成り代わり物語

田原摩耶

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前編【誰が誰で誰なのか】

03

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「男子便所で喧嘩だって」

 休み時間。次の移動教室に備えて教材を取り出していると、廊下からそんな声が聞こえてくる。
 通りでいつもに増して廊下が賑やかだと思えば。
「見に行こう」とか「誰と誰が?」とかそんな会話が交わされる中、俺は不良からメールがないことを気にかけていた。
 最初は軽口のつもりだったし強要しているわけではないから別に来なくても然程問題でもなかったが、喧嘩と言われ胸に引っ掛かるものを感じる。

「古屋君一緒に行こー」

 クラスメートの友人に声をかけられ、教材を手にした俺はその子たちと教室を後にした。
 喧嘩の件も気になったが、どうせ後で噂になるだろう。

 校舎内、特別教室前。
 数人のクラスメートたちと話しながら教室へ向かっていると、下の階から怒号が聞こえてきた。

「おら、さっさと歩け!」

 怒鳴り声にビックリした友人たちは、「見に行こうぜ」と階段に降り下の階を覗く。
 興味なかったが、女子に引っ張られつられるように俺は階段下を見下ろした。
 体育教師だ。体育教師が一人の生徒を引き摺るように歩いている。
く見ると側に数人他の教師がいた。

「あれ、渡利君じゃん」
「うっそ、ホントだ。停学解けてたんだ」

 どうやら周りのやつらはその生徒に心当たりがあるようだ。
 制服のYシャツの代わりに派手なTシャツを着たその生徒は、階段上から聞こえるこちらの声に気付いたらしい。
 渡利と呼ばれた生徒は、振り返るようにこちらに目を向けた。
 無造作な黒い髪。着ていた原色のTシャツには、赤黒い染みが滲んでいる。
 はじめてみる顔だった。友人たちの話を聞く限り停学していたというが、ここ数年久保田と一緒にいたせいか他のことに興味が失せていたのもあるだろう。
 渡利とかいう生徒を見て、俺は直感でこいつがさっきの喧嘩騒動のやつだとわかった。
 あまり興味がなかったのでそのまま視線を逸らそうとしたとき、不意に渡利と目が合う。
 睨むような視線をこちらに向けてくる渡利。不良というのは誰彼構わずガン付けるのが決まりなのだろうか。不愉快だったので、階段から顔を引っ込めた俺は一足先に教室に向かうことにする。
 授業が終わり、あっという間に放課後になる。案の定、休み時間で一部の二年で噂になっていた喧嘩騒動は放課後になると校内中に知れ渡っていた。
 加害者が例の渡利とかいう不良で、被害者は俺の知り合いの不良数人。
 メールが来ないことから嫌な予感はしていたものの、まさか不良同士で揉めているとは思わなかった。
 パトカー来たり救急車が来たり暫く校舎全体が浮いた雰囲気になっていたが、それも放課後になれば大分落ち着いていた。もともとそういうのが少なくない学校だからこそだろう。
 別にあいつらが喧嘩してみっともなく負けようが俺には関係なかったが、ひとつだけ心配なことがあった。
 どうすんだよ、馬淵のこと。退学へ追い込んでやるつもりが、まさかイレギュラーの存在に不良たちの方が追い込まれるとは。渡利とかいうやつ、余計なことしやがって。
 なにもなければ、順調だったのに。内心舌打ちをしながら、俺は久保田の教室へと向かった。
 早く久保田に会いたい。イライラしてしょうがなかったからこそ、早く久保田に会って癒されたかった。
 馬淵のことは、また後で考えよう。それに、俺にはまだたくさんの友人がいる。馬淵を追い込む方法は沢山ある。
 自分に言い聞かせるように口の中で呟き、俺は強張っていた顔を緩ませた。
 こんな顔して久保田に会えない。いつものように笑みを浮かべ、俺は久保田の教室の扉を開いた。
 教室には、久保田がいた。
 クラスメートと話していた久保田は、入ってくる俺に気付き手を振ってくる。きゅんとときめきながら、俺はそれに振り返した。

「まだ帰らねえの?」
「馬淵待ち。来る途中会わなかった?」

 またあいつか。
 首を傾げて尋ねてくる久保田に、思わず顔を引きつらせそうになり咄嗟に笑みを浮かべる。

「馬淵なら先帰っとけだってよ。なんか先生に呼ばれたとか言ってた」
「馬淵が?」
「遅くなるかもって」
「まじかー、タイミング悪いなー」

 まあ、嘘なんだけどな。
 まず疑うことをしない久保田は俺の言葉を丸々信じ込んだらしく、少し残念そうな顔をして笑った。
 自分でついた嘘なのに、寂しそうな顔をする久保田に胸がつっかえそうになる。
 馬淵のことで久保田がそういう顔をするのは面白くなかったが、久しぶりに二人きりで下校できると考えればまだましだった。
 馬淵と鉢合わせ、なんてことになったら面倒だったので俺は久保田とともにさっさと学校を後にする。
 久保田と二人で帰る道はいつも以上に楽しかったが、時折楽しそうに馬淵の話題を出す久保田に平然を装って返事をするのは大変だった。
 その日、俺は久保田とともに久しぶりに充実した放課後を送ることになる。


 翌日。

「古屋、昨日馬淵待ってたって言ってっけどどーいうこと?」

 いつも通り久保田の家に行けば、久保田は不思議そうな顔をして尋ねてくる。
 久保田の隣にいる馬淵に目を向ければ、馬淵はさっと顔を逸らした。
 どうやら馬淵がなんで先に帰ったのか聞いたのだろう。まあ、このくらいは想定内だ。

「え?そーなの?俺、馬淵に先帰っててって言われたんだけど」

「あーもしかして聞き間違いだったかも」そう笑いながら言えば、久保田は「ちゃんと聞いとけよ」と俺につられるように笑った。
 相変わらず能天気というか、まず俺がわざと嘘をついたという可能性を考えない久保田の純粋さには呆れさせられる。まあ、そういうところも含めていいのだけれど。
 結局なにごともなかったかのようにいつも通り久保田と並んで登校した。
 その後ろからくっついてくる馬淵はずっと居心地悪そうにしていて笑えた。
 学校に着き、いつも通り本鈴ギリギリまで久保田とその友人たちと教室前で話す。
 その後教室入りし、一日の学校生活が始まった。

 ◆ ◆ ◆

「馬淵っていんじゃん、そーそー根暗根暗。あいつ好きにしていいよ。お前金ねーつってたじゃん、脅せばすぐ出してくんじゃね?……あ?ばーか、ちげーよ。俺がいじめなんてするわけねーだろ。噂?違う違う、合意だって。あいつ真性マゾだからさー相手探してやってんの、優しいだろ」

 休み時間、人気のない廊下にて。
「んじゃ、またな」一頻り絶賛不登校の連中と電話で話し終えた俺は、携帯電話を制服に戻す。
 事情を知らない不良たちに赤の他人を標的にさせるのはあまり楽なことではなかった。
 俺がただ馬淵のことを気に入らないからという理由で全力で加勢してくれるやつは少ないだろう。
 だからこそ、自然と捏造も入ってくるわけだ。
 不良たちの間で既に俺が馬淵を標的にいじめているという話が出回っていたのは驚いたが、いつかは知れ渡ることになるとは想像ついていた。
 まあ普段からまともなことをしていない不良がどれだけ騒いでもただの噂止まりになるだろうし、特に深刻なことでもない。
 教室へ戻るため、廊下を歩き階段に足をかける。
 と、同時に上から声が聞こえてきた。普段から使う人が少ない階段だっただけに、ちょっと驚きながらも気にせず上がろうとしたときだ。

「……やっぱり、無理だ。これ以上渡利君に迷惑かけられない」

 ピタリと足を止める。聞き覚えのある、ぼそぼそとした細い声。
 馬淵だ。馬淵がこの上にいる。
 上から聞こえてきた嫌いなやつの声に、俺は手摺を掴んだまま上の様子を窺った。
 渡利って、最近どこかで聞いたことがある名前だな。思いながら俺は息を潜める。

「迷惑とか、そんな問題じゃないだろ。こっちから手え出しといて今更後に引けねえよ」

 もう一人の声が聞こえた。
 聞き覚えのない声。こいつが馬淵の言っていた渡利なのだろう。
 そこまで考えて、俺は昨日教師に引っ張られていた渡利とかいう不良を思い出した。
 まさか、あいつか。探したらどこにでもいそうな名前なだけに確信は持てなかったが、だとすればなんで馬淵と話しているのかがわからなかった。

「だって、また渡利君が捕まったらおばさんが悲しむかもしれないし……」
「馬鹿か。お前がいじめられてるって聞いた方が悲しむぞ」
「……いじめ、なのかな。やっぱり」
「どう見てもいじめだろ。俺がいなかったらあのまま帰れなかったかもしれなかったんだぞ!」

 あまりにも他人事な馬淵にイラついたのか、渡利とかいう男子生徒は声を荒げる。
 その一言に、俺はこの間見た校舎裏のことを思い出した。
 全裸の馬淵に服を渡していたのは、もしかして渡利なのかもしれない。二人の会話を聞く限り、家族ぐるみの仲のように感じた。
 馬淵の周りの人間関係に興味はなかったが、もし複数の不良相手に喧嘩して病院送りにするようなやつが友人にいるとしたら俺の計算が狂ってくる。
 幼馴染みか、小中の同級生か。会話の内容はともかく、どこか親しげな二人の会話を聞く限り恐らく両方なのかもしれない。
 糞、面倒なやつ味方につけやがって。
 渡利とかいうやつがでしゃばってきた今、馬淵本人を追い込むには渡利を消す必要がある。
 でないと、このまま馬淵の元に不良を送り込んでもまた渡利に病院送りされるかもしれない。
 口の中で舌打ちをしながら、俺は足音を立てないように階段を降り、別の階段へと向かうことにした。
 とにかく、渡利のことを調べた方がいいだろう。幸い、俺の友人の中に渡利のことを知っているやつが何人かいた。
 昔に比べて人脈が増えた今、情報を集めるのは容易いことだ。
 馬淵に渡利のような友人がいたのは予想外だったが、使い用によっては馬淵を陥れることも可能だろう。
 頭の中で計画を組み直しながら、俺は一人人気のない廊下を歩いて教室に帰った。


 渡利の情報を手に入れるのには、然程時間は要しなかった。
 渡利敦郎、十七歳。中学の頃に性格が原因でいじめられ、キレた渡利がいじめていた生徒を病院送りにする。それがきっかけでいじめはなくなるが、周りは腫れ物のように扱っているらしい。
 前からあまり素行はよくなかったが、そのときから頻繁に喧嘩をするようになり何回も警察のお世話になっているようだ。
 極度の短気で、ヒステリー。馬淵とは小さい頃からの幼馴染みらしく、渡利にとって唯一の友人らしい。
 友人たちから聞いた話を頭の中でまとめながら俺は少し考え込む。
 思っていたよりも難儀な問題になりそうだ。やつの性格を考える限り派手な喧嘩を起こして逮捕させればいいのだが、聞く限り渡利の素行の悪さは校内でも有名らしく、喧嘩を売りたがるようなやつはいないらしい。
 俺自身が渡利に喧嘩を売るというのも考えたが、そんなことしたら間違いなく俺は病院どころじゃ済まなくなるだろう。
 馬淵に手を出した今、いつ渡利がけしかけてきてもおかしくない。生憎、俺はまだ生きていたい。じゃあ、どうしようか。


 自宅自室内。一人悶々と考えながら、俺はいつも通り来ていたメールに返信をする。
 渡利にその気があるのなら、無理矢理にでも馬淵とくっつけてさっさと久保田から離れさせたいが、正直今の段階で渡利の性癖は判断できなかった。
 いや、それもいいかもしれない。馬淵が渡利に気があると吹き込んで仲違いさせ、馬淵から手を引かせる。そして馬淵は数少ない友人にまで見捨てられ、めでたしめでたし。
 想像していたよりもいいかもしれない。渡利に嫌われたときの馬淵の顔を想像しながら俺は一人笑みを浮かべた。


 翌日。
 いつも通り久保田と一緒に登校する。邪魔もいたが、なかなか充実した時間だった。
 不良たちがいなくなったお加減か、ここ数日馬淵の調子が良さそうに感じた。
 精々残り僅かな安息の時間を暢気に過ごせばいい。もたもたとついてくる馬淵を尻目に、俺はそう口許を歪める。

 馬淵が渡利に気があるという噂を校内に流すのはあまり難しい話ではなかった。
 噂好きの女子に声をかければすぐにその作り話は辺りに広まる。
 時間が経つにつれ、『馬淵が渡利に気がある』という噂に尾ひれはひれがつき『渡利が馬淵を脅して性欲処理に使っている』だとか過激なものになっていった。
 どこでそんなに話がでかくなったんだよと呆れる反面、愉快で愉快で仕方なかった。


 放課後。
 いつものように久保田の教室まで行けば、そこに久保田はいなかった。

「ああ、久保田ならさっき保健室行ってたの見たよ」

 久保田のクラスメートの女子にそう聞いた俺は、そのまま保健室へと向かう。
 なんで久保田が保健室に行ったのだろうか。もしかしてなにか怪我でもしたのだろうか。怪我して入院なことになったら毎日会えなくなってしまうんじゃないのだろうか。
 保健室に向かう途中、そんなことばかりを考えて気が気でなかった。
 焦りからか自然と足が早くなる。部活動に向かう生徒や帰宅する生徒たちに混じって廊下を歩いた。
 俺が保健室につくまで、あまり時間はかからなかった。
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