飼い犬Subの壊し方

田原摩耶

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 退院して、学生寮へと戻る。
 菖蒲さんと別れて、菖蒲さんが俺の前から姿を消して一月が経とうとしていた。

 変化したことはいくつもあった。
 不在の生徒会長の代わりに臨時で生徒会長に選ばれたのは海陽先輩。そして副会長に小晴。それも数ヶ月の間、その後は小晴へ生徒会長に継がれると言う。
 あんなにやる気のないやつが生徒会長だって?と初めて聞いた時は耳を疑ったが、「最初からそーいう段取りだったんだよ、諦めろ」と小晴は笑った。
 その言葉の意味は分からないが、海陽先輩は特に興味はなさそうだ。菖蒲さんのことも何も言わない。
 海陽先輩は今まで通り自分のデスク使っており、空いたままの生徒会長席に酷く違和感を覚えた。

「愛佐。そこで相談なんだが、お前、書記にならないか」

 会長席を見つめていると、不意に海陽先輩に声をかけられる。一瞬聞き間違いだと思ったが、違った。じっと見つめてくる海陽先輩に、胸の奥がざわつく。

「え……俺、ですか」
「現書記には会計の仕事を任せる手立てとなってる。比較的覚えることの少ない書記ならば任期の少ない者でもつけることができるはずだ」

「難しいと言うなら正式な後任が見つかるまでの中継ぎでいい。……お前なら大体の仕事もこなせるし、俺が助かる」てっきり、もう生徒会室に来なくて良いと言われるかもしれない。
 そう思っていただけに、海陽先輩の勧誘は意外だった。
 元々、俺は菖蒲さんに憧れて生徒会に憧れて入った。でも、それは俺がSubだということを隠して人前に立つという前提があったからで。

「……俺で、いいんですか」
「どう言う意味だ」
「俺のせいで、変な噂が立って皆に迷惑をかけてしまったら……」
「そんなやつら放っておけ。それとも、お前は万人に愛されたいのか?」

『僕は別に万人に愛されたいわけじゃない。……君のような子が一人でも居てくれればそれで満足なんだ』

 いつの日かの菖蒲さんの言葉が過ぎる。海陽先輩の言葉にハッとした。
 この学園でやっていく以上、Subとして生きると決めた以上逃れることはできない。

「……やらせて下さい」

 ソファーにだらしなく腰をかけていた小晴が笑い、それから首を伸ばして生徒会室の入り口の方を振り返った。


「お前はどーすんのよ、今なら生徒会長補佐の席が空いてるけど」
「じょーだん。海陽先輩だって嫌でしょ、俺が支えんの」
「いらんな」
「うわ、即答。……ひっどいなー。俺結構海陽先輩に気に入られてたと思ったんだけど」
「お前は遊びすぎだ。面倒ごとを持ち込まない努力をしろ」
「ガチ説教じゃん」
「入りたいなら俺がいなくなった後好きにすれば良い」

 多分、俺が入る前の生徒会室の空気がこうだったんだろう。和気藹々とは言い難いが、それでもなんだか酷く落ち着かない気分になる。それから、と空席の生徒会長のデスクを見る。
 いるべきところにいない、あの人の影をずっと追いかける。





「真夜」
「なに、愛ちゃん」
「海陽先輩になにかしたか」

 生徒会室を出た後、学生寮へと戻る途中。
 渡り廊下を歩いていた真夜は窓の外に目を向ける。

「なんでそう思った?」
「あまりにも、都合がいいから」
「復帰しやすくていいじゃん。……それに、何もしなかったら愛ちゃんあの人に生徒会辞めさせられてたぞ」

 海陽先輩の優しさはそれだ。
 俺に迷う隙を与えないよう、庇護してくれる。強引だけど、それが優しさだと知ってる。
 だからこそ違和感があった。ずっと。この学園に帰ってきてからそれは肌に絡みついてきていた。

「先生も、クラスのやつらも、皆……おかしい。誰も当たり前みたいに俺のこと受け入れてくる」
「よかったな」
「……何した?」
「別に? 愛ちゃんに関わらないようにしただけだけど」

 それがなにか?と言いたげにこちらを振り返る真夜にただ返す言葉もなかった。
 これがこいつのやり方なのだ。変わらないものがあれば周りから環境を変えていく。それは俺も知っていた。こいつのせいで、体の裏側から作り替えられた。

「嫌だったか?」
「……余計な真似をするな」
「怒るよりも褒めてよ、愛ちゃん。俺がいなかったらお前、今頃その辺でオモチャにされてたかもしれないってのに」
「……」
「愛ちゃん」

 こっち向けよ、と言わんばかりに肩を抱いてくる真夜。どこで人が見てるかも分からない状態でキスをされそうになり、「真夜っ」とその頬を押し退ける。

「簡単に人にコマンド使うの、やめろ」
「愛ちゃん、まだ諦めてなかったんだ。……もー、俺の性格わかってくれたと思ってなのにな」
「……っ、海陽先輩とか、先生とかは……ん、っ、おい、話を聞け……っ!」

 ちゅ、とどさくさに紛れてキスをされ、ムカついて肘で真夜の体を押し退けようとする。が、逆に腕を掴まれ、そのまま顔を覗き込まれた。またキスをされるのではないかと思わずギュッと目を瞑った時、今度は額に軽く唇を押し当てられた。

「……怒んなよ、愛ちゃん」
「……っ、怒る、誰でも」
「あーあ、こういうときコマンド使えたら楽なのに」
「だからっ、人を楽とか面倒とか言うなら……っん」

 言い返そうと開いた口をそのままかぷりと塞がれ、全身が凍りついた。それも束の間、ぬるりとした舌が触れ合い、くちゅくちゅと音を立てて擦り合わされる。
 入院してる間、真夜はこういう触れ方はしてこなかった。だから、油断していた。

「ん、っ、ふ、待て……っ、ん、ま、よ……っ」
「ん~~? ……っ、またなーい」
「……っ、ぅ、ん、ふ……っ、」

 あっという間に壁際まで追い込まれ、執拗に口内を荒らしてくる舌先に逆らうことができない。優しく上顎をなぞられるだけで下肢から力が抜け落ちそうになったところ、真夜に抱き止められた。

「愛ちゃん、俺さあ。結構お前のこと、気に入ってんの」
「……っ、け、っこう……かよ」
「なに、いっちょ前に不満なんだ? ……けど、まじで。……愛ちゃんには嫌われたくないんだよなあ」
「お前は、言ってることとやってることがめちゃくちゃだ……っ!」
「ガチギレじゃん」
「っ、プレイとか、いいから。普通に接してくれ、それなら……考えてやる」

 無理矢理眠らされたり、忘れさせられたり、キスやなんやで有耶無耶にしてまともに向き合わされない方がずっと嫌だった。そして今回、ようやくこいつの言葉に惑わされることなく向き合うことが出来るようになった。

「……普通にって、難しーこと言うじゃん。愛ちゃん」
「ま、よる」
「俺の、俺らのふつーがこれ。……コミュニケーションなわけ。こうやって可愛がんのも。愛ちゃんだって気持ちいいの好きだろ?」
「……好き、じゃない……っ」
「……ふーん?」

 顔を逸らそうとすれば、戯れに耳を甘く噛まれて息が止まる。下半身に伸びてきた真夜の手にぎょっとし、「おい」と手を叩くが真夜は気にせずベルトを緩めていくのだ。

「真夜っ」
「愛ちゃん、俺は愛ちゃんのこと受け入れるよ。だから、お前も俺を受け入れろよ」
「……っ、受け入れるって……」
「俺のこと、好き?」

『愛佐、僕のことが《好き》?』

 こんなときに、菖蒲さんの顔が過ぎる。
 DomはSubの愛情を求めている。そう教えてくれたのはこいつ自身だった。

 この男のことを心の底から信用することなどできない。腹立つし、何より俺の言うことを聞かない。おまけにところ構わずこうして触ろうとしてくるし、卑怯で、ずるい。
 お前が求めてるのは俺ではなくて、Subだ。Subからの愛情を欲してるに違いない。
 そして、俺は。

「っ……お前のそう言うところは、嫌いだ」

 真夜は静かに口元を緩めた。嬉しそうに目を細め、それから俺の頬にキスをする。
「十分だ」そう言うかのように目を閉じ、額を押し付けてくる真夜に俺は手のやり場に迷った末、真夜の手の甲を引っ掻いた。

 やり方は間違ってるし、根本的な考え方からこいつとは合わない。
 それでも、こいつはずっと俺の傍に居た。やり方は最悪だが、こいつなりに力を貸してくれた。俺が目を覚ますのを犬みたいに待っていた。
 多分純粋な好意なんてもんじゃないが、一人になった今改めてこいつの存在が今の俺にとって当たり前になっていたことに気付いてしまった。

 DomとSubは惹かれ合う、なんてどこぞの創作物は謳っていたが、今ならば嫌でも理解できた。運命だとかよりももっと本質的な部分でお互いを必要としている。欲してる。貪欲に。
 そこに個人の感情なんて二の次で、だからこそ心を通わせ合えることができる相手と出会えることが運命だと揶揄されるのだろう。
 だったら、俺が運命だと思えるのは誰なのか。
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