飼い犬Subの壊し方

田原摩耶

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31※嘔吐

 自分の身体なのに自分で制御することができない。
 これ程までにストレスになることは無いだろう。そもそも、この現状こそが。

「……っ、ふ、ざけんな」
「一凛……?」
「プレイは……っ、これは、信頼関係が成り立たなければ拷問と一緒だって言ったはずだ。なんも学んでないんだな、お前……ッ!」

「大声を出すな」と命じられていなければ、きっと俺は大声で反論していただろう。
 そうでなくとも星名は俺がここまで怒りを露わにするとは思っていなかったらしい。少しだけ慌てたように俺の肩に触れようとしてきたその手から逃れるため、体を捩る。

「っ、触るな……っ!」
「お、怒るなよ……一凛……ごめ、俺……」
「今更謝ったって無いことにはならねえよ」
「い、一凛……」
「……っ、見損なった」

 ほんの少しでも友人になれたのなら、と思っていた。性格も周りの環境も違えど、同じSubのこいつならば分かり合うことも出来るかも知れない。
 結局俺の独り善がりだったのだ。
「一凛」と呻くように俺の名前を呼ぶやつを思いっきり睨みつける。

「誰がお前なんか信頼するかよ……お前みたいなやつ、友達でもなんでもない……っ!」

 そうその言葉を口にした瞬間、部屋の中がシンと静まり返った。言い返す事も出来ないはずだ、何も間違ったことは言っていない。そう思った次の瞬間、頬に鈍い衝撃が走る。反動で体は壁にぶつかり、背骨に痛みが走った。鈍痛は熱となり頬へと広がる。
 一瞬、何が起きたのか分からなかった。顔を上げれば俺の上には星名が馬乗りになっていた。

「ぉ、まえ」
「――《黙れ》」

 殴られた、と理解した次の瞬間には首に見えない首輪を着けられる。そのまま締め上げられるように締まる首に血の気が引いた。
 ただの事故でも、軽はずみでもない。今のは明確な攻撃だ。暴力だ。

「……っ、は……ッ」
「《黙れ》、《黙れ》、《黙れ》。俺を馬鹿にするなよ、一凛……っ! お前だけは、そんなやつじゃないって信じてたのに……ッ!」
「……っ、……」

 一重、二重、いくつも重ねられていく見えないコマンドに全身が押しつぶされそうになる。視界が霞む。目の前の男を払い除けようとするが、力が入らない。伸ばしたまま空を切る俺の手首を手に取り、星名は俺の顔に鼻先を寄せた。

「《謝れ》」
「……っ」

 ――嫌だ。

 どろりと鼻の奥から鼻血が溢れてくる。
 それは殴られたせいだけではないだろう。

「《撤回しろ》」

 ――なんで俺が。

 辺り鉄の匂いが広がる。見えない何かに口をこじ開けられ、舌を無理矢理動かされそうになる。それを拒もうとすれば今度は脳を直接握り潰されるような、強烈な頭痛と目眩が襲いかかってくるのだ。

 落ちてくる暴力的なコマンドは子供の癇癪と同じだ。力加減を理解していない、一方的なコマンドは何としてでも俺を従わせようとしてくる。
 それに逆らえばどうなるか、俺は知っていたはずだ。霞む視界。コマンドに逆らうことによる身体的負荷。不快感が塊になって腹の中で膨れ上がる。
 ――気持ち悪い。


「《土下座しろ》!!」
「ぉ゛、ごぷ……ッ!」

 握り潰される胃から迫り上がってくる吐瀉物を抑え込むことすらできなかった。仰向けのまま戻ってきては逆流する異物に更に咳き込む。
 ゲロまみれの俺を見て心配するわけでもなく、首を横にしてなんとか口の中のそれを吐き出そうとする俺を見て星名は覗き込んでくる。唾液と吐瀉物諸々で汚れた顎を掴まれ、強引に星名の方を向かされた。

「あーあ。……なんでお前が泣いてんだよ、泣きたいのは俺なんだよ。……なあ? 一凛」
「げぽ……ッ、ぉ゛……」
「《土下座して謝罪しろ》」
「はっ、は……っ、は……」

 脳がカチ割れる。声は出ない。空気の圧に全身押しつぶされるみたいに内臓が悲鳴を上げてるのが分かった。全身の筋肉が勝手に動こうとするのに必死に争う。それにも限界があることは重々分かっていた。

 無理だ。これ以上は。
 空気を取り込もうとしても器官すらも自分の意思で動いていない。特定の言葉を吐くことでしか喉が開かないようになってるようだ。ああ、本当に随分と素直で物分かりのいい体だ。クソが。
「ご」と口を開く。その隙に喉から肺まで空気を取り込み、俺は星名を睨みつけた。

「ご、め……ん……なさ……」
「……」
「っ……っ、クソ、野郎……っ、ぉ゛……う゛、ごめ、んなさ……――ッ、死ね」

 無意味な応酬。不毛な口喧嘩。罵倒など相手を怒らせることにしか意味がない。そう分かった上で言い返せば、レンズの奥で星名の目はすうっと細められる。そして。

「冷めたわ」

 溜め息混じり、星名はそのまま俺から手を離す。まるで失望したみたいに。裏切ったのはお前の方のくせに。

「そこまで俺のこと嫌いだったのか。……嘘吐き」
「……うぞ、吐きは……ッ、お前だ……ッ」
「ああ、そうだな。こんな変装までして……今度こそ普通の友達欲しかったんだけど、なんか、もういいわ」

 聞いたことのないトーンの星名の声にぞわぞわと背中が震える。逃げろ、と本能が声を上げるが手足すらまともに動かない。
 そんな俺の前、星名は眼鏡を外す。普段は隠されていたまだ幼さが残ったその表情に滲むのは冷え切った、諦めたような目だった。

「お前なんか友達じゃねえよ、一凛」
「……っ、ま、て……」
「《黙れ》」
「……ッ」

 声が出なくなる。喋ろうとすれば見えない何かに首を締め上げられ、息苦しさに頭を振ることしかできない。もう、俺にはコマンドに抗えるほどの余力はなかった。
 星名の手が俺の腿を掴む。痛いくらい食い込む指先に呻くこともできず、逃げようとしていた体を引きずられそのまま星名の元へと寄せられた。強引に開かされた股の間、伸びてきた指先に萎え切っていた性器を握られ、硬く目を瞑る。

「小晴にコマンド使われた時、覚えてる? 俺も訳わかんなくなってさ……けどさ、死ぬほど気持ち良かったんだよな。多分あれ、コマンドってのもあったんだろうな」
「……っ」
「小晴ってすげーよな、お前よりも頭柔らかいし色んなこと知ってる」
「ぅ……ッ、く……」
「……お前は小晴のこと嫌がってたけど、俺は小晴に感謝してるよ。だってさ、何も知らなかったらあんなに気持ちよくなれるって分かんなかったんだからな」

 何を言ってるんだ、こいつ。
 ゆるゆると性器を扱かれたところで不快感と痛みしかない。萎え切ったままの俺の性器見て星名は「ま、いいや」とあっさりと手を離す。そして、そのまま自分のベルトに手をかけた。

「少しでも気持ちよくしてやろうと思ったけど無理そうだよな。ま、俺のこと嫌いだもんな? お前」
「……っ、は……」
「……俺は好きだぞ、一凛」

 薄暗い部屋の中、寛げたスラックスの下から取り出されるそれにいつの日かこいつに犯された時のことがフラッシュバックする。けれど記憶の中のあいつはもういない。目の前にいるのは自分の意思で動いている星名だった。

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