飼い犬Subの壊し方

田原摩耶

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 ――翌朝。

「一凛、おはよ……って、おい、どうしたっ?」
「……おはよう。なんだ、朝から……」
「なんだって、目の隈酷いぞ……鏡見たか?」
「……」

 正直言うと、しっかりとは見ていない。
 昨夜ろくに眠れず迎えた朝、頭がぼうっとするしなんだか体も熱っぽくダルい。気付けば既に遅刻しそうな時間になっていて、それからバタバタ準備した……だから、普段のようにしっかりと鏡見て身嗜みを整える余裕もなかった。

「少し寝坊しただけだ。問題ない。……食事を取れば頭も醒めてくるだろう」
「……一凛……」
「……どうした。行くんだろう、食堂」
「あ、ああ……行く、行くけど……」
「ならさっさと行くぞ。……人混みは好きじゃない」
「あ、ま、待てよ一凛!」

 それから星名とともに食堂へと向かう。
 けれど、どうしてもあのフロア――生徒会専用のフロアまで移動する気にはなれなかった。だから俺は星名に「外の空気が吸いたい」という体でテラス席へと移動した。
 ……が、この判断は間違えてなかったようだ。

「へえ、ここのテラス席。当たりだな」
「……そうだな」
「これから天気の良い日とかは外で食うのも楽しそうだな」
「……」

 心配したと思えば、今はにこにこしながら飯を頬張ってる星名。その口が開くのを見る度、覆いかぶさって舌を這わせてくる星名の顔が脳裏に蘇り、思わず目を伏せた。

「……っ」
「……どうした? 一凛……」
「いや、なんでもない。……」
「なんでもないことあるかよ。……さっきから全然食ってないだろ」
「俺は俺のペースで食う。……良いから、お前も黙って食え」
「なんだよ、一凛……」

 不満そうにしながらも大人しく星名はハンバーガーに齧り付いてる。
 そんなとき、ふと周囲から好奇の目が向けられてることに気づく。俺ではなく、星名に向けてだ。
 生徒会に入ったばかりの時は俺も好奇の目に晒されることもあった。けれど、他人のそれもそれでなかなかに不快だ。

「……」

 そうか、こいつまだSwitchって言ってないのか。
 粘ついてくる視線は明らかに下の人間を見るもので、慣れていたが第三者として身近で感じるのとは理由が違う。

 後で人気がないところでそれとなく話すか。
 こいつにとってもSubという噂だけが先行し続けるのは厄介なはずだ。このヘイトが集中してる状況なら尚更。
 一人二人に絡まれるだけとは理由が変わってくる。……杞憂だとしても、それは必要なことだ。

 星名といるとよくも悪くも気は紛れた。
 なんというか、『俺がしっかりしなくては』と思うというか、身が引き締まる。
 そしてそれは気分転換に丁度いい。これを見越した上ではないだろうが、菖蒲さんには感謝しなくてはな。




 それから周りの目を無視し続け、俺達は食事を終えた。何度かちょっかい掛けてくるやつらもいたが、俺たちが相手をしないと分かるとさっさと離れていく。本当に下らない連中しかいないが、やはり傾向はよくない。
 食堂を出た俺は「話がある」と星名を人気のない踊り場まで連れて行くことにした。
 屋上へと繋がる階段途中の踊り場。そろそろホームルームが始まる時間だが、だからこそ人気がなくて丁度いい。

「なあ、どうした? 一凛。このままじゃ遅刻……」
「今回の遅刻は俺が許可する。理由は俺の体調が悪かったから付き添いした。……その辺りでいいだろう」
「え、やっぱり具合悪いのか?! だ、大丈夫か?」
「……例えの話だ。それより、お前の話だ。星名」
「お、俺……?」

 目を丸くする星名。その顔に浮かぶのは困惑だった。

「そうだ。……いつまでSwitchのこと、周りに黙っておくつもりだ」
「そ、れは……」
「警告しておく。このままSubだと知れ渡ったら遅かれ早かれまたちょっかいかけてくる輩は現れるぞ」
「でも、俺は今Domなんだろ? なら返り討ちにできるじゃん」

 ……返り討ち。
 当たり前のようにそんな言葉を口にする星名にぎょっとした。

「……お前、人の話聞いてたのか?」
「え? 話……?」
「Domならばその振る舞いに気をつけろって。……約束しただろ、不用意にその立場を利用するなと」
「あー……あ、ご、ごめん……そういうつもりじゃなかったんだ……ごめん。本当」

 分かってる。こいつのことだ、何も考えてなかったのだろう。けれど、だからこそ無意識に口にした言葉にこそ本心が現れる。

「……でも、でもさ。俺って、えーと……SのDomなんだよな? だから、今のところ大丈夫。心配すんなよ」
「……」
「優しいよな、やっぱり一凛って」

『SubのくせにSwitchの心配してるんだもんな』

 頭に響く星名の幻聴に思わず目を見開く。
 星名は「ん?どうした?」と笑ってるばかりで、気が付けば全身に嫌な汗が滲んでいた。
 星名……こんな笑い方をするやつだったか?
 含んだような視線、そして上から見下すような色が滲んだその声に気付いてから酷く居心地が悪くなってくる。
 俺は、星名を守ってやらないとって思っていた。まだ右も左も分からない星名を。
 なのに、なんだ……なんだ、その目は。

「……俺は、優しくない」
「そんなことないだろ。今だってこうして俺の心配してくれてるしさ。……ごめん、けど、嬉しい。俺、一凛が本気で俺のこと心配してくれてるの……」
「――生徒会の仕事だからだ」

 口にした瞬間、星名がぴたりと動きを止める。眼鏡の下、丸くなった星名の目がこちらを見ていた。

「会長からの命令がなければここまでしない。……遊びじゃないんだぞ」
「……い、一凛……どうしたんだよ急に。怒ってるのか? 俺、なんか変なこと……い、ったか。そっか、ごめん。怒らせたんなら……」
「なら、本気で自分と向き合えよ。ヘラヘラ笑って、お前みたいなやつが一番……っ」

 一番、なんなのだ。
 星名の表情からは完全に笑顔は引っ込んでいた。それを見て、頭に昇っていた血がすうっと引いていくのを感じた。それから鼓動が速くなる。

 俺は――最低だ。ここまで言うつもりはなかった。だけどあまりにも星名の振る舞いが、言葉が、ささくれ立っていた神経を逆撫でしていったのだ。
 ついこの間まで同じだと思っていた――友人と思っていた人間が自分と別の人種だと分かって、また自分だけが落ちていく。そんな焦燥感に足首を取られて、目の前の男が敵に見えたのだ。
 俺も、Switchだったら。それだったらきっとこんな醜い感情と向き合わずにも済んだんだろう。

「……一番……なんだよ、一凛」

 踊り場に響く星名の声に、体がびくりと跳ねる。その声は聞いたことのないほど低い。

「……」
「おい、一凛……」
「……」

 ごめん。言い過ぎた。その一言を口に出すことも出来なかった。
 怖かった。今更怖気づいて、俺は、目の前のDomに怯えてる。これこそ俺の最も嫌っていたSubの姿ではないか。

「一凛……」
「……俺はこれで失礼する」
「……っ、一凛! 逃げるのかよ!」

 ああ、そうだ。逃げるのだ、俺は。
 多分、俺も星名も気付いている。このまま話したところで俺達は傷つけあうことにしかならないと。
 だからこそ星名はそれ以上追いかけてくることもなかった。

 階段を降り、教室に行くのも忘れてやってきた昇降口。

「……馬鹿か、俺は」

 喧嘩するつもりなど最初からなかった。
 はずなのに、Domの顔を見ると警戒心が邪魔をする。こんなこと逆効果だと分かってるのに、興奮を止められない。
 どく、どく、と未だ落ち着かない心臓を抑えたまま俺はピルケースから取り出した薬を飲んだ。

 神経がずっと尖っている。周りの人間が全員敵のように見えて、脳がずっと覚醒してる。酷く疲弊し、喉が乾く。……そうか、今日は朝バタバタしてたせいで薬を飲み忘れていた。
 駄目だな、いつもならこんな下らないミスもしなかったのに。

「……」

 今から教室に戻って授業を受ける気にもなれなかった。遅刻もせず、体調も崩さず、皆勤賞を目指していた。けれど、それも呆気なく崩れ去った。もう、どうでもいい。
 今は人間の顔を見たくない。



 とにかく誰にも会いたくない。
 その一心で逃げ隠れするように裏口から校舎を出て、そのままの足で学生寮へと戻ろうとしたときだった。

「そっちじゃないだろ」

 扉のすぐ横の壁際、そこに立っていた人物を見て息が止まりそうになった。
 背の高い影。壁に凭れ掛かるように立っていたその人物は仏頂面のままこちらへと目を向ける。

「み、や先輩」
「お前が行くべきは保健室だな」
「え……ぁ、ちょ……っ!」

 なんでここに、とか、どういう意味だ。とか、続けるよりも先に「来い」と海陽先輩に腕を掴まれる。

「ま、待ってください……俺は……っ」
「どうせサボるつもりだったんだろう」
「……!」
「お前のそれは寝て治るようなものじゃない」
「……っ、それは」

 俺がSubだからですか、と思わず喉まで出かけたとき。真っ直ぐに向けられた目に思わず言葉を呑んだ。そして、伸びてきた手に額を触れられる。――昨日と同じだ。

「37.6」
「……は?」
「微熱だ。飯もろくに食っていなかったな」
「え、なんで……」

 触れただけで体温が分かるのか。という驚きの特技に突っ込む暇もない。
 状況が飲み込めず呆然としていた俺に、海陽先輩は視線を反らした。

「……遠くから見ていた」
「え……」
「……」

 また菖蒲さんに何か言われたのか。
 そう思ったが、海陽先輩は何も言わない。それどころか狼狽える俺を良いことに再び歩き出すのだ。確かに海陽先輩の手、冷たく感じる。熱っぽくはあるけど、だからって……。

「……っ、……いつから、俺のことを見張ってたんですか」

 少なくともと俺の行動は読まれて待ち伏せされていた。それは、食堂だけですれ違っただけではそこまで至らないはずだ。
 海陽先輩は歩きながらこちらを見ようともせず、「食堂からだな」とぶっきらぼうに答える。

「それって、監視……」
「有り体に言えばそうだ」
「……っ、……」

 隠そうともしない海陽先輩に血の気が引く。
 星名と揉めていたところも聞かれていたと思うと余計惨めな気分になる。
 海陽先輩の手を振り払おうとするが、海陽先輩の手はがっちりと俺を掴んて離さない。それどころか、更に強い力で掴まれる。

「ぁ……っは、なして下さい……っ、海陽先輩……っ!」
「逃げるだろう」
「に、げ……ません。……一人でも歩けます」

 尊敬していた先輩に生意気な口利いて、恥ずかしいところも見せて、もうこれ以上恥を晒すのは耐えられない。
 立ち止まり、俺の方をじっと見つめていた海陽先輩は「わかった。が、このまま保健室まで同行する」と手を離してくれた。
 少し強く掴まれただけなのに手首にはくっきりと手の跡が残ってる。
 それを見つめたまま、俺は俺はなんだかもう反論する気力もなくなっていた。「分かりました」とだけ答え、俺は海陽先輩に保健室へと連れて行かれることになった。


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