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試されている、のか。
無意識に握り締めていた掌に汗が滲む。菖蒲さんの眼差しは真っ直ぐにこちらを見ていた。
「大丈夫だ。……僕は傷付かないよ、これくらいじゃ」
その声は自嘲するようで、胸が締め付けられる。菖蒲さんはとっくに気付いていたのだろう、俺の異変に。俺の変化に。
「愛佐」
落ちてくる優しい声が、今は俺の首を絞めていく。
憎まれ役も汚れ役も慣れていた。嫌われることも慣れていたし、元より好かれるような性格ではないと自覚はしていた。けれど、菖蒲さんは数少ないそんな俺を受け入れてくれた人で、それで。
「……っ、……ぁ、やめ、さん」
「うん」
「これは、俺の……問題です」
「そうだね」
「……っ、………………俺は……」
いっそのこと全部ぶち撒けてしまいたかった。
初めて他のDomに抱かれたことも、体験したことも全部。きっとこの人だったら受け入れてくれるだろう。専門の施設にも連れて行ってくれるだろうし、適切な処置も行ってくれる。
それが合理的で、今後のことを考えるならばそれが一番いい。頭では理解できていた。のに。
ただ一つ、『菖蒲さんに知られたくない』。
その感情が俺の思考を阻害する。正常な判断を下させない。
非合理は最も俺が嫌いとするものだ。それなのに、自分が一番非合理な真似をしている。その事実に反吐が出る。けど、今の俺には頷くことが精一杯だった。
菖蒲さんと距離を取る。
それはきっと菖蒲さんの頭にもあったのだろう。
俯く俺。「そうか」と聞こえてきた菖蒲さんの声はどこまでも柔らかく、泣きたくなるほど優しい。
「薬を飲んで、安定するまでは生徒会長補佐の仕事はなしで結構だ。……それと。僕に用があるときは海陽を通してくれて構わない。……あいつは根っからのNormalだ。それに、良い奴だ。安心するといい」
「あ、菖蒲さん、違うんです」
「分かってるよ、愛佐」
顔を上げれば、片眉を下げた菖蒲さんと目が合った。傷つかない、なんて嘘だ。
飄々としていて掴みどころがない、ミステリアスな人。そう皆は菖蒲さんのことを称するが、そんな人がこんな顔をするわけがない。
「君が話したいときに話してくれるのを待ってる。……結構僕、こう見えて辛抱強い方でね。待ってるのは好きなんだよ」
「ご、めんなさい」
「君は悪くない」
ぴしゃりと言いのける菖蒲さん。
瞬きした次の瞬間にはいつもの菖蒲さんの笑顔が戻っていた。
「でも、話したくなったり相談したくなったらなんでも言ってほしいかな。……勿論、これは強制ではなくお願い……いや、おねだりだね」
ああ、この人は本当に。
最初は憧れだった。生徒会長の飼い犬だって揶揄されたって、むしろ嬉しいくらいだった。
この人の特別になろうとは思ってなかったのに、菖蒲さんに負担になりたくなかったのに。菖蒲さんの優しさに触れる度にどんどん自分の中の感情が膨れ上がる。自分のポリシーに相反するその感情は毒でしかない。
声から溢れそうになる言葉を飲み込むが、耐えきれなかった。滲む視界の奥、ぼろりと溢れるそれを見て菖蒲さんは困ったような顔をする。
「あれ、ここ、一応笑うところだったんだけどな……っと、……」
好きだって言いたい。好きだって、俺だけのDomになって欲しいって。もっと俺を束縛してほしい、他のDomよりも一番俺のことを大好きだって言って欲しい。もっと、俺のことなんて優しくしないでほしい。
目の前、菖蒲さんの胸にしがみつくのが精一杯だった。声には出ない。ギリギリ理性のブレーキがかかった。けれど、まだダメだ。ダメなんだ。
「……無理しなくていいんだよ。体が震えてる」
「違うんです、俺のせいです、菖蒲さんは悪く……ないです……」
「僕のこと慰めなくていいよ。……ふふ、本当に君は優しい子だ」
甘えるのが下手だと菖蒲さんに笑われたこともあった。
昔からだ。人から搾取されたくなくて、人に借りを作りたくなくて、全て一人でこなそうとしてきた。
菖蒲さんじゃないと嫌なのに、書き換えられた脳が、体が、今も菖蒲さんを拒もうとする。それでも尚、菖蒲さんから離れることはできなかった。
菖蒲さんの胸元がぐっしょりと濡れてしまっても尚、菖蒲さんは嫌がりも怒りもせず俺をそのままにしてくれていた。
けれど、菖蒲さんは最後までいつもみたいに抱き締め返してもくれなかった。
「……もう大丈夫かい?」
「……はい。お見苦しい姿を見せてしまい申し訳ございませんでした」
「そんなことはない。可愛かったよ」
「……っ、……失礼します」
きゅっと反応しそうになる心臓を咄嗟に抑えるフリをし、俺はそのまま頭を下げる。
「うん、またね」とかけられる菖蒲さんの声を聞きながら俺は生徒会室を後にした。
瞬間、全身から力が抜けたみたいにそのまま壁にもたれかかる。そして、ずるりとその場に座り込んだ。
「……っ、……ぅ、うう……」
全然ダメだ。全然大丈夫ではない。
苦しい。好きだって言ってしまいたかった。けれど、俺が抱き着いた瞬間の菖蒲さんの顔を見た時、怖かった。
嫌われた方がいっそのこと苦しまずに済むのかもしれない。けど、知ってる。菖蒲さんが人を嫌うことなんてない。それこそ、余程のことがない限り――。
そこまで考えて、菖蒲さんと真夜が鉢合わせになったときのことを思い出す。
あんな怒ったような菖蒲さんの顔、見たことなかった。……菖蒲さん、真夜と仲が悪いのか。
ならば、真夜と関係を持ったことを知られれれば嫌われるかもしれない。しれない、のに。
「………………っ、嫌われたくない」
俺の中に生じる巨大な矛盾に、自分を律することもできない。
止まったと思いきや再びじわ、と滲み出す涙を袖でゴシゴシと拭う。クソ、クソ、こんな女々しい真似したくないのに。
……全部自分の決めたことだ。菖蒲さんとのことも。
今はとにかく安定させればいい。そこから、しっかり考えた方がいい。今の俺は冷静ではない。
「……っ、……」
やるべきことはやった、はずだ。
そう自分に言い聞かせることが精一杯だった。
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