天国か地獄

田原摩耶

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√β:ep. 2『変動と変革』

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 とにかく、体を刺激しないようにと細心の注意を払って縁をベッドまで運ぶ。
 ゆっくりとベッドの上に降ろせば、縁は「ありがとう」と軽く手を振った。

「……あの、誰か、先生とか、病院とかは……」
「だから大丈夫だって。少し……頭痛いけど」
「あの、お腹は……」
「ん、そうだね……このままじゃベッド汚れちゃうし、着替え手伝ってくれる?」
「は、はい……!」

 言われるがまま、俺は縁を手伝うことにした。

 至るところにガーゼや包帯が巻かれた縁の体の目立つ傷と言えば、やはり腹部のそれだろう。思ったよりも傷は浅そうだが、臍の上を横一文字に走るその赤い線から流れる血液をタオルで拭う。
 けれど、止血をしないと止まりそうにない。

「……先輩」
「大丈夫だって。……あ、齋藤君ちょっと消毒するね」

 そう言うなり、サイドボードから取り出した消毒液を豪快に自分の腹部に吹きかける縁。勢い良く染み込む消毒液に、縁は笑って、唸る。

「っ、やっぱ染みるなぁ……ッ」
「だ、大丈夫ですか……?」
「うん、これくらいなら……どうせ慣れるしね……」

 そう言って、また消毒液を吹きかける。液で傷口の血を洗い流す縁。俺にも分かる。ただでさえ傷口は敏感なのだ、それも大きな傷口に大量に液が触れたときの激痛を考えると、正直生きた心地はしない。
 けれど、俺は縁の代わりになることは出来ない。
 何かできることはないだろうか。俺は、縁の血で汚れた服を洗濯機へと入れることにする。
 脱衣室から居間へと戻ると、丁度縁がガーゼを傷口に当てているところだった。

「……あ、丁度良かった。齋藤君、ちょっと手伝ってもらってもいいかな」

 そう、縁はこちらに軽く手を振ってくる。
「ここ、俺が持ってるガーゼの端をこのテープで止めてくれるだけでいいから」とテープを手渡してくる縁。
 いつも自分で傷の手当をしてるのだろうか。やけに手際のいい縁が気になったが、確かに縁は常に満身創痍なイメージがある。
「分かりました」と、俺は指示通りにガーゼを止めていく。薄くはないガーゼには既に血が滲んでいたが、縁は気にした様子もなかった。
 ガーゼが外れないように留めた後、縁は包帯を腹部を覆い隠す。

「せ、先輩……苦しくないんですか?そんなにきつく縛って……」
「問題ないよ。寧ろ、きつくした方が感覚なくなって動けるし」

 なんというか、力技というか、荒いというか……本人が濃いいと言ってるのだからいいのだろうが、いつも仁科が縁のことを心配してる理由が分かった気がした。
 けれど、確かに縁の言うとおり縁自身心なしか先程よりも動けるようになっているように思える。

「……っ、うわ、ヒデェなこれ。……三日かなぁ、跡は暫く残るかもしんねーな」

 全身鏡の前、自分の顔の傷を確認していた縁はそんなことを言ってる。
 俺としては、誰にされたのか、そっちの方が重要なのだが縁は全く気にしてる様子がない。
 顔はともかくだ、あの腹部の傷、どう見ても斬りつけられてるようにしか見えなかった。
 ……何があったのだろうか。
 聞くに聞き出せないまま、俺は、顔の傷を消毒するという縁に何枚目かの濡れタオルを運ぶことにした。


 縁の顔の腫れは時間が経つほど引いていったが、それでもやはりどこか喋りづらそうだった。
 無理して動かない方がいいと言ったのに、縁はというと「大丈夫だって」の一点張りで、今では普通に居間でテレビを見てる。
 俺はというと、縁の体の傷が頭から離れなくて仕方なかった。

「齋藤君、難しい顔してる」
「……座ってると、体に障るんじゃないですか?」
「あ、それ俺のことを心配してくれてたんだね。嬉しいなぁ、俺、君に愛されてる?」

 言いながら、ソファーの上、わざわざ俺の隣へと移動してきた縁は嬉しげに俺に肩組んでくる。
 縁は自分のことをなんだと思ってるのだろうか。人それぞれだと思うが、ここまで自分を大事にしないとなると正直、見てられないというのが本音だ。

 言い澱んだときだ。不意に、無機質な着信音が部屋に響く。縁の携帯のようだ。
「はいはーい」と言いながらソファーから立ち上がる縁を尻目に、俺は、小さく息を飲む。

 縁のことが心配な反面、こんなに近くにいるはずなのに何も見えない、掴めない縁が正直不気味だった。
 俺は縁の電話の邪魔にならないよう、トイレへと移動する。
 用を足し、手を洗おうと洗面台の前に立ったとき、扉の向こうから縁の笑い声が聞こえた。

 そう言えば、昨夜も夢の中で縁の声を聞いた気がする。
 怪我がどうとか言っていたが……阿佐美のこと、縁は知ってるのだろうか。
 思い切って聞いてみようか。
 さり気なく聞けば、教えてくれるかもしれないし……うん、さり気なく……。

 部屋へ戻れば、縁が電話を終えていたところだった。
 鼻歌交じり、手元の携帯を弄っていた縁に、俺は「あの」と恐る恐る声を掛ける。
 自然に、平然に、そう口の中で繰り返しながら。

「あの、今の電話って……」
「奎吾だよ。……あいつ、俺の喋り方ですぐ『また怪我したんですか』って勘付くんだよ。すげーよな、そんなにモゴモゴしてたかな?」
「……仁科先輩、ですか」
「ああ、これから来るって。応急処置してるから大丈夫だっつーのに、なんか用あるとか言ってさ」

「せっかく二人きりだったのに、ごめんね?」と、何に対してか分からない謝罪を口にする縁に俺は戸惑った。
 でもまあ、少し安堵する。二人きりじゃなくなる云々はともかく、縁の手荒な応急処置は俺も気になっていたからだ。

「……昨夜の電話も、仁科先輩からだったんですか?」

 さり気なく、あくまでさり気なく話題を繋げようとしたつもりが、やってしまった。笑っていた縁の目が、こちらを見る。先程までと表情自体は変わらないのに、その視線の冷たさに、息を飲んだ。

「あれ……俺、もしかして齋藤君起こしちゃってた?」
「そういうわけではないんですが……その、夢現で縁先輩の声が聞こえてきたので……ぼんやりと」
「話の内容も聞こえてたの?」
「……怪我がどうとか……っていうのは、少しだけ聞こえました……すみません、盗み聞きしてしまって」

 縁の目が、反応が怖くて、俺は慌てて頭を下げる。
 けれど、縁はすぐにぱっと笑みを浮かべ、それから「いいよいいよ」と手をヒラヒラさせた。

「寧ろ、俺が寝てる齋藤君の横で喋ってたのが悪いんだしね。……電話は奎吾じゃないよ。別の人」
「……そう、でしたか。……縁先輩と仁科先輩って、結構仲が良いイメージがあったんで……すみません、突っ込んだことお聞きしてしまって」
「寧ろ俺としては興味を持ってくれて嬉しいんだけど。もしかして、奎吾に妬いたりしたの?」
「妬い…………?」

 なんで俺が仁科に、と口籠った時、縁が言わんとしてる意味を理解する。いやまさか、確かに縁は男好きだと認識してたがまさか。絶句する俺に、縁は「あ、なんだ、してなかったんだ」と肩を竦めて残念がる。
 普通しないだろうというか、考えたこともなかった。

「残念だなぁ、ま、俺は一途だからね、君以外にうつつ抜かしたりはしないけど」
「は、はぁ……ありがとうございます……」
「うっわー齋藤君全然真に受けてないでしょ」

 言いながらも楽しそうに笑う縁。
 そこで俺は縁に綺麗に話題を擦り替えられていることに気付いた。……結局、電話の相手は教えてくれなかったが……故意なのだろうか。いつも隠し事せずに話してくれる縁だからこそ余計気になったが、無理に食い付いても逆に怪しまれる。
 ここは引き下がることにした。

 程なくして、仁科が部屋にやってきた。
 縁が妙なことを言ったせいで仁科を見た瞬間ドキッとしたが束の間、いつもと変わらない仁科に安堵する。
 仁科は縁の顔の怪我を見るなり「あぁ……」と痛ましい声を漏らした。

「方人さん、ここまで顔腫れたの久し振りなんじゃないですか。……包帯、留め方雑ですし」
「えーそう?鏡見ながらしたんだけど」
「怪我は、顔だけですか」
「うん、顔だけ」

 え、と縁の方を見れば、縁はこちらに向かってウインクしてみせる。あまりにも自然なウインクについ流されそうになったが、まさかこの人、腹の切り傷を仁科に黙っておく気なのか。

「本当ですか?……他に打撲とかはないんですか?後から言われても俺困りますよ」
「大丈夫だって。それに他はかすり傷程度だし」
「そうですか……ならいいですけど、一応、鎮痛剤貰ってきたんで辛かったら飲んで下さい」

 そう言って、仁科は袋に入ったそれを縁に手渡す。
「お、気が利くー」とヘラヘラ笑いながら縁は受け取って、中を見る。
 いつも縁はニコニコ笑ってるが、やはり、痛みには耐えられないのだろう。そう思うとどういう顔をしたいいのか分からなくて、二人のやり取りをじっと見てると不意に仁科と目が合った。

「……なんだ?」

 よほど俺は変な顔をしていたのかもしれない。不思議そうに首を傾げる仁科に、慌てて俺は首を横に振った。なんでもないですと。
 どうして縁は仁科に腹部の傷のことを隠すのだろうか。面倒だから?でも、仁科は口は堅いと思うし、傷だってちゃんと手当してくれそうな気がする。

「齋藤、お前、顔色悪いな」
「っ、へ?」
「……具合、悪いのか?」

 恐る恐る尋ねられる。具合は、元気といえるほど元気ではない自覚はあったが、そんなに酷い顔色だったのだろうか。
 慌てて顔を掌で覆い隠そうとしたとき、伸びてきた仁科の手が額に触れる。

「……熱があるな」
「えっ、ほ、本当ですか……?」
「お前、自覚もないのか……?……それとも、元々体温が高いのか?」
「体温は……普通だと思いますけど……」
「方人さん、風邪薬持ってましたっけ」
「風邪薬は俺、持ってないな。滅多に風邪引かねーし」
「……そうですか」
「あっ、あの、俺、大丈夫ですよ。頭とか喉も痛くないですし、……あの、本当大丈夫なんで……」

 このくらいなら、大袈裟に心配されるほどでもない。
 そう思い、慌てて仁科を止めれば、仁科は可哀想なものでも見るかのような、そんな目で俺を見る。
 それから、縁を見た。

「……やっぱり、慣れない環境と緊張で疲弊してるんじゃないんですか。……俺は……ちゃんと部屋に帰してやるべきだと思います」

 仁科の一言に、一気に静まり返った部屋の空気に、全身が緊張する。
 部屋に、帰る。それは、俺が今、最も避けたいことだったからだ。

「あ、あの……俺は、大丈夫です。全然……」

 帰りたくない。そう、咄嗟に応えれば、仁科は「けれど」と眉間に皺を寄せた。
 怒ってる、というよりも困惑や心配の色が強く滲んでいる。困らせるつもりはないのだろう、悪意もない、ただの善意だ。
 だからこそ、余計。

「齋藤君が具合悪いのに気付かなかったのは、俺の責任だよ。ごめんね、齋藤君」
「……先輩」
「だけど、こういっちゃあれだけど君はここにいるのが一番安全だよ。確かに俺は頼りにならないかもしれないけど、風邪っぴきの君の面倒見ることくらいは出来る」
「……」

 正直、驚いた。
 つらつらと縁の口から出てくるその言葉は、以前、志摩の前で吐いた言葉と180度違う。
 縁の気が変わったのか、少なくとも、このままでいることが最善だと判断したのか、分からないけれど俺は嬉しかったのが本音だ。

「それとも、齋藤君は俺じゃ駄目かな」

 こちらに目を向けた縁は、控えめに笑う。
 仁科にはただ顔を怪我してるだけのようにしか見えないかもしれないが、俺は知っている。縁の腹部の傷を。
 縁の気持ちは確かに嬉しいし、俺には勿体無いくらいだとも思えた。けれど、それと同時に縁の負担を大きくしてしまってると思うと、遣る瀬無い。
 迷う俺に、縁はそっと手を握ってくる。いつもはひやりとしている手のひらが、今日は特に熱を持っているように思えた。

「そんなこと、ありません。寧ろ、こちらの方こそ……お役に立てなくて、すみません」
「君はもう役に立ってるよ。朝目を覚まして齋藤君がいるだけですごい元気になるんだから、俺。知ってた?」
「い、いえ……そうなんですか……」

 冗談混じり、笑う縁にどう反応すればいいのか分からずつい口ごもる。
 縁の優しさに甘えていままできてきたが、いつまでも縁の面倒になるわけにはいけない。
 卒業後までここにいるわけにもいかない。それよりも先に縁が卒業することもあるのだから。
 どうにかして踏ん切り付けて自室に戻ることも視野には入れないといけないが、そうなると壱畝とのことがネックになってくる。
 以前探していた一人部屋のこと、もう一度考え直してみるか。
 けれど、それにはまずこの板挟みになった状況をどうにかする必要がある。
 そこまで考えて、頭の奥がズキズキと痛み始める。

「とにかく、横になって休んでろ。……方人さんも、喋ってたら口の中痛むんじゃないんですか」
「すげー痛い」
「……取り敢えず、俺、齋藤の分の飲み薬と熱冷ましシート貰ってきます。……齋藤、もうちょっと厚着した方がいいぞ」
「は、はい……」

 そこまでしなくても、と思ったが、正直、指摘されると確かに具合が悪くなっているような気がしてならない。
 俺は言われた通り、一枚上に服を着た。仁科はそれを見て、「お邪魔しました」と一礼して部屋を出て行く。
 面倒見がいいというよりも、放っておけない体質なのだろう。保健委員長だから、それとも、だから保健委員長なのか。分からないが、具合が悪くなったとき周りの大人に任せっきりで生きてきた俺からしてみれば仁科は心強い存在であることも確かだった。
 仁科がいなくなった後の部屋の中、縁はいきなり笑い出す。

「本当、あいつってお人好しだよな。君も俺も、大丈夫だって言ってんのにさ。ここまできたら、天然記念物レベルかもな」

 そう言う縁は楽しげで、寧ろ鬱陶しいというよりも喜んでいるような気さえした。

「……もしかしたら、仁科先輩は縁先輩の怪我が顔だけじゃないって分かったんじゃないんですか?」
「……かもね。俺も、結構ポーカーフェイスって自負してたんだけどなぁー甘かったかな」

 その顔ではポーカーフェイスもクソもないのではないかと思ったが、敢えて何も応えなかった。
 いいながら、ベッドの上へと腰を下ろした縁は自分の腹部、包帯で何重にも巻かれたそこを擦る。血は滲んでいないようだが、腫れた縁の顔が確かに引き攣るのを見て思わず「大丈夫ですか」と声を掛けた。

「あの、あまり触らない方がいいんじゃ……」
「大丈夫だって。……奎吾に劣らず、君もなかなかなアレだよねぇ」
「…………」
「俺の場合は、いいんだよ。痛いのは、好きだから」

 本気なのか冗談なのか分からない縁だが、それでも今の言葉はなんとなく『本当』のような気がした。
 世の中にはマゾヒストという虐められることによって性的快感を覚える人たちがいるらしいが、縁もそういうことなのだろうか。……確かに前々からそんな気はしていたけれども、けれども。

「……ああ、熱くなってきた。齋藤君、ほら、触ってみる?……って、ああ、この上からじゃ分かんないか」
「先輩……さっき仁科先輩から貰った鎮痛剤、飲んだ方がいいんじゃないですか?……俺、水持ってきます」
「ええ、君も律儀っつーか真面目だよね。……ま、こういう愛されてるって感じのも中々悪くないけど」

 何か縁は言っていたが、ろくなことではないのだろう。俺は「そうですね」と適当に返事して、水を用意してくる。
 グラスを手渡せば、縁は少しだけつまらなさそうな顔をして「本当律儀だね」と肩を竦めて笑う。

「先輩」
「分かった分かった、飲むって。……そんな可愛い顔しないで。ほら、ここに錠剤あるから」

 そう言って、縁はそれを俺に手渡してきた。
 どういうことか分からず縁の顔を見直せば、縁は確かにニッと笑って「飲ませてよ、それ」と舌を出してみせる。
 俺は、呆れて何も言えなかった。顔の腫れからして口の中を切ってるのも間違いないはずなのに、口移しを強請ってくるのだ。仁科がいたら呆れて病院に搬送させていたかもしれない。
 けれどここに仁科はいない。絶句する俺の腰に腕を回してくる縁に、つい、グラスが傾き中の水が零れそうになる。
 それを「危ないな」と言って俺の指まで伝って落ちた雫をべろりと舐めた。
 その感触に、余計全身が硬直する。

「縁先輩……ふざけてる場合では……」
「傷付くなぁ、俺はいつだって本気なのに」

 どの口で言ってるのか。
 裾の下を潜り込んで直接素肌に触れてくる縁。
 慌てて離れようと手を動かせば、縁は「あいたたた!!」と大きな声をあげる。
 そこで、相手が怪我人だということを思い出し、慌てて手を緩めた。

「す、すみません!」
「あーやばいなぁ、肋折れちゃったかも今ので」
「そ、それは無茶苦茶じゃないですか……」
「責任取ってよ、齋藤君」

 言いながらさながらいたずらっ子のように抱き締めてくる縁に、俺は、縁を引き剥がすに剥がせなかった。
 早く仁科が戻ってこないかとも思ったが、仁科が戻ってきても縁はきっと変わらないだろう。そんな気がした。

「先輩……あの、薬飲まないと辛くなるのは先輩ですよ、そんなこと言ってる場合じゃないと思いますけど……」
「あーあ齋藤君つまんないこと言ってるよ。俺は言ってるだろ、辛いのは平気だって。……寧ろ、優しい君の方こそ俺が苦しんで死にそうになってるの見てると辛いんじゃないの?」
「……そ、そんなこと……何言ってるんですか……っ」
「なら、いいよ。やっぱなしね」

 言うなり、ぱっと俺から手を離した縁は俺の手から錠剤を奪い、それを捨てようとしてるのを見て、慌てて横から手を伸ばし、受け止める。

「せ、先輩……仁科先輩がせっかく用意してくれたのに……」
「齋藤君さ、酷いって思っただろ?俺のこと。君は優しいから奎吾の気持ちも汲んでくれるんだ。それなら、二倍だね」

「いや、それとも薬を作った人のことも考えるのかな君は。まあ機械だろうけど」とクスクス笑う縁に全部見透かされてるみたいで、耳が熱くなる。
 縁のこういうところは、好きになれない。俺には優しい先輩なのに、時折、他人の善意も顧みない。本人は冗談なのか本気なのか分からず、余計質が悪い。
 俺は、錠剤を取り出し、それを口の中に放り込む。グラスに口を付け、水を含んだまま縁に唇を重ねた。
 その一瞬、目を見開いたまま固まる縁と確かに目が合った。

「……っ、んく……」

 水ごと縁へと錠剤を押し流す。舌を使い、無理矢理押し込める形になるので唇の隙間から水が溢れてしまうが、それでも無視して俺は縁に鎮痛剤を飲ませた。
 顎先から首筋、服の下へと滑り落ちる感触を感じながら、俺は、縁の喉仏がごくりと音を立て、上下するのを見た。
 飲んだのだろう。
 それを確認して、俺は縁から口を離した。

 けれど、すぐに伸びてきた手に後頭部を掴まれ、先程よりも深く唇を重ねられ、キスを繰り返す。
 最初から焚き付けてしまう結果は分かっていたが、それでも、こうして自分から触れ合うような真似をしてしまったのはきっと他人を顧みない縁の思い通りでいるのが嫌だったからだろう。
 子供染みてるとは我ながら思うが、それでも、水を口移ししたときの縁の顔だけでもその価値があった、と思う。けれど、すっかり調子を取り戻した縁に先程の困惑はない。ただ、時折痛みに引き攣る顔を見つめながら、仁科が戻ってくるまでの数分間、俺は縁とキスをしていた。
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