飼い犬Subの壊し方

田原摩耶

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 真夜から解放されてから、どっと疲れがやってきた。
 真夜が出て行った後、スマホが震える。真夜から『おやすみ』とメッセージが入っていたが、返信する気にはならない。既読をつけずに俺はそのままソファーに横たわろうとし、他にも連絡が入ってることに気づく。

 ……菖蒲さんからだ。

 慌てて連絡を返そうとして、手が止まる。
 多分菖蒲さんは俺がいきなり帰ったことを不審に思ったのだろう。時計を確認する。大分遅い時間帯だが、業務内容によってはまだ菖蒲さんは生徒会室にいるかもしれない。

 真夜のことを菖蒲さんに相談するか。
 菖蒲さんにだけは知っててほしいという俺の欲目だ。
 けれど、迷惑は掛けたくない。

「……」

 会いたいという気持ちとこんな状態の自分を見せたくないと言う気持ちがぶつかり合う。
 結果、俺は折り返し連絡することにした。
 思いの外早く菖蒲さんは通話に出た。

『愛佐?』
「あ……」

 もっとちゃんと話すべき内容を考えて連絡すべきだった、と後悔したところで遅い。

「あの、ごめんなさい。菖蒲さん。……連絡、遅くなってしまって」
『そんなことはいいんだ。……教室にもいなかったみたいだったから心配したんだよ。今どこにいる?』

 いつもと変わらない菖蒲さんの声。
 けれど、少しだけその声に怒気のようなものを感じて緊張した。

「部屋に……います」
『そうかい。具合は?』
「少し休んでたので、大分楽になりました」
『それならいい。……食事はしたのかな?』
「いえ、まだ」
『食欲あるなら、これから一緒にどうかな。……僕も今から帰るところだったんだ』

 菖蒲さんと食事。
 誘ってもらえたことが嬉しい反面、その裏後ろめたさがずっと付き纏ってくる。真夜のかけた呪詛は思いの外根深い。

「……ご一緒、させてください」
『ああ、勿論。じゃあどうしようか、これから君の部屋に迎えにいくよ』
「いえ、流石にそこまで付き合ってもらうのは……」
『そう? なら先に食堂で待っててよ』
「は、はい」

 顔が見えないと分かっていてもつい頭を下げてしまう。これは最早癖に近い。
 端末越し、『ああそれと』と菖蒲さんの声が聞こえた。

『愛佐、今一人?』

 見えているはずがない。分かっていても、投げかけられたそのたった一言に冷や水をぶっかけられたような緊張を覚えた。

「一人、です」

 嘘ではない。真夜はもう帰った後だ。
 嘘ではないはずなのに、『そうか』と続ける菖蒲さんの声が少しだけ低くなったような気がして気が気でなかった。端末を握りしめていた手にじんわりと汗が滲む。

『わかった。……人がいるところ、嫌だったら避けて良いからね。待ち合わせ場所を変えたくなったらすぐに連絡して』

 菖蒲さんは海陽先輩がいるかどうかというつもりで聞いてきたようだ。早とちりした自分を恥じると同時に自己嫌悪する。

「分かりました。……はい。お待ちしてます」

 それから通話はあっさりと切れた。
 これから菖蒲さんに会う。
 今まで通りに出来るのか、俺は。

 真夜は俺が菖蒲さんに執着してるからサブドロップが起きると言った。
 俺と菖蒲さんは正式なパートナーではなく、数多いる菖蒲さんのSubの内の一人だ。

「……」

 俺がもし、あいつの言う通り菖蒲さんとの関係を終わらせれば、真夜は俺に付き纏うのをやめるのか?
 そんな思考が過ぎる。

 ……こういうとき、相談に乗ってくれたのはいつだって菖蒲さんだった。
 俺のために助言をしてくれる。けど、今回は菖蒲さんが大きく関わってる。
 困らせてしまうのは間違いない。俺はこのままでよかったのに。よかったはずなのに、何故こんなことになってるのか。

 菖蒲さんとの関係を終わらせる良い機会と言われたらそうだ。菖蒲さんはあくまで代理のDomという関係だったから。
 ただの先輩後輩に戻るだけだ。それは本来あるべき俺たちの関係で、そこにある信頼関係が揺らぐことはない。これ以上菖蒲さんと変な感じになるくらいならば。

「……」

 ……行こう。菖蒲さんを待たせるわけには行かない。

 冷たくなっていく指先を握り締める。準備をして俺はすぐに部屋を出て食堂へと向かった。



 寮内には複数の生徒がいた。食堂帰りの者から消灯時間までの自由時間を友人たちと過ごす者、様々だ。
 ラウンジ横を通りかかったとき。

「あれ? 一凛? おーい、一凛!」

 聞こえてきた声に全身から血の気が引いた。ラウンジの奥、生徒たちに囲まれた星名がそこにいた。変わらぬ無邪気な笑顔を浮かべたまま俺に手を振ってくる。
 今朝食堂で見た時と同じ素顔――ただ、髪は黒く染め直してるかウィッグでも被り直してるのだろう。
 星名と一緒にいたやつらはなんだか妙な目で俺を見ていた。

 ――最悪だ。
 聞こえなかったフリをすればよかったものを、馬鹿素直に振り返ってしまったことを後悔した。

「おい、一凛。一凛ってば」
「……」

 返す言葉も見つからず、そのままエレベーターまで逃げ込もうとしたが、間に合わなかった。
「なあ、無視すんなよ!」と側までやってきた星名に腕を掴まれ、血の気が引く。

「……っ、触るな!」

 そう手を振り払った瞬間、爪が星名の手に引っかかったようだ。「痛ぇ」と小さく呟く星名に、「大丈夫か?璃空」と見知らぬ生徒たちが駆け寄ってくる。

「あー、大丈夫大丈夫。これくらいなら舐めときゃなんとかなるって」
「つか璃空が話しかけてんのにそんな態度はねーじゃん、なあ?」
「感じ悪すぎ」
「おい、お前らそんなこと言うなよ。一凛は恥ずかしがり屋なんだから仕方ねえんだって」

 ……なんだ、これは。
 つい先日まで避けられ、露骨に除け者にされていた星名の周りには男たちが群がってる。
 吐き気がするほどグロテスクな光景にただ目を疑った。コマンドでも使ったのか。それとも。

 異性がいないこの閉鎖的な場所では、星名のように中性的で細身の男子生徒は重宝される。……女の代替え品として。
 元よりそれを危惧されて変装を強制させられていた星名が、自ら変装を解いた。そして、これだ。まるで犬でも飼い慣らしたような顔して取り巻きたちに笑顔を振り撒く目の前の男にただ吐き気がした。

 何を考えてるんだ。こいつは。

「なあ、一凛。お前これから暇か?」
「……暇じゃない」
「聞き間違いか? ああ、そんなわけないよな、《お前も来いよ》」

 どく、と血液が心臓から押し出される。こいつ、と星名を睨みつけた。俺にだけ聞こえる声で囁かれるコマンドに、見えない首輪に首の根を掴まれる。

「……っ、用事が、ある……っ」

 断る、と言葉を口にしようとすれば、星名に手を握られた。柔らかくて細い白い指。菖蒲さんとも真夜とも違う指は蛇のように絡みついては俺の手をぎゅうっと握り締めた。

「《来い》」

 ガチ、と奥歯がぶつかった。これを拒むほどの体力が今の俺にはない。覗き込んでくる大きな目から視線を逸らすこともできないまま、俺はそのまま星名に引っ張られた。
 せめて菖蒲さんに連絡を、と思うが、指からスマホが滑り落ちる。それを手にしたのは星名の取り巻きだ。
 返せ、と声を上げるよりも先に「ほら、こっちこっち!」と星名に腕を引っ張られ、別の取り巻きたちに背中を押され、転びそうになる。

「か、えせ……っ、ぅ、く……っ!」

 ラウンジの奥の個室の扉を開かれたと思えば、そのままボックス席のソファーに座らされられた。振り返ったが俺のスマホを拾った取り巻きの姿は見えなくなっていた。

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