天国か地獄

田原摩耶

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√α:ep.5 『最後まで一緒に』

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「灘君、そっちは何かあった?」
「ないですね」

 やはり、そう簡単には行かないか。
 幸い、寝室に風呂とトイレが繋がってるだけましだが、このまま縁が戻ってこなければ何も出来ない。
 せめて、窓があれば、と考え掛けて大分志摩に毒されてきていることに気付いた。
 窓があったところで、足場が無ければ意味がない。
 出来ることならあの男の顔を二度と見たくないところだが、今ばかりは逸早く縁が戻ってくることを祈るしか出来なくて。

 そんなときだった。
 静まり返った室内に、ぎゅるるると情けない音が響き渡る。
 それは、どう考えても俺の腹部から発せられたもので。

「……」
「……」
「……ご、ごめん……」
「お腹が空いたんですか」
「いや、これはその……気にしなくていいから……」

 情けない、恥ずかしい、穴があったら入りたい。
 俺よりもずっとお腹が減ってるだろうし、心身ともに疲弊しているはずの灘が整然としてる前でこんな醜態。
 赤くなる顔を隠すことすらも居た堪れなくて、「ごめん」と二度目の謝罪を口にしたときだった。
 不意に、扉に向かって灘は歩き出した。

 どうしたのだろうか。あの扉には鍵が掛かってるはずなのだが。

「あの、灘く……」

 なんとなく嫌な予感がして、咄嗟に灘を呼び止めようとしたときだった。
 いきなり、灘が扉を蹴り上げる。
 鈍い音が響き渡る。
 それが扉から発せられたものなのか灘の足から発せられたものなのか考えるよりも先に、灘は二回、三回目と扉を壊す勢いで蹴り始めた。

「っ、ちょっ、灘君!」

 年季が入ったものならともかく、扉は最新型の頑丈な扉だ。いくらなんでも無謀すぎる。
 慌てて灘の服を引っ張り止めれば、灘はこちらを不思議そうに見た。

「何もしないでただ待つよりかはましでしょう」
「そ、そうかもだけど……灘君これ以上は足を痛めるよ……っ!」
「問題ありません」
「な、灘君……っ」

 再び扉に手を掛ける灘に、慌てて俺は灘の肩を掴んだ。

「お、お願いだから……もっと自分を大切にしようよ……っ」

 何度も志摩に言われてきては耳にタコが出来そうになっていたこの言葉を、まさか他人に言う日が来るとは思いもよらなかった。
 志摩はこんな気持ちだったのだろうか、と思いながらも、しがみついたまま離れない俺に諦めたのだろうか。灘は、俺に向き直る。
 そして、折れていない方の手で、宥めるように俺の首筋に触れた。

「お気遣いありがとうございます」
「な、灘君……!」
「ですが、俺には貴方のほうが大切です」

 ようやく分かってくれた、と歓喜するのも束の間。
 表情すら変えず、さらっとそんなことを言い出す灘に顎が外れそうになる。

「……っえ、えーと、いや、そういうことじゃなくて……」

 俺も俺で照れてる場合ではないと思うのだが、どうも灘といると調子が狂わされてしまうのだ。
 それに、あんなことがあったあとだからか、触れてくる灘の指にびくっと身を逸らしたときだった。
 灘の動きが止まる。

 そして、

「戻ってきたようですね」

 そう一言。
「え?」と聞き返そうとしたと同時に、錠が外れる音がして、同時に扉が開いた。
 そして、灘の言葉通りそこには待ち焦がれていた人物がいて。

「なんだよもーーうるせぇな」
「縁先輩……っ!」

 玄関が開く音が聞こえたのだろうか。予言したかのように言い当ててみせた灘にも驚いたが、今は縁が戻ってきたことに安堵した。
 そして、縁も俺を見るなり嬉しそうに破顔してみせる。
 けれど、もう、その笑顔には騙されない。

「あれ、齋藤君目覚ましたんだ。良かった、ど?調子は」
「っ先輩、どうして外から鍵を……約束が違うじゃないですか」
「あーあーそのことね、ごめんごめん忘れてた」
「忘れてたって……」
「ほら、これ鍵。齋藤君はこれが欲しかったんだよね?」

「手、出せよ」と促され、言われるがままに手を差し出せば、縁に掌ごと握られる。
 そして、そのまま俺の手の中に鍵を捩じ込んだ縁。
 咄嗟に、俺は手を引っ込めた。

 その反応がまずかったようだ。楽しそうに、目を細めた縁。その口元に嫌な笑みが浮かぶ。

「あれれ、そんなに警戒しなくてもいいのに。それとも期待してくれてんのかな?嬉しいねぇ」

 そう、伸びてきた手に髪を触られそうになり、咄嗟に後退ったときだった。
 俺に触れる直前。乾いた音ともに、縁の手が叩き落とされる。

「な、灘君……っ」

 俺と灘の間に立つ灘はいつもと変わらない様子で、そして、先ほど以上に冷めた目で縁を見ていた。
 俺でも分かる程、灘の全身からは拒絶の念が滲み出ており、そんな灘に縁のこめかみがひくつく。

「なんだよ、遊んで欲しいのか?」
「せ、先輩……っ」

 ただでさえ灘は手を痛めているというのに、自分から喧嘩を売るような真似をする灘に胃がキリキリと痛み始める。
 このままでは何されるか分からない。
 慌てて俺は縁の腕を掴み、急いで灘から気を逸らす。

「っあの!そ……それよりも、これから本当に灘君を解放してくれるんですよね」

 と思ったのだが、上手く逸らせなかった。
 馬鹿、俺の馬鹿、灘のことを掘り返してどうするんだ。
 後悔したが、縁の反応は良好だった。

「勿論。俺は嘘吐かないからね。それに、もう飽きたし」
「ありがとう……ございます……」
「っはは、ありがとうねぇ」

 笑う縁に腰を触れられ、痛みが走る。
 力が抜けそうになったところを、ぐっと抱き寄せられた。
 密着する下腹部にぎょっとして、慌てて離れようとすれば耳元に唇を寄せられる。

「言っとくけど、俺との約束を忘れたわけじゃないよな」

 約束。とは、ゲームのことだろう。
 低い声で囁かれ、ゾクゾクと背筋に悪寒が走る。
 忘れるはずがない。

「っ、覚えて……ます、けど……」
「ああそう?なら良かった。……もし、君がこの部屋から逃げ出すような真似したら亮太がどうなっちゃうか分かんないからなぁ」
「……ッ!」

 志摩の名前を出され、目を見開く。
 目の前の縁を睨めば、やつは楽しそうに喉を鳴らし、俺の顎を指先でなぞる。

「あとせっかくだからルールも決めておこうか。この学園の中なら好きに出歩いていいよ。昼間齋藤君が何をしようが俺は構わないけど、消灯時間過ぎても部屋に戻ってこなかったら逃げ出したと見做すから」
「……消灯時間……」
「本当は今すぐにでも構ってあげたいんだけど、俺もちょっと用事があってね。ま、終わったらまたここに来るからそれまでゆっくりしてろよ」

 そう言って、縁は俺から手を離す。
 正直、俺は縁の言葉が予想外だった。
 なんたって灘にあんな酷い真似をしていたのだ、最悪、代わりにあの椅子に座らされるかもしれないと覚悟をしていただけに縁の言葉が信じられなくて。

「好きにして……いいんですか?」
「勿論。俺は誰かさんたちみたいに縛り付けるのとかそういうの趣味じゃないからさ。遊び回るのも勉強に励むのも好きにしたらいいけど、まあ敢えて言うなら『自分の立場を忘れないように』かな」

 立場、というのは阿賀松のことだろう。
 下手に出歩いたところで阿賀松に見つかってしまえばそこで終わりだ。
 それを踏まえた上、好きにしろというのか、縁は。

「ここにいるのが一番安全だと思うぜ。それと、お使いならそこの木偶の坊使えばいいし」

 木偶の坊、と指された灘は何も言わない。
 相変わらず何を考えているか分からないが、快く思っていないことは明らかだろう。

 この自由をどう使うかは俺次第ということか。
 縁の言葉通り、阿賀松のことを気にするならここにいるのが一番安全だ。
 けれど、縁が何をしかけてくるか分からない今、本当に安全な場所なんてどこにもないわけで。

「それから、これ」

 そう、思い出したように制服から何かを取り出した縁はそれを俺の手に握らせた。

「っ!これ……」
「伊織に取られてたんだろ?電源は切れてるみたいだけど充電したら使えんじゃねえの?」

 いつの間にかに無くなっていたと思っていた携帯が、俺の手には握らされていた。
 阿賀松に捕まったとき全て引き抜かれていたみたいだ。
 これで連絡手段が増えた、とほっとした俺だったが、よく考えてみれば阿賀松たちの手に一度渡ったものだ。
 何か仕組まれていてもおかしくはない。

「もしかしてなんか細工してるって思ってる?」
「……っ!」
「ま、別にいいよ、使っても使わなくても。俺が持ってても仕方ないし、取り敢えず君に返しておくから」

 仕組まれてるとも仕組まれてないとも言わない縁にモヤモヤだけが残る。
 不安材料であることには違いないが、それでも、今はないよりある方がましだった。

「……ありがとうございます」
「どういたしまして」

 相変わらず、縁が何を企んでいるのか分からない。
 けれど敢えて俺を泳がせて、俺の反応を愉しもうとしているというのだけは分かった。

「それじゃ、また後でね。……齋藤君」

 本当に縁はそれだけを言い残せば部屋を後にした。
 縁が言う用事も気になったが、残された俺はただ手の中に残された二つの鍵に目を向けた。
 ないよりかはましだが、それが自分の首を閉めることになってしまわないか。それが不安だった。
 ……けれど、不安を憂いて燻ってるままでいるわけにもいかない。
 俺は、鍵と携帯端末をポケットに詰め込んだ。

 残された時間は今日の消灯時間まで。
 それまでに、出来ることはしておきたい。
 志摩の安否も確認しておきたかったが、縁のことだ、どこかの部屋に閉じ込めてるに違いないだろう。
 そう考えると今日一日でそれを割り出す自信はなかった。
 それよりも気になったのは、やはり灘のことだった。

「……灘君、あの……」

 灘がいなくなったことによって生徒会が更に不安定なことになっている今、灘だけでも五味や十勝の元へ向かわせて皆を安心させるべきではないだろうかと考えた。
 ずっと灘を付き合わせる必要もない。
 それに、ここからは俺と縁の問題だ。
 けれど、そうなるとまず先にすべきことは。

「……灘君は、先に病院に行ってもらった方がいいよ」
「不要です」

 案の定、即答される。
 けれど、こればかりは俺も退けなかった。
 もう灘を縛り付ける必要はない。縁もそう言っていたのだから。

「……けど、その指、このままにしたら大変なことになるよ」

 変な方向に曲がっている時点で大変もクソもないのだけれど、俺はこういうことしか出来なかった。
 包帯の上からでも分かるくらい不自然に膨れ上がった指は見れたものではなく、その包帯の下を考えただけでこっちが我慢できなくなる程だ。
 それでも灘は、「冷やしてれば治ります」の一点張りだ。

「そ、そうかもしれないけどさ……もう灘君は自由なんだよ、だから、ここにいる必要は……」
「俺が邪魔ですか」
「そうじゃなくて……もし、このまま灘君の指が動かなくなったらって思ったら……俺……」
「貴方が気に病むことはありません。俺が選んだことなので」
「灘君……」

 なんでここまで意固地になるのか俺には分からない。
 灘なりに考えていることがあるのだろうが、俺には分からなかった。
 ともかくも、説得を試みても俺たちの会話は平行線を辿るばかりで話は進まない。
 結局、また俺が折れることになったのだけれど、それでもやっぱり諦めきることは出来なかった。

 ……俺の説得を聞かないなら他の人に説得してもらうしかない。

 会長に?無理だ。余計ややこしくなる。ならば、五味や十勝か。でも、連絡先が分からないし探している内に何かあったらどうしようもない。
 考えろ、俺。
 連絡が取れて、事情を知ってる人。

 ……栫井?
 脳裏に、別れた栫井の顔が過る。
 一通りのことを理解し、ある程度自由に行動できる人物。
 そして、灘を説得出来そうな人物。
 いるじゃないか、栫井が。

「っ灘君」
「はい」
「あの、少し一階に行きたいんだけど、付き合ってもらっていいかな」
「構いませんよ」

 そうと決まれば行動だ。
 まずは充電器を調達しなければ始まらない。そしてご飯食べて、栫井に連絡しよう。
 今まで連絡寄越さなかったくせに今更なんなんだと怒られるかもしれない、けれど今はこれが俺の中で最善の方法だった。

 ◆ ◆ ◆

 俺は灘とともに部屋を出た。
 人目を気にしなければならないのは緊張したが、それでも、昼間の学生寮は人気がないので助かった。
 俺は灘とともに一階へ向かった。

 学生寮一階の売店へ向かい、充電器を買おうとしたところで無一文だったことを思い出した俺は店員に頼み込み、結果、同じ型の充電器を借りることに成功した。
 そして充電がある程度溜まるのを待っている間、灘が惣菜パンを物色していた。
 充電器を店員に返し、灘は惣菜パンを買い、俺達は売店を後にした。
 部屋を出る前、あまりにも目立つその指のことを言えば灘が自分の指を力づくで元の形に戻したときは卒倒するかと思ったが、そのお陰で店員は灘の指を見ても何も言ってはこなかったのが唯一幸いか。
 しかし、本当このままでは『この指があるから貴方は心配してるんですよね』とか言いながら指を千切かねない。

 ラウンジで休憩することにした俺と灘。
 灘が惣菜パンを頬張り始めるのを見計らい、俺は「ちょっとトイレに行ってくる」と席を立つ。
 灘は付いてきたそうだったが、なんとか座らせたまま俺は男子トイレの個室へ飛び込んだ。
 そして、先ほど充電を入れた携帯を手にする。
 一応履歴を確認したが、志摩の名前はなかった。
 やはり、今電話が出来るような状況ではないということか。
 気になったが、今は栫井への連絡を優先すべきだろう。
 予め栫井から聞いていた番号に電話を掛ける。

 1コール、2コールと無機質な音声が受話器越しに響く。

 頼む、出てくれ、お願いだから……。強く祈り、俺はじっと待った。
 そして、コール音が切れる。驚いて画面を見れば、『通話中』の文字。

『……』

 出てくれた。
 声こそは聞こえないものの、明らかに切り替わる音声におは「もっ、もしもし、栫井っ?」と食い気味に呼び掛ける。
 すると、

『……声でかい。うるせーから』

 高揚感のない、吐き捨てるような声。間違いない、栫井だ。
 久し振りに聞いた栫井の声に心から安堵するのが分かった。

「ごめん、あの、ごめん充電なくていきなりなんだけど、その、灘君を病院に連れて行ってほしくて、その」
『はぁ?』
「えーと、その、だから……縁先輩と会って灘君に会わせてもらったんだけど怪我が酷くて、けど灘君は病院に行きたがらないし他にお願いできる人いなくて」
『お前、何焦ってんの?日本語ぐちゃぐちゃで意味わかんねえから』

『最初から説明しろ』ゆっくりでいいから、と栫井は続ける。
 変わらない、けれど以前よりもほんの少しだけその響きが柔らかく感じたのはここ最近参っていたためだろうか。
 栫井に言われたように深呼吸を繰り返す。
 そうだ、落ち着かなければならない。焦っても何も良いことはない。そんなこと、身をもって知らされてきたはずだ。

「……ええと、その……」

 俺は栫井を別れたあとに起きた大まかなことを説明した。
 とはいっても、縁と取引をして灘に会うことが出来たということと、灘の怪我が酷いこと、灘を病院に連れて行って欲しいということをだけど。

『……はぁ』

 そして全てを説明し終えたあとの、わかりやすいくらいの栫井の長い溜息で栫井が言わんとすることは大体察した。

「ご、ごめんね……こんなこと頼めるの栫井しかいなくて」
『あぁ、そうだな。お前の中で俺は便利屋だからな』
「うぅ……ごめん、本当ごめん……栫井だって大変なのに……」
『分かってんなら自分でどうにかしろ』
「えっ!」
『冗談に決まってんだろ。アンタに任せてたら余計面倒になる』

 棘を孕んだ遠慮ない物言いも相変わらずだ。
 ぐさぐさと突き刺さる冷たい言葉にぐうの音も出ない俺に、電話越しの栫井が微かに笑ったような……そんな気がした。

『……別に構わないけど、借り一つだから。覚えとけよ』
「う、うん、ありがとう!」

 これで灘のことはなんとかなりそうだ。
 一先ずは安堵する。

「あ、そ、そうだ、栫井、そっちの方は何か……」
『普通』
「普通って……」
『つーか取ってつけたように俺のこと心配するフリすんじゃねえよ、不愉快なんだよ』
「ご……ごめん」

 少しは親しみを持ってくれているのかもしれない、なんて淡い期待を抱いていただけに容赦のない言葉に俺はつい頭を下げてしまう。
 電話の向こうで栫井が溜息を吐くのがわかった。

『取り敢えず、学園に行けばいいんだろ。……近くになったらこっちから連絡する』
「あっ、うん、ありが……」

 とう、と言いかけて、ぶちりと音を立て一方的に切られる通話。
 ツーツーツーと響く音を聞きながら、俺は暫く呆けていた。

「……」

 栫井は相変わらずだが、声が以前よりも元気そうだったように感じた。
 芳川会長に切り捨てられたときはヤケになっていたと感じていたのだが、学園を出てから少しだけ、落ち着いたのかもしれない。
 それに電話だって、以前の栫井だったら俺の通話だとわかった時点で出てくれなかっただろう。
 そう考えたら大きな進歩だ、そう思うしかない。

 携帯を仕舞い、トイレから出た俺は灘の待つラウンジへ戻る。
 ラウンジでは灘が二個目の惣菜パンを食べていた。

「ご、ごめん……待たせちゃったね」
「お構いなく」

 ちらりと俺を見上げ、そして、袋の中から三個目の惣菜パンを取り出し、俺の座るテーブルの前に置いた。

「齋藤君も食べたらどうですか」
「あ、うん……ありがとう」

 売店で俺の分はいいよと言ったのだが、わざわざ買ってきてくれていたようだ。
 頭が上がらない思いだ。
 ソーセージエッグフィッシュレタスバーガーという色々なものが詰め込まれた惣菜パンを受け取り、ありがたくそれを頂戴する。

「何かありましたか」
「え?」
「表情が硬いので」

 灘からもらったバーガーに早速かぶりついたとき、こちらをじっと見ていた灘はそんなことを言い出した。
 こんな状況でヘラヘラ出来る程の図太い神経をしている俺ではない。が、下手に心配させるのも嫌だった。

「いや、大丈夫だよ。それに、灘君程じゃないよ」
「そうですか」

 ほんのちょっとのジョークのつもりだったのだが当たり前のように受け取られてしまった。

「……ご、ごめん」
「何故謝るのですか」
「いや……その……」

 そんなやり取りを交わしながらも過ごす昼食の時間。
 俺はポケットに突っ込んだ端末が栫井からの着信を受けるのを待った。

 そして、昼食を済ませ、これからどうするかと話し合っていたときだった。
 ポケットの中の端末が震える。
「もしもし」と電話に出れば、ただ一言。

『裏門に来い』

 栫井はそれだけを言い残し、またもや一方的に通話を切った。
 しかし、俺にとってはそれだけで十分だった。

「あの、灘君」
「はい」
「ちょっと……用があるんだけど、いいかな」
「構いませんが」
「……君に、会わせたい人がいるんだ」

 ◆ ◆ ◆


 そして、ラウンジを出た俺と灘は校舎裏へ向かう。
 終始斜め後ろから灘の視線を感じたが、灘は何も言わずに俺についてきてくれた。

 人気のない道を選び、俺は校舎裏にある裏門へと向かった。
 そして、無駄にでかい門を背に座り込む、見慣れた猫背のシルエットを見つけた。

「栫井!」

 名前を呼べば、ゆっくりと立ち上がり、俺達を向いた。
 最後に会った時よりもいくらか髪が伸び、見慣れない私服姿だったがそいつが栫井だというのはすぐに分かった。
 伸びた前髪の下、眩しそうに細められた目が俺を捉える。
 そして、

「……おっせーよ、呼び出しておいて人を待たせんじゃねえ」
「ご、ごめん……こんなに早く着くとは思わなかったから」
「アンタがさっさと来いって言ったんだろ」
「い、急いでくれたの?」
「……」
「ありがとう、栫井」

 栫井は何も答えない。が、罵倒もしてこないのでもしかしたら照れているのかもしれない。深く突っ込んだら今度こそ怒られ兼ねないと思い敢えてこれ以上口を挟まなかったが、そんな俺の隣、現れた栫井に、灘の目に驚きの色が確かに浮かぶ。

「栫井君」

 灘に向き直った栫井は灘の手に視線を下ろし、そして薄く笑った。皮肉気な笑み。

「なんだ……全然元気そうじゃねえの。大怪我だっていうから楽しみにしてたのに」
「か、栫井、灘君は……」
「うるせぇな、お前には聞いてねえんだよ」

 早速怒られた。俺は慌てて口を閉じる。
 再度灘に目を向けた栫井は、そのまま灘に背中を向けた。

「おい、行くぞ。こっちは忙しいんだよ」
「どういうことですか、齋藤君」
「って……おい、説明してねえのかよ」
「ご、ごめん……言ったら来てくれないと思ったから」
「……本っ当、なんの役にも立たねえなアンタ」

 言い返す言葉もございません。
 項垂れる俺の代わりに、灘に栫井は説明する。

「こいつが外に出られないから代わりにお前を病院に連れて行くよう押し付けられたんだよ」
「不要です」
「不要とか必要じゃねーんだよ、一々呼び出されたこっちの身になれよ」

 頑固な灘にも慣れているのだろう。
 相変わらずの調子で切り返す栫井に、灘は「齋藤君」とこちらを見た。
 どうして話してくれなかったんだ、と言いたげなその目は直視できない。けれど。

「ごめんね、内緒にしてて。……でも、やっぱりどうしてもそのままにしておけなかったから」

 このまま灘を傍に置いていたら灘のことが気になって気が気でなくなるのは明白だ。それに、今は縁の手が届かない場所でゆっくりと休んでいてほしいという気持ちがあった。

「俺がいなくなって、貴方はどうするんですか?……一人であの男と会うつもりですか」

 灘は、やっぱり俺のことを気にしてくれていたようだ。
 あの男というのは縁のことだろう。一人よりも、灘がいてくれた方が心強いのは確かだ。しかし、怪我を無視してまで灘を傍に置かなければならないのなら、話は別だ。
 頷き返す俺に、話を聞いていた栫井は訝しげに眉根を寄せた。

「は……なに?一人?」

「志摩亮太は」一緒じゃないのか、とこちらを見る栫井。
 栫井には、阿賀松を裏切ったことも志摩が捕まったことも話していない。そして、そんな志摩をネタに脅されたことも。

「志摩は大丈夫だよ。大丈夫だから……心配しないで」

 ただでさえ自分のことでいっぱいいっぱいの栫井に、余計な心配をさせたくなかった。
 そんな俺の言葉を信じたのかどうかは分からない。黙って俺を睨んでいた栫井だったが、やがて、浅い溜息とともに灘の腕を掴んだ。

「栫井君」
「この無計画な馬鹿が心配なら、尚更さっさと用済ませるって考えはないのかよ。お前には」
「……」

「ほら、行くぞ」と、一言。
 何も言わない灘の腕を力づくで引っ張って歩き出す栫井。
 その背中に、慌てて俺は声を掛ける。

「ありがとう、栫井……!」
「うるせーな!借り一つっつってんだろ!」

「今度会ったら二倍で請求するから」と、だけ言い残し、栫井は灘を引きずって歩き出す。
 灘はまだ何か言いたそうにこちらを振り返っていたが、栫井に髪を引っ張られ無理矢理前を向かされていた。

 灘のことは栫井に任せて正解だったようだ。
 なんだかんだ信頼関係を結んでいる二人が羨ましく感じた。

 一人残された裏門前。
 俺は二人の姿が見えなくなるのを確認して、学園に戻った。

「……」

 これでよかったんだ。これで。
 灘はたまたま巻き込まれただけだ。ここから先は、俺と縁の問題だ。これ以上巻き込む必要はない。
 志摩もいなくなり、阿佐美もいない。そして灘までもがいなくなった隣がやけに寒く感じた。

 これでいい。
 そう自分に言い聞かせながら、俺は学生寮に向かって足を進めた。
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