飼い犬Subの壊し方

田原摩耶

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 全身が熱い。
 まるでいつの日か制御剤を飲み忘れてしまったときのことを思い出す。
 Subの性質として、Domとプレイをして褒められることが精神を安定させる。
 しかし、必ずしもプレイのパートナーになるDomに出会えるわけもない。それも、心から信頼できるとなると更にその割合は限られるわけだ。
 俺は菖蒲さんに出会うまでDomに出会わなかった。だから制御剤で誤魔化して生きてきた。

 けれど、今ならよく分かる。今の時代ならば、相性最悪なDomに出会うことよりも薬に頼っていた方が遥かにマシだと。


「……っ、う……」

 寝返りを打つ度に全身が酷く痛み、呻く。そんな俺の体を誰かが優しく抱き留めた。
 菖蒲さん……?
 子供をあやすように背中を撫でる優しい手に、俺は寝惚け眼をこじ開けた。
 そして、息を飲む。

「……ッ!」

 目の前にいたのは菖蒲さんではない。黒髪の男、もとい真夜は目が合うなり「おはよ」と少し掠れた声で笑う。

「な、……っ、んで、お前が……」
「なんでって……ここが俺の部屋だから?」
「……ッ!」

 慌てて起き上がろうとした瞬間、全身、主に臀部に焼けるような痛みが走る。皮膚全体が火傷負ったような痛みに喘げば、「あーあー、無理すんなって」と真夜は俺の体を支え、そして抱き締めてくるのだ。

「は、なせ……っ! 触るな……っ!」
「つってもなあ、痛いだろ? お尻。あんなに小晴に叩かれたもんな」

 どさくさに紛れて真夜は俺の尻をそっと撫でる。その行為だけでも痺れるような痛みが下半身に広がり、腰が跳ねた。

「う……っ」
「大丈夫だ、そんなに怖がらなくても。今、この部屋には俺しかいないし?」
「……っ、お、ろせ……」
「嫌だって言ったら?」
「……」
「分かった、分かったからそんな睨むなよ。……けど、どうせ一人じゃまだ歩けないと思うぞ」

 そうぱっと俺から手を離す真夜。その隙を狙って、慌ててベッドから降りようとして、下腹部にろくに力が入らずそのままベッドからずり落ちそうになる。
 なんとかシーツにしがみつく俺だったが、急に体が軽くなった。真夜に体を支えられたのだ。

「……っ、触るなって言っただろ……!」
「そのままじゃ顔面から落ちるだろ? リビングに行きたいんだったら連れて行ってやるから」

 またコマンドで苦しめられるかもしれない。そう思ったが、真夜の態度はあくまであっさりとしたものだった。
 野良猫か何かのように首根っこを掴まれ、そのまま隣の部屋のソファーの上へと降ろされる。真夜の言う通り部屋の中には小晴の姿はなかった。

「具合は?」

 辺りを警戒していると、真夜が俺の隣へと腰を下ろしてきた。
 近くなる距離に、自然と食堂でのことを思い出しては慌てて飛び退く。

「そんなに逃げなくてもいいのに」
「……」
「言っとくけど、俺は小晴みたいに虐める趣味はないからな。安心しろ」
「っ、……」

 あれが虐めではなくなんだと言うのだ。
 睨みつければ、真夜は「そんなに全身の毛、逆立てちゃって」と楽しげに笑う。

「でも、元気そうでよかった。帰りたいんだったら帰って良いぞ」
「言われなくてもそうする」
「そ。おんぶが必要だったらいつでも呼べよ」
「……」

 この男が何を考えてるのか分からない。
 小晴とは違うというが、確かにただあの男が非常識の犯罪者であることに比べたらマシになるレベルだ。この男も同罪だ。

 ムカムカする胃を落ち着かせながら、俺は下肢に力を入れる。が、上手く立ち上がれない。
 ……クソ、立て。立てよ。こんなところでモタモタしてるわけにはいかないのだ。

「抱っこしてあげようか?」

 ソファーに深く凭れたまま、真夜はこちらを見ていた。

「……いらん、断る」
「俺に助けなんて求めたくない、かあ。悲しいなあ。こんなときほど頼ってほしいのに」
「……っ、……こっちに来るな、触るな!」
「眠ってる時はあんなに可愛かったのに」
「……っ!」

 そう、傍までやってきた真夜は俺の腕を掴み上げるように立ち上がる。そのまま抱きしめられるような体勢になり、拍子に気を失う直前、この男の腕の中で力尽きたことを思い出す。顔が、脳の奥がぢり、と熱くなった。

「愛ちゃん、そんなに俺に甘えたくないんだ」
「あ、たりまえだ……っ」
「頑張り屋さんだ」
「……っ」

 やめろ、褒めるな。
 この男に優しく微笑みかけられると、なんだか首筋、項の辺りがぞわぞわする。――不快だ。

「けど、このままモタモタしてると小晴が帰ってくるかもよ」
「……く……っ」
「抱かれるのが嫌なら、俺の腕掴むだけでも良いから。……杖と思ってさ」
「……お前みたいな杖がいるか」
「想像力の問題だな。……ほら、掴めよ。それともお姫様抱っこをご所望か?」
「冗談じゃ……っ」
「じゃあほら、部屋まで送ってやる」

 そのまま強引に抱き寄せられる。自然とくっつく体が不愉快なのに、『もっと近付け』と言わんばかりに真夜は肩へと手を回してきた。

「《帰るぞ》、愛ちゃん」

 コマンドに反応してビク、と体が跳ねるのを確認して、真夜は笑う。そして歩き出す真夜に合わせて俺の足も動いた。
 ……最悪だ。ドサクサに紛れて手を繋がれながら、俺は引っ張られるようにして真夜たちの部屋を後にする。



「……っ、手……」
「ん~?」
「離せ……っ!」
「俺が手を離したら愛ちゃん、一人で歩けないだろ」
「じゃあ、『一人で歩け』ってコマンドで命令しろ……っ!」

 そう。この男がそう命じれば、この身体は否応なしに従おうとするだろう。

「あれ? 愛ちゃん、俺からの命令嫌がってたのに」
「……それとこれとは……っ」
「俺からしちゃ同じだけどな。……へー嬉しいな、少しは打ち解けてくれたんだ」
「そんなわけないだろっ!」
「こら、愛ちゃん声大きいだろ? 皆びっくりするから静かにしないと」

 一応ここが寮内の廊下だということを思い出し、ハッとする。人気はないものの、確かに周りが見えていなかった。
 ……やっぱり調子がおかしい。目の前の男のことになると怒りで冷静で居られなくなる。感情の制御が以前よりも上手くいっていない気がする。
 ……当たり前だ、目の前には憎い犯罪者がいる。早くこの男を処分させて然るべきところに突き出さなければ。
 そんなことを考えながらも、真夜に引っ張られるがまま連れて来られたのは一年生の棟だ。

「部屋どこ?」
「……もういい」
「《答えろ》」

 くそ、またこいつコマンドを。
 拒む、という選択肢を選ぶ前に「……っ、ニ○五号室……」と勝手に口は動く。
「おーけー」と満足気に笑った真夜はそのまま俺の頭を撫でた。
「いい子だ」なんてまるで俺のパートナー面をして。ムカつくのに、ぞわぞわとまたあの嫌な感覚が首筋から今度は背中まで駆け下りていく。

「っ、さ、さわるな……っ!」
「愛佐?」

 そう俺が真夜に揉みくちゃにされていたときだった。
 不意に聞こえてきた声に体がビクン、と跳ねた。今までだったら聞くだけで耳から脳まで幸せになれていたあの声が。

「あ、か……会長」

 向かおうとした先、そこに立っていた制服姿のその人の姿に全身が緊張する。
 よりによってこのタイミングなんて。……今だけは、菖蒲さんに会いたくなかった。いや、この間からそうだ。俺にはずっと、菖蒲さんに合わせる顔がなかった。
 そしてそんなときに限ってこの人は現れる。

 が、今回は様子が違った。

「……真夜、なんでお前が一緒にいるんだ?」

 それは、聞いたことのないような低い声だった。そして、見たことのないような冷たい目を真夜に向けていた。
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