飼い犬Subの壊し方

田原摩耶

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 真夜はあくまで普段と変わらない調子で続ける。

「なんで知ってるかって? あの人はどのSub相手にも『そう』なんだよ。……特別を作りたがらない。ま、多頭飼いしてるんだからそのやり方は正しいけどな」

 知っている。分かっている。俺がその他大勢の内の一人だってことも。分かっていたはずなのに、真夜から聞かされるその言葉に視界の淵がどんどん黒く染まっていく。
 息が、苦しい。

「ゃ、めろ……もういい、聞きたくない……っ」
「いいや、お前は知らなきゃ駄目だ。……じゃねえと、現実見ねえだろ」
「み、てる。知ってる、俺が特別じゃないってことも……っ! 菖蒲さんが踏み込まれること嫌いだってことも……っ!」

 思わず声を上げていた。口にしてより一層全身が軋むようだった。そう、分かっていたしそれを踏まえた俺と菖蒲さんの関係だった。
 それだけで十分だった。十分なのだ。なのに。

「……だから、こんなになるまであの人を頼んなかったんだ?」

 真夜の声は優しかった。けど、じっとこちらを見下ろすその目がなんだか恐ろしくて堪らない。

「馬鹿だよなあ、お前」
「……っ、ああ、そうだよ、笑いたかったら笑えば良い。だから……もう放っておいてくれ……」
「あのさあ、Dom相手に放っておけって無理なの、分かってんだろ?」

 何度その腕の中から抜け出そうとしても真夜は離してくれない。それどころか向き合うように体を抱き締められる。
 近くなる真夜の顔。上体が重なり合い、鼓動までも混ざり合う程の距離、俺は真夜を見上げたまま固まった。

「ま、よ」
「《逃げるな》」
「……っ! ぉ、まえ……」

 するりと頭の中、体に入り込んでくるコマンドに全神経を乗っ取られる。逃げることを勝手に諦める俺を抱きしめたまま、真夜は俺の唇に軽くキスをした。
 おい、と止める暇もなかった。さっきみたいに優しく、何度も触れるみたいに唇から頬、目尻へと唇を押し付けられる。触れられた箇所が熱くなり、怒りや負の感情が別のものにすり替えられていく。
 嫌なのに――嫌だったはずなのに。こいつを受け入れさせられる。拒むことも忘れて。

「ようやく大人しくなったな」
「……っ、こ、んな……今、こんなこと……」
「してる場合だ。……なあ、愛ちゃん。お前はどうして会長に拘ってるんだ?」
「……それは……」
「それ、もしかして『初めてプレイしたDom』だから?」

 真夜の言葉はどこか冷たく辺りに響く。
 その声に、体がびくりと震えた。
 違う。そう今までの俺だったら言い返していただろう。けれど、今は――今は自分でも自分のことが分からない。

「別に責めてねえよ。けど、愛ちゃんがそれに義理立てしてるってんならさー……この拘りっている? って話」
「ぉ、れは……」
「会長がちゃんと愛ちゃんに付きっきりならいいけど、愛ちゃん放置されてんじゃん」
「それは、仕事が……」
「うんうん。分かる分かる。けど、もっと効率いいやり方があるって話」

 真夜の指は頬を優しく撫で、そのまま柔らかく目尻をなぞる。見れば見るほど小晴と瓜二つだが、俺は初めてその時気付いた。真夜のホクロの位置だとか、そんな些細な違いに。

「プレイに恋愛感情は要らないんだよ、愛ちゃん」
「……っ、ま、よる……?」
「会長だって他のSubと遊んでるんだから、愛ちゃんが他のDomと付き合ってても文句言えないだろ?」

「だから、『これ』は悪いことじゃないぞ」背中へと回される真夜の手は俺の背筋をゆっくりと撫でる。逃げないと、と、思うのに、『何故逃げないといけないのか』という疑問が脳の片隅で浮かんだ。

「真夜……っ」
「《キス》。しようか、愛ちゃん」

 コマンドに反応し、ぴんと伸びる背筋。真夜の唇が受け入れやすいように無意識に顔を上げる俺を見て、真夜はうっとりと目を細めて笑った。

「《いい子》だ」

 たった一言、真夜のその声に脳の奥で熱が弾ける。甘く、泣きたくなるほど優しい声にグチャグチャになっていた思考を全て塗り替えられていく。
 重なる影。触れ合う唇。俺は真夜の腕からとうとう逃げ出すことも忘れていた。

「っ、は、ん、む……っ」

 駄目だ。駄目なのに。
 唇を割って入ってくる舌を受け入れることしかできない。固まる体を優しく撫でられ、そのまま浮きそうになる腰へ回された掌はゆっくりと臀部を撫でる。

「……っ!」
「《そのまま》」
「ん、ぅ……ぅ……っ」

 コマンドに従うようにぴんと背筋を伸ばしたまま固まれば、小さく笑って真夜は再びスラックス越しに尻を柔らかく揉む。それから、突き出したままになっていた俺の舌を軽く食む。
 擽ったくて、もどかしくて。こんなこと許してはならないのに、真夜のコマンドから逃れる気すらも起きない。囁かれ、撫でられるだけでまるで牙ごと引き抜かれるみたいに戦意喪失させられる。
 自分でもわからない。俺は、この男を受け入れようとしているのか。

「……っ、ん、……はっ、……ん……っ」
「そーそー。……愛ちゃんは気持ちいいことだけ、楽しいことだけ考えてたらいいんだって。……キスは好き?」
「……っ、し、らん……」
「嫌いじゃねえってことな。りょーかい。……ほら、《舌、もっと突き出せ》」
「……ふ、ぅ……っ」

 言われるがまま限界まで舌を伸ばせば、真夜の肉厚な長い舌にすっぽりと包まれる。ねっとりと絡み付いてくる舌先ににゅるにゅると舌を愛撫されるだけで全身に蕩けそうなほどの熱が広がった。
 くぐもった声。交わる吐息の熱に頭の奥がぼうっとする。大きな掌に撫でられるの、気持ち良い。ちがう。きもち、よくなんて。相手は菖蒲さんじゃないのに。

「ん、……ん、ぁ……っ、ふ……む……っ」

 真夜から目が離せない。後頭部に回された手にしっかりと固定されたまま、舌先を性器に見立てて執拗に愛撫された。
 硬直したみたいに伸ばしたままの舌を吸われ、唇で挟まれ、甘く噛まれ、唾液を塗り込むみたいにぢゅぷぢゅぷと音を立てて真夜にしゃぶられ続ける。
 逃げたいのに、逃げられない。コマンドがそれを許さない。ひたすら舌をしゃぶられ、擦り合わせるように絡められ、気付けば唇も口元もでろでろになっていた。そんな俺を見てようやく真夜は唇を離す。

「……っ、ぷは、……! ふ、……っぅ……」
「は、はは、愛ちゃん。まだ舌出っぱなしだ。……可愛いねえ?」
「ま、よる」
「俺とのキス気持ち良かった?」

 尻を撫でていた手が前へと回り、そっと太腿を撫でる。そのまま下腹部へと上がってくる掌は、足の付け根まで上り詰めた辺りで止まった。そして、真夜の視線も。

「気持ち良かったんだ」
「……っ、ち、が……」
「じゃあ、これなんだよ」
「ぁ……っ」

 スラックスの前。膨らんでいたそこを優しく指先で撫でられる。山なりになった部分を人差し指でくるりと円を描くように触れられただけで熱が一気にそこへと集中するのが自分で分かった。

「なんだよ、これ」
「っ、……」
「《言え》」

 コマンドに支配される。真夜のコマンドは、菖蒲さんに似ている。甘くて優しくて、それでいて蜜のように脳へとするりと浸透していくような――危険だと分かっていた。
 分かっていたが、既に俺の半身までその蜜に浸りきってしまっている状態で、抜け出そうとすることも困難な程だった。

「……ぅ……ぉ、お前の、せい……っ」
「俺の?」
「お、お前が……し、しつこい……から……」
「は、……本当、可愛いね。愛ちゃん」
「……っ、ゃ、めろ」
「真っ赤になっちゃって。……俺だったらこんなSub、放ったらかしにしないのに」
「っ、ま、よる……っ、ん、む」

 こんな甘ったるい空気、嫌なのに。嫌じゃない。体が受け入れ始めている。この男を。
 拒否しなければ。頭では分かってても拒否するほどの力も残っていない。甘ったるい優しさを教授することを喜んでいる。

 何度も唇を重ねられ、体を掻き抱かれる。
 こんなところ、誰かに見られたらまずいのに抵抗することも出来ないまま真夜のペースに飲まれ、俺は。

「愛ちゃんの部屋――確か、二○五号室だったっけ?」
「なに、言って……」
「続き、愛ちゃんの部屋でしよっか。俺の部屋だと小晴戻ってくるから」

「愛ちゃんも小晴居たら休まらないだろ?」なんて休日の予定でも話すみたいな軽い口調で続ける真夜。この男が何を言わんとしているか気付き、顔が熱くなる。

 ――プレイに愛情は必要ない。
 先程の真夜の言葉が頭の中で反芻する

 菖蒲さん。俺は、菖蒲さんのことが好きで。
 菖蒲さんのことを人としても尊敬して、憧れていて。

 ――それ、もしかして『初めてプレイしたDom』だから?

 ち、がう。違うのに。

「愛ちゃん?」
「……っ、……俺は……」
「《余計なことを考えるな》」

 耳鳴りとともに脳が焼けるように熱くなる。
 越えてはいけない一線が目の前に見えるようだった。俺の、俺としての矜持。引き返すなら今なのに。

「愛ちゃん」

 噴き出す汗。脳が締め付けられる。そんな俺を覗き込み、真夜は微笑んだ。そっと掌が頬に添えられる。頬の輪郭から耳の付け根へと滑る真夜の指はそのまま俺の髪を撫で、耳にかけた。

「手っ取り早くサブドロ解消する方法、教えてやるよ」
「……っ、は……」
「Subを愛して、可愛がって……そんで気持ちよくなれんの。お前Subはなんもしなくていい、俺を受け入れりゃお互い幸せになれんだから手っ取り早いよな」
「……ま、よ……」
「それとも、ここで犯されたい?」

 逃げなきゃ。駄目だ。駄目なのに。
 ほんの少しでも気を許してしまった。ほんの少しでもこいつの優しさに甘えてしまった。
 それがSubにとってどれだけ愚かなことか、俺は知っていたはずだ。

「部屋、行こうか」

「愛ちゃんとのエッチは誰にも邪魔されたくねえんだよな、俺」緊張したまま震える体を抱き上げられ、そのまま真夜は俺の腰に腕を回す。拍子に、腰の辺りに押し付けられる真夜の下半身に全身が震えた。逃げ出すこともできなかった。

「《歩け》」

 そして、全ての思考はそのコマンド一つで吹き飛ぶ。強力なコマンドを前に弱りきった自我は呆気なく霧散し、見えない首輪に引っ張られるように俺の体はひとりでに歩き出した。
 向かう先はエレベーター乗り場。自室へと向かって、真夜にリードを握られたまま。

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