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二重束縛。それは菖蒲さんの抱えた矛盾そのものだ。
建前と本音、本音を押し殺してきていた菖蒲さんは自分でも自分が求めているものをきっと分かっていないのだろう。
菖蒲さんが何を望んでいるのかは分からない。けど、菖蒲さんは俺に捨てられることを恐れている。自分を制御することが出来ていない。
菖蒲さんの抱えていた大きな矛盾は以前から――俺たちが出会ってから、菖蒲さんが選んだセーフワードに顕著に現れていたはずだ。
「愛佐」
頭のどこかの血管が千切れたようなそんな音が聞こえた。とろりと鼻の奥から濡れた感触が溢れる。それを拭うこともできなかった。
言え。早く。そうねだるように名前を呼ばれる。手の甲に菖蒲さんの指が食い込む。
この人も苦しいのだ。
たった一言を口にすればこの人は救われるのか。本当に。それは救われると呼べるのか。
「《言え》」
「……っ、……」
「《早く》」
「……ぅ゛……ッ」
そんなわけ、ない。
「あい――」
目の前で揺れるネクタイを掴み、ざ、と開きかけた目の前の唇に顔を寄せる。キス、と呼ぶにはあまりにも無様だった。唇同士がぶつかり、歯が唇を傷つけたのだろう。鉄の味が広がる口の中、目の前の菖蒲さんの目が開く。
離れようとした菖蒲さんのネクタイを手綱代わりにし、なけなしの力を振り絞って目の前の唇を再度塞いだ。何度も、コマンドを遮るようにその唇を貪る。
「っ、は、……っ、ん、む……っ」
「ふ……――っ、……ッ」
訳の分からぬまま、それでも俺の血で赤く染まった菖蒲さんの唇は青白い肌によく映えたのだけは覚えていた。
痛みか、不快感か。顔を歪めた菖蒲さんの手が俺の首に触れる。食い込む指先も無視してただ俺は菖蒲さんにキスすることしかできなかった。硬く閉じた唇に何度も吸い付くことしかできない、稚拙で幼稚な行動に菖蒲さんはただ眉を顰める。
嫌われても、無礼だと思われてもいい。俺にはこうすることしかできなかった。
苦痛を感じるラインはとうに超えていた。ふわふわとした離脱感。それから。
「……っ、……っふ、は……っ、ん……っ」
壊れたように涙が溢れる。鼻血も、菖蒲さんの顔まで汚してしまった。菖蒲さんにしがみついてキスすることでしか俺は示せない。
自分の体が、神経が末端から駄目になっている感覚だけは確かにあった。それでも、菖蒲さんに信じてもらえないくらいなら、与えてもらった愛情を返すことすらもできないのならこんな体、残ってても意味がない。
半ばヤケクソだった。最後の力が抜け、とうとう菖蒲さんに引き剥がされたと同時に世界が回ったような気がする。違う。これは。
「……っ、馬鹿が……」
菖蒲さん、そんな顔をして人のことを馬鹿って言うのか。
そんな人だって知ってたら、きっと俺は。
「――っ、……」
駄目だ。限界が来たらしい。コマンドに逆らい続けることはやはり俺には厳しいようだ。
後悔を覚えるよりも先に意識は分断される。底なしの沼の奥へと沈む思考、最後まで菖蒲さんの顔が離れなかった。
『桐蔭会長、特定のパートナーいないってまじ?』
『そりゃあんだけ人気者なら選びたい放題だろうしな、わざわざ一人に拘る方が勿体無いだろ』
『命令すれば簡単に言うこと聞いてくれるような相手がゴロゴロいるんだろ? 最高じゃん、羨まし~』
『お前もSub探しゃいいじゃん。うちの学校、隠れSub結構いるらしいよ』
『まじ?』
『けどそれ狙いで入ってきたDomも多いらしいからハズレ引かねえように気をつけろよ』
『うわ、こえ~~』
菖蒲さんは目立つ。良くも悪くも。
羨望、嫉妬、妬み、恋慕、好奇、畏怖。向けられる全ての視線を受け止め、ただ優雅に微笑んでいる。
一度伝えたことがある。
『中傷に値する噂話はきっちりと取り締まった方がいいのではないか』と。
菖蒲さんは椅子に腰をかけたままくるりとこちらを振り返り、『愛佐は優しいね』と笑いかけてきた。
『言いたい者には言わせておけばいいさ』
『ですが……聞いていて不快です。俺は』
『何故だい?』
『だって、菖蒲さんのこと何も知らないくせに馬鹿にするなんて』
『……ふふ』
『な、なんで笑うんですか』
『君があまりにも素直だからだよ。愛佐、君がそういう風に思ってくれるだけで僕は充分だよ』
『……菖蒲さん』
『僕は別に万人に愛されたいわけじゃない。……君のような子が一人でも居てくれればそれで満足なんだ』
伸びてきた手。そのままそっと手の甲で頬を撫でられるだけできゅっと胸が締め付けられる。
『……俺だけではない。きっと、いや間違いなく大多数の生徒は生徒会長としての貴方を尊敬してます。表立って口にしないだけで』
抑えきれずそう漏らせば、菖蒲さんはただ静かに目を伏せる。『ありがとう、愛佐』と一言。やや間を置いて絞り出すように口にした菖蒲さんのことを思い出した。
俺は知らずのうちに菖蒲さんを追い込んでいた。
ずっと。側にいて俺を支えてくれていた菖蒲さん。いつか恩返ししたかったその人を俺は自分で苦しめて、そして――噛み付いた。歯向かった。逆らった。裏切った。噛み付かれた。裏切られて、捨てられた。
傷つけられて、傷つけた。
ぶつけられたコマンドも、グレアによる後遺症も暫く俺を苛めた。
そして俺が目を覚ましたとき、俺の首輪を締めた本人は忽然と姿を消した。
跡形もなく、まるで最初から存在しなかったみたいに俺の前から――学園から姿を消したのだ。
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