天国か地獄

田原摩耶

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√β:ep. 2『変動と変革』

08

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「齋藤、喉渇いてない?眠っていた間何も食べてないでしょ、お腹減ってるんじゃないの?俺、なんか持ってきてもいいけど」
「……別に……大丈夫だよ。それよりも」
「拘束は外さないって言ったよね」
「……」

 取り尽く島もない、とはまさにこのことだろう。
 俺の心配をしてくれているのは間違いないのだろうが、こうなったときの志摩は何を言っても聞き入れてくれない。

 それにしても、困ったことになった。こんなことしてる場合ではないのに。思いながら、志摩が気遣いで用意してくれたテレビを眺める。流れるニュース番組が、まるで他人事のように思えなかった。
 思いながら見ていると、いきなり番組が切り替わる。そしてすぐ、楽しげな笑い声が響くバラエティ番組が表示された。振り返れば、リモコンを手にした志摩がこちらを見ていた。

「ニュースなんてつまらないでしょ。ごめんね、気付いてあげれなくて」

 正直な話、今はバラエティ番組よりもニュース番組を見ていた方が『まし』だと思っていただけに、志摩の余計な気遣いになんとなく、言葉に困る。
 椅子の背後、背もたれに手を掛けた志摩はそのまま、俺の後頭部に唇を寄せてきた。

「……っ、何……?」
「何って、何が?」

 言いながら、戯れに髪に指を絡めてくる志摩。
 まるで人のことなんて気にしていないみたいに俺越しにテレビを見出す志摩に、正直気が気でない俺は堪らず「志摩は、座らないの」と声を掛ける。

「……いいよ、ここで、久し振りにこうして起きてる齋藤と一緒にいられるんだからね。今のうちに楽しんでおこうかと思って」

 そう笑って、志摩は人の耳にそっと触れてる。耳朶から耳の裏、その付け根の柔らかい皮膚をそっと擽られれば、こそばゆさに肩が震えた。

「邪魔が入る前に」

 と、志摩が耳朶に唇を寄せたときだった。
 部屋の外、扉の方から施錠が外れる音が聞こえて、小さく志摩が舌打ちする。

「あーあ、もう少し遅く帰ってきたらいいのに……本当、気が利かない」

 独り言のように恨み言を口にした志摩は、俺から手を放した。
 そして、次の瞬間部屋の扉が開く音が聞こえてきた。

「早かったですね、方人さん」
「そりゃあ、齋藤君とお前を二人きりにしたら齋藤君が心配だからな……って、あれ、齋藤君?もしかして起きた?」

 戻ってきた縁方人は、点いているテレビに気付いたようだ。パタパタとこちらに駆け寄ってきた縁はこちらを覗き込む。
 正直、どんな顔をして会えば良いのか分からなかった俺は、「縁先輩」と応えるので精一杯だった。
 表情は鉛のように固くなってしまい、上手く喋れたのかも分からない。けれど、俺が応えたのを確認して、縁は嬉しそうに破顔する。

「おはよう、齋藤君。まだ目が覚めたばかりなのかな、目がとろんとしてる」
「……っ」

 頬に触れられそうになり、その手を志摩が振り払った。
 縁は「おい」と面白くなさそうに志摩を睨みつけた。

「方人さん、手洗ってないですよね。何を触ったかもわからないような汚い手で齋藤に触れるのやめてくださいよ」
「あーあー、やだやだ。小姑みたいだな本当。つか亮太、齋藤君が起きたんなら俺に連絡しろって言っただろ」
「携帯の電源切れたんで」
「はいはい、お前の携帯はいっつも電源切れてんな。……齋藤君、大丈夫だった?こいつに何も変なことされなかった?怖かっただろ?」

 志摩に怒られたばかりにも関わらず、反省するどころか寧ろ距離を詰めてくる縁に逃げることも出来ない俺は顔を逸らすことで精一杯だった。

「あれ?どうしてこっち見てくれないんだよ、傷付くなぁ」
「自業自得ですよ。大体、怖い思いをさせたのはアンタだろ」
「確かに齋藤君には結果的にひどいことしちゃったけど……仕方ないだろ。ああするしかなかったんだから。あそこには監視の目が合った。あのままにしてたら齋藤君はただ俺と密会してたと思われて余計立場がなくなってたはずだよ。それなら、俺が齋藤君を無理矢理連れ去ったっていう方が齋藤君のメンツも保てるだろ?」

 監視の目。あの場に、俺と縁以外の第三者がいたというのか。全く気づかなかったが、縁の言葉に少し、驚いた。
 俺のためにわざと悪役を買って出たということか、と目を丸くする俺に志摩は呆れたように息を吐く。

「だからって、本気で急所狙う人がいますか。齋藤、騙されたら駄目だよ。下手したら齋藤、二度と目を覚ませなかったかもしれないんだから」
「……っ、二度と……」
「そうだよ」
「馬鹿、お前こそ人を怖がらせるのやめろよ。死なないように手加減くらいしてるっての」

 そういって、縁はそっと俺の項に手を這わせた。
 あまりにも自然な動作に志摩も反応に遅れてしまったらしい、まだズキズキと疼くそこを慈しむように撫でる縁は笑う。

「ごめん、また君に傷付けちゃったね」

 また、という縁に、以前、会長たちの目の前で首を締められたことを思い出す。大分跡が薄くなったと思っていたが、その一言でいろんなことを思い出し、つい、身が竦んだ。それも束の間、「ちょっと」と呆れたような志摩は問答無用で縁の手を離した。

「本当お前は空気が読めないよなぁ、亮太。そんなんだから齋藤君に嫌われるんだよ」
「あんたに言われたくないんだよ。っていうか別に齋藤、俺のこと嫌ってないし。あんたのが嫌われてんじゃないの?わかんない?どんだけ目ぇ悪いの?」
「あの、先輩……」

 このままでは埒が明かない。そう判断し、志摩と縁の言い争いを遮るように、俺は縁に声を掛けた。

「なぁに?何かしてほしいことでもあるの?あ、もしかしてトイレ行きたいの?」
「……帰してください」

 ここから、帰してください。と、続ければ、背後から志摩の溜息が聞こえてくる。
 確かに、単刀直入すぎると思ったが、縁相手ならば何を言っても上手く躱されるような気がしてならなかった。
 だから、それならば、正面からいくしかない。
 縁は話せば分かる相手だ。それに、どんな荒業を使う相手であれ、俺のことを考えた上での行動する人だとすれば、聞き耳くらいは向けてくれるのではないか。そう淡い期待を抱いたのだが。

「帰りたい……かぁ、ま、妥当だけどさ、いいよ」
「っ!本当ですか?!」
「うん、俺は無理矢理君を縛るような真似はなるべくならしたくないけどね。……けどさぁ、君に帰る場所なんてあるの?」
「……え?」
「生徒会は君のことを俺達の味方なんじゃないかって疑ってるみたいだよ。そんな君がノコノコ生徒会を頼ったところで最悪伊織の二の舞いにもなるかもしれない。それだけならまだしも、君は阿賀松側の連中からしてみれば生徒会に媚を売る害虫でしかないわけだから……まさに四面楚歌、そんな場所に帰りたいなんて君はまだ言えるの?」

 変わらない笑顔で、縁は続ける。
 そんなわけ、と思い志摩に目を向けるが志摩は何も言わない。
 まさか、縁の言葉は本当なのか。交渉材料と聞いたときも血の気が引いたが、まさか、縁の口ぶりからするに、生徒会は。

「君は切り捨てられたんだよ」

 縁の言葉は、すとんと胸の底に落ちる。
 その可能性を考えなかったわけではない、自分に阿賀松と対等の価値があるとは思えなかった。けれど、それでも、簡単にその言葉を受け入れてしまう自分が余計、恐ろしくて、自分で混乱する。

「……方人さん、それは本当なんですか」
「交渉決裂だ。芳川君は『煮るなり焼くなり好きにしろ』ってさ。正直俺は残念だよ、もしかしたら君ならあの石頭をどうにかできるんじゃないかって思ったんだけど、無理だったみたいだね。まあ、平佑君が無理なんだから無理に決まってるか」
「……、……」
「お生憎様、俺はそんな君に同情してるんだよ。分かるよ、少しでも気を持たせておいて棄てるなんて人でなしのすることだ。俺は君の味方だよ、齋藤君」
「……縁、先輩……」
「もう一度聞くよ。君は、周りに敵しかいない場所に戻りたいと思うか?それでも頷くなら引き止めはしないよ。その代わり、助けることも出来ないけど」

 芳川会長の顔が過る。勝手な真似をしたんだ、飽きられても仕方ないと分かっていたのに、縁の言葉を聞いて、頭をぶん殴られたとき以上のショックが襲い掛かってくる。
 もう会長のところには戻れない。自室に戻れば壱畝もいる。前みたいに助けてもらえることもない。
 そう思うと、足場が崩れるような、そんな途方もない不安を覚えた。

「……俺は……」

 そう、口を開いた瞬間、目の前が陰る。伸びてきた手に、後頭部、それから背中を優しく抱き締められる。目の前には縁の肩口があって、驚いて目を見開いたときだ。

「無理して応えなくても大丈夫だよ」

 すり、と、頭を撫でられ、片方の手が、器用に俺の身体を拘束していたそれを外す。
 腕、手首、足、と次々に拘束していたものが外され、それを見ていた志摩は「方人さん」と呆れたようにその名前を呼んだ。縁は「いいんだよ」と、優しく笑う。

「戻りたければ戻ればいい。君が選ぶんだ、自分のしたいようにすればいい。会長さんから解放された君は、もう自由なんだよ」

 手足に血が戻るようだった。
 自由――本来ならば、その言葉に胸を踊らされるはずなのだろう。
 だけど、言い換えてみるならば全て自己責任になるということだ。助けてくれる人間はいない。自分で、一人で、どうにかしなくてはならない。
 今まで、会長や灘、阿佐美が助けてくれた。それが、今度はない。そう思っただけで、身体が竦む。
 立ち上がらないと、と思うのに、手足に力が入らない。怖い。こんなんじゃ、だめだ。こんなんじゃ。
 椅子に座ったまま、動けない俺を、縁はただじっと見ていた。

「……どうした?立ち上がれないのか?」
「……ぁ……」
「手足に力が入らないのなら、俺が部屋の外まで連れて行ってあげるけど」

 差し出された手に、優しく肩を撫でられる。
 縁ならば、俺を部屋の外へ引き摺り出すのは容易だろう。なのに、なんだろうか、胸の奥底が、もやもやする。
 俺は、この腕に力尽くで引き留めてもらいたかったのだろうか。あまりにも素っ気ない縁の態度に、胸がぽっかり空いたみたいだった。
 有り得ない、そんなわけがない、と思うのに。志摩が、それは許さないと言っていたのに。
 志摩を見れば、志摩は何も言わずにこちらの様子を伺っていた。もしかして、縁の判断に従うということから。
 確かに、志摩が危惧していた縁が手荒な真似をしてくるという心配はない。

 ……本気なのか。

「……っ、……」

 志摩は、俺の味方をしてくれるだろう。きっと。
 そう思うけど、それでも、頭のどこかでは、一人になることを恐れている自分がいた。
 必要とされることが当たり前になってしまっていたせいで、いきなり放り投げだされ、狼狽える自分がいた。目的を見失ったみたいに、何をしたらいいのか分からない自分がいた。

 俺は、縁の腕をぎゅっと掴んでいた。
 しがみつくような無様な動きしかできなかったが、縁はただ俺を見ていた。

「立たせてほしいの?」

 甘い声。恋人をあやすかのようなその言葉に、俺は首を横に振った、なんと言えばいいのか分からなかった。
 俺はこういうとき、どんな言葉を投げ掛ければいいのか分からなかったのだ。

「……そう、なら、ゆっくりしていけばいい。君が満足するまで、ここで」

 俺の言いたいことが分かったのだろう、そう言って、縁は俺の髪をくしゃりと撫で、笑った。

 自己責任が伴う自由よりも誰かに指示されて動く束縛された環境の方が数倍、魅力的に思えた。
 愚かだと自分でも思う。けれど、もう、一人にはなりたくなかった。守ってくれる人間がいない、そんな地獄のような場所は耐えられなかった。


 ◇ ◇ ◇


「方人さん、どこまで本当なんですか」
「どこまでって、何が?俺は本当のことしか言ってねーんだけどなぁ」
「あんたが余計なこと言ったせいで本当に齋藤が出て行ってたらどうするの、って聞いてるんですけど」
「そのときは亮太、お前の好きにしていいぞ」
「はぁ?」
「まあ、普通に考えて齋藤君が出ていけるとは思わないけどな。あの子にそんな勇気があると思うか?それに、ここまで甘やかされて甘い蜜啜ってきた人間が人の手から離れるわけがない」
「また根拠のない思い込みを……」
「結果が全てだろ。齋藤君は逃げなかった。それが全てだよ」
「やっぱり、芳川云々っていうのも齋藤を惑わすための狂言だったわけ?」
「どうだろうな」
「……それって、どういう……」
「今日はやけに絡んでくるな。俺から聞き出したところで信じないくせに、無駄なことすんなよ。自分の目で確かめろ」
「おい、どこに行くんだよ」
「用事。遅くなるから、その間しっかり齋藤君のこと慰めとけよ」
「……余計なお世話なんだよ、本当腹立つ」
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