲裁に入ろうとした時だった。
『おい、こっちの方から声がしたぞ!』
「……ッ!」
倉庫の外、聞こえてきた足音に俺達はぴたりと動きを止めた。それも一つではない、複数の足音だ。
『栫井を拾いにいく』という志摩に着いてやってきた俺は、なんだかただならぬ嫌な予感を覚えていた。
そして、案の定志摩はそのまま男子便所へと足を踏み入れるのだ。
「志摩、本当にこんなところに……」
栫井がいるのか、と聞き終える前に、用具入れの扉を開いた。
え?と振り返ったと同時に俺はその中の光景を見てぎょっとする。
「か、栫井……っ!」
開かれた用具入れの扉、決して広くはないそこに栫井は詰め込まれた。
口、そして腕すらもガムテープでぐるぐる巻にされた栫井は俺達をただ恨めしそうに睨んでいた。
何があったのだ、と聞くまでもない。今俺の横でニコニコしているこの男の仕業だろう。
慌てて俺は栫井を用具入れから引っ張り出し、腕を拘束するガムテープを引き剥がした。両腕の拘束を外せば、栫井は自ら口のガムテープを剥がす。
そして、
「っ、ゴホ……ッ」
「だ、大丈夫っ? 栫井……」
「大丈夫だよ、そいつ生きてるから」
そのまま咳き込む栫井を尻目に、志摩は冷ややかに笑う。
確かに志摩が栫井のことよく思ってないことは分かってたけれど、だけど限度というものがある。
「志摩、なんてことを……」
「だって説明するの面倒だったし、こいつすぐ逃げようとするからさ、こうするしかないじゃん? 齋藤には手を出すなって言われたから『無傷』でそのまま捕まえてやったっていうのにさ」
「だ、だからって……」
もう少しこう他にあったんじゃないのか。こんな監禁みたいな真似をしなくても、他に。
「第一、誰かさんが大人しくしてくれていたらこんなに急いでこいつを捕まえる必要はなかったんだけどね」
そう言われると何も言い返せなくなってしまう。
一度和解したとはいえど、志摩の視線はやはり痛い。もごもごと俺が口ごもっていたときだった。
「殺す……ッ」
ガムテープの拘束から開放された栫井の目は完全に据わっていた。そして、その視線の先には志摩がいた。――それもそうだ、と納得したが、ここで仲間割れするのは不本意だった。
「か、栫井! 落ち着いて! 俺が……俺が悪かったんだ……!」
「……っ、触んじゃねえ……!」
「っぁ、ご、ごめん……」
咄嗟にしがみついて栫井を止めようとしたのはよくなかったようだ。けれど油断すると志摩に今にも殴りかかりそうな気配すらある栫井だ。
俺は身を離しつつ、その腕は掴んだまま栫井を見上げた。
「ちゃんと説明するから、お願い、怒らないで……栫井……っ」
栫井には正攻法しか通用しない。下手に細工をすると不信感を募らせてしまうばかりだ。
ぺこぺこと頭を下げれば、毒気抜かれたように栫井は深く息を吐く。
しがみついていたその腕から力が抜けるのを感じ、一先ず安堵した。
だけど、
「へー副会長さんは齋藤にお願いされると大人しく聞くんだねぇ。……あ、元だっけ?」
「……黙れよ、クソ野郎」
どうしてせっかく栫井が落ち着いてくれたというのに志摩はこうも煽る真似ばかりするのか。
「志摩」と慌てて仲裁に入れば、志摩はやれやれと肩を竦める。
「はいはい、自分の尻拭いは自分でしなよ。俺は今回のことはノータッチだから」
「……分かってるよ」
ここから先はちゃんと俺が話をしなければならない。これからも栫井には付き合ってもらわなければならないから。
そのためにも、ここで怒らせて全てを台無しにするにはいかなかった。
「……栫井、あの、まず栫井に謝らないといけないことがあるんだ」
ぴくりと、栫井が反応する。
恐らく、栫井は俺のしたことを怒るだろう。
それでも、言わなければならない。その義務が俺にはあった。
「ごめん……あの、封筒、八木先輩が持っていったっていうのは嘘なんだ」
「本当は、まだここにある。俺が持ってるんだ」正確には原本は志摩が持っている、のだけれどもそこまで言う必要はない。寧ろ、言ったほうが栫井は気を悪くするに決まっている。
だって、今の俺の言葉だけでもこんなに怒っているのだから。
「……俺を、騙したのか」
突き刺さる視線が痛い。それでも、俺はそれを真っ直ぐ受け入れる。
逸らしてはいけない、そんな気がしたから。
「最初は本当に渡すつもりだったよ、それで……栫井を囮にするつもりだったんだ」
「それなのに、齋藤が余計な嘘ついちゃったからね。せっかくの作戦も台無しだよ」
「……それでも、やっぱり全部栫井に負わせるのは嫌だったんだ」
甘いね、と志摩が溜息を吐く。
志摩にも勝手な真似はしたと思ってる。けれど、自分の判断を間違っているとは思わなかった。
「……囮って、どういう意味だよ」
栫井の声は落ち着いていた。それでも、その奥には怒気のようなものを感じずにはいられない。向けられた怪訝そうな目に、俺は固唾を飲む。
ここまで言ってしまったんだ、言ってしまえ。
「芳川会長と関係がある栫井が封筒を盗み出したと阿賀松先輩たちに思わせようと思ったんだ」
「……何だと?」
「こうでもしなきゃ、阿賀松先輩たちを動かすことが出来ないと思ったから」
「そんなことしたら、余計……」
「分かってるよ。……だから、今、直接会長のところに話をつけてきたんだ」
「直接?」と、栫井の目が見開かれる。
――問題はどこまで言うべきか。会長を嵌めようとしたことは言わない方がいいだろう。
栫井はまだ、会長のことになると平静でいられないような気がしたから、余計。
「勿論丸腰じゃ相手をしてもらえないから……あれを使って、だけどね」
あれ、という言葉に僅かに志摩が反応する。
栫井も俺の言葉が何を指しているのか気付いたのだろう。コピーも封筒も会長に渡してしまったが、全て原本はこちらにある。会長の手に渡ったところで然程痛手にはならない。
「会長には阿賀松先輩たちの動向の事もどこまで知ってるかも全部、伝えてきた」
「……会長は、なんて」
「『そうか』とだけ」
「……」
押し黙る栫井が何を考えているかわからなかった。
本当は、会長は納得してなどはいない。最後の最後まで会長は俺を疑っていた。
会長に阿賀松を仕掛ける作戦も、阿佐美の介入により成功するかどうか分からない。分からないが、少なくとも俺達の手にはまだ手札がある。ここから先問題となるならば、それは阿賀松伊織の動きだろう。
「ごめん。せっかく栫井には八木先輩のことで協力してもらったのに……こんなことになってしまって」
「うるせえんだよ。……別に、俺が勝手にしただけだから、あんたには関係ないだろ」
「栫井……」
……許してくれるというのか。
分からなかったが栫井がまだ俺の話を聞いてくれている、その事実に安堵した。
それと同時に、どんどん自分が道を踏み外しているような気がしてならなくて、退路を断たれていくような感覚は常に俺の項を撫でていく。
「話は終わった?」
「……うん」
「なら、そろそろ場所を移動しようか」
「あんまりここにいるわけにはいかないからね」と、廊下の外へと目を向ける志摩。
確かに、先程よりも校舎内が騒がしくなっているのが分かった。
「でも……」
ここからどこに行けるというのか。
実質退学処分である栫井と、現在進行系で停学中の俺はセキュリティ面で引っ掛かることは間違いないだろう。
ならば教師に見つからないようにしなければならないのだが、と考え込んだとき。「そうだね」と志摩はいつもと変わらぬ笑みを浮かべる。
「そうだね、問題児二人連れで学生寮に戻るのは危険だね」
「じゃあ……」
「いい場所があるんだ」
「……いい場所?」
「うん、いい場所。俺達には丁度いいんじゃないかな」
その笑顔と含みのある物言いに、ただならぬ嫌な予感を覚えた。何を企んでいるのか、と思いつつ俺は隣の栫井へとちらりと目を向ける。
「栫井も、来てくれるん……だよね?」
むす、と不機嫌顔のまま腕を組んでいた栫井はこちらを一瞥し、それからすぐに視線を逸らした。
「……お前が来いって言ったんだろ」
「……うん、ありがとう」
その言葉を聞いて一先ず安心した。
俺への心象はよくないだろう、それでも俺を選んでくれた栫井にほっとする。そんな俺達をじっと見ていた志摩は「ねえ、齋藤。今俺が話してるんだけど?」と面白くなさそうに首を会話を切ってきた。
ちょっと話しただけなのに、と思いながらも取り敢えず「ごめん」とだけ謝罪をすれば、それに応えるように志摩は目を細めて微笑む。
「それじゃあ、さっさと行こうか。ただでさえ便所臭いのが一匹いるのにこれ以上こんなところに居たら匂いが移っちゃうしね」
すっかり機嫌を損ねた志摩の嫌味にもいい加減慣れたようだ、栫井は何も言わなければ志摩を視界に入れようとすらもしなかった。これは志摩がむかつくというよりも、そもそもどこか上の空のような感じもある。
栫井の様子が何となく気になりながらも、俺は志摩の先導とともに男子便所を後にすることとなった。
昼間あれ程暖かったのに、夜となるとその気温は冷たく感じてしまう。太陽がないというだけでも余計そう感じてしまうのかもしれない。
というわけで、俺達はなぜか外にいた。というか、校庭。
「あの、志摩、いい場所って……」
グラウンドを避けるように走り抜け、やってきたのは校舎や学生寮から離れた旧体育倉庫前。
もしやと思い、恐る恐る尋ねてみれば、
「え? ここだけど?」
当たり前のように答える志摩に思わず脱力しそうになった。
だって、そうだろう。よりによってここか、そう思わずにはいられない。
「客間の次は倉庫かよ……」
「こっちの方はもう取り壊し決まってるし、校庭自体はカメラが少ないんだよね。だから、朝までなら人目誤魔化せること出来るよ」
「それに、ベッドもあるしね」なんて志摩は笑う。ベッドってまさかマットのことを言ってるんじゃないだろうな。……いや、この顔は言ってるな。
強引ではあるものの、確かに志摩の言葉にも一理ある。
場所を選んでる暇は俺達にない。とにかく、少しでも体を休めるのなら――そう分かっているが、会長を閉じ込めた場所を有効活用するなんて危険じゃないのか。いや、逆にか?
「ま、文句ある人はどうぞそこら辺の草むらで寝転がってくれて構わないんだけどね」
「……チッ」
「ふ、二人とも……」
喧嘩こそなかったものの、栫井の機嫌が悪くなっているのは明らかだった。
そうだ、我儘を言っている場合ではないのだ。
「でも、これ……壊れてるよね」
せめてこの場の空気が和らぐよう、咄嗟に話題を変えようと旧体育倉庫の前へと移動する。
スライド式の扉は外れ、立て掛けるような形のまま放置されていた。そして肝心の外れた扉は歪に歪んでいる、ドアノブもひゃげてるのを見て少しぞっとした。
「そうだね。この前のあれでどこかのバカ力が壊したんじゃないかな?」
ということは、志摩が会長を閉じ込めたときだろうか。
あの時、早い段階で監禁を抜け出した会長のことを考えると頭に過るのが一年の女装男のことだった。
……そういえば、櫻田と閉じ込められたのもこの倉庫だ。
ついでに余計なことまで思い出してしまい、慌てて俺は思考を払った。
「……入りたくない?」
開きっぱなしになった旧体育倉庫の前、背後から志摩に声を掛けられる。優しい声音はどこか俺を試すような気配すらあって、弱気になっていた自分に喝を入れる。
「いや、大丈夫。……今は、足を伸ばせるだけで十分だから」
「そう、眠たくなったらいつでも言ってくれて良いんだからね。俺が腕枕してあげるから」
「い、いいよ。いらないから、別に」
「つか、寝るときも何も……寝る場所ねーんだけど」
栫井の言葉に釣られて倉庫の中に目を向ける。
確かに、放置されているだけあってどれも埃被ってて、ベッドの代わりになるようなものは見当たらない。――ひとつ除いて。
「は? ちゃんと見た? あるだろ、そこに。お誂え向きのやつがさ」
そう志摩は倉庫の片隅、畳まれたそれを指差した。
体操競技で等で使用されるマット。どうやら俺の予想が的中してしまったようだ。
「……正気かよ」
深く溜息を吐く栫井。
栫井、潔癖っぽいもんな。思いながら俺たちは早速マットを広げてみることにした。
「っ、ひっでぇ埃……つかこれ腐ってんじゃねえか?」
「文句ある人は外へどうぞ。虫に刺されながら自然を満喫するのも良いかもしれないよ」
「……」
数枚のマットの内ほとんどのマットはカビ諸々で、流石に衛生面に問題があるということで再び倉庫の隅に積むことになった。
そして、その中で残ったのはたった一枚。
二人で横になるのもキツイであろうそれは三人で横になろうことならとんでもないことになる。
というか普通に考えてこの二人が一緒のマットに寝るとは思えないのだが。
「ほら、じゃあ齋藤おいで。布団ないから俺が温めてあげる」
「えっ、いや、俺は……」
「おい、待てよ」
「……なに? まだなにか文句あるわけ?」
「枚数、足りねえだろ」
「ああ、そっちに腐れたのがあるからお前はそっちで寝たらいいんじゃないかな」
「……なんだって?」
「ああ、跳び箱もあるじゃん。ほら、あれ二つ並べて横になったらいいんじゃない?」
そして案の定始まる陣取り。
どうしてただ寝ることにこんなに揉めるのだろうか。不思議で堪らないが、とにかく二人には落ち着いてもらわなければならない。
「あ、あの、俺はいいから。代わりに栫井マットの上で寝ていいよ……」
「は? なんで俺がこいつと一緒に寝なきゃいけないんだよ。いくら齋藤でもそんな気持ち悪い冗談許さないよ」
「なんでてめえはマット使う前提なんだよ、お前が跳び箱の上で寝ればいいだろうが」
「見つけたのは俺なんだから俺がマット使うのは当たり前でしょ」
「あ、あの、二人とも静かにしないと……」
ヒートアップする二人。
ここが夜の学園であり、扉が壊れているということを忘れているのではないだろうかと疑いたくなる声量で言い争う二人に冷や汗が滲む。
このままではまずい、殴り合いになる前に慌てて仲裁に入ろうとした時だった。
『おい、こっちの方から声がしたぞ!』
「……ッ!」
倉庫の外、聞こえてきた足音に俺達はぴたりと動きを止めた。それも一つではない、複数の足音だ。
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