飼い犬Subの壊し方

田原摩耶

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 星名のクラスへと向かう。が、あいつの姿はなかった。
 クラスメイトによればあいつは保健室へと向かったらしい。随分具合悪そうにしていたと。
 それを聞き、俺は直ぐ様保健室へと駆け出した。

 そして、保健室へと向かう途中の通路。壁にしがみつくように蹲る影を見つける。あのもっさりとした黒髪は見間違いようがない。

「星名っ!」

 駆け寄れば、星名は「一凛?」と酷く怯えたような顔で俺を見た。顔色が悪い。唇からも熱が失せ、汗も酷い。

 辺りには幸い人影はなかったが、こんな場面を誰かに見られるのもまずい。

「どうして、一凛……」
「失礼する」

「え」とあいつが声をあげる。それと同時に俺は星名の体を抱き上げた。自分と同じくらいの人間を抱きかかえるのは初めてだ。腕が痺れたが、火事場のなんとやらというやつだろう。あいつをこの場から移動させるためならば手段を選んでる暇はない。

「い、一凛」
「いいからじっとしてろ。……落とすぞ」
「……っ、わ、かった……」

 普段あれだけ喧しい星名がここまで弱ってるなんて相当なのだろう。その息苦しさとしんどさには覚えがある。
 俺は一先ず近くの空き部屋へと入った。
 そして星名をパイプ椅子に座らせたあと、邪魔が入らないよう扉に内鍵をかける。

「薬は? 飲んだのか?」
「……っ、な……くした……」

 やはりか、と頭が痛くなる。先程見たのは氷山の一角のようなものだとは思っていたが、すでに星名が嫌がらせを受けていたとは。
 俺は制服の内ポケットからピルケースを取り出す。

「……これ、制御剤だ。俺ので悪いが、応急処置にはなるだろう。水なしでも飲めるから取り敢えず飲め」
「一凛、ぉ、俺……」
「……大丈夫だ、俺はお前に危害を加えるつもりはない」
「……一凛……っ」

 パニックに陥ってる。取り敢えず落ち着かせる方が先だが……。
 錠剤を取り出し、星名の口に薬を捩じ込もうとしたとき、そのまま腕を引かれて抱き締められる。バランスを崩した拍子にぎゅうっ、ときつく抱き締められ、全身の骨が悲鳴を上げる。

「……っ、お、おい……!」
「俺、ただ、皆と仲良くなりたかっただけなのに……なんでこんな……っ」

 肩口に埋まる星名。くぐもった声は初めて聞く星名の叫びだった。

「……言っただろ。世の中には案外馬鹿が多いって」
「一凛……一凛だけだ、俺のこと助けようとしてくれたの……」
「……俺は……」

 良いから薬を飲め、とそのまま錠剤を口にねじ込む。星名はそれを口にし、噛み砕いた。

「おい、飴玉じゃないんだぞ。ちゃんと飲み込め」
「なあ一凛、お前は分かってくれるよな」
「……分かるよ。お前の気持ちは。お前の身に起きてるのは過度のストレス負荷によるものだ。薬を飲めば直に落ち着くはずだ」
「お前は、俺と同じだよな」
「……そうだって言ってるだろ」

 なんだ、さっきから妙に会話が噛み合わない。
 顔を上げた星名の目元から眼鏡が落ちる。その下、前髪の下から覗く瞳を見た瞬間、ぞわりと背筋が震えた。
 尾てい骨から脳天に走る痺れ。指先が冷たくなっていく。膝から力が抜け落ちて一人手に立つこともできず、俺は星名の膝の上に座ったまま起き上がれなくなる。
 どうして、と困惑する。これは、この感覚には覚えがあった。

 ――初めて菖蒲さんと出会ったときと同じだ。

「だったら、お前は絶対俺の友達だよな」
「っ、ほ、しな、お前」
「《答えろよ》、一凛……お前は俺のことを裏切らないよな」

 奥歯がガチガチと音を立てる。冷や汗が止まらない。

 昔、なんかの健康番組で特集されていた性別以外の性――ダイナミクスについての内容を思い出す。
 DomとSubとNormal、そして更に特殊な性別があると。
 DomとSub、両者の特徴を持ち合わせる者――Switch。
 切り替わる条件は本人の意思だったりコマンドだったり個人差があると聞いたが、まさか。

「ぉ……俺は、お前を裏切らない……」

 口が、従う。頭の上から重力ぶっかけられたみたいに何も考えられなくなる。
 星名がSwitchだという報せはなかった。じゃあ、何が条件で。

「一凛……っ、俺、嬉しいよ。お前と友達になれて……」
「……っ、星名、お前……っぅ、ぐ……っ」
「じゃあ、《俺のこと好きだって言って》」

 見えない首輪で引っ張られる。これを拒むことも出来た。見えない首輪で首を締められることになるだけだ。それでも、その力は強い。
 SランクのSubがSランクのDomに切り替わった、というのか。
 本人はそれに気付いてるのか、気付いていないとなると質が悪い。

「す、きだ」
「うん、俺も! 俺も、一凛のこと好き……っ、お前がいてくれて本当に良かった……だって、皆意地悪いやつらばっかなんだもん。俺、お前がいてくれて……本当……っ」
「…………」

 抱き締められたまま、星名は俺の背中を撫でる。喉から溢れる息が熱い。
 星名にこんなに必要とされていることに高揚感が満ちていく。よくない傾向だ。早く、早くこいつにちゃんと話さなければならないと思うのに。

「……っ、星名、待て……待って、くれ、一旦離れ……」
「《駄目》だ」
「ほ、しな」
「嫌だ、《離れたくない》、もっと《一緒にいてくれ》、俺のこと……好きだって、言ったよな? 俺たち友達だもんな?」

 重なっていくコマンドの重圧に体が押し潰されそうになっていく。処理が追いつかない。駄目だ。これ、まずい。
 頭の奥、どっかの血管がぶちりと切れるような音がする。そして、どろりと鼻の奥から血が溢れ出す。
 それを見て、星名は「わっ!」と驚いたようなの声をあげた。

「ど、どうした? 一凛」
「ぉ、おまへが……」
「血が、わ、止まんね……ん、待って……」

 戸惑った末、そのまま星名が顔を寄せてきたかと思えばぬるりとした者が顎から唇まで垂れていく鼻血を舐め取っていく。
 驚く余裕もなかった。ぴちゃぴちゃ音を立て、犬みたいに人の顔を舐めて綺麗にしていく星名にただされるがままになる。余計頭に血が昇っていき、口の中にまで血の味が広がっていくのがわかった。

「ゃ、めろ、……汚えから……」
「は、でも」
「ぃ、いいから、先に、コマンドを解いてくれ……ッ!」

 それは絶叫に近かった。このままでは体の方が先にぶっ壊れる。そう判断し叫べば、そこで星名は無意識にコマンドを口にしていたことに気付いたようだ。
 怯えた子供のような顔をして覗き込む星名。

「ど、どうやれば……」
「……褒めてくれ」
「え、えと、……偉いぞ! ……とか?」

『いい子だ』と頭の中で菖蒲さんの声が響く。幻聴か、走馬灯のようなものか。
 瞬間、ようやく体の上に伸し掛かっていた重圧が消えた。そのまま星名の体に凭れかかれば、「一凛!」と耳元でうるせえ星名の声が響く。
 ――なんだ、これ。
 世界がぐるりと回る。
 ああ本当にこの体は、どこまでも不便だ。

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