飼い犬Subの壊し方

田原摩耶

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 世の中には『支配する者』dom『支配される者』Subがいて、それらは産まれ落ちた時から定められている。
 自分が支配される側の人間だと知ったとき、驚くことも落ち込むこともなかった。ずっとそういうものだと思っていたからだ。

愛佐あいざ、《おいで》」
「……はい、会長」

 脳が幸福で満たされる。制御剤で誤魔化し続けていた欲求を彼は満たしてくれる。
 甘い声と絶対的な支配と共に。
 俺は犬だ。会長の犬。他人からどう揶揄されてもどうでもよかった。

 放課後のプレイだけが俺の褒美であり、至福の時間だった。

 俺の飼い主は、俺だけの飼い主ではない。





 この学園ではdomもSubもいる。けれど、公にされることはない。学校によってはdomとSubを教室で分けることもあるらしいが、この学園の設備は行き届いている。
 定期的にメディカルチェックも行われ、そして特定の生徒には制御剤も付与される。自ら公言してる生徒もいるが、別にタブー視されることもない。
 かくいう俺もそういう点が気に入ってこの学園に入学した。
 Subというだけで好奇の目に晒される。Normalの連中は俺がSのSubだと知ると悪戯のようにコマンドを口にするのだ。その都度与えられるストレスのあまり体を壊したのが中学時、それから引っ越しを繰り返し、そしてようやく入学したこの学園でようやく平穏を手に入れることができた。

 ――そう、思っていた。あの人に出会うまでは。


愛佐一凛あいざいちりん……変わった名前だね」

 会長椅子に深く腰を掛けたまま、その人は俺の名簿に目を落とす。長い睫毛が目元に影を落とし、そして、ゆっくりとこちらを見上げた。その透き通った瞳に見つめられた瞬間、体が稲妻に撃たれたように動けなくなる。
 そんな俺を見て、その人は薄く微笑んだ。

「君、Subでしょ」

 呼吸が止まる。蛇のように絡みつく視線から逃れることもできないまま、ただ見つめ返すことしかできなくなる。

「《答えなさい》」
「は、……はい……」

 悪戯に発されたコマンドとは違う、脳に直接命じられてるような言葉の重みに口は勝手に動く。
 その人――生徒会長・桐蔭菖蒲とういんあやめは「いい子」と微笑んだ。その一言に今度は胸の奥で喜びが広がる。自分のものではない、自分だけではコントロールできない肉体と精神にただひたすら困惑する俺に、菖蒲さんは「ああ、もしかして」と笑った。

「本物のdomに出会ったのは初めてだった? ……だったらごめんね。一応制御してるつもりだったんだけど、僕も君みたいに感じ易いSubは初めて会ったからさ」
「い、え……その……」
「それで、生徒会に入りたいんだっけ? 構わないよ。丁度僕の手伝いが欲しかったんだ、『会長補佐』のポストでよかったらどうかな」

 俺はこの学園で真っ当に、一人の生徒として扱われるために入学したのに。
 目の前のdomを前に、呼吸することもできなくなる。「返事は?」と細められる菖蒲さんの目。伸びてきた手に指を握られ、背筋にぞわりと電流が流れた。

「は、い……よろしくお願いします……」

 ドクン、と心臓が跳ねる。それから間を置いてドクドクと押し流される血液。全身の血管が広がり、じんわりと広がる熱は幸福にも似ていた。
 体がこの人に命じられることを喜んでる。毛先の一本一本まで。
 その幸福を知ってしまった以上、Subという性から逃れることは出来なかった。


 Subの中でも俺は重度のSubだった。
 欲求の頻度の多さ、そしてそれによる体調の不調。コマンドに関しては相手が誰であれワードを聞くだけで体が反応しそうになっていた。それでも、この学園で配られる制御剤のお陰で日中は他のNormalと過ごすことが出来た。
 ――放課後になるまでは。


「愛佐、君は覚えが早いね」
「あ、ありがとう……ございます」
「その調子なら時期生徒会長も任せられるかな」
「そんな、俺はまだ全然……っ」
「何言ってるんですか、会長。まだ現役でやっていけますよ、アンタ。てか、仕事してもらわなきゃ困るんですけど」
「はは、そうだね」

「……」

 人の会話に割って入ってきた男に目を向ける。
 生徒会会計・月夜野小晴つきよのこはる。やたらと馴れ馴れしくて、菖蒲さんに対しても生意気な口を利くこの男は俺よりも一つ先輩だった。
 生徒会の人間のくせに堂々と染めた髪が派手な男だった。やつは俺の視線に気づくとにこりと笑った。

「愛佐君、ソレ終わったら俺のも手伝ってよ」
「……俺は会長補佐なので」
「えー、厳しいな」
「愛佐、小晴の仕事も手伝ってやって。君も人の扱い方は覚えておいた方がいい、今度の為にもね」
「……会長がそう言うなら」

「それこのタイミングで言うことです?」と顔を引き攣らせる月夜野。この男はあまり好きではないが、菖蒲さんの命令なら聞くしかない。

「《いい子だね》」
「……っ! ぁ、ありがとうございます」
「……ふふ」

「…………」

 菖蒲さんはdomだけど、それ以外の部分でも俺は菖蒲さんに惹かれ始めていた。
 優しくて、頼りになって、そして俺のことを気遣ってくれる。
 あれ以来無闇に菖蒲さんはコマンドを口にすることはなかった。扱いづらいであろう俺を生徒会に置いてくれた菖蒲さん、そして俺がSubだということも秘密にしてくれた菖蒲さん。そんな彼の優しさに満たされ、褒められ、認められる度に自分の中で欲求は肥大していく。それは自分でも制御できないくらい、大きく、重たく俺に伸し掛かった。



 菖蒲さんと俺が『そういう関係』になるのは時間は掛からなかった。
 きっかけは俺の欲求不満だった。薬ではどうにもならない程膨れ上がったそれを自制する方法など分からず、放課後、生徒会室で発作を起こした俺を菖蒲さんがケアしてくれた。

「……すみません、ご迷惑をお掛けして」
「ああ、気にしないで。僕ももう少し君を気に掛けるべきだった。……もしかしてだけど、僕以外のdomの知り合いはいないの?」

 寝かされたソファーの上、無言で首を横に振れば「そうか」と菖蒲さんは何かを考えたようだった。

「じゃあ、僕で良ければ君のパートナーになってもいいよ」
「……っ、え……? そ、れは」
「その代わり、条件がある。セーフワードは僕に決めさせてほしい」

 セーフワード。それを口にすればdom――菖蒲さんの行動を制御することが可能になる。
 世の中のdomとSubは関係を結ぶ前に必ず決めるという知識だけはあった。
 最初から委ねるつもりだったが、なんとなくそう言ったときの菖蒲さんの目が気になったのだ。

「はい、それは……もちろん」
「ありがとう、愛佐。そうだね、セーフワードは――」

 そして、菖蒲さんはそれを口にする。

「『好き』――これが僕たちのセーフワードだ」

 いいね?と笑う菖蒲さんに、目の前が暗くなっていく。真綿で首を締められるような息苦しさの中、俺はただ頷くことしかできなかった。




 菖蒲さんの噂は学園内でもよく聞くことはあった。けれど、ただの噂だと思って全部聞かないフリをしてきた。
 菖蒲さんはdomだと隠していない。滲み出るdomの雰囲気に釣られてSubの人間が近付いてくることはよくあることらしく、そして菖蒲さんはそういった複数のSubを『飼っている』らしい。

 ずっとただの噂だと信じたかった。
 生徒会長である菖蒲さんは尊敬できる人だ。それでも、俺は生徒会長の菖蒲さんしか知らない。

「君はまだ慣れてないからね。簡単なのから行こうか。……《跪け》」
「……ッ! ぁ……」

 がくん、と膝から力が抜け落ちる。そのままぺたんとカーペットの床の上、動けなくなる俺の前までやってきた菖蒲さんはそのまま俺の頭を撫でた。

「――いい子だ」

 ぞわりと、耳の裏、首筋の裏に熱が集まる。
 生徒会活動時に褒められるときとは違う、甘く妖しい声に脳髄が痺れるようだった。

「か、いちょ……」
「菖蒲さん、がいいな。……二人きりのときはね」
「ぁ、菖蒲、さん」
「うん、よく出来ました」

 首の付け根から顎の下をするりと撫でられ、そのまま顔を持ち上げられる。軽く触れるだけのキスに心音が加速する。濃くなる菖蒲さんの甘い匂いに目眩を覚え、倒れそうに下半身に熱が溜まっていった。

「ああ……はは、本当に君は随分と感じ易いらしい。今までよくdomに手を出されなかったのが不思議なくらいだ」
「ぁ、あやめ、さん、菖蒲さん……」
「きっと、君の親御さんは随分と君を大切にしたんだろうね。悪い虫が付かないように大事に、強い制御剤も与えて、医療機関と連携してるうちの学園を選んだんだ」

 可哀想に、と菖蒲さんは笑う。何が可哀想なのか俺にはわからなかった。
 硬い皮靴の先っぽがやんわりと俺の膝の間を潜り、膨らんでいたそこをスラックス越しにやんわりと踏みつける。

「っ、ぁ……あ……っ」
「大事にしてあげるよ。どこに出しても恥ずかしくない立派なSubにして帰してあげる。……それが僕から君にしてあげられることかな」

 その言葉通り、菖蒲さんとその日から色々なプレイをすることになる。俺の欲求が溜まる度、タイミングを見計らったかのように菖蒲さんは俺を生徒会室に呼びつける。
 それから最初は軽い触れ合うだけのものからドンドンプレイの内容はエスカレートしていく。中では口に出すのも躊躇いたくなるような過激なことも行った。
 それもこれも全部、俺のために。

 あくまで菖蒲さんは飼い主として俺の面倒を見てくれた。恋人、というにはあまりにも他人だったが、ただの先輩と後輩と呼ぶには爛れていただろう。それでも良かった。
 俺は菖蒲さんに遊んでもらえること、褒められること、喜ばせることが喜びだったから。





「愛佐、大分君も慣れてきたんじゃない?」

 ある日の放課後。プレイが終わり、俺のアフターケアをしながら菖蒲さんは覗き込んでくる。見つめられだけで跳ねる心臓。これが慣れてるとは言い難い。どくどくと脈打つ心臓を抑えながら、「すみません、まだ」と首を横に振る。

「まあ、君の場合は特殊だからね。君はSubだと公表はしないんだって?」
「はい。……Normalに悪戯されることがあって、それから……」
「そういえば、Normalのコマンドにも反応するって言ってたっけ? 確かに嫌がらせする馬鹿もいるかもしれないけど、制御剤もまた効くようになったんだろ?」
「……はい」

 他のdomを探すつもりはないのか、と、暗に言われてるような気もしていた。
 菖蒲さんに迷惑をかけてることも分かってたし、負担になってることも考えてた。それに、噂の通り他にもSubを飼ってるのだとしたら、俺みたいにランクの高いSubは扱いづらいのだろう。

「……ごめんなさい」
「ん? どうして君が謝るのかな」
「あの、俺、……暫く薬で頑張ってみます。菖蒲さんが《プレイ》したくなったとき、呼んで下さい」

 負担になりたくなかった。
 必死に強張る顔面の筋肉を動かして笑みを浮かべれば、菖蒲さんの表情から笑みが消えた。それから、見たことのない顔に背筋が冷たくなる。
 ……菖蒲さんが怒ってる?

「君は、僕のことを何か勘違いしてるみたいだね」
「あの……」
「僕は別にプレイのためだけに君を呼んでるつもりはなかったんだけどな」
「ぁ、菖蒲さん……」
「……ごめん、今日はもう遅いし寮へ戻ろうか。……部屋まで送るよ」

 何故菖蒲さんがそんな反応するのか分からなかった。
 それでも、確かにその日からだった。俺と菖蒲さんの関係がもっとドライなものになったのは。
 お互いの欲求だけを満たすだけのプレイメイト。飼い主と飼い犬。先輩と後輩。
 そんな関係が一年経っても、俺達のセーフワード――『好き』が使われることはなかった。
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