飼い犬Subの壊し方

田原摩耶

文字の大きさ
11 / 82

10

 菖蒲さんが、いる。こんなに近くに。
 体を支える菖蒲さんの腕に無意識にしがみついてしまう。
「会長」と顔を上げれば、こちらへと目を向けた菖蒲さんはふわりと微笑んだ。

「このまま僕の部屋に連れて行くけど、構わないかな」

 いつもと変わらない優しい声と笑顔。それなのに、その言葉に、向けられる視線に、体がぶるりと震えた。逆らうつもりなんて毛頭ないのに、まるで逆らうなと言うかのようなそのオーラに押し潰されそうになる。
 はい、と答えたその声が震えてるのに気付いたのだろう。菖蒲さんは少しだけはっとし、それから目を伏せる。

「……ごめんね、怒ってるわけじゃないんだ」
「……? 菖蒲さん……?」
「……」

 菖蒲さんはただ笑い、それから俺を連れて歩き出した。
 菖蒲さんの部屋に着くまで俺達の間に会話らしい会話もなかった。ただ、菖蒲さん自身も何かに戸惑ってるような――そんなチグハグな空気だけが俺達の間に流ていた。


 ――学生寮、菖蒲さんの部屋。
 扉を開けた菖蒲さんにそっと背中を押され、そのまま足を踏み入れる。菖蒲さんの部屋に入るのは初めてだった。
 後ろ手に扉を閉めた菖蒲さんはそのまま固まってる俺を抱き締める。
 少し驚いたが、それよりも包み込まれるような体温に全身の緊張が緩んだ。

「……酷い顔色だ」
「菖蒲さん……」
「『今日は愛佐君は生徒会に顔を出せない』……そうあいつからは聞いていたんだ。倒れたんだって?」
「は、はい。ですが心配には及びません。もう回復は……」
「……そういう問題じゃないんだけどなあ」

 そう、顔を上げた菖蒲さんは少しだけ変な笑い方をする。色んな感情が綯い交ぜになったような複雑な笑顔。

「ごめんね、僕の監督不行届だ。ここ最近、君に甘えていた」
「そんなことは……」
「いいんだ、僕の前では無理をしないでくれ」
「……っ、……ぁ、菖蒲さん……ん……」

 頬を撫でられ、軽く唇を重ねられる。菖蒲さんの眼差しがどこまでも優しくて、心の奥まで覗き込まれてるみたいでむず痒くなる。
 きっと、俺が隠し事してるって気付いてる。それなのに、この人はコマンドを使ってこない。
 その気遣いと優しさが逆に痛い。

「……菖蒲さん」
「暫く、生徒会の仕事は休むといい。……星名君のことも、気にしなくていい」
「いえ、大丈夫です。そこまで甘えるわけにはいきません」

 ただでさえ菖蒲さんと過ごす時間が減っているのに、と慌てて首を横に振れば、菖蒲さんは微笑む。いつもの笑顔で。

「君は本当に頑張り屋さんだね。……それじゃあ、今日はゆっくり休むんだ」

 そう頭を撫でらる手はあっさりと離れる。
 本当はもっと触れられたい。触れていたい。もっと抱き締めてほしい。撫でられて、囁かれて……。

「一緒にお風呂にでも入る?」

 玄関の前から動けない俺に菖蒲さんは悪戯っぽく笑う。多分冗談のつもりだったのだろう、けれど俺は間髪入れずに「はい」と声を上げた。
 菖蒲さんは目を丸くし、そして、

「……逆上せないように気をつけないとね」

 自分に言い聞かせるように呟き、「それじゃあ、暫くゆっくりしててね」と俺をソファーに座らせ、シャワールームへと向かった。



 正直な話、下心がなかったわけではない。
 けれど菖蒲さんは俺の体調を優先させた。広いバスタブにて、抱き抱えられるように一緒に湯船に浸かる。
 体を洗われて、一緒にゆっくりできて、本当に菖蒲さんのペットになった気分だった。多分それは贅沢なことなのだろう。

「……はあ、僕が言い出したことだけど、結構これ、拷問だね」

 水面の奥、腰の辺りに当たる感触は先程から感じていた。ちら、と背後を振り返れば、菖蒲さんと目が合う。ぽたぽたと落ちていく水滴が相俟って普段よりも色気を孕んだ菖蒲さんの顔を直視できない。

「あ、あの、俺に命じてください」
「《駄目》だよ、愛佐。……我慢も大事なんだ。それは僕も同じだよ」
「でも、菖蒲さんのが……」
「僕は良いんだ。……後でどうにでもできる」

 その言葉に他のSubの存在がチラつき、胸の奥がちくりと痛んだ。小晴の言葉を鵜呑みにするわけではないが、そうだ。菖蒲さんがそういう人だとは思いたくないが、この人はSubのためなら抱くこともできる。

「愛佐、僕は君を癒やしたいんだ」
「は、い……」
「うん、ありがとう。聞き分けがよくて助かるよ」

 頭を撫でるように濡れた横髪を耳に掛けられ、目尻や頬に軽く唇を押し付けられた。それだけで不安や負の感情は熱に滲むように消えていく。それでも腹の奥では別のものが確かに大きくなっていくのだ。多分それは、俗に言う独占欲という身に余りすぎる感情だ。
 ああ、実によくない傾向だ。
 菖蒲さんの唇を受け入れながら、俺は必死に欲深い自分を押し殺す。


 風呂から上がり、菖蒲さんに髪を乾かされる。少しばかり逆上せてしまったのは菖蒲さんも同じらしい。普段は透き通る程の白い肌がほんのり赤くなっている。

「長風呂するつもりはなかったんだけどね。……愛佐、水分補給はしっかりしないと」
「はい。ありがとうございます」
「……」
「菖蒲さん?」
「……あ、いや。なんだか新鮮だと思ってね」
「新鮮、ですか……?」
「同棲するってこういう感覚なのかなって思って。……僕はほら、ずっと一人部屋だったから」

 SSランクのDom、というのも色々あるのだろう。この学園はそういうダイナミクスに対して寛容な学園だ。だけど、そう口にする菖蒲さんが少しだけ楽しそうに見えたから俺も嬉しくなった。

 それから寝る前に明日の準備をして、それから俺は菖蒲さんと一緒に眠ることになるのだが。

「……」
「……っ、……」
「……愛佐?」
「は、はいっ!」
「……僕がいると邪魔かな」
「い、いえ、そんなことは……!」

 ベッドの上、広いとはいえなるべく菖蒲さんの邪魔にならないようにと神経を張り巡らせた結果ベッドの淵まで避けてしまったが、それが菖蒲さんの気に障ったらしい。
「それなら良いけど」と体をこちらへと向けた菖蒲さんはそのまま俺に手を差し出す。

「――《おいで》」

 ここでコマンドを使われるのは、ずるい。
 おず、と、俺はシーツの中、菖蒲さんの腕の中に体を収める。
 向き合うような体勢のまま、菖蒲さんに抱き締められた。

「いい子だ、愛佐」
「……菖蒲さん……っ、ん、……」
「ごめんね、君を癒やすためだって言ったけど……九割僕のエゴかも」
「俺も、菖蒲さんとこうしてるのは……好きなので」

 だから、エゴではありません。
 そう、菖蒲さんの胸元に顔を寄せる。普段抱き合うこともあったのに、なんだろうか。今目の前にいるのは制服に身を包んだ生徒会長の桐蔭菖蒲ではなく、生身の菖蒲さんだからだろうか。全てが新鮮で、それでいて離し難い。
「ありがとうございます」と声を振り絞る。暗くなった部屋の中、二人分の鼓動は混ざり合う。俺が寝付くまでずっと、菖蒲さんは俺の頭や背中を優しく撫でてくれた。そのお陰ですっかり体の不調は嘘みたいに消え、意識は睡魔に飲み込まれていく。


「本当に……お礼を言うのは僕の方だよ」

感想 25

あなたにおすすめの小説

響花学園

うなさん
BL
私の性癖しか満たさない。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
世間に秘された名門男子校・平坂学園体育科 空手の名選手であった高尾雄一は、新任教師として赴任する 高潔な人格と鋼のように鍛えられた肉体 それは、学園にとって最高の生贄の候補に他ならなかった 至高の筋肉を持つ、精神を削られ意志をなくした青年を太古の神に捧げるため、“水”、“風”、“土”の信奉者達が暗躍する 意志をなくし筋肉の操り人形と化した“デク” 消える教師 山奥の男子校で繰り広げられるダークファンタジー

【BL】捨てられたSubが甘やかされる話

橘スミレ
BL
 渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。  もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。  オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。  ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。  特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。  でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。  理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。  そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!  アルファポリス限定で連載中

悪役令息シャルル様はドSな家から脱出したい

椿
BL
ドSな両親から生まれ、使用人がほぼ全員ドMなせいで、本人に特殊な嗜好はないにも関わらずSの振る舞いが発作のように出てしまう(不本意)シャルル。 その悪癖を正しく自覚し、学園でも息を潜めるように過ごしていた彼だが、ひょんなことからみんなのアイドルことミシェル(ドM)に懐かれてしまい、ついつい出てしまう暴言に周囲からの勘違いは加速。婚約者である王子の二コラにも「甘えるな」と冷たく突き放され、「このままなら婚約を破棄する」と言われてしまって……。 婚約破棄は…それだけは困る!!王子との、ニコラとの結婚だけが、俺があのドSな実家から安全に抜け出すことができる唯一の希望なのに!! 婚約破棄、もとい安全な家出計画の破綻を回避するために、SとかMとかに囲まれてる悪役令息(勘違い)受けが頑張る話。 攻めズ ノーマルなクール王子 ドMぶりっ子 ドS従者 × Sムーブに悩むツッコミぼっち受け 作者はSMについて無知です。温かい目で見てください。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

俺以外美形なバンドメンバー、なぜか全員俺のことが好き

toki
BL
美形揃いのバンドメンバーの中で唯一平凡な主人公・神崎。しかし突然メンバー全員から告白されてしまった! ※美形×平凡、総受けものです。激重美形バンドマン3人に平凡くんが愛されまくるお話。 pixiv/ムーンライトノベルズでも同タイトルで投稿しています。 もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿ 感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_ Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109 素敵な表紙お借りしました! https://www.pixiv.net/artworks/100148872

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。