飼い犬Subの壊し方

田原摩耶

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 菖蒲さんを前に、真夜は悪びれもなく「別に、人助けですよ」と答える。

「具合悪そうだったんで部屋まで送り届けようと思って、」

 何が人助けだ、と睨みつけようとしたところですごい力で腕を引っ張られた。
 驚いて顔をあげれば、目の前には菖蒲さんの顔がすぐ側にあるではないか。そこで自分が菖蒲さんに抱き寄せられたのだと気づく。

「そうか。……じゃあ彼は僕が責任持って送り届けるよ。君はもう帰っていいよ」
「あーあ、会長。もっと優しくしてやって下さいよ。彼、今大分弱ってるんで」
「どういう意味だ」

 ドクドクと先ほどとは違う緊張で心臓は加速する。二人の声のトーンからして和やかなそれではないと分かったが、それ以上にこの状況は俺にとって酷以外の何者でもない。

「本人から聞いてみたらどうです? そういうの、会長は得意でしょう?」
「真夜、お前は……」

 ぐ、と腰を抱き寄せていた菖蒲さんの腕に力が籠もり、体が悲鳴を上げる。鈍い痛みが全身に走り、堪らず声が漏れる。

「……っ、か、会長……」

 そうその腕の中で身動いだとき、俺の表情に気付いたらしい。菖蒲さんは「悪い」と慌てて俺から手を離した。

「んじゃ、俺はちゃんと無事に飼い主に送り届けたんで帰りますよっと。……じゃあね、愛ちゃん。また遊ぼうな」

 そう投げかけられる真夜の言葉に俺は返すこともできなかった。真夜の姿が遠くなり、ようやく体から力が抜けるようだった。
 蹌踉めく俺の体を菖蒲さんは抱き寄せる。

「愛佐……っ!」
「だ、大丈夫です……俺は……」
「大丈夫なやつはそんな顔をしない。……《おいで》、愛佐」

 心配する菖蒲さんの声が心地良い。俺はそのまま菖蒲さんに支えられながら自室へと戻ることになった。

 あいつらのコマンドが鎖だとすれば、菖蒲さんのコマンドは柔らかい首輪だ。優しく甘い声帯から発されるコマンドは快感にも近い。
 従いたいと思いたくなる。けれど、あの双子はどうだ。

 ――やめよう、せっかく菖蒲さんと一緒なのに。
 どうやってもあの二人の影がチラついては脳にこびりついて剥がれない。




「……会長、ありがとうございます。もう、ここまでで大丈夫です」

 自室前。菖蒲さんだって忙しいのにここまで着いてきてもらえるだけでも申し訳ない。
 離れがたいが、そう改めてお礼を言うが菖蒲さんの表情は変わらない。
 怒ったような、心配そうな、色んなものが混ざった眼差しで俺を見下ろしていた。

「……僕はね、ポリシーがあるんだよ。愛佐」
「ポリシー……?」
「ああ、例えば相手の子への過度な干渉。相手が何も言わないのにズカズカ踏み込むようなことはしたくないと思ってる。……僕たちみたいな人間は、それを簡単に踏み込んで荒らすこともできるからだ」

 菖蒲さんらしい、と思った。
 おおらかなようで繊細で、気遣いが行き届いている。そして、普段の菖蒲さんからそのことは端々で感じていた。

「けど、愛佐。それを踏まえて言わせてくれ。……僕は君が苦しんでるのを見るのは見過ごせる程寛容ではないよ」
「……会長……」
「――何かあったのか?」

 コマンドを使わない。
 それは菖蒲さんのポリシーだから。
 それでも踏み込もうとしてくれてるのだ、菖蒲さんは。そこまでさせるほど俺は酷い顔をしていたというのか。

「愛佐」

 いっそのことしがみつきたかった。
 喉元まで言葉が出かかった瞬間、ある日の会長とのやり取りが蘇る。

 ――菖蒲さんは、他のDomとの関係を俺に勧めていた。

 制御剤で誤魔化してきた。けれど、これは本来菖蒲さんにとっては願っていたことなのではないか。
 ただでさえ菖蒲さんの負担になっている状況だ。二人のDomと出会えたことはいい傾向で、けど、コマンドの乱用で心身に負担がかかってる。なんて。しかもその内の一人は同じ生徒会の人間。
 本来ならば警察に駆け込むような話だ。菖蒲さんに言ったところで彼にいらぬ負担をかけるだけだ。
 ――それに。

「……大丈夫です。会長の手を煩わせるような問題ありません」

 俺が、菖蒲さんに知られたくなかった。
 御託並べたところできっとそれだけの単純な問題だ。今、あの二人の手垢で汚れ酷い有り様になってる体を菖蒲さんに見られるのは耐えられない。無理だ。絶対に軽蔑される。それだけは。絶対に。嫌われたくない。これ以上情けないところを見せたくない。俺は菖蒲さんにだけは――。

「……そうか」

 菖蒲さんの目が細くなる。落胆したような、そんな声に体から熱が引いていく。

「けど、話したくなったらいつでも待ってるよ。僕は。……僕はこう見えて面倒見はいい方なんだ」

 菖蒲さんなりの励ましだったのかもしれない。
 そんなこと、知ってます。一目遠くから見た時から分かっていた。

「……ありがとうございます、菖蒲さん」

 菖蒲さんは何も言わなかった。代わりに俺の頭を軽く抱き寄せ、「おやすみ」とだけ囁いた。それから俺は菖蒲さんと別れる。別れ際、撫でられた頭の感触は暫く離れなかった。


 俺が生徒会へと入ると決めたのは生徒会長として他の新入生に対して振る舞ってる菖蒲さんの姿を見たからだ。
 生徒会長だと言われて見ればどことなく軽薄で軟派そうな雰囲気。けれど見た目の印象とは裏腹に凛と伸ばした背筋、堂々と張った胸。柔らかな雰囲気とは裏腹に感じる確かな一本通った芯。――それを見て、空気で感じた時には網膜にこびり付いて離れなかった。一目惚れ、にも近い。
 それから菖蒲さんがDomと聞いて、ああとも納得した。Domに惹かれてしまうのがSubの性質だとしても、それでもこの感覚は錯覚ではないと信じていた。
 そして、事実俺は菖蒲さんのことを知れば知るほど自分が信頼するのなら『この人』だと思った。
 不毛だと分かっていても、それでも支えになれることで幸福だった。のに、今ではそれすら苦しい。


 部屋に戻ってきて俺はすぐにシャワーを浴びた。とにかく下半身にシャワーの熱が当たる度に目が覚めるほどの激痛が走ったが、それも今の俺には丁度良かった。
 痛みで感触が上塗りされるならそれでいい。

 汚い。どこもかしこも洗っても洗ってもまだあいつらの手が残ってるみたいで、不愉快で、吐き気がして、……風呂を出た時には大分時間が回っていた。食欲もない。
 あのとき、菖蒲さんと出会えてよかった。
 そうでなければ、今頃どうなっていたか。考えただけでも気分が落ち込んでいく。俺らしくもない。

「……」

 体を休めるのが先だ。
 まだ頭の中にはあいつらのコマンドが残ってるようで、自分の体なのに他人の体のようなそんな不快な感覚から逃れたかった。
 健全なる肉体は健全なる魂に宿る――寝よう。休もう。今だけは。
 俺はベッドに潜り、なるべく尻に負担や摩耗が掛からぬようにうつ伏せになって尻丸出しで眠ることになる。無様なあまり涙が滲んだ。それでも疲労のおかげかそれからすぐに眠りにつくことはできた。
 ただ、案の定慣れない体制に何度も途中で目が覚め、朝になった時もまるで体の疲れは取れていなかった。
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