飼い犬Subの壊し方

田原摩耶

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 やってしまった。
 そんなつもりではなかった。

 菖蒲さんの顔を見るのが怖くて、伸ばした手を引っ込めることも出来ないまま俯く俺に菖蒲さんはゆっくりと息を吐く。

 怒られる。
 そう目を瞑った時、俺に触れていた菖蒲さんの指先がゆっくりと離れた。

「ぁ……やめ、さん」
「…………」
「ぁ、ご、ごめんな……さい……俺……」

 そんなつもりではないんです、と弁明したところで菖蒲さんに逆らった事実は変わらない。

「菖蒲さん」
「……君は悪くない。悪いのは僕だ」

 重々しく吐き出されたその言葉は普段よりも低く、擦れていた。それも一瞬。菖蒲さんの表情に笑顔が戻る。

「僕も冷静ではなかったみたいだ。……けど、答えてくれてありがとう。愛佐」

 瞬きをした次の瞬間にはそこにはいつもの菖蒲さんが戻っていた。
 けれど、俺には分かる。菖蒲さんの全身から滲む不安定な気――グレアは隠すことは出来ていない。
 Domの性質が強ければ強い人間ほど、他人に与えるグレアの影響はより強くなる。そして菖蒲さんは不用意にそれを使うことはなかった。少なくとも、俺が補佐として側にいたときは。
 俺のせいで菖蒲さんにストレスを与えている。それは明確だった。

「……っ、菖蒲さん……」

 離れて行こうとする菖蒲さんの手を掴み、しがみつく。
「愛佐」と向けられるその目がほんの一瞬揺らぐのを俺は見た。

「悪いのは、俺です。菖蒲さん……菖蒲さんに逆らった俺を……っ、罰して、ください」
「……愛佐」
「…………」

 震える手で菖蒲さんの胸にしがみつく。触れる皮膚が痛い。苦しい。恥ずかしいしみっともないことをしてる自覚はあった。
 けれど、俺の飼い主は菖蒲さんだ。犬としても菖蒲さんに突き放されることの方が、このどんな苦痛よりも堪える。

 緊張で強張っていた菖蒲さんの体は次第に呼吸とともになだらかになっていく。
 それから、そっと頸に菖蒲さんの指が触れた。

「……っ!」
「君は、僕のことを気遣う必要なんてないよ」
「っ、あ、やめ、さん」
「優しいね、愛佐」
「……っ」

 覗き込まれる顔。近付く鼻先同士が微かに触れる。菖蒲さんの声と視線だけで一層大きくざわつく鼓動。
 長い睫毛が影を落としたその目は、どこか普段と違うように見えてより緊張した。

「ぁ、やめ、さん」
「……本当に、君には助けられてばかりで自分が嫌になる」
「そんなことは」

 ありません、と続けるよりも先に、軽く唇を重ねられる。触れた薄皮が蕩けそうな程の熱に体が石のように硬直する。
 微弱の電流でも流されてるかのようだ。それでいて、菖蒲さんに与えられる感覚ならそれすらも受け入れられそうになる。

「……あるよ」
「菖蒲、さん」
「嫌だったらすぐに言うんだよ。セーフワードは覚えてるね」
「はい」

 ドクドクと心臓の音はより大きくなる。
 怖い。痛くて、苦しい。けれどそれ以上に、菖蒲さんが辛い方が余程俺には堪えた。


 名前を呼ばれて、褒められて、撫でられる。
 菖蒲さんとのプレイはそれだけで満たされて、俺にとっては至福の時間だった。
 それだけは間違いなくて、誰にも変えようのない事実――だったはずなのに。


「……っ、は、ぅ、んむ」
「……無理はしなくていいよ、愛佐」
「無理じゃ、ありません。俺は本当に……へ、平気……です……っ」
「……そうかい」

 目隠しをした方がいいかな、と言い出した菖蒲さんの厚意を断り、俺はソファーで腰を落とした菖蒲さんの股の間で跪く。
 体を触れられることにはまだ抵抗があった。だから自分でしたい、という俺の我儘を菖蒲さんは受け入れてくれた。
 けれど見るからに菖蒲さんが乗り気ではないのは分かっていた。こうして俺に付き合ってくれているのだって、俺のためだ。

 目の前、寛げたスラックスの下から取り出した性器をひたすら舌と唇で奉仕をする。菖蒲さんはそんな俺の頭を時折優しく撫で、「気持ちいいよ」と口で褒めてくれる。
 けど、分かっていた。口の中の菖蒲さんのものの反応からしてきっと良くないのだろうと。それに、俺に口淫の技巧があるわけでもない。ただひたすら唾液で濡らし、飴玉みたいにしゃぶるのが今の俺にできる精一杯だった。

「……っ、ん、む……っ、ふ……」
「……愛佐」
「ぁ、やめひゃ……ん、む……っ、ふ……っ」
「……」

 ちゅぷちゅぷと亀頭を吸い上げると僅かに大きく脈打つ。うっすらと芯を持ち始めたのを感じ、嬉しくなる。けれど、普段と比べるとやはり反応は鈍い。

「……っ」

 惨めでもいい。恥ずかしくて穴に入りたいほど苦しい。こんな独りよがりな真似、しかも菖蒲さんを付き合わせてる。
 頭で分かってても、自分を制御することができなかった。
 それでもなんとか菖蒲さんに気持ちよくなって欲しくて、普段はしないような大胆な真似をしてしまう。
 先っぽから睾丸まで垂れたカウパー混じりの唾液を啜り、そのまま玉にキスをすれば菖蒲さんは「ふ、」と小さく息を漏らした。
 それが嬉しくて、唇で柔らかくキスをしながら指先、唇、舌、全部使って菖蒲さんを愛撫する。

「……っ、愛佐……」
「俺に、気を遣わないれ……くらはい……っ、俺は、菖蒲さんに命令されるの……」

 好きです、と言いかけて、言葉を飲む。
 俺たちのセーフワード――好き、という言葉の代わりに先っぽからぷつりと滲み出すカウパーの玉を舌先で拭い、そのまま唇で包むようにして啜る。

「は……っ、愛佐、君は、本当に……」

 そのまま舌を巻き付けるように口の中、喉の奥まで菖蒲さんの性器を受け入れる。苦しい。このまま菖蒲さんが乱暴に動き出したらきっと喉が壊れてしまうだろう。
 それでもいい。菖蒲さんが気持ちよくなれるのだったら、スッキリするなら。

 意地だった。俺たちの間に会話らしい会話はなく、ただひたすら菖蒲さんに奉仕した。
 皮膚を刺すような痛みも次第に麻痺し、菖蒲さんが感じてくれる。それが分かっただけで満たされて行く。
 菖蒲さんは俺の頭を撫でる以外、必要以上に触れてくることはなかった。気を遣ってくれてるのが分かったし、嬉しくも思う。それでも寂しくて、無意識の内にもう片方の空いた手で俺は自分自身を慰めていた。菖蒲さんはそんな俺をどんな風に思ったのだろうか。向けられる眼差しからは終始憐れむような、苦しげな色を感じた。

 けれど、菖蒲さんは最後までそれを止めることもなかった。

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