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80【side:真夜】
「どこへ行くんだ?」
幻覚でも幻聴でもない。あの男は立っていた。毅然とした態度で、しゃんと背筋を伸ばして俺を真っ直ぐに見据えて微笑んでいる。
ただ以前と違うのはやつが制服ではないと、それと、恐ろしいくらいこの男の感情が読めないことくらいだ。
夕闇の中、あの男だけが過去に取り残されたように記憶のままの姿でいたのだ。
「……アンタ、なんでここに。もう、戻ってこないんじゃ」
「ああ。こんなクソみたいな場所、帰るつもりもない」
「じゃあなんで」
「忘れ物を取りに来たんだ。大事な忘れ物を」
近づいて来る足音。肩を掴む手に無理矢理引っ張られる。
俺の横を通り過ぎ、階段を一段一段上がっていく。その先には生徒会室がある。居ても立っても居られず、俺はあの男の腕を掴んでいた。季節外れの長袖の下、包帯に何重にも覆われた腕が覗く。
「なんのつもりだ? 真夜」
「アンタの居場所はもうどこにもない。いい加減諦めろよ」
「諦めるとはなんのことかな」
「愛ちゃんのDomは俺だ、アンタの出る幕はない」
この男の言う忘れ物が何を意味するのか嫌でも気づいてしまった。あの時、ぐったりとした愛ちゃんの姿が脳裏を過り自然と力が入った。
桐蔭菖蒲はこちらを振り返り、「ああ、そう言えば」と思い出したように俺の腕を掴む。そのまま物凄い力で引き上げられ、ぎょっとした。
「お前には借りがあったね、真夜」
「は――」
瞬間、桐蔭菖蒲が何かを手にしたのが見えた。視界の端で何かが光った。夕焼けを反射する鋭い光。それも一瞬、首筋に何かが突き立てられる。
「な、に」
針の先端から首筋の血管に何かが流れ込んでくる。まずい、と首を抑えるが、遅かった。最後の一滴まで押し出して、桐蔭菖蒲は笑った。
「真夜、お前には感謝してるよ。豚箱にブチ込まれたお陰で多少役に立つこともあったからね」
――注射器。
なんでそんなものを。いや、この男は何を俺に打った?
ドクドクと首筋から全身の血液に流れていく冷たい感覚に意識が尖っていく。毒か。殺す気なのか。
「安心して。死にはしないよ」
「……っ、アンタ……」
「《手を離せ》」
心臓に電気流されたように鼓動が増す。汗が吹き出して、眩暈と吐き気で立っていることも困難だった。
「そのまま――《黙って引き返せ》」
「っ、アンタ」
気持ち悪い。知らない生き物に脳味噌ごと奪われたみたいに体が思い通りに動かない。抗おうとすればするほど重圧に押し潰されそうになり、手摺にしがみつく俺を見て桐蔭菖蒲はこちらに近づいて来る。
世の中にはSubではない人間を強制的にSubに覚醒させるための薬品があるということは聞いたことがある。けど、合法ではないはずだ。簡単に一般人が手にすることはないように厳しく取り締まられているはずだ。なのに、なんでこの男が。
「思ったよりも耐えるじゃないか、真夜。けど、Domの方がコマンドに対する抗体は少ないらしいからね。一時的とは言え、辛いだろう? 肉体を他人に踏み荒らされる感覚は」
「っ、……」
「ああ、でもお前には借りがあったんだった」
丁度いい、と言わんばかりに人のネクタイを手にした桐蔭菖蒲はリードか何かのように首を引き寄せる。そして、
「……《愛佐のことを忘れろ》」
「ふ、ざけんな……っ!」
「《誰もお前を愛してない》」
「……っ、……」
「全部、夢だ。《目を覚ましたら全部忘れる》」
違う。そんなわけがない。
耳元から直接鼓膜へと流れ込んでくるコマンドを拒絶しようとすればするほど脳味噌に激痛が走る。細胞から作り替えられていく得体の知れない恐怖に抗おうと目の前の男の首を絞めようとした瞬間、「《動くな》」というたった一言に体から力が抜けた。手にしていたケーキの入った箱が落ちる。
ふざけんな。人を呼べ。誰かこの男を止めろ。
声を上げたいのに声が出ない。息が詰まる。
「短い間だったが、僕の愛佐の面倒を見てくれたのは助かったよ。――だけどそれだけだ」
「……ッ……」
「《お前にはもう用はない》」
ふざけるな、クソDomが。
そうたった一言すら声を上げることも許されない。愛ちゃん。愛ちゃんって、誰だ?
違う、愛ちゃんは、あいつは俺のパートナーで。大切なSubで、顰めっ面の、甘いものが好きな……。
「《おやすみ》、真夜」
何重にものしかかって来るコマンドの波に抗うことすらも許されなかった。傾く視界。受け身を取ることも許されないまま意識はあの男によって強制的に遮断された。
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